世界を救う読書

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なぜ最近のアパレル商品がつまらないのか? ファッションと不確実性。

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40歳を越えたおっさんが何言ってんだwwと言われそうですが、これでも私、実は多少ファッションに興味があります( ・´ー・`)

 

ですからアパレルショップに行くのは好きなのですが、ここ半年ばかり仕事が忙しくなかなかその暇がありませんでした。しかし、先週末は久しぶりに街中に出て、そういうお店を散策!!

したのですが・・・正直”がっかり”しました(´;ω;`)

 

今日はそのような残念なお話を(笑)。

 

どの店も陳列が一緒

とにかくお店のラインナップがどこに行っても似たようなモノばかりで、全然おもしろくない!!! (# ゚Д゚)

 

当然今はもう春物を売っているわけですが、冬が明けていよいよ自由にファッションを楽しめる季節になろうというのに、「どこも陳列一緒やんけ〜〜〜!!」。

 

似たようなカットソー。

似たような柄。

似たような色合い。

似たような風合いの生地。

しかも、それが全部安っぽい!!

 

たしかにTシャツ一枚で8,000円以上とか、カットソーで2万円とかするようなお店に行けば流石に違いますが、それを下回るようなお店だとぶっちゃけ、どこも「ユニク◯と一緒」(笑)。

なぜこのように、どのお店も似たようなラインナップになるのでしょうか?

生産の効率を求めると「型」が決まってくる

結論から言うと「”確実じゃないもの”に挑戦する気概を失くした」ことが原因なのではないかと思っています。それだけだとよく分からないので、 ちょっと詳しくみてみましょう。

 

ファッションと言えば、個性を追求するためのアイテムのように思われますが、(個人でやっている店を除き)基本的には一つひとつの商品をオリジナルで作るわけではありません。あくまで大量生産が前提になります。

そうすると、大量生産のしやすさという効率性をある程度計算に入れなくてはなりません。どんなに格好良くても機械で作れなければ大量には作れません。企業の規模も大きくできません。したがって大量生産しやすいようなデザインにしなければならないのです。

 

ただ、”大量生産しやすいデザイン”というのは、ある程度「型」が決められます。機械にできることや、機械で服を作るための制約もありますので、機械で大量生産となるとそういう「機械での作りやすさ」を見極めたデザインが必要になります。

 

生産効率が良くてもセンスの悪い服は誰も買わない

ところが、機械で作りやすければどんなデザインでも良いという訳ではありません。それなりに「ファッションセンスの良さ」を感じさせる形や色が求められます。多少なりとも服装に気を使う人であれば、「格好良い」「可愛い」という見た目はやはり重要でしょう。

 

そして、このような「センスの良さ」というのは膨大な知識と経験によって生み出されるものです(単発のホームランなら“思いつき”で行ける時もありますが、継続してヒットを出し続けるのは難しいです)。

しかし、知識や経験のインプットが必要とはいえ、そのインプットがあれば誰でも良いセンスを身につけられる訳ではありません。知識と経験があってもちっともセンスのある商品が企画できないということは、いくらでもあり得ます。むしろそのような「企画倒れ」商品の方が多いくらいでしょう。

 ここで難しいのは「センスがある商品を作り続ける」というのは、ある意味企業の経営とっては面倒臭い話になるということです。

 

センスとは企業の嫌う不確実性の究極形である。

「センスがある商品作り」というのは、どうしても企画者やデザイナーの個人能力による部分が大きくなってしまいます(「チームでの取り組み」によって、ある程度のレベルは保たれますが)。言い換えると不確実性が非常に高いアプローチなのです。

この”センス”という形に見えずマニュアル化もできない「不確実性」、つまり「先が見えない」「結果が予測できない」というのは企業にとっては非常に厄介なものです。そんなものに頼っていては事業計画を立てることが難しくなるからです。

 

これはファッション業界に限りません。どこの業界も似たようなものです。

例えば、テレビのお笑い番組で”ひな壇芸人”がズラッと揃って、みんなで協力して笑いを取ろうとするのも同じでしょう。「明石家さんま」みたいなお笑い怪獣に頼っていては、そういう人がいなくなった時に番組が立ち行かなくなってしまいます。

一人ひとりの力が大したことなくても、ひな壇に何人も芸人を並べておけば何とか形になるだろう、という確実性の追求がいまの番組の形です。

 

では、不確実性を潰し、確実性を高めるためにはどうすれば良いか?

