世界を救う読書

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敢えて書きたい、リニューアル版「安部礼司」への応援讃歌。安部礼司のアベレージが上がった?(笑)

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以前「あ、安部礼司」というラジオ番組のリニューアル内容が酷すぎるということで記事を投稿しました。

 

 

そうしましたところ、えらく反響がありまして、今ではネット上で「安部礼司」「リニューアル」と検索すると、この記事が上位に表示されるようになりました。

それはブログを運営する私としては勿論嬉しいことなのですが、同じくらい残念な気持ちもあります。

 

確かに反響があるのは大変喜ばしいのですが、だからと言って私は「安部礼司のリニューアル内容が酷くて良かった」などとはこれっぽっちも思っていません。

むしろ「残念・・・毎週安部礼司を聴くのを楽しみにしていたのに・・・」という“裏切られた感”があったからこそ、あの記事を投稿した訳です。

恐らく私と同じように裏切られた感を感じている方々が多いからこそ、「安部礼司。リニューアル。」というキーワードで私のブログがランキングされるようになったのでしょう。だとすれば、恐らくその方たちは私と同じく「また安部礼司が面白くなって欲しい」と願っているのではないかと思います。

 

実際、毎週日曜日の安部礼司放送時間になるとこのページへのアクセス数がグッと増えます。本当に「安部礼司つまんねぇわ。もう聴く価値ないわ。はい終了〜〜〜。」と思っているのであれば、安部礼司のことを検索なんてするわけがないですから。

「“本当の嫌い”は無関心である」とは至言です。

 

さて、 そんなリニューアル版が大不評だった「安部礼司」ですが、実は最近ちょっと面白さが戻ってきたような気がしています。景気じゃないですけど、底を打った感じ?

いくつかポイントがあるように思いますが、私が一番大きなポイントだと思うのは

 

リニューアル以来、“最悪”と言っても良いほどに劣化したテンポの悪さが改善されたこと

 

ではないかと思います。

前の投稿にも書いたのですが、リニューアル後の安部礼司はそれ以前と違いサザエさんのような三本シナリオ形式になりました。その結果一本一本の時間配分が悪く、サラッと終わるには長すぎ、ちょっと深く描くには短すぎるという中途半端な長さになったため、正直聞いていてイライラするような劣悪なテンポ感でした。

 

ですが、リニューアルから4ヶ月ほどが過ぎこなれて来たのか、3本立てなりの描き方ができて来たように思います。一本目で恒例になっている東京都神保町のサラリーマンの日常の描き方の“どうでも良さ”は相変わらずですが(面白い時もあるんですけどね・・・)、残り二本は「会社での安部礼司」と「家庭での安部礼司」がしっかり棲み分けして描かれるようになり、聞いているうちに「あれ?もう終わり?」と感じるようなテンポの良さが出て来るようになったと思います。

 

正直、毎回聞いていて慣れてきたというのもあるのですが(笑)、それでも「あれ?もう終わり?」と感じるようになったということは、それだけ引き込まれるようになったということの証。

また、リニューアル時には底の浅さが目立った人間心理の描き方。

これも一本ずつの時間が短くなったことが原因の一つだと思っていましたが、少しずつ「短い時間なりにサラリーマンの苦悩」がうまく描かれるようになって来たように感じます。

 

 

と、前回の酷評とは打って変わって、ここまでリニューアル後の安部礼司を褒めて来ましたが、ここで改めて安部礼司というラジオ番組の面白さの根幹を考えてみたいと思います。

 

そもそも安部礼司が放送される日曜日の黄昏時という時間帯は、平均的なサラリーマンにとっては、スポーツで言うなら試合前のロッカー室のようなもの。

日常から刻々と迫る戦いに向けて気持ちを整え、様々な不安要素を抱えながらも準備していく段階です。

そんな時に安部礼司という「平均的なサラリーマン」の姿に自分を重ねることで、時に笑え、時には泣けて、そして「悩んでるのは自分だけじゃないんだ。よし、明日から頑張ろう!」と力を与えてくれる。

 

例えば、今日9月16日をもって引退する安室奈美恵の「Hero」みたいな曲はプレゼンの前とか大きな仕事の前にテンションを上げるには良いかもしれません。でも平日からそんなテンションを上げまくっていたら疲れてしまいます。

日々の戦いが永遠とも言えるほど長く続いていくサラリーマンにとって、そのような過剰なテンションを常々受け止めるのは逆に辛いことにもなりかねません。

だからこそ、平均的なサラリーマンの日常にとっては、ほんのちょっぴりだけど確実に自分を勇気づけてくれる、そんなちょっとピリッとした刺激のあるスパイスくらいの応援歌が丁度良いのではないでしょうか。

 

そしてもう一つ大きい要素は、ラジオドラマという聴覚情報のみで視覚情報がない演出方法であること。

視覚情報がないというのは一見不利なようにも見えますが、だからこそリスナーが想像の羽を広げられる余白が多いという利点もあります。それが30代、40代と人生経験を重ねて来たサラリーマンたちが、自分の姿と主人公安部礼司の姿を重ねやすく、よりその世界に入りやすいという状況を生み出すのではないでしょうか。

ただ、それはある意味諸刃の剣で、視覚情報の耳障りが悪ければ(音楽のチョイスやテンポの悪さなど)それだけでもう中身とは関係なしに評価がだだ下がりになってしまう。

丁度リニューアル直後の安部礼司がそうだったように。

 

これらのラジオ番組安部礼司のそもそもの良さを考えると、少しずつですが最近の安部礼司はその良さを取り戻しつつあるように思います。

 

もうちょっと、もうちょっとだよ安部礼司!

少しずつ、しかし確実に上がっているアベレージ(Average)に、安部礼司の未来を感じる最近の週末でした。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

 

 

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