世界を救う読書

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欧州の移民政策大失敗に学ぶ。移民受け入れ拡大の愚かさ。

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 ちょっとした市街地になれば500メートル四方ごとに、数店点在するほど日本の社会にとって当たり前になったコンビニ。

ここ数年は特にそのコンビニごとの特色を打ち出すことで差別化を図ろうと必死ですが、ローソンが在住外国人を狙った"エスニック・ローソン"なる業態を打ち出しているようです。

東京・新宿の繁華街にある「ローソン新宿靖国通店」。一見、普通の外観だが、店に入ると左手の棚には、韓国の即席麺や中国のお茶、ハラル認証の飲料などが並ぶ。

「まさか日本のコンビニでも買えるなんて」。日本在住の30代の中国人女性が買ったのは中国で人気のココナツ缶ジュース(188円)だった。

インバウンド向けに化粧品などをそろえるコンビニエンスストアは多いが、ローソンでは昨年8月、新宿区と中野区の約60店で在住外国人向けの商品の取り扱いを始めた。まず韓国の食品10種類。反響が大きかったため10月から中国の食品5種類、11月からはハラル食品4種類を加えた。

商魂たくましいというか何というか・・・(笑)。

民間企業は利益を出してなんぼの世界ですから、その経営努力自体は否定しません。

しかし、気になるのはこの記事の締めの言葉

 

「増え続ける外国人を消費者として、働き手として取り込めるかどうかが、人口減のニッポンで勝ち残る条件になる。」

 

です。

果たしてそのようなニッポンに"勝者"が存在するでしょうか? 

 

移民先進国の欧州の実情 

移民大国と言えばアメリカが思い浮かぶかもしれませんが、実は移民受け入れ数世界一はドイツです。その次がアメリカ、イギリス。そしてなんと第四位はなんと我が国日本です!! 

という訳で、移民先進国と言えば断然ヨーロッパなのですが、その移民が引き起こす社会の混乱ぶりをダグラス・マレーというイギリス人ジャーナリストが描いた「西洋の自死」という本が世界中で話題になっています。

 

日本の移民受け入れ拡大も以前は「人手不足解消のため」というのが、お題目になっていました。しかし、去年の国会でもそうだったのですが「人手不足で移民を受け入れることの是非」を問わずに、「移民を受け入れる体制作りや、共生のための制度づくりをどうするか?」という話に論点がずらされている印象があります。

ですが、やはりそれよりも前に本来問うべきは「本当に移民受け入れが必要なのか?」です。それを考える上で、マレーが描き出す"移民先進国ヨーロッパの実情"を知ることは非常にためになります。

 

マレーの調査によると、イギリスの首都ロンドンではすでに"白人のイギリス人"は少数派になっています。2014年にイギリス国内で生まれた赤ん坊の33%は、少なくとも両親のどちらかは移民。オックスフォード大学のある研究者の予測では、2060年までにはイギリス全体でも「白人のイギリス人」は少数派になるとされている模様。

さらに、驚くべきことに2016年にイギリスに生まれた男児のうち、最も多かった名前はイスラム教の開祖である「モハメッド」でした。

スウェーデンでも今後30年以内に主要都市すべてでスウェーデン民族は少数派になると予測されている。国全体としても、スウェーデン民族は現在生きている人々の寿命が尽きる前に少数派になってしまうと推測されます。

 また、オーストリアのウィーン人口問題研究所は、今世紀半ばまでに15歳未満のオーストリア人の過半数イスラム教徒になると予測。オーストリアは、それ以降、イスラム国家になる可能性が高いのです。

 

これは人種を構成する民族が変わるというだけの話ではありません。その変化は欧州諸国の文化や宗教にも影響を与えます。イギリス国民のキリスト教徒の割合は、過去10年間で72%から59%と大幅に減少し、2050年までには国民の3分の1まで減る見込みになっています。

日本人はいわゆる"国家宗教"的なものがありませんので想像がしづらいのですが、それは日本が例外的であり、むしろグローバル・スタンダードでは大なり小なり宗教がそれぞれの個人や共同体のアイデンティティを規定しています。そんな国々において国家宗教が事実上キリスト教からイスラム教に変わるということは、その国のあり方を根底から変えてしまうことになります。

これは別にキリスト教イスラム教のどちらが正しいとか間違っているとかいう話ではありません。宗教によって形作られている文化や社会制度、そして生活様式が移民受け入れによって変革されてしまうことが問題なのです。

 

多文化主義、共生社会という美辞麗句にたじろぐな

私は別に外国人を日本に招き入れるな、などと言っているのではありません。本当に日本が好きで来る人もいれば、海外の会社からの出向で仕方なく日本で働かなくてはいけない人もいるでしょう。

しかし、日本に観光で来たり、(職探しではなく)仕事で日本に来るのと、日本に住むことでは全く意味が違います。日本に住む以上は日本のルールや習慣に従ってもらわなければ社会が成り立たなくなります。その一方で、違う文化や価値観、習慣を持って生きている別の国の人間に「日本のルール」を押し付けることはある意味"人権侵害"とも言えるかもしれません。

 

実は、多文化主義や共生社会という言葉の欺瞞がここにあるということも押さえておかなくてはなりません。なぜなら「違う文化を習慣を持つ人間が一緒の場所で暮らすことができる」ということは、その人たちを作り上げているアイデンティティの源を破壊して、共存可能なように作り変えることができるという考え方が根底にあるということを示しているからです。

つまり、積木くずしやレゴ・ブロックのように、人間の価値観を一旦バラバラにして他の人達とぴったり合うように作り変えることができる、という傲慢な考えがあるからこそ、多文化共生などという夢のような話を平気で語ることができるのです。

 

しかし、そのような多文化主義、多様性、共生といった言葉に真正面から異を唱えることはとても難しいことです。だからこそ欧州においてもそのような「空気」があったからこそ、みんなが少しずつ違和感を感じつつも、ここまでの混乱に至るまで事態が深刻化してしまったのです。

 

そのような欧州の自らを身を切って示してくれている移民受け入れという愚策を、わざわざ日本が後追いする必要はありません。欧州の移民受け入れも元々は人手不足解消のためというお題目でした。それが間違いだったことは欧州を見れば分かります。

少子化、高齢化、人手不足だから移民」などというレトリックに騙されてはいけません。多文化主義、多様性などと言った美辞麗句に惑わされることなく、自分が日本人として感じる違和感にちゃんと声を上げることが、未来の日本を変える力になるのです。

 

 今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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