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星野源の「おげんさんといっしょ」。生放送という不確実性が生み出すワクワクとドキドキ。

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皆さん、星野源主演(?)の音楽番組「おげんさんといっしょ」をご存知でしょうか?

 

 星野源が「おげんさん」という名前のお母さん(?)に扮して、様々なミュージシャンとともに音楽談義に花を咲かせる番組です。

一昨日、三浦大知をゲストに迎えて第二回が放送されました。

 

この番組のキャッチコピー(??)は

 

「(演奏や歌を)間違えても良い音楽番組」

 

です。

 

なぜなら全編生放送の番組だからです!(・∀・)

 

星野源の家族役として高畑充希藤井隆が出演しているのですが、まぁ実際間違えるwwそして悪びれもしないww

 

でも、私はそれで良いと思います。

むしろ本来音楽ってそういうものなのです。

 

もちろん出演者は適当にやって間違えている訳ではありません。

一所懸命歌を歌い、ダンスを踊る。

その結果として間違えているだけです。

 

むしろ彼らはその全ての過程を楽しんでいて、その楽しさが番組を通して伝わってきます。

 

一般の方はご存知ないかと思いますが、今の音楽エンジニアリングの技術はとんでもないレベルで、歌の音程がどれだけ外れていても、演奏者の音符がぐちゃぐちゃでも、無理やり「正解」にあてはめることができるのです。

 

どんなに下手くそでも、それなりに聴かせることができる。

普段皆さんが聞いている音楽のかなりの数がそのように作られた音楽なのです。

 

もちろん、プロである以上、一定の技術は必要です。アマチュアとほとんど変わらないような技術ではプロを名乗る資格はありません。

ただ、だからと言って音楽は「上手ければ良い」「正確であれば良い」という訳ではありません。

 

自分が音楽をやっているからかもしれませんが、予定調和のように決められたことを決められたように再現する。編集されたお笑い番組のように「ここでボケて、ここでツッコミ、みんなが爆笑するSEとテロップが入ってシーンが終了」。

 

確かにそれは「確実性」という安心感はあります。

ですが、予定調和の中からは新しいものは何も生まれません。

あるのは予定通りにやり遂げることができたという達成感のみ。

それはそれで素晴らしいことですが、そこにドキドキやワクワクは存在するのでしょうか?

 

そういう意味では口パクは論外だとしても、音楽番組はほとんどが次に何が起こるかわからない緊張感と、だからこその面白さという音楽の本来の素晴らしさを提供できていないのではないかと思います。

 

それをこの番組は生放送に敢えてこだわることで実現しています。

この番組へのTwitter投稿数が世界一を記録したらしいですが、このような生放送という不確実性が生み出すある種の混沌の中で生まれる、“その瞬間にしか味わえない”ワクワクを味わいたいという衝動が視聴者を動かしたからだと思います。

 

音楽の楽しみ方、そして音楽の何が好きなのか?

それは人によって千差万別だと思います。

私は今回の投稿で予定調和では何も新しいものは生まれない、と書きましたが、「その安心感が良いんだ」という人もいるでしょう。

 

それで良いのです。

 

ですが、私は自分が音楽をやっている身であることもあって、ほんの一瞬先の未来も読めない不確実性が生み出すワクワク感がとても好きです。

今この瞬間はうまく行っていても次の一瞬で全てが台無しになるかもしれない・・・だからこそ、その一瞬一瞬を命懸けでやり通す。

 

それはもちろんプレイヤーだけでなく、その場に居合わせる観客も含めてです。

そんな懸命な思いが、その場、その瞬間にしか生まれ得ない感動や美しさを引き起こす。

それこそが音楽という不確実性の集合体が他の芸術とは違う特別な存在である特質ではないかと思います。

 

そんな音楽の本来の楽しみ方を思い出させてくれた生放送「おげんさんといっしょ」に感謝感謝です! (・∀・)

年一放送くらいのペースのようですが、是非この素晴らしい生放送を続けていってもらいたいものです。

 

今回はちょっと短かったかな?

最後までお読み頂きありがとうございました😆 

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