世界を救う読書

ビジネス書から文芸書までさまざまな本を通して世界の見方を考えるブログ

”努力をすれば報われる”信仰が自らの首を締める時もある。

f:id:Kogarasumaru:20181018233257j:plain

先日、消費税の10%への引き上げが安倍首相より表明されたことを受けて、下記のような投稿を行いました。

 

この中で私は「どの政党でも与党になった途端、増税に賛成するのだから、増税した政権批判だけやっていても仕方ない。増税を行わせる構造そのものを見直さなければならないのではないか?」ということを書きました。

とは言え、この「構造」というのは中々難しい問題です。

 

というのは、そもそも構造という位ですから、「この一つを解消すれば、全体の構造そのものが劇的に改善する!」というような単純な話ではないからです。

 

例えば会社とか、サッカーチームとか、何でも良いのですが、人数や規模に関わらずどんな組織やチームでもどこも何かしらの問題を抱えています。人間関係、成績、経営状態・・・どこかには必ず問題を抱えているものです。そして、その問題とは誰か一人だけ、何か一つだけの原因から発生しているということもありません。大小さまざまな問題の原因があり、それらが複雑に絡み合って全体としての不具合を引き起こしている場合がほとんどです。

 

昨日の投稿で私は「財務省」が経済政策に与える影響について問題視していることを書きました。もちろんそれを撤回しようとは思いませんが、じゃあ財務省の組織改革が上手くいったからと言って、それだけですべてが好転するほど国家組織の構造が甘くないことも事実です。

組織の構造をなすさまざまな部分に目を向け、それらの問題に着目しながら、少しずつ改善していくような粘り強さときめ細かさが必要になるのではないかと思います。

 

そして、この「国家」という組織においては、我々国民自身もその構造をなす一つの要素であることも事実です。国家をものすごく狭い定義として捉え「国家とは政府のこと。いや、内閣のこと。もっと言えば、安倍首相のことだ」とか極端な主張をしなければ、普通に考えて国家とは私達国民を基盤とした組織であるのですから。

だとすれば、現在のような「デフレ不況からの脱却ができていない状況で、さらに不況を促進するような消費増税を行う」という選択を行われたことについても、何かしら我々にも要因があるのではないかと思います。

 

その要因はいくつかあるとは思いますが、今回取り上げたいのは「努力は必ず報われる」という日本国民の間に信仰にも近い影響力を持つ努力信奉主義です。

 

今の苦境を脱するためには何か苦労をしなければならないという日本人独特の価値観があります。勿論努力をせずに成果を得ようとすることが難しいのは事実です。
しかし、逆が真なりとは限りません。
成果を得るために苦労が必要になる場合があるからと言って、苦労をすれば成果が得られるとは限らないのです。世の中そんなに甘くないことは、現実の社会で生きている人なら誰でも分かることでしょう。
 
しかし、それが「経済問題」となると中々そのように考えて貰えないのも事実です。例えばいわゆる「日本の借金問題」。
多くの日本人は「日本は財政問題を抱えている」という解消すべき問題があると信じています。そして、日本人はその問題を解決するという成果を得るためには、何かしら苦労をしなければならないと思い込んでいます。今回の消費増税もそのような考え方をベースにして、「将来世代にツケを残してはならない!」とか「全世代型社会保障制度の実現!(でしたっけ?ww)」というもっともらしいスローガンで実施されます。
 
しかし、その「日本は財政問題を抱えている」思い込みがそもそも間違いであるとすればどうでしょうか?
 
実際のところ、日本の日本国債の45%は「日本政府の子会社である日本銀行保有しています。日本政府は、日本銀行保有する国債について、返済の必要も利払いの必要もありません。連結決算で相殺されるからです。利払いはしていますが、日銀の決算が終ると「国庫納付金」として戻ってきています。

つまり借金1,000兆円とか言っても、その半分近くは返済不要なのです。それでも500兆円あるじゃないか!と言われるかもしれませんが、それでも1,000兆円と500兆円では偉い違いです。

 

また、財政破綻したギリシャの債務残高がGDP比で160%を超えていて、日本は200%を超えているからやばい!!とか言われますが、本当に“ヤバイ”のだったら、もうとっくに日本は財政破綻しているはずです。日本が財政破綻するという話は1980年代から言われていますが、30年以上経ってもこれっぽっちも財政破綻する気配がありません。

だとすれば、本当は債務残高のGDP比が◯◯%だから日本やヤバイ! ではなくて、「債務残高のGDP比で財政状況を語ることそのものがおかしい」という話にならなければならないはずなのです。


今回はこの問題には深入りしませんが、それにしても日本には国の借金問題も、財政問題も存在しない。これは歴然とした事実です。

 
若いうちの苦労は買ってでもしろという言葉があるように、日本人には苦労を厭わない精神性があり、苦労することそのものに過剰な評価を与える習慣があります。
下手すれば、赤穂浪士の討ち入りのように、信念を通し、時にはその信念の下に敗れ去ることにさえも魅力を感じる。そのような文化するあるわけです(良い、悪いは別にして)。
 
確かに人間ドラマの「物語」としては美しいでしょう。
ですが、そのような「苦労をすれば報われる」「みんなで一つの目標に向かって努力し、痛みを乗り越える」的な日本人の美徳を国家戦略にも援用することはあってはならないのです。
以前小泉首相が明治初期の長岡藩の「米百俵」話を取り上げて「痛みを伴う改革」の正当性を主張しました。それ以来20年(正確にはそれより少し前ですが)から様々な規制緩和改革を日本では進めて来ました。
ですが、それで日本経済が少しでも改善したでしょうか?
日本国民の暮らしが少しでも楽になったでしょうか?
 
日銀総裁が示した物価上昇目標も棚上げし、実質賃金もほとんど伸びず、社会の格差は拡大。これっぽっちも社会情勢は良くなっていません(実は「規制緩和」とは総じてデフレ促進政策なので、そんな改革でデフレを脱却できる訳がないのですが)。
結局我々はこの20年、いえ30年の間「努力すればいつかは報われる」と思い込みながら、実のところその努力の意味を考えもせず「理屈は分からんけど、とにかく精一杯頑張れば状況は改善するんだーー!!」という“努力信奉主義”を盲信しながら、脇目も振らず、努力の意味も考えずにひたすらに走り続けてきたのです。
 
そのような情緒に訴えかける政策方針に惑わされることなく、問題を解決するために正しい努力をするためにはどうすれば良いのか?
 
私はやはり「知ること」しかないと思います。
あるいは「知ろうと努力すること」です。
 
問題の根幹がどこにあるのかを見極め、それに相応しい解決方法が何なのかを判断するためには、「誰かがこう言っているから」ではなく、自分たちを取り巻く環境を理解するための知識を自分自身で貪欲に取り入れようと努力すること。そして、その姿勢を持続させること。それに尽きるのではないかと。
 
確かに現実社会で生きていて、家族との生活を支えている人間には、大変な作業です。
でも、そこを諦めてしまったら試合終了なのです。
自分の価値観を常に見つめ直し、アップデートすることを怠ったら時、その時まさに政府やあるいは狡猾なポピュリストたちがその瞬間を狙って私たちを扇動しようとするのですから。
 

これは私自身にも言い聞かせていることでもあるし、そういうことを他の人にも知ってもらうために少しでも自分ができることをやり続けるということが、このブログを書き綴る目的でもあります。

 

絶望は愚者の結論である。

どのような状況でも絶望する訳にはいきません。

 

 今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

 

このサイトについて プライバシーポリシー
Copyright ©2020 Sekadoku (世界を救う読書管理人)