世界を救う読書

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ブレグジット(英国のEU離脱)の理由とは、人間が持つ尊厳を傷つけられた“怒り”である。

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イギリスが国民投票によってEUからの離脱を決めて早2年。

もう日本ではすっかり「そういえば、そんな事もあったね〜」くらいの温度感になっていますが、EUとの離脱交渉はまだ継続であり、どのような形で収束するかはまだ予断を許さない状況です。

 

ご記憶の方も多いと思いますが、EU離脱国民投票によって決定した当初、日本では「いかにイギリスが馬鹿な選択をしたか」「排外主義に毒された大衆迎合主義者が大衆の不安を煽った」などとイギリスを断罪するような報道一色でした。

アメリカのトランプ大統領に対する批難とほぼ同じ様相だったと言えるかと思います。

 

ところで、つい先日ひょんなことからこのイギリスのEU離脱問題に関して、岡部伸という方の書いた「イギリス解体、EU崩落、ロシア台頭」という新書を読む機会がありました。

産経新聞のロンドン支局長の方が書いた本で、「イギリス特派員として現地だからこそ感じとれたこと、新聞記事では書ききれなかったことを書いた」とのことだったのですが・・・・。

 

この本を読む中で、現在の「ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭」と言われる状況を考えるに当たり思うことがありましたので、今日はその事を取り上げたいと思います。

 

 

さて、早速ですがこの本の内容をギュッとまとめると、イギリスのEU離脱問題とは

 

EUの政治機構の官僚達がEU全体のルールを創り上げ、それを諸国に押し付けていることに、イギリス人は民主主義の原則から逸脱した行為であり、主権が欠侵害されていると感じていた。

そして、そこに移民問題による社会の分断や経済的困窮が炎上し、イギリスの反EUの機運を盛り上げた。

その結果がイギリスのEU離脱である。」

 

ということになります。

つまり、移民問題はあくまで炎の勢いを強くしただけで、問題の根幹はイギリスの主権問題である、と。

ちなみにそれについて著者自身は特に態度を明確にしていません。前半はかなり批判的な書き方をしているように見えるのですが、後半はむしろ「そこまでイギリスが追いこまれる状況を作ったEUという組織に問題がある」という書き方になっており、どちらにでも取れる書き方だと感じました。

この内容については確かに冷静な分析ですし、基本的な事情に関しては私もその通りだと思います。

 

国民投票に至った経緯や、国民投票の前後でイギリス国内でどのような議論が行われたか等はさすがに現地記者だなと思わせるほど詳細なもので、なおかつ分かりやすい文章だとも思います。

ですが、何かこう・・・他人事感(?)を感じるというか、核心に触れることなく分析に徹しているという感じがして、ちょっと読み応えはないかなぁという印象です。

 

私がこのように感じるのには実は訳がありまして、私は2年経った今でもテレビで見たあるイギリス人の発した「ブレグジットの理由」が記憶に焼き付いているんです。

そして、非常に短い言葉なのですが、この本を読んでもその一言を超えるような深みを感じなかったのです。

その発言というのは、日本で働いているイギリスのビジネスマンらしき方が発した言葉で、イギリスの立場を日本に置き換えて

 

「日本の最高裁がソウルにあり、国会が中国にあったら嫌でしょう?」

 

というものでした。

何と言いますか、私にとってこの言葉ってすごく説得力があったんです。どんな政治評論家やコメンテーターの解説よりも最も真に迫っており、それでいて簡潔でわかりやすい。

 

よくよく考えるとどちらも言っていること自体はほとんど変わりません。敢えて言うならどちらも「主権を害されたことに対する不満が問題の根幹だ」ということ。

ですが、私が思うにその決定的な違いは、新聞記者の岡部氏が「主権を害された」という事実(というかイギリス側からの解釈)を述べているのに対し、TVに出ていたイギリス人は「主権を害されたことに対する“怒り”を表現している」ことです。

 

すなわち

 

怒りという感情

 

の違いです。

 

