世界を救う読書

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難民・移民問題で揺れる欧州。指導者達が理解しない真因。

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先日のイタリアにおける五つ星運動・同盟の連立政権樹立のドタバタに続き、ドイツでもメルケル首相が移民問題で追い詰められています。

なぜここまで事態が深刻化するのか。

 

それはやはりいわゆるエスタブリッシュメントと呼ばれる指導者層が、国民や民族、そしてそれに付随する文化の違いの大きさを、甘く見ていたせいではないでしょうか。

 

多言語を操り、世界を股にかけ、いわゆるグローバルに活躍する彼らは自分達の価値観こそが正しく、世界を指導するものだという思い込みの下、自分たちの理想を独善的に推し進めました。

その彼らの価値観とは

 

「世界はグローバリゼーションという不可避の歴史の流れに乗って進み、国家などというものは意味をなさなくなる。

そのグローバルな世界の中では、モノ、カネそしてヒトはやすやすと国境を越えて移動するようになる。

国家はもはやそれらを管理できないし、すべきでもない。むしろその潮流の乗っかって、グローバルな経済活動を促進することで、全ての国が経済的な繁栄をもたらす。

そして、それがより平和な世界の実現につながるのだ。」

 

という理想主義的な価値観です。

 

確かに理想としては素晴らしいかもしれません。

 

しかし、モノ、カネ、ヒトがやすやすと国境を越えて移動できるということは、それだけ凹凸(でこぼこ)のないフラットな世界ということが前提になります。

なぜなら、凸凹や違いがあれば必ずそこで物事は滞留してしまうからです。

 

その凹凸とは必ずしもビジネス的な制度や条件に限りません。

時間的、空間的、人間の心情的な凹凸というものも排除してフラット化しなくてはなりません。そういった凹凸が制度的な障害を生むからです。

 

しかし、そのような凸凹のないフラットな世界が望ましいものでしょうか?

 

例えば時間的な凹凸。

仕事で忙しかったり、暇だったりする時は誰にでもあります。いつも同じ時間が流れるわけではありません。

でも、そういう凸凹があるからこ、人はあくせく働く一方で、一息つけた時のさりげない幸せを感じたり、自分の人生の意義を考えるのです。

 

また、空間的な凹凸・・・たとえば山があって遠くが見えなかったりするからこそ、その向こうに何があるのかを想像したり、出掛けてみたくなったりします。また、その山際の夕暮れの美しさに心を奪われる瞬間もあるでしょう。

 

そして、心情的な凹凸・・・喜怒哀楽が正にそうですが、喜びも悲しみもなく、ずっと冷静でワクワクもしない。どんなに安全でもそんな人生は果たして楽しいのでしょうか?

 

凹凸があるからこそ辛いこと、大変なこと、嫌な思いをすることもあります。

その凹凸があるからこそ人生は素晴らしいのです。

そして、そのような凹凸こそがヒト科として生まれた生き物を“人間”へと成長させるのです。

 

もし仮にその凹凸や相違を無くすことができれば、何でもやすやすと進みビジネスも上手く行くのかもしれません。ですが、そんなことはそもそも不可能です。世界をフラット化することはできません。

私達にできることはその凹凸や違いがある世界の中で、どれだけその違いを許容し、異なる文化を持つ人達が共に暮らしていくことができる道を探ることだけです。

違いを無くすことはできませんし、やるべきでもありません。

 

しかし、残念ながら、エスタブリッシュメント達はそのことを理解しようとしません。

彼らにとっては数多い投資先やビジネスモデルの一つでしかない土地や企業であっても、それがオンリーワンである人達が数多くいる。それを奪われた人達の怒りが大きなうねりとなって自分たちに跳ね返って来ている。

その一つがこの移民・難民問題であることを彼らは理解し、それに向き合うことこそがこの問題は収束するための第一歩ではないでしょうか。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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