世界を救う読書

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ハズキルーペが拡大したのは「人間の視野」と「広告の意義」である。

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ハズキルーペ、だ~い好き」で、すっかりお馴染みになってしまったハズキルーペの勢いが止まらないようです。

 

私がハズキルーペを目にし始めた頃は、確か本屋さんとかの一角に、ディエゴスティー二の組み立て式F1カーのそばにちょこんと置いてあるような程度だったように思います。

4~5年前くらい?

 

それが今では豪華俳優陣を擁したCMが、テレビのゴールデンタイムに流れるほどになりました。

EDIONとかの家電量販店に行くとスマホやパソコンコーナーの近くに必ずと言って良いほど展示コーナーが設けてあるほど、その露出具合は相当なものです。

ちなみに、この前30分程で終わる簡易な縫合手術を受けたのですが、その時にお医者さんが「これ便利なんですよねー」と言ってハズキルーペを掛けていた時はびっくりしました(笑)。

 

そんなハズキルーペの話題のCMは、観た人は必ずと言っても良いほど「なんじゃ、この格好悪いCMは⁉️」と驚きを隠せない、人智を超えたダサさです(←言い過ぎ?(笑))

 

私も広告宣伝に携わる身としては、こんなCM誰がOK出したんだ?と驚きました。

それもそのはず。このCMなんとハズキルーペの社長自らが考案した内容だそうです。

 

「ハズキルーペ」CMに広告のプロが「負けた」と脱帽するワケ│NEWSポストセブン

 

記事にはそんな事になった事情が書かれていますので、一部引用しますが、

 

松村謙三会長が広告代理店から出てきた案を却下し、結局自分で作ったと明かしました。元々はミラノで渡辺がカッコよく登場する案だったようですが、女性セブン‪11月15日号のインタビューではこう語っています。

 

「まずは、商品を知ってもらうことが第一。しかし、CMクリエイターは商品を売ることよりも、自分の作品を作ろうとして、見当違いな企画を持ってくることが多いんです。“ミラノの駅から始まって…”とか“お殿様にハズキルーペを献上して…”とか(笑い)。こちらは60秒のCMの宣伝費に100億円かけていますから、1秒2億ですよ。ミラノの風景なんか無駄に見せるくらいなら、自分でやるよ!って」"

 

 

凄いですね。

普通だったらクリエイター様(笑)からそんな企画があったら、「よく分からないけど、偉いクリエイターの人が言うからそうなんだろう」という感じで押し切られてしまうと思います。

ですが、そこを押し切られずに「自分でやる」と言い切ったのは豪胆というか、素直にすごいなと思います。

 

 

この記事にもあるように、そのクリエイターの方が自分の手掛けるCMを「作品」として世に出そうと思い、クライアントが求めるものを理解できなかったのか、それとも理解した上でベストだと判断したものを提案したのかは分かりません。

ただ、テレビCMほど大きな話でなくても、いわゆる宣伝広告に関わる仕事で、広告代理店とか制作会社に依頼したことがある人であれば、このハズキルーペの社長のいうことは「分かる、分かる」という感覚をお持ちではないでしょうか。

 

私もそのような経験をしたことが何度もあります。

というか、外部に出すとほとんどがそうなってしまいます。

その商品の良さやプッシュするべき箇所。そして、それをどのように伝えるべきかは、やはり作る人や売る人が一番分かっていなければなりません。というか、それが分かってない人達が作る商品というのは、結局自己満足でしかなく消費者に響かないのです。

 

しかし、なぜかクリエイターや広告代理店は、自分の方が分かっているという誤解をします。(全員がそうという訳ではないので不快な思いをされる方がいらっしゃれば申し訳ないのですが)そういう方々によく見られるのは「内部にいる人達(クライアント)は基本何も分かってない。物事を客観的に外から見ている自分たちの方が取るべき方策が分かっている」という態度です。

 

それは言うなれば、「客観性こそが正しい」という客観性への盲信が根本にあります。内部にいる人間は客観的な判断ができない。外部から観る客観的な見識こそがより正しい判断を行えるはずだという、言わば客観性至上主義とでも言いましょうか。

その結果、その商品の前提となる文化や目に見えない暗黙知、約束事などの重要性が軽視され、ハズキルーペの社長が感じたような的外れな提案をされることになるのではないかと。

 

ただ、実はこのような客観性の偏重は、クリエイターの方々だけではなく、現在の世の中で広く浸透している、いえ浸透し過ぎているのではないかと思います。具体的にはそれは何にでもデータ分析の裏付けを求めるデータ偏重主義や、人間の行動様式まで数値化して分析しようとする客観的数値主義などに表れます。

 

しかし、このような客観性至上主義的な考え方は本当に正しいのでしょうか。

たとえばiPhoneで有名なAppleの創業者の一人であるスティーヴ・ジョブスは、市場調査をしなかったことで有名です。それは消費者は自分が何を欲しがっているかを明確に理解しているのではなく、具体的な物を実際に見せられて初めて「こういうのが欲しかったんだよ!」と気づくと考えていたからです。だから、消費者に何を求めているかを聞いても仕方ないし、そこから得られるデータを分析しても仕方ない。本当の意味で消費者の立場で考え、自分だったらどういう物が欲しいかを真剣に考え抜くことこそが重要だというシンプルな哲学があったからです。

 

勿論「じゃあ、何でもかんでも自分のことしか考えないような自己本位で物事を進めるのが良いのか?」という訳ではありません。

やはり物事というのは程度問題ではないかと思うのです。客観と主観のどちらかではなく、その中間というかバランスをどこに置くのか。そのバランス感覚とセンスこそが重要ではないかと。

 

そもそも真の客観性などというものは存在しません。客観的な分析のように見えても、分析という行為そのものが何かしらの仮定や想定を前提にしか行えないのです。たとえばある物事を日本語で考えるとしたら、日本語という言語がカバーしている概念の中でしか考えることはできません。それが英語だろうがドイツ語だろうが同じことです。つまり何かを分析しよう、あるいはデータを収集しようとしたその時点で、既に何かしらの思い込みや概念、文化を基盤にした予断を伴うものなのです。当然逆もまたしかりで、真の主観性なども存在しません。ある人の考え方や価値観とは誰かとの関係性の中で成り立つものであり、その関係性の中で常に変化しつづけるものであるのです。完全に「自分独自の考え」などというものは幻想に過ぎません。

 

やはり重要なのは、主観性と客観性のバランスをいかにとるかというセンスの問題なのだと思います。

 

その意味においてハズキルーペの宣伝は、社長自らが信じる商品の特性とその良さという主観的な見方と、必要な人に情報が届くための道筋を見極めるという客観的見方のバランスが取れていたことが勝因ではないかと思います。

そして、もっとも重要なのはそのバランス感覚を信じて貫き通したことです。まぁ、実際CMのみてくれのダサさは凄まじいものがありますが(笑)、結果を出せばそれが勝利であることも事実です。ビジネスの世界ですからね。

 

人間は自分に自身が持てない時にはどうしてもデータなどの客観性に基づいて判断をしたくなります。ですが、結局最後には自分が正しいと思う道を信じ、それが正しくなるまで貫き通す強さがある者こそが最終的には強い。

当たり前のようですが、実は一番難しいその事実の重要性をハズキルーペのCMは教えてくれるような気がします。

 

という訳で。

今日の締めの言葉はやはりあれしかありませんね!

 

ハズキルーペ、だーい好き!  ❤(ӦvӦ。)」

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました(≧▽≦)

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