世界を救う読書

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子供の叱り方に見る日米差

 

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写真と記事の内容は全く関係ありません(笑)。

写真は今日行ってきた、名古屋市の「有松絞りまつり」というイベントです。

江戸時代から続く古い家が残る、趣のある通りを散策して参りました。からっと晴れて、風通りもよく清々しい気持ちで過ごすことができました。

 

それに影響された訳ではないのですが、今日はいつもとちょっと違う記事を書いてみます。

 

今読んでいる、『施 光恒著 「本当に日本人は流されやすいのか」』で、日本と欧州の文化の違いが現れた面白い話があったので、それを紹介します。

 

本書の第五章に、アメリカの小学校の国語教科書に登場する、幼い姉妹の物語が紹介されています。

とある姉妹の夏休みの物語。姉はグェン、妹はナン。

お姉さんのグェンは海辺で開かれる「砂のお城づくりコンテスト」に挑戦する。妹は手伝いたがりますが、めちゃくちゃにされてしまうからと仲間に入れてもらえませんでした。

グェンは一所懸命に城を作るが、毎週、食事やトイレの隙に、誰かに製作中の城を壊されてしまいます。夏のコンテストの日に犯人を捕まえてみると、仲間はずれにされたのを怒った妹でした。

まだ審査に間に合うのでグェンたちは城を作り直す。妹のナンがしょげて「ごめんなさい。私にも手伝わせて」と頼みますが姉のグェンは「ダメ」と一喝。グェンは城をつくりなして一等賞を取ります。その夜、浜辺で花火大会が開かれますが、母親は城を壊した妹のナンに夜の花火を見させませんでした。家族みんな海外に座って見ていたのに。

 

どうでしょうか?

短い物語ですが後味の悪さを感じなかったでしょうか?

 

確かに妹がやったことは決して褒められたことではありません。ただ、本人も謝って反省していることは確かですし、もとは妹の気持ちを考えずに仲間外れにした姉にも多少は反省すべき点があるように思われます。

にも関わらず、姉は謝った妹を許さず、母親も厳しい罰を与えました。

日本人の感覚では、今後の姉妹関係、妹と母親との関係に悪い影響が出るのではないかと心配になりますし、何より妹の負った心の傷を思いやる方も多いのではないでしょうか。

 

そこで著者は妹のいたずらが発覚し、妹が謝ってきた後に次のような展開になれば、日本人の感覚ではすっと落ちるのではないかと書いています。

 

妹のナンが「ごめんなさい。私にも手伝わせて」と言ってきたら、姉のグェンは反省しているかどうかを尋ね、反省が感じられれば「いいよ、一緒に作ろう」という具合になるのではないか。そうではないとしても、最後の場面では母親が妹に「お姉ちゃんたちの気持ちを考えて、反省しなきゃ駄目よ」と語り、謝罪するおうに促し、姉と和解させるだろう。そして、仲直りした後に家族みんなで一緒に花火を見るという展開を日本人の多くは好むと思われる。

 

確かにこちらの方が日本人的にはすっきり(ほっこり?)するように思います。

 

ここには原理原則に照らし合わせて「悪いことは悪い」とはっきり言い、意見が食い違った時には自分の意見を主張するというアメリカらしい価値観が見て取れます。

一方、日本では自分と他者との具体的な人間関係という状況の中で、相手の気持ちを汲み取って判断していくという形で行動します。

 

この辺りの違いというのは、当然どちらが良くてどちらが悪いかという話ではありません。それぞれにそれぞれの文化や教育の方針があるというだけです。

 

よく日本人は「自己主張ができない」とか「周りの空気に同調しすぎて主体性がない」と言われます(同じ日本人に)。そういう場合は「欧米人を見習え」的な話で言われることが多いのです。

しかし、その違いは上記の引用文のように私達の道徳観や家族の関係性、他者との距離感の感じ方にも現れており、欧米人の考え方を学ぶことで変えられるような単純なものではありません。もっと深い我々の心の奥底に根ざした人生観にも深く関わっていることでもあるのです。

まるで何かの国家試験のように勉強して身に付けたり、また別の価値観に付け替えたりできるような薄っぺらい物ではないのです。

 

戦後、特にバブル崩壊以降の経済停滞期において自信を喪失した日本人は、つい「このような事態に陥っているのは自分達が欧米人に比べて悪いところがあるからだ」と考え、全てを欧米流に変えようとしてしまいがちです。

しかし、ことはそれほど簡単なことではありません。

私達には私達にしか感じ得ない、欧米人とは決して相容れない独自の価値観や世界観を持っています(しつこいですが優劣をつけるつもりはありません)。

 

ですから、自分達のあり方を変えていこうとするのであれば、自分達の価値観をかなぐり捨て、借り物の価値観の上にハリボテを作るような形ではなく、あくまでも日本という長い歴史の中で私達に息づく価値観や世界観を基盤とした上で、どのような方策を取るのが日本人らしいのかを考えていく必要があると思います。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆 

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