世界を救う読書

ビジネス書から文芸書までさまざまな本を通して世界の見方を考えるブログ

同じ仕事量を抱えていても「充実している人」と「疲れ果てている人」の違いを考えてみる。

f:id:Kogarasumaru:20180725225151j:plain

つい先日隣の家に住む六歳くらいの男の子が母親と会話しているのをたまたま聞いたのですが、その時にその子が

 

「最近僕も忙しいんだよね」

 

と言っていました。

 

「その歳で忙しいって(笑)」と思わず吹き出しそうになりましたが、その子はその子で色々な事情があるのでしょう。同級生の付き合いとか。

まぁ、まだ微笑ましいなと思います。

 

ですが、大学生や社会人になると結構周りに「俺は忙しいんだ」アピールをする方がいらっしゃいませんか?

仕事が忙しいということは基本的には良いことのように思います。

少なくとも「暇でやることがない・・・今月の売上が・・・」と悩んでいるよりは遥かにマシです。

 

ですが、忙しい日々を送っていることが充実している日々と必ずしもイコールとは限りません。

もちろん、それがイコールな方も大勢いらっしゃいます。それは素晴らしいことですが、もしそうでない場合、それでも仕事に自分の人生を費やさなければならないとしたら、どうでしょうか?

 

ウォルター・リップマンという20世紀初頭に活躍した政治ジャーナリストが、次のように言っています。

 

「非常に多くの仕事が終わりのない繰り返しであるかぎり、しかも労働者にとっては目的のない繰り返しであり、一組の筋肉を一つの単調な型にはめる一種の自動作業であるかぎり、

彼の全人生はその何をとっても他のものと特に区別されることのない自動作業になってしまうだろう。

 

“一組の組の筋肉を一つの単調な型にはめる一種の自動作業”という部分がちょっとわかりにくいかもしれません。

「筋肉」という言葉で肉体労働をイメージされるかもしれませんが、私は「自分の頭で思考することなく機械のようにパターンにはまった作業をする」というような意味ではないかと考えています。

 

つまり、単純な入力作業とかだけではなく、たとえデザインとか映像に関わるようないわゆるクリエイティブな仕事であったとしても、“そこに自分の思考や創造性が加味されず、機械的にこなす仕事”であれば、自動作業の一つに陥ってしまうと。

 

そして、リップマンの言葉を借りれば

 

そのような人にとっては、彼の全人生そのものが何をとっても他のものと特に区別されることのない自動作業になってしまう

 

のです。

 

 

他のものと区別されることのない自動作業…まさに「マシーン(機械)」という言葉が相応しい状態ではないでしょうか?

 

さて、実はこの状態のことをうまく表現している言葉が日本語にはあります。

それは

 

忙しい

 

という字です。

 

この「忙」という文字は、「心」という意味のりっしんべんと、「亡くす」という意味の「亡」という造りからできています。

 

そう。

心を亡くすと書いて「忙しい」なのです。

言い得て妙というか、この文字を考えた人は天才じゃないかと思います。

 

 

世の中には、どれほど仕事を抱えていても充実している人もいれば、逆にバタバタして疲労困憊の人もいます。

それも「忙しいとは心を亡くした状態である」と考えれば納得できませんか?

 

つまり、結局充実している人はどれほど仕事を抱えても心が活きている人であるし、疲労困憊の人は心を亡くしているということになるのです。

だからこそ、人によって、心の持ちようによって「忙しさ」とは変わるのです。

 

 

世間には忙しい人に時間の使い方とかを指南する本やネット記事が溢れています。

しかし、個人の性格や置かれた環境は人により、タイミングにより全然違いますので、「誰にでも、どこでも当てはまる対処法や仕事の仕方」なんて世の中には無いのはないでしょうか。

 

私はそんな本を何冊も読むよりも、この

 

「忙しい」とは「心を亡くした状態」のこと

 

ということを心に留めておくことの方が余程助けになるのではないかと思います。

心が亡くなってしまえば、幸せにはなれませんからね!

 

あれ? 私ちょっと良いこと言った??? (・∀・)

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

 

このサイトについて プライバシーポリシー
Copyright ©2020 Sekadoku (世界を救う読書管理人)