世界を救う読書

ビジネス書から文芸書までさまざまな本を通して世界の見方を考えるブログ

あなたは「どこにでも行ける誰か」と「ここにしかいないあなた」のどちらですか?

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「勝ち組」と「負け組」

「金持ち」と「貧乏」

「保守的」と「進歩的」

 

などなど、世の中には色々な“分け方”があります。

その分け方には経済的なものだったり、社会的地位だったりといろんな指標で分けられるものですが、ちょっと興味深い”分け方“をご紹介します。

 

それはイギリスのジャーナリスト、デービッド・グッドハート氏が著作「The Road to Somewhere」の中で示した

 

「エニウェアーズ」と「サムウェアーズ」

 

という分類です。

 

エニウェアーズとサムウェアーズ

「エニウェアーズ」とは英語で“Anywheres“。

高学歴で社会的地位も高く、それにより国際的な移動性向も高い。生まれ育った土地を離れて“どこでも“生きていることができると考えている人たちのこと。

一方の「サムウェアーズ」は英語で“Somewheres“。

「エニウェアーズ」とは逆に社会的地位や学歴がそれほど高くなく、そのため国際的な移動性向も低い。生まれ育った土地をほとんど離れず「どこか」に貴族して生活している人たちのことです。

 

テレビや雑誌などでよく取り上げられるような、世界で活躍するビジネスマンや経営者、投資家 (Z◯Z◯の社長とか、ホリ◯モンとか)などは、まさにエニウェアーズの典型です。

そういった“世界で活躍“する日本人が賛称されることが多いのですが、実は日本で暮らすほとんどの人たちはサムウェアーズの方です。世間で暮らすほとんどの人が生まれ育った土地、あるいはせいぜい日本国内のどこかで育ち、社会に出て、そして子を生み育てていく・・・そのようにして生きているのではないでしょうか。

「これからのグローバルな社会では英語が必須だ」とか「AIやプログラミングに関する知識がないと!」とか世間では言われますが、実際にそれが必要になる人達というのはごく一部なのです。

 

エニウェアーズとサムウェアーズに優劣はあるか?

日本では「日本人的だ」というのを悪い意味で使います。閉鎖的だと、保守的だとか、そういう暗いニュアンスを含んだ言葉として。その裏返しとして「国際的」「グローバル」だとかいう言葉に弱いのですが、「日本的であること」ってそんなに悪いことでしょうか?

世間のほとんどの人は日々の生活に愚痴をこぼしながらも「日本的」で「(地域的には)限定された社会」で平和に暮らしています。ですが、そのような社会で暮らしているからこそ、“他の誰でもないあなた“を必要としてくれている人がいるのではないかと思うのです。

 

逆に「エニウェアーズ」的な生き方は、確かにパッと見では格好良いかもしれません。ですが、結局その人のような「能力」と「経済力」があれば、誰にでも取り替えが可能なのです。

日産のカルロス・ゴーン氏が逮捕されても、なんだかんだ日産という会社は潰れずに動いています。まぁ内部では色々あるのでしょうが。

確かにカルロス・ゴーン氏には莫大な財産があるでしょう。でも、結局あのレベルにまで上り詰めたとしても“取替可能”な存在であることには変わりありません。その一方で、いかに地理的に限定されていたとしても、今そこにいるあなたを必要としてくれる人がいる社会で生きる「サムウェアーズ」の生き方が、エニウェアーズの生き方に劣っているとは思えません。

 

特に、SMAPの「世界に一つだけの花」が国民的大ヒットになる日本という国においては、実は「誰にも代わりのきかないサムウェアーズとしての生き方」にこそ生きる幸せを見出す価値観が根強いのではないのでしょうか。

 

日本がデフレ不況に陥って以来、特に「勝ち組」といった言葉で代表されるエニウェアーズの生き方が参照される向きがあります。しかし、「本当に自分が幸せになれる生き方はなにか」を考える上で、他の誰でもない“ここにしかいない自分“すなわり「サムウェアーズ」としての生き方というのをもう一度評価し直しても良いのではないか。そんなことを思ったのでありました。

 

うーん、何か締まり悪かったかな。すんませんww

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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