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コンセッション方式という民間活用の闇。政府が横文字を使う時は大概ろくでもない事をやる時だ。

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皆さん「コンセッション方式」というキーワードをご存知でしょうか?

 

ここ最近ちょくちょくメディアに出るようになったワードなのですが、

 

道路や鉄道、水道など国家や地方自治体が運営するインフラ事業を「所有権は公的機関が保持しつつ、運営権のみ民間企業に譲渡する」運営方式のことです。

 

いわゆる“民間活力の活用”というものです。

 

特に最近は静岡県浜松市などの一部の地方自治体で水道事業のコンセッション方式による民営化が行われたりすることで露出が増えたように感じます。

ただ、民間活力の活用と言えば聴こえは良いのですが、当然良いことばかりではありません。

というか、最近コンセッション方式の良くない点が際立つ出来事がありました。

そう、台風20号が直撃し陸の孤島となったことも記憶に新しい、関西国際空港です。

 

リスクを理解しておきながら放置しておいた運営会社

関西国際空港を運営している関空エアポートという民間企業は運営権は保持しているものの、土地や建物は関空エアポートが保有している訳ではありません。

産経新聞のニュースによると、関空エアポートの代表は

 

海上空港として高潮、津波が大きなリスクと認識していたが、(関西エアは)空港をいちから設計するのではなく、民間の力で活性化するのが本分」

 

と述べたそうです。

つまり

関空に高潮、津波という大きなリスクがあることは分かっていたが、それを解決するのは自分たちの責任ではないから放っておいた。自分たちはただそれを活用するだけです。だって、それが民間活力の活用でしょ?」

という訳です。

 

また、恐らく見た目にも相当な衝撃を与えたタンカーの激突が発生した連絡橋ですが、あれもコンセッション方式によって運営されています。しかも、同じく産経新聞の記事によると、鉄道部分はJR西日本南海電鉄が運営しているものの、所有権は関西国際空港を所有する会社と同じ会社が所有。

その一方で、道路部分は西日本高速道路が運営しているものの、所有は日本高速道路保有・債務返済機構が所有するなど、相当複雑な形態になっているとのこと。

関係する会社が多ければ多いほど、意思疎通や役割・費用分担の交渉が難しくなるため、連絡橋の復旧は10月上旬になる見通しとのことです。

 

「民間活力の活用」。そのリスクを担保するのは結局国民

実は私、今月末に関西国際空港経由で中国へ出張する予定でした。

台風が到来するよりも前に色々な事情で別ルートから出発することになったので事なきを得ましたが、もしあのルートのままだったとすると、どうなっていたことやら・・・。

 そんな顛末もあったため、個人的にはそのような事情で復旧が遅れることになること、そして関空エアポート代表の発言には「そんな無責任な話があるか!」と怒りを隠せません。

 

・・・が、しかし、運営側言いたいことは分からないではないのです。

運営側の身勝手な事情だとは思いますが、そもそも民間団体に空港や鉄道、道路のような国民の生活を支えるインフラ整備を任せることが間違いなのです。

そのようなインフラの整備には、国家と国民社会を将来どのような方向に導いていくのかという国土設計の青写真が欠かせません。また、設計したものを実行していくには、その土地に暮らす人々の意見をどのように集約するかという民主主義的な手続きが必須になります。

 

それには必ずしも損得勘定では判断できない運営基準が必要になりますし、できるだけ多くの人の要望を最大公約数的に取り入れるための交渉も必要になります。

そして、そのための費用も必ずしも「予め定められた予算をベースに進める」という訳にはいきません。今回の台風のような自然災害、あるいはテロや疫病などの世界情勢によって伸縮的な財務運営をしなくてはならない必要があります。

「台風で被害出たけど、お金ないから今年は無理ね。来年復旧します。」ということは許されません。

今回の台風被害について関西エアポートは100億円まで負担すると言っていますが、不足分はどうするのでしょうか。結局そのような特殊な状況においては、所有権を持つ公的機関・・・つまり私達の税金によって補填するしか対応できないのです。

 

「民間活力を活用する」のは良いのですが、何かあった時に結局国民が負担するということは、国民の税金を使って民間団体が利益を得ているということに他なりません。「民間活力の活用」というもっともらしい言葉を使いながら、結局やっているのは「最後は国民の税金に任せてケツをまくれば良い」という“人のふんどしで相撲をとる方式”によって、一部の民間団体が利益を貪っているに過ぎません。

 

そもそも民間に適さない分野というものがある

そもそも公共サービスというのは、利益の追求という民間企業の目的からは根本的に相反するものなのです。

もしかしたらヨーロッパのような自然災害の少ない地域であれば、うまくいくのかもしれません。

いや、嘘つきました。

実際水道事業でコンセッション方式を採用した結果、フランスでは水道価格が25年で2.6倍に上昇したり、水質が悪化したり、供給が不安定になったりして、結局再公営化に踏み切りました。

 

しかし、先日の北海道地震のように水道管が破裂したりして想定外の維持管理費が発生しやすいのが日本なのです。このような国土条件なのですから、これはもうどうしようもありません。そのような状況で公共サービスを運営しても、民間が正常な企業活動ができるような利益が出せる訳がないのです。

もちろん、3〜5年とか短期であれば分かりません。コストカットや施設整備などによって短期の利益が出せるかもしれませんが、公共サービスは国民が存在し続ける限り必要になるわけですから、短期で利益が出ても仕方ないのです。

あくまで永続的に安定したサービスを提供できること、それが肝心なのです。

 

バブル崩壊以来の「政府や地方自治体はこんなに無駄なことをやっていた!」という報道の大合唱によって、とにかく公共団体や公務員は駄目だ。民間活力の活用こそが素晴らしいのだ!!という「民間活力真理教」が日本を席巻して来ました。

 

ですが、本当にそうでしょうか?

確かに公共団体による無駄はあったでしょう。

そりゃ、そうですよ。人間なんですから。それを言うなら民間企業なんてもっと無駄ばかりでしょう。

ただ、外から見て目につくような無駄が一部あったから、どこかの一時期に無駄な部分が多かったからと言って、その無駄が発生したメカニズムを検証することなしに感情的に全てを否定するというのは良識のある社会の判断とは思えません。

人間がやる以上は一切の無駄を省くなどということは不可能。むしろ「無駄を省く」ということを重視しすぎる余り、多少無駄があっていざという時の備えとして必要なことはたとえ赤字になったとしても、たとえそれによって救われる命がたった一つだったとしても行わなければならないことがあるのです。

 

民間には民間のやるべきこと。

公共団体には公共団体のやるべきこと。

それぞれの長所を活かせる、それぞれに適した分野がある。

「民間活力の活用」などという耳触りの良い言葉に惑わされず、それぞれの特質と状況、本来の目的を十分検討した上で、どのような運営を行っていくのが適切なのかを判断できるようにならなければならないのではないでしょうか。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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