世界を救う読書

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オリンピック組織委員会よ。若者のやる気につけ入るんじゃない。

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昨日の投稿で、日本の最低賃金の低さが世界的に見ても異常であることを書きました。

 

 

ですが、実はこの最低賃金以下の低さで日本人の労働力をこき使っている団体があるのをご存知でしょうか?

それはオリンピック大会組織委員会と東京都です。

 

 

 

募集人員は11万人。

そして、年齢条件は「20年4月1日時点で18歳以上」ということで、学生への期待が大きいそうです。

 

期待するのは良いのですよ。別に。

ただ、そもそもボランティアのため給与がない上に

 

「10日以上の活動が基本」

「宿泊は自己手配、自己負担」

 

という日経新聞いわく“厳しい条件”になっております。

 

うーん・・・厳しいというか何というか・・・正直

 

大学生なめてるの??

 

と思うのは私だけでしょうか・・・(-_-;)

 

 

たしかにオリンピックという国際的事業にスタッフとして参加することで得られる社会的経験はかけがえのないものかもしれません。

 

しかし、だからと言って学生の労働力をただでこき使って良いということにはなりません。学生の若さゆえの経験不足につけ込んだ、「やり甲斐の搾取」は許されるものではないのです。

 

それに本来政府は最低賃金の向上のために企業にプレッシャーをかけ続けなければならない立場です。

したがって、本当であれば

 

東京オリンピックのスタッフ募集!時給1,500円!!」

 

くらいのことをやって、最低賃金の向上を促すことこそが必要なのではないでしょうか。

 

そういう意味では今回のボランティア募集は、むしろ政府が自ら最低賃金の低下を促しているようなもの。

つまり本来やるべき方法とは真逆のことをやっている訳です。

 

 

そしてもう一つ問題があります。

多くの大学生がこのようなボランティアに参加するのは、就活の時にアドバンテージになるからだそうです。

もちろん今は単純に「ボランティア活動に参加しました」だけで採用されるほど甘くはないでしょう。

 

しかし、そもそもなぜボランティア活動がアピールポイントになるかと言えば、企業側が

 

「ボランティア活動は誰からも強制されるものではなく、大学でも直接的にボランティア活動へと学生を勧誘することはない。

しかし、それゆえにボランティア活動をするということは自主的に動くことができる人だという証だ。」

 

と考えているからでしょう。

 

はっきり言って安直過ぎます。

 

ボランティア活動をやったからと言って自主的に動ける人間だとは限りません。

仮に自主的にボランティア活動を行ったとしても、そのような「就職に有利だから」という理由で参加したのだとしたら、結局“受験対策が上手い”ということと同じなのです。

 

そんな事で人間の総合力や将来性を図るなどナンセンスです。

結局企業側の人事担当者がその程度の観察力しかない人が増えている、ということなのでしょう。

 

そして何より私が強い疑問を感じるのは、オリンピック大会組織委員会や東京都がそのような大学生と企業側の就職におけるやり取りを想定した上で、ボランティアに大学生を当て込んでいることです。

 

つまり

 

「どうせ学生は就職に有利になると思ってボランティア活動に飛びつくだろう。

学生をうまく使えば金を払わなくて済むから丁度良いわ。」

 

くらいにしか考えていないのです。

 

私はこのような考え方が、現在の日本人経営者の多くが「人を安く使って利益を上げることしか考えていない」ことの表れ、あるいは温床ではないかと思います。

 

 言い換えるなら、「良い物をより安く」という言葉を使って、本来経営者が負うべき生産性の向上と、利益の社会への還元を労働者に転化しているのと同じく、ボランティアという言葉を使って、本来行政や組織委員会が負うべき責任を学生のやる気に転化しているのです。

 

 

本来ならば、日本の将来を担う社会人/企業人を育てるのであれば、むしろそれなりの給与を払ってその分責任を持って働かせる。

それによって、これから社会人になろうという学生に「働いて給料をもらうことがどれだけ大変か」ということを厳しく学生に教える。

 

それこそが真っ当な大人がやるべきことではないでしょうか。

 

 

 

オリンピックという巨大イベントは、世界各国から世界の一流選手が訪れるだけでなく、様々な立場の関係者や観光客が訪れます。

立場や考え方が違う人々が集まれば、様々な利害関係や価値観の衝突が起こる可能性があります。

 

もし、それにボランティアで参加した場合、何かトラブルがあってもその学生がそもそも責任をとる訳ではないので、結局その程度の心づもりでしか参加できないでしょう。

あるいは、逆に責任感が強い学生の場合は、その子が我慢することでスムーズに進行することもあり得えます。

そうすれば「自分が我慢することで全体が回るならそれで良い」という我慢体質を植え付けることになりかねないという別の問題も発生します。

それどころか、安易に「我慢することを覚える」ことでトラブルの本質と向き合うことを避けるという甘えを植え付けることにもなりかねないのです。

 

そういう意味でも、労働に見合う正当な給料を支払い、ちゃんと「ボランティア」と「責任を伴う仕事」の線引を行うことこそが真っ当な大人がやるべきことではないでしょうか。

 

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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