世界を救う読書

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新聞の役割とは客観性の高い事実の報道。彼らの主張など別に聞きたくない。

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今年の4月に行われた、小学校、中学校の全国学力テストの都道府県別結果が文科省より発表されたようです。

それについて各新聞が報じているのですが、中部圏のとある有力紙に

 

「新聞を読む子 正答率高く」と題し

「新聞を読む頻度の高い方が頻度の低い子供にくらべ、全強化で平均正答率が高かった」

 

とする記事が掲載されていました。

 

うーん・・・何でしょうね。これ。

この情報要りますか?

 

どうも「新聞を読んでいますか?」という質問に「ほぼ毎日」「週に1〜3回」「月に1〜3回程度」などという選択肢を用意して、それぞれを選んだ子どもの平均正答率を比較したそうです。

 

ですが、そもそも

 

「成績が良い子が新聞を読んでいる確率が高い」

 

のと

 

「新聞を読む子が成績が良い」

 

ってイコールでしょうか?

これ、全然イコールじゃありませんよね。

 

成績が良い子は確かにいろんな情報に触れようとしているのかもしれません。そういう意味では新聞を読んでいる確率は高いかもしれません。もしかしたら、ですが。

でも、だからと言って「新聞を読めば成績が良くなる」みたいな結論に結びつけるのは流石に強引だと思います。

 

そもそも成績が良いと言っても、毎日読む子と読まない子で正答率が10%くらいしか差がないようですが。

 

ある意味面白いというか、新聞社の哲学の無さを感じるのですが、新聞社などのマスメディアって自分たちの役割を「権力を監視する」とか言いますよね。

これは反権力・・・少なくとも権力からは適切に距離を取ることを意味している訳ですが、

 

そもそも「学力テスト」というのは、その時々の権力が「これからの社会を担う若者には、このような知識が知恵が必要だ」という「権力者の価値観に基づいた判断基準」によって製作されたテスト

 

な訳です。

 

いわば政治権力によって作り上げられた価値観や判断基準に適正に染め上げられているか?を測るものです。

※数学の理論はちょっと違うかもしれません。いわゆる数論は専門分野じゃないのですみません。

 

だとしたら、権力に距離を置いた思考や判断が求められる新聞が「新聞を読むと、権力に認められやすくなりますよ」と喧伝している訳です。

 

自己矛盾も甚だしい。

片腹痛いとは、正にこの事。

 

ただ、私はそもそも「メディアが権力を監視する役割を担う」というのが、正直胡散臭くて仕方ありません。

特に日本では。

 

国家権力を監視するということは、時には国家権力の敵に回るということです。

国家には時として「100年先の国民のために、現在を生きる国民に犠牲を強いる」という究極の選択を求められることがあります。

もしその選択に対して敵に回るとしたら、それは文字通り“命がけの仕事”になります。

 

果たしてそれだけの根性がある人間が日本の「サラリーマン記者」の中にどれだけいるのでしょうか?

10人もいたら凄いことだと思いますが。

 

 

私は正直そんな夢物語の役割をメディアには、これっぽっちも期待していません。

そんな事は土台無理だと思います。

 

私が考えるに、現実的なメディアの存在意義とは

 

1) 国内政治、国際政治、経済など様々な分野の問題を分析し、その存在を国民に提示すること

※当然そのためには「裏付け」という取材が必要

2) 取材に基づいた客観性の高いデータを提示すること

 

ではないでしょうか。

 

そして、(1)と(2)をベースにした上で、自社の意見を"独自の意見だと表明した上で”述べることが許される、その程度ではないかと。

 

しかし、残念ながら近年・・・というか、実は創成期からそうだったのかもしれませんが、メディアはその程度のことすらできなくなって来ています。

 

今回の記事のように自分たちの意見を表明するために、あるいは発行部数を伸ばすために読者が喜びそうな記事を書いていることがかなり多いように思われます。

 

もちろん「自分たちの意見を表明するな。黙って事実だけ書いてろ」などというつもりはありません。

また、どんな事象も「人間の眼」を通して観察し分析する以上、完全に客観的な事実を掲載するということもまた不可能でしょう。

必ずその記者や新聞社の価値観がその報道には含まれるはずです。

 

客観と主観、その狭間でもがきながら少しでも客観性の高い情報を読者に提供する。

それによって社会の意見に多様性をもたらし、より広く深い議論が世間で行われるように促す。

権力を監視するなどと大それたことではなく、それこそがメディアに求められる役割ではないでしょうか。

 

その意味では、今回挙げたような「新聞を読む子が全国模試の正答率が高い」などという

 

新聞を子供に教材として提供するように親に迫り、

子供には幼い頃から新聞を読む習慣を身に着けさせることで将来の発行部数を確保し、

新聞を読む子供は読まない子より賢いという偏見を植え付ける

 

ことを目的とした、本来のメディアの意義からは凡そかけ離れた自分たちの利益のために読者の印象を誘導するような利己的な記事を、「全国学力テストの結果」という純然たる事実を掲載するだけで必要かつ充分な記事に、どさくさに紛れて掲載するようなメディアとしての矜持を失った行為は厳に戒めるべきではないか。

 

私はそのように考える訳です。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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