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九州大学火災事件の犠牲者追悼。選択と集中というコストカットによって若い才能を殺すな、

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今日は個人的に衝撃的なニュースが飛び込んで来ました。

九州大学箱崎キャンパスと言えば、私が学生時代を過ごした思い出深い大学です。

先週そこで火災が発生したと聞いた時はとてもびっくりしました。何か事故でも起こったのか? でも法学部で火災事故というのもちょっとおかしいな、と思っていたのですが・・・・。

 

・・・が、その火災を起こしたのが九州大学の元大学院生で、しかも恐らく私が通っていた時と同じ時期に通っていたらしき年齢・・・。まぁ、千人単位で人がいますし、学部が違いますので(彼は法学部、私は経済学部)実際にすれ違ったかどうかは分かりませんが、すれ違っていても全くおかしくありません。

 

しかもニュース記事を見る限り“私とは違って(←ここ重要)”かなり優秀な方だったようです。

男性は15歳で自衛官になったが退官し、九大法学部に入学。憲法を専攻し、1998年に大学院に進学した。修士課程を修了して博士課程に進んだが、博士論文を提出しないまま2010年に退学となった。

 ドイツ語を勉強し、文献の校正ができるほどの力を付けた。生前は少なくとも県内の二つの大学で非常勤講師を務める傍ら、教授の研究補助もしていた。元教授は「授業の発表も丁寧で、論文を書く能力もあったのに」と振り返る。 

 

博士論文を提出しなかった理由は分かりませんが、自衛官となった後に九州大学法学部(西日本の文系学部では最高峰と言って良いと思います)に入学。大学院に進学。ドイツ語の文献校正ができるほどですから、相当熱心に研究をされたのだと思います。

 

そんな人がなぜこんな事を・・・と思って記事を読み進めると、何と

 

困窮、研究の場も無く 「経済破綻に直面」知人に訴え 非常勤職失い複数のバイト

 

とのことで、経済的に、そしてそれによる精神的に追い詰められた結果の自殺ではないかということです。

正直ショックが大き過ぎて何と言ったら良いか分からない・・・というのが今の心情です。

 

私達の世代・・・バブル崩壊後に超氷河期の就職戦争を迎えた世代は「ロスジェネ世代」と呼ばれています。

この超就職氷河期には、基本的にどの企業も余程優秀じゃない限り新卒は雇わないという態度でしたので、私の周り私も“手書きの応募ハガキ(今みたいにWeb申し込みとか無かったんで!)”200枚以上書いて返事が全く来ないとか、面接も50社、60社と受けても全然内定貰えないとか、そんな人はザラでした。

 

そんな中で私も相当苦労しましたが、何とか今の会社に滑り込むことができました。

特別裕福なわけではありませんが、このようにブログを書く余裕はある訳ですし、何より自分が好きだった音楽の業界に携わっていられるというのは、今回の事件を起こした人から考えれば相当に恵まれていると言って良いでしょう。

 

そんな事に考えを巡らせてこの記事を読んで行く中で私の心をえぐったのは、下記の記述でした。

「院生はみな厳しい現実を共有していた。私が彼だったかもしれない」。男性をよく知る研究者は声を落とす。

私もこの男性と全く同じことを考えました。

私は“たまたま運が良かった”だけ。何かがほんの少し違えば、私自身が同じことをしていたかもしれない・・・。

 

 

私はこの方を直接は知りません。

しかし、ニュースに掲載されている関係者の話と彼の経歴を見る限り、恐らく彼は純粋に研究がしたかっただけではないかと思います。ただ、彼が生きた時代がそれを許さなかった・・・。

 

記事にあるように

大学側によると、男性は15年以降、研究室を1人で使用。ただ、顔を出すのは夜間で、ほかの院生と接触しない“孤立”状態だった。

 と、もしかしたら研究者にありがちな周りとコミュニケーションを取るのが難しいタイプの方だったのかもしれません。そのような状況に追い込まれるまで周りに助けを求めることができないプライドの高い方だったのかもしれません。

ですが、仮にそのような事情が本人にあったとしても、それだけでここまで追い込まれるほどの責任が彼にあるとは思えません。

 

私は誰でも好きなことをやって生きていく権利があるとか、人生は何度でもやり直せる。やりたいことをやれ、とかそんな絵空事を言うつもりはありません。

人間は平等じゃないし、才能も環境も人によって違う。どんなに好きでも才能がないことはあるし、逆にどんなに才能があっても様々な事情でそれを発揮できずに人生を終えることもある。

人生とはそれほど厳しいものです。

 

しかし、彼は全国でも有数の大学を出て、大学院にまで進学。学問を続けるために昼も夜もバイトをこなし、さらに非常勤講師を務めるほど学問に情熱を注いでいた。そして、彼の仕事振りに対し周りからも一定の評価がされていた。

少なくとも彼にはその才能を学問の場で活かす資格はあったと言えるのではないでしょうか。

 

そんな人が死ななければならないほど追い込まれる社会、そしてそのような意識が研究者の間で共有されるような社会はやはり間違っていると思います。

 

先日の投稿でも書いたように、国立大学の法人化以来、選択と集中という言葉でオブラートに包んだコストカットという実態が進んでいます。

今回の事件の原因が全てそれであるとは言いません。

ですが、コストカットによる非常勤講師の増大は事実であり、その非常勤講師でさえも昼も夜もバイトをしなければ生活がままならないような給与しか支払われないのは、どう考えても異常です。

 

結局ここまで彼を追い込んだのは、「日本は財政危機だ」という間違った認識が根幹となっている緊縮財政主義であり、それを許している我々国民ではないかと思うと、自分自身が歯がゆいのです。

 

かと言って今の私に出来ることと言えば、このブログでこのような主張をすることしかありません。そして、このブログにどれだけの意味があるのかと問われれば、言葉に窮する。

それが今の私の実力です。

 

忸怩たる思いで一杯です。

しかし、だからと言って諦めるわけにもいきません。今回のような悲劇が決して繰り返されないよう、ほんの少しでも自分ができることを考え、そしてひとつでも多く行動できるように、取り組んでいくしかない。

そうしなければ彼が浮かばれない。

 

 そのような思いを抱いた日でありました。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました。

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