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石破茂氏の「政策至上主義」は正しいのか? 「政策通」の政治家は必要なのか。

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今日、たまたま本屋に立ち寄った時に、石破茂氏の新書を見つけました。

時間が無かったので内容までは読んでいないのですが(笑)、その新書のタイトルが気になりました。
もちろん悪い意味で(笑)。
 
そのタイトルとは
 
「政策至上主義」
 
だそうです。
 
まぁ、タイトルなんかは編集者の人が考えることも多いそうですので、石破氏が言っているとは限りません。
実際、著者自身が「いや、別にそんなつもりで(本を)書いたんじゃないんだけど…」というパターンも多いようですし。
 
ただ、事の経緯がどうあれ、編集者がこう書けば売れると判断したのは間違いありません。
 
このような「政局に拘ってる場合じゃない。具体的な政策こそが必要なんだ」という認識が、世間一般に受け入れられる素地がなければ、このタイトルでは売れませんから。
 
実際このような話はテレビや新聞などでも、よく聞きますね。
 
 
ですが、ちょっと待ってください。
政策が一番重要って本当でしょうか?
 
私はそうではないのではないかと思います。
むしろこのように思うのです。
 
「政治家に政策なんて必要ない。必要なのは政治理念である。」
 
と。
 
うーん、我ながら爆弾をぶち込みましたね…(笑)。
でも、私がなぜそう思うのかについて説明しますので、少しの間お付き合い頂けますでしょうか?m(._.)m
 
 
そもそも、以前「ブレない◯◯」とかいう言葉が流行った時がありました。多分民主党政権が誕生するちょっと前の頃だと思います。
たしか麻生政権とかが「ブレてる」などと批判されていた時期かな?
 
この頃から思っていたのですが、
 
私はぶっちゃけ政策なんてブレてしまっても良いと思っています。
 
「ブレる」という言葉自体に既に印象操作が入っている気がしますね。
もっと前向きな言葉・・・「状況に応じて政策を柔軟に調整していく」と言い換えれば、印象がだいぶ違うのではないでしょうか?
 
民間事業と国家の政治を同列に並べるには注意が必要ですが、民間でも一度「こうだ!」と決めたとしても、状況が変われば変更を余儀なくせざるを得ない時はあります。
それは臨機応変というやつでしょう。
 
逆に「一回決めたから変更しません!」という硬直した態度では、目まぐるしく変わる情勢に対応できません。
 
結局、臨機応変に対応しても
 
成功すれば英断と言われ
失敗すればブレたと言われる
 
だけの話です。
結果論にしか過ぎません。
 
したがって、大切なのは「政策」という表面的なものではなく、
 
その政策の根底にある政治理念とは何か?
 
だと思うのです。
政策を臨機応変に調整することは構いません。
ですが、この政治理念がブレるのは駄目なのです。
 
そして、そこにこそ「政治家」が存在する意義があるのではないでしょうか。
 
時々「政策通」を自認する政治家がいますが、私に言わせればそんな政治家は百害あって一利なしです。
誤解がないように言っておきますが、「政策に精通していることが悪い」と言う意味ではありません。
知っていることは大事なことですが、それは政治家が自らアピールするようなことではない、という意味です。
 
さらに言うなら、そんなことをアピールするような政治家を国民は高く評価するべきではない、ということです。
 
 
確かに政策に精通していることで気付けることもあるでしょう。
しかし、どんなに精通していたとしても、それを専門に日夜努力している官僚には勝てません。
彼らは具体的な政策立案のスペシャリストなのです。
 
むしろ、そんな彼らの土俵にわざわざ上がって、真っ正面からやり合おうなどと言うのは、戦術的にも愚の骨頂です。
数字と資料を準備して説明すれば分かる、というのは、実は相手としては楽なのです。
官僚はそういう事前資料の作成は得意中の得意ですから。
むしろ交渉相手として面倒くさいのは「説明しても分からない奴」あるいは「分からない振りをして、強引に方針を押し付けてくる奴」なのです。
そう、丁度あのトランプ大統領のように。
 
トランプ大統領は確かにアメリカ大統領という強大な権力を持っているから許されるような、強引でメチャクチャな手段を採ることが多々あります。
しかし、倫理的な問題はさておき、彼のやり方はある意味間違ってはいません。
トランプ大統領は「横綱の相撲の取り方」を知っているのです。
 
 
それと同じくらい国民に選ばれた政治家は強力な権限を持っています。
だからそれに相応しいやり方をすれば良いのです。
敢えて言いますが、“勉強だけを頑張ってきて試験に合格しただけの一般国民にしか過ぎない”官僚と同じ土俵で闘う必要はありません。
 
 
自分が信じる政治理念に照らして、国家の政治をどのように導いていくべきか?
それさえブレなければ、政策なんていくらでも変えて良いのです。
もちろん、それによる国民生活への影響は最小限に留めなければなりません。
 
メチャクチャ言ってるなコイツ、と思われますか?
そうかもしれません。
 
でも良いんですよ。それで。
その後始末をするために、理想と現実のバランスを実際の政策で取っていくために、官僚がいるのです。
そのためには、いくらでも馬車馬のように働かせれば良いのです。
 
ただ、それに見合った報酬は必要だとは思います。
政治家とは違って、影役である官僚には名誉という報酬はありませんから、目に見える形での十分な報酬は必要です。
 
その点だけは国民はもう少し官僚への考え方を修正すべきかとは思います。
その代わり、ボロ雑巾になるまで使い切ってやるからな!覚悟しとけよ!という感じですが(笑)。
 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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