世界を救う読書

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一番恐いのは「自分で考えて決めたと思ったことが、実はそう思わされていた」ということ。

 実は今日のエントリーは前回記事の下書きで書いた内容です。

別に手抜きではありませんので(ここ重要w)、くれぐれも誤解ないようお願いします。

 

前回の記事で書いたように、私達の生活や人生に関わるようなことが私達が知らないところで決っているということが実は結構あります。それ自体は間接民主制である以上当たり前ですし、むしろ知らされない方が幸せということもあるかもしれません。

 

しかし、私は一番恐ろしいのは「自分で考えて決めたと思ったことが、実はそう思わされていただけだった」ということではないかと思います。

前回の記事で書いた年次改革要望書などは最たる例で、郵政民営化のように国論を二分した・・・というのは言いすぎかもしれませんが、それでもそのために国会を解散し、国政選挙を行うというのは一大事です。そんな大きな事態が実はアメリカから押し付けられた政策であるにも関わらず、まるで我々日本人自身が議論をして選び取ったかのような空気作りが巧妙に行われていたということは本当に恐いことだと思います。

 

私にはこの郵政民営化に絡んで、そのことを強く思い起こさせる出来事がありました。

 

もう10年以上前になりますが、会社の友人との会話でこんなことがありました。 

丁度、小泉政権下で郵政民営化の審議が進められていた頃です。

その友人は「郵政省の公務員なんて大した仕事してない上に、毎日定時で帰ってて、そのくせ僕らより断然給料もらってるんですよ。あんなところさっさと民営化して世間の厳しさを知れば良いんですよ!」とたいそうご立腹でした。

 
その友人自体はとても正義感の強い人間ですので、義憤に駆られて発した言葉であることは間違いありません。ただ、その郵政民営化自体も元々はアメリカの年次改革要望書において要望されたことであり、郵政局管轄の金融事業を規制緩和、自由競争の名の下に外資が入り込めるように改造するための改革だったというのが実態でした。
 
しかも、その友人はもっと前に「日本はアメリカの言いなりで自分達の利益を全く主張できていない。官僚に任せていてはダメだ」ということも言っていました。
 
この2つの主張に私は今もなお違和感を感じています。
彼のように「自国の利益を主張し堂々とアメリカと渡り合うべき」と主張する人間が一方で、アメリカからの要望に従うだけの郵政民営化をそうとは知らず全面的に支持する・・・。この大いなる矛盾。
 
勿論、彼の中ではその2つは全く矛盾していません。
その2つがつながっているという事実を彼は全く知らなかったのですから。
 
「知らなかったのだから仕方ない」と言ってしまえばその通りです。偉そうに言っていますが、私も世の中のことで知っていることなんて、私の目が届く範囲のごくごく一部にしか過ぎません。しかし、知らなかったでは済まないことも世の中には沢山あることも事実です。いささか理不尽だとは思いますが、それでも自分の言動に責任を取らなくてはならないのが大人です。
 
しかし、その知識不足、経験不足を補うのが想像力であり、その想像力を働かせるために必要なのが、自分の思い込みから距離を置き、物事とその背景を正確に見極めようとする謙虚な態度です。
私が思うに、結局彼は正義感の強い人間ではあったものの、自分たちの社会がどのような基礎構造の上に成り立っているのかを理解しようとする謙虚さを持ち合わせていなかったのだと思います。良く言えば「熱いハートを持った人間」ですが、その熱さが逆に物事を曇らせて見せてしまうということもあるのです。
 
そして、私もまたその事をしっかり彼に説明することができなかった当時の自分の知識と論理力のなさを不甲斐なく思います。会社の同僚でもあり、他の同僚が同席していたため遠慮したというのも事実ですが、それでも上手く彼を導けるような説明ができたのではないかと。
 
過ぎたことを後悔しても仕方ありませんが、それ以来私自身なにかを判断したり、決断したりする時に「本当に自分で考えて決めたのか?」「何かの思いにとらわれていないか?」を常に意識するようにしています。特定の価値観から逃れた普遍的な判断などというものは存在しませんが、少なくとも自分と周りの人たちの価値観と、それを育んでいる環境や歴史に敬意を払うことだけは心がけていきたいと思っています。
 
 
うーん、なんか偉そうな始まり方をした割には、結論はこじんまりしたまとまり方ですみません(TдT)
 
 

 

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