もちろんイギリス人は真の意味で自分たち自身に関わることであるのに対し、岡部氏はいくらイギリスに駐在しているとは言え、所詮日本人。外野にしか過ぎません。従って、そのような温度感が生じるのは当たり前と言えます。

しかし、これは岡部氏のブレグジットに関する分析だけでなく、トランプ大統領の言動に対する日本の識者の分析もそうなのですが、いくら外野とは言え怒りや不安といった人間が本能的に持つ感情を蔑視し、人間はすべからく合理的に、理性的に物事を判断するべきであるという“理性至上主義”という観点から物事を考え過ぎのように感じます。

 

確かにこのブレグジットに関して言えば、人間の怒りや不安、道徳心や共同体への愛情という本能的な感情を徹底的に排除して、「経済合理性」に基づいて判断すればこの上なく愚かな判断だったかもしれません。

ですが、そのような本能的な感情を完全に排除し、いついかなる時も理性に基づいて判断することは可能でしょうか?

 

たとえばこの夏盛り上がった甲子園。

熱中症による死者が全国で続出する炎天下で高校生に何時間も野外で運動をやらせるなどということは、合理的に考えれば馬鹿げています。

将来のことを考えれば、超一流の選手以外は学校や図書館で大学受験に向けて勉強をした方がはるかに得でしょう。

ましてや、選手でもないのに応援のために駆けつけ、応援席で大声を張り上げるなど愚の骨頂でしょう。合理的に考えれば応援席からの声などという「空気の振動」が勝敗に影響を与えるなどということはあり得ません。

 

にも関わらず、野球が好きという非合理的な理由で選手は懸命に戦い、「彼らを応援したい。少しでも力になりたい」というこれまた非合理的で、非科学的な理由で応援席は盛り上がる。応援する人は自分が選手でも何でもなく、その勝敗が将来を左右するような合理的な理由がないにも関わらず、勝敗やそこで生まれるドラマに涙する。

熱中症で倒れて死者が出る可能性を考えれば、これほど愚かで非合理的な行動はありません。冷徹に考えれば、命の危険を顧みず野球選手を応援することにはこれっぽっちも合理性はないのです。

 

しかし、現実はどうでしょうか?

あの異常なまでの暑さの中で高校生は激闘を演じ、勝ち負けに関わらずそこで生まれるドラマを見て、我々は胸の奥に言葉では説明できないような熱い想いを感じるのです。

 

人間は本来非合理的な生き物なのです。

いえ、むしろ非合理的だからこそ人間なのではないでしょうか。

 

私はその意味において、イギリス人がEU離脱を選んだことを合理性や経済性などという「理性」の面から断じようとすることには違和感を感じざるを得ません。

もちろん、イギリス人全員が離脱を選んだ訳ではないことは百も承知です。

ただ、イギリス人のエコノミストであるロジャー・ブートル氏が述べたように

 

「これ(選挙という洗礼を受けていない欧州委員会欧州議会といったEUの中枢が生み出したルールを加盟国に押し付けていること)は何世紀にもわたる英国の歴史の否定にも等しい。

今日の欧州委員会が歴代のほとんどの英国王よりも議会をないがしろにしていることは愕然とする。」

 

というのは離脱派、残留派を問わず広くイギリス人の間で共有された感覚でしょう。

 

確かにこの「愕然とする」という感覚も非合理的なのかもしれません。いわゆる「大衆迎合主義」がそのような「感情」につけ込んだと批判するのは簡単でしょう。

しかし、この自分たちの歴史を否定されたことに対する怒りは、人間であれば当然のものではないでしょうか。どのように冷静な分析を行おうとも、この怒りに対する理解、あるいはその怒りの元となる人間としての尊厳への敬意を失くしては、今世界を席巻している混乱の根幹は決して理解できないのではないか。

 

そして、その理解なくして、イギリス人のEU離脱という選択、あるいはトランプ氏を大統領に選んだという選択が正しかったとか間違っていたとか、偉そうに決めつける資格はないのではないかと思うのです。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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