世界を救う読書

ビジネス書から文芸書までさまざまな本を通して世界の見方を考えるブログ

現代に必要なのは「理解力のある、諦めの悪い馬鹿」だ。

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昨日は「シュペングラーが書いた“西洋の没落”という本のレビューを、さらにレビューする」という投稿を行いました。

今回はその続きと言いますか、私なりにそこから学ぶべきことを書いてみたいと思います。

 

昨日の投稿で西洋の没落という本は、シュペングラーによる「欧米文化が今後たどる道を予測した予言書である」と書きました。


この「予言」は、シュペングラーの次のような歴史観に基づいています。
それは

・人間は何百年、何千年経っても本質が変わる訳ではない。

・人間の歴史はその本質において、何度でも繰り返す。

という人間の歴史に対する冷徹な哲学です。


ここで重要なのはシュペングラーが何をもって人間の本質、そして歴史の本質考えたのか?ということです。
シュペングラーは人間の歴史の本質は「覚醒存在」と「現存在」という2つの存在類型の葛藤と対立、そしてそれらの循環の歴史であると考えます。


そして、人間の本質がどれほど時代を経ても変わらないのであれば、今ある状況からある程度未来への道を予測することができる。

シュペングラーが示すのは、そういう手段による予言です。 

では、現存在と覚醒存在とは何でしょうか?

 

現存在と覚醒存在

シュペングラーはそれを

現存在:

土地や言語などの地域性に密接に結びついた感性や肉体、そして生命を重視する存在

 

覚醒存在:

土地や言語などの地域性から切り離された、知性、知能、そして思考を重視する存在

 

と言っています。

 

平たくいえば、

 

現存在とは「自分たちが暮らす地域や家族という、身近な共同体によって支えられている価値観」

 

覚醒存在とは「様々なしがらみにとらわれず、人間の知性の万能性と普遍性を信じる価値観」

 

と言って良いかと思います。

乱暴に言えば、自分の周りの人や土地への愛着が現存在。周りの人や土地に縛られずに人間の知性はいつでも、どこでも正しいと信じる心が覚醒存在、かな。


当然これは一つの人間の中で「どちらかだけしかない」ということは基本的にあり得ません。
誰にも両方が備わっており、そのバランスが違うだけです。そしてまた、そのバランスは成長と共に変わっていきます。


シュペングラーは、この一人の人間の中にある現存在と覚醒存在が、世界の動きの中にも見て取れると考えました。

一人の人間の中でこの2つがバランスされており、成長と共にそのバランスが変わっていくように、世界の歴史も様々なバランスで現存在と覚醒存在が両立していますが、時代と共にそのバランスが変わっていく。

 

それが人間の歴史である、と。

現存在は現実主義と、覚醒存在は理想主義と繋がる

シュペングラーによると、現存在が自分が生まれた土地や言語と結びついた「現実に即したアプローチ」であるのに対して、覚醒存在は土地や言語に縛られず人間の知性の正当性を信じているため「理想主義的で、非現実的なアプローチ」に陥ってしまいます。


面白いのは、生きるのが精一杯で夢を観る余裕がないような状況であれば、理想主義者は現実主義者に「バカなことを言ってるんじゃない! 現実を見ろ!」と一喝されて終わりな訳です。

ですが、文明が発達し、生きることに経済的余裕が出てくると理想の実現に燃え始める人達が大勢出てきます。

そのような甘えを受け入れる経済的余裕があることにより、現実主義者は理想主義者の「こうあるべきだ!」という理想に対抗することが難しくなる。

 

それが少しずつ、しかし確実に現実主義を喰らい尽くすのです。

つまり、文明が発達したからこそ成立する理想主義が、その存在の基盤である現実主義を食らい尽くし文明自体を滅ぼす。


だから、文明というのは発達すればするほど没落せざるを得ない。

そうシュペングラーは説くのです。

 

また、シュペングラーの“西洋”の没落とは、文字通りの「欧米の没落」を意味している訳ではありません。

西洋文明自体の没落の必然性を説いていますので、その西洋文明にどっぷり浸かった日本も、さらに言えば中国でさえもその例外ではないと言えます。 

 

 日本の没落は歴史の必然か?

昨日の投稿でも書いたようにシュペングラーの予言は、実際かなりの精度で現代の世界の混乱を言い当てています。

また、シュペングラーの主張はある程度正当性があるように思います。

それでは、この日本はシュペングラーがいうように没落していくしかないのでしょうか。

 

私はそうは思いません。

というか、思いたくありません。

 

シュペングラーの「西洋の没落」を解説した本、「日本の没落」を書いた中野剛志氏が以前「貨幣とは何か?」というテーマの話の中で、こんなことを仰っていました。

 

「貨幣の本質が理解できるほど頭が良い人は、ほとんどの場合、こんな話を他の人にしても理解できないと諦めてしまう。でも、必要なのは“それを理解できるだけの頭の良さ”を持ちつつも、“どうせみんな理解できない”と諦めることなく、しつこく発信し続けられるくらい馬鹿な人だ。こういう人はなかなかいない。」

 

と。

その通りだと思います。


物事の本質が理解できる人というのは、人間の本質も理解できてしまうため、えてして「駄目だこりゃ」と諦めてしまうものです。
ですが、そこで諦めず「誰からも理解されなくても、やらなくてはならない! 諦めてたまるか!!」といえる程馬鹿じゃないと、世界に立ち向かえないんだと思います。

 

確かにシュペングラーが言うように日本が没落するのは宿命かもしれません。
ですが、そんな事は百も承知で、それでも諦めずに立ち向かう。
そんな気概がある人がいれば、もしかしたら、万に一つの可能性で没落を防げるかもしれない。

 

私自身がそんな人になれるとは思っていません。
ですが、もしかしたらどこかで私のブログを読んだ人がそう思ってくれるかもしれない。

そう願いながら、こうして私は細々と、しかし確実にブログを日々更新していきたいと思います。

 

今回はいつにも増しての長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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