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トルコリラの暴落と経済危機。危機が繰り返される理由はそれで儲かる人たちがいるからだ。

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さて、世間を騒がせている通り、今トルコの通貨リラがえらいことになっています。

当然トルコ経済も大混乱です。

 

1990年代にはアジア通貨危機があり、最近ではギリシャ危機があり、正直「また危機なの? 今度はどこや?」という感じがしないでもありません。

 

ですが、そもそもなぜ何度も通貨危機や財政危機が発生するのでしょうか。

今回の投稿ではその根本的な原因・・・危機の裏に潜む投機家という名の“ギャンブラー”についてちょっと考えてみようと思います。

 

 

さて、一言に危機といってもその発生には、様々な理由があります。常に同じ理由とも限りません。

それぞれの国の政治情勢や価値観、はては宗教問題などいろいろな事情が複雑に絡み合っています。

 

ぶっちゃけて言うと、それをこのようなブログごときで全て解明することは不可能ですwww さじ投げたww

 

 

ですが。

一つだけお伝えできることがあります。

 

それは

 

このような危機が繰り返される理由の一つは、それで儲かる人たちがいるから

 

だということです。

 

 

経済危機が起こりやすい方が都合が良い人達

一見、経済情勢が不安定化するということは悪いことのように見えます。

しかし、ちょっと別の視点で見ると次のようにも言えるのです。

それは

 

「不安定化するということはリスクが高まるということ。

リスクが高まるということは、それだけリターンも高まるということ。 

つまり、ギャンブルと同じように稼ぎどころと引き際をきちんと見極められる能力があれば、経済危機はむしろギャンブラーには好ましい。」

 

ということなのです。

 

例えばCDS (クレジット・デフォルト・スワップ)という金融商品があります。

複雑な条件は抜きにして、簡単に説明します。

 

例えばA社がB社に1,000万円の債権があるとします。

B社がちゃんと1,000万円を支払ってくれれば良いのですが、倒産したら困りますよね。下手すれば1,000万円がパーです。

 

そこでA社はC銀行に、B社が倒産した時のことを考えて1,000万円を保証する「CDS」という契約を結びます。

その代わりA社はC銀行に定期的に手数料を支払います。

銀行は手数料が儲かりますし、A社はB社が倒産しても1,000万円は保証されるので安心できる訳です。

 

これだけなら特に問題はありません。

ややこしいのは、この「CDS」という金融商品は、仮にA社がB社に債権を持っていなくても、A社とC銀行の間の契約で成立してしまう金融商品として取引されていることです。

つまり、A社はべつにB社への債権がなくても、C銀行からこのCDSという商品を買えるのです。C銀行としてはそれでも手数料が入ってくるから全然問題ありません。

 

そして、A社はもしB社が倒産した時は、債権を持っていないにも関わらずC銀行から1,000万円の保証金を受け取れます。

仮に手数料をC銀行に50万円しか払っていなかったとしたら、950万円まるまる儲かるのです。

 

恐くないですか?? CDSってwww

こういうのをデリバティブ (金融派生商品)というのですが、聞いたことある人もいるんじゃないでしょうか。

 

いや、投機家は儲かるんでしょうけど、こんなバクチみたいな商売、本当に恐ろしいですわ(笑)。

 

国家財政まで投機の対象にする恐ろしさ

元々国債市場は安定した債権であって、いわゆる安全資産とされてきました。

しかしながら、このCDSによって国債までも「市場に向けて開かれた」・・・と言えば聴こえは良いですが、いわゆるヘッジファンドなどによって投機の対象にされてしまったのです。

 

そして、このCDSの場合、購入してから時間が経つほど手数料がかさみ、その一方でいつまでも保証金が貰えません。ずっと損し続けるわけで、それは困ります。

この場合、投機家にとっては財政状況が不安定化し早くデフォルトすることで、手数料が少なくなおかつ高い保証金を得ることができる、ということになります。

あるいはデフォルトしなくても、財政状況の不安定化により保証金と掛け金が上がれば、その保証金の高さを餌にして別の投機家にCDSを売りつけてしまえば、自分だけは損しなくて済みます。

 

つまり、財政状況が悪いというハイリスクの状態こそがハイリターンを得られる可能性が高くなるというわけです。

 

これが問題なのは、実際に国家がデフォルトしそうな危機に陥ったとしても、ギリシャの時のようにデフォルトしてしまう前に売り抜けてしまった場合、その投機家は損をしなくても、「デフォルトした国」に済む国民はデフォルトによる債務の精算をしなくてはならないということです。

 

いわば投機家が儲かった分を国民が負担しなければならなくなるということになります。

 

 

しかし、そうだと分かっていてもそのような投機家の資金に頼らざるを得ない。

それが財政状況の悪化した国家の辛いところです。

自国通貨建てで国債をまかなっている国であれば、通貨を発行してその国債を補填することが可能です。

ですが、トルコもそうですし、ギリシャの場合もそうだったのですが、「外貨建て国債」の場合は、そのような真っ当な手段をとることができないのです(ギリシャの場合は「外貨」ではないですが、自国で通貨発行権がないので条件は同じです)。

 

そうすると、どうしてもそのような投機家と、彼らにCDSのような商品を売りつける民間金融機関の力に依存せざるを得なくなる・・・という訳です。

「分かってても他に手がないんだから仕方ないじゃないか!!」ということですね・・・。

 

投機家が儲かるリスクを背負うのは国民である

実はこのような「国家の(金融)市場への依存」をもたらすのは、今回取り上げたCDSだけではありません。

為替レートや金利も同じことです。

 

為替レートの変動が生む、グローバル化という資本移動の自由化によって増大した為替差益や企業収益への影響。

そして、金利においては、実際今のアメリカの金利が高まっているために、新興国から投機家が引き上げ、アメリカに舞い戻っています。

 

これらの動きによって各国の国内の企業活動が左右されるため、国家までもがそのような投機家の動きに敏感にならなければならなくなっています。

いわば国家が市場に隷属させられているような状況であり、国家は市場の顔色をうかがいながら経済政策を検討しなくてはならなくなっているのです。

 

そして、先程も書いたように、いざ事が起こった時にその尻拭いをするのは国民なのです。投機家ではありません。

 

本来国家とは国民の生活を向上させる「経世済民 (世の中を治め、民を救う)」のために政策を行わなければなりません。

それが今のグローバル化した世界では、「世界を股にかける投機家を招き入れる」ために政策を行わなければならない。

 

日本人は島国根性が逆に働くせいなのか、とかく「閉鎖的」ということにものすごい忌避感を示し、「開放的」ということに非常に強い憧れというか義務感を感じがちです。

それと同じくグローバルな資本を取り込むということにも強い憧れを抱くようです。

 

しかし、今のトルコを見てください。

グローバルな資本を取り込んだ結果がこの有様です。

 

グローバルな資本を取り込むということがどういう事を意味するのか?

それをもう一度冷静に考え直す時が来ているのではないでしょうか。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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