それは「フォーマット化」です。

 

決められた型で進めることで不確実性を潰す。

人間というのは不確実性の塊のようなものです。

今日言っていることが明日真逆のことを言っているかもしれないし、今日健康でも明日会社や学校に行く時に事故に遭うかもしれません。人間とはほんの数分先の未来すら予測できない生き物です。

そのような人間の社会において、どのように不確実性を減らすか?

 

それは「人間が関わる部分を極力減らす」こと。つまり「フォーマット化」して、誰が、いつ、どのようにやっても同じ結果が出るようにすることです。

誰かの一人のセンスに依るような商品では継続して安定した事業を営むことができません。できる限りそのような「個人の力」が関わる部分を削減し、組織化して取り組むことで事業の再現性/継続性を高める。特にいまではコンピューターやAIによって行える部分を増やし、人間が関わる作業をフォーマット化することで不確実性を減らすことが可能です。 

 

不確実性をなくした社会が面白いか?

ただ、です。

そんな不確実性を極限まで削った社会って何が面白いのでしょうか?

今回私がアパレルショップへ行った時の「NOTワクワク感」と言ったら、半端なかったです。どこのお店に言ってもほとんどラインナップが一緒。「これ格好良い〜!」みたいなワクワク感なんて一切なし!

 

たしかにどこでもやっている商品展開ということは、「ハズレのない。確実なラインナップ」ということなのでしょう。でも、どこのブランドでも大差ないなら、結局値段が全て、になってしまいます。

私も正直「この程度ならユニクロで買っても変わらんわww」としか思えませんでした。結局そのような安全パイをラインナップするということは、自分たちの個性を失くし、回り回って自分たちの商売を危うくするだけなのではないかと思うのです。

 

アニマルスピリッツを失くした企業は企業ではない。

話が急に変わりますが、20世紀中期に活躍したイギリスの経済学者にジョン・メナード・ケインズという人物がいます。彼が1936年に出版した「雇用・利子および貨幣の一般理論」という経済学の革命とも言われる大作があるのですが、その中でケインズは企業活動の大部分は数値化された利益による計算に基づいて行われるのではなく、

 

「アニマルスピリッツ(血気)と呼ばれる、活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われる」

 

と言っています。

この「アニマルスピリッツ」というのは、経済活動の多くは「合理的動機」に基づいて行われものの、一方で将来の収益を期待して事業を拡大しようとする、必ずしも合理的には説明できない「不確実性に満ちた心理」のことを言います。

さらに、その後にケインズは続けてこうも言っています。

 

「もしアニマルスピリッツが衰え、人間本来の楽観が萎えしぼんで、数学的期待値に頼るほかわれわれに途がないとしたら、企業活動は色あせ、やがて死滅してしまうだろう。」

 

と。

 

もちろんケインズは企業が将来得られる利益や損失を計算するなと言っているのではありません。そうではなくて、平たく言えば「どれだけ合理性を突き詰めても、計算は所詮計算であって不確実性から逃れることはできない。しかし、そのような不確実な未来があるからこそ、人間(や企業)は新たな価値を生み出すことができるのだ。」というような意味で言っているのです。

だからこそ、数学的な期待値に過剰に頼りすぎてしまえば、人間社会は色あせてしまうのだ、と。

 

たしかに現代の日本のようなモノが売れない時代では、将来の先行きが暗いものになってしまいます。だからこそ、より確かな確実性を求めようとする気持ちは理解できます。しかし、「確実な社会」というのは裏を返せば「自由のない社会」だということになります。確実性に悪影響を及ぼすような行動が制限される社会のことですから。

 

いくら安全で楽であったとしても、そのような自由のない社会が果たして生きる価値があるのでしょうか?

せめてファッションにくらい自由で、ぶっ飛んだ発想を持って取り組んで欲しい! そのように感じた週末街角ショッピングでありました(笑)。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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