世界を救う読書

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西日本災害の渦中で「道路」を考える

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私九州で生まれ育ち、就職を機に本州へとやって来ました。

そんな私が初めて本州に来て驚いたことの1つ。

それは「国道1号線」という標識を見たことです! Σ(゚Д゚)

 

私は就職するまでの間九州から出たことがなかったのですが、九州においては「国道3号線」という国道が一番大きい道路で、“桁数”が一番少ない道路になります。

ですから、それを上回る・・・むしろ下回る「1号線」という道路を見た時にはびっくりしました。

 

そりゃ、3号があるんだから1号もあるに決まってんだろ!という話なんですが、それほどまでに「国道3号線」というのは九州に暮らす者にとって絶対的な存在です。

 

今回私がたまたま九州に戻っている間にこの西日本豪雨に遭ったわけですが、雨のため色んな道が塞がれていました(土砂だったり、警察に止められたり)。

で、そういう時に九州の人間がどうするかというと「とりあえず3号線に出よう」とする訳です。九州の大動脈である3号線に出れば何とでもなる、と。

 

そうすると、今回のように新幹線も止まり、在来線も止まり、果ては九州を縦断する唯一の高速自動車道である九州道(※)も止められてしまったため、もう九州内を移動する人がこぞって3号線へ押し寄せる訳です。

※いわゆる「高速自動車国道」です。「都市高速」は他にもチラホラありますが、それも大部分は3号線に連結しています。

 

ここまで来ればおわかりでしょう。

そう、国道3号線が超大渋滞。

全然動かない、どころかそもそも国道3号線に入る道が大渋滞しているため、3号線に入ることすらできないような状態です。

 

 

それにしても今回、実際に自分がこのような事態に陥ると道路という「インフラ整備」の重要性を肌身で感じました。

普段平和で特に混乱もない社会で暮らしていると、人々の生活の基盤になるという意味で実際に体験する“道”を、近代的な共有財産としての“道路”という抽象概念で捉えてしまいがちです。

 

そのような状態が続き、さらに今の日本のような緊縮財政ムードが蔓延すると、そのような抽象概念としての「道路」と「コスト」が直結し、すぐに「既に道路は充分にある。追加する財政的余裕はない」とか「どうしても必要な道路だけに限定して整備しよう」という議論になってしまいがちです。

 

しかし、どのような道路でもその土地で暮らす人々にとってその一本一本は、正に“命を繋ぐ道”であることを忘れてはいけません。

日本のような災害大国においては、想定を遥かに超える災害・・・それこそ東日本大震災のような千年に一度とも言われる最悪のケースをも想定し整備をする必要があります。

それこそが国民の命を預かる国家の責務です。

 

ところが、実際の日本の道路整備状況はどうでしょうか?

例えば自動車1万台辺りの時速80km以上で走行できる高速道路は、

 

アメリカ: 6.3km

フランス: 4.6km

イタリア: 2.5km

ドイツ: 1.7km

イギリス: 1.5km

 

に対し、日本は0.9kmでしかありません。日本より国土の狭いイギリスやドイツの半分強でしかありません。

 

確かに日本のような山地が多い地形においては欧米と同じように比較することはできない、という指摘もあるかもしれません。

しかし、それは逆です。

「山地が多いから仕方ないよね」ではなく、むしろ「山地が多いため、谷間に集落が集中しやすい日本だからこそ、欧米よりも道路網を細かく整備しなくてはならない」はずなのです。

 

 

 もちろん、道路を整備すれば今回の被害が全て防げた、などということを言うつもりはありません。

ただ、それによって救える命もあり、そして今現在避難生活や水・食料の不足に怯える生活を送っている方々を助けることは充分可能です。

 

 

道路王国などと呼ばれ、道路=利権団体などというイメージが流布されている日本ですが、この災害大国において道路が果たすべき目的をもう一度考え直すべきではないでしょうか。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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