世界を救う読書

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団塊世代とは何か。彼らが日本の未来を食いつぶす理由。

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「老害」。

この言葉が巷で聞かれるようになってから既に久しい昨今。

先日も名古屋の地下鉄でご老人によるこのような迷惑行為が起きたようです。

ただ、その一方で70代以上の特に男性のご老人がマーケティング界では新たなるターゲット層で注目されているとのことです。 

 

70代の元気爺さん“スーパーグランパ“

現在70代の世代はいわゆる団塊世代と呼ばれ、今までの常識ではもう棺桶に片足を突っ込んでいる人が多いような世代でした(失礼ww)。当然マーケティングの世界でもなかなか積極的なターゲット層だと認識されることはありませんでした。

しかし、とあるマーケティング会社がこの世代に目をつけて、市場性を調査したとの記事が上がっていました。

記事によりますと

われわれは70代特に70代男性の消費に焦点をあてて分析を試みた。

なぜかというと、(中略)70代男性については、これまでほとんど分析の対象にすらなっていないうえ、実際にはほぼ完全にリタイアしたことで、女性以上に経済的、時間的、幸福度という点で大きな変化を感じているとみられるからだ。 

世の思い込みと異なり、当社の調査(※)では70代は「消費のゴールデンエイジ」となった。時間的にも経済的にもゆとりがあり、幸福度も60代に比べ高い

幸福度が高まるのは、経済的、時間的ゆとりが高まるだけでなく、子供の教育や親の介護などに関する将来不安が少なくなっているためと考えられる。

とのこと。

そしてこの世代はとっくに孫も大きくなって“おじいちゃん”の世代。

そこでこの世代のことを「スーパーグランパ」などと呼んでいるようです。

また、この世代の特徴として

①ミーイズム (人のことより自分のことを大事にする)

②手軽さ (手間の掛かるものより、さっさと手軽に進められることを求める)

③キープヤング (自分は若いと思い込んで若さキープに余念がない)

という傾向を挙げています。

 

要するに、この記事が何を言いたいかというと、これからの人生は短いものの貯金を沢山持っていて、消費欲も旺盛。金を持っていない若者よりも、こういう70代の老人たちをターゲットにした商品やサービスの展開をするべきである、ということです。

 

新しいターゲット層を探し出すということは、民間企業である以上仕方ありません。ただ、私が言いたいのは

 

この世代をつけ上がらせるな!ということです。

 

団塊世代は戦前と現在の栄養分を吸って生きている

私は正直なところ団塊世代には良いイメージを持っておりません。

なぜなら第二次世界大戦という未曾有の国難の後に生まれた彼らは「戦後は大変だった」という苦労話をすることで、自分たちの苦労を武勇伝のように語る傾向があります。しかし、本当に大変だったのは彼らの親の世代。

彼ら団塊世代は、戦後アメリカの傘の下で成立していた仮初めの平和を謳歌し、あまつさえその与えられた平和の中で学生運動などという中二病を発症。就職してからは高度成長期、バブルの絶頂を経験して人生を謳歌。ただ生まれた時代が良かっただけにも関わらず、それらを得たのはまるで自分が必死に頑張ったからであり、それをそのまま今の若者批判に向けている世代です。

「最近の若者は元気がなく、内向きだ」

「もっと世界に打って出るようなエネルギーがないと」

と言った発言はよく耳にするところでしょう。

 

そしてバブル崩壊後、彼らは生活に苦労する若者たちを斬り捨て自分たちの利益だけ確保してさっさと退職。今では自分が支払った金額よりも高額の年金を若い人たちから吸収する形で悠々自適な暮らしを送っている世代です。

 

戦前の日本の蓄えを浪費しつくし、現在は若者の生命をすすって生きている“のんきな坊っちゃん世代”。それが団塊世代だと言えるでしょう。

 

団塊世代の「進歩は正義」という信念が日本を破壊する

このような団塊世代はある大きな罪を背負っています。

一つはは彼ら団塊世代が「人類は進歩する」という進歩主義に染まっており、彼らにとってはその進歩の先にある「グローバル化史観が正義」だという心底から信じ切り、疑いもしない「利己心と盲信の罪」。

そして、もう一つはそのような彼らが政治の世界でも大きな決定権を握るとともに、その人数の多さから政治家からも、これからを担う若者ではなく「選挙での得票ターゲット層」として“団塊世代に響く政策が採用されやすい“という、現在と未来の日本の将来を食いつぶそうとしている「数に物を言わせて日本を誤らせる罪」です。

 

そもそもなぜ彼ら段階の世代は、「人類は常に進歩する」などという幻想を抱くのでしょうか。それは彼らが「自分達こそは時代と共に進歩してきた」と信じているからです。

彼らの多くは就職や大学進学を機に大都市へ移動し、地元の共同体から縁を切り、地方を支える古くからの産業を古臭いカビの生えた産業だと切り捨てる一方、自分たちは都会での便利な生活を謳歌して成長して来ました。

そして、より多くの多様なサービスを消費することで自分たちが“成長した”かのような幻想をいだき、人類もそのように古臭い共同体から決別することで進歩していくのだという進歩主義的な歴史感を心の中に住まわせるようになりました。

 

世界的な潮流は変わってきましたが、日本では今もなお「国家の壁はなくなり、グローバル化が進んでいくことが人類の正しい道なのだ」と信じる風潮が強いですが、その中心にいるのが彼ら団塊世代であり、彼らから思想的影響を受けたその直下の世代なのです。

しかし、ここで詳しく書くまでもなく、既にグローバル化による歪みは世界中で溢れ出てきており、ほとんどの国がグローバル化という幻想から覚め、まず自分の国家をしっかりと立て直し、その上で国家間のつながりを強めていくという“インターナショナリズム”へと舵を切りつつあります。

 

しかし、団塊世代という巨大な選挙票田がグローバル化という進歩主義を正しいことだと信じ込んでいるため、時の政権も彼らに受けの良い政策 & 日本国民の利益よりも自社の利益しか考えないグローバル企業にとって都合の良い政策が次々と実施されている。それが今の日本の姿なのです。

 

スーパーグランパ、キープヤングなどと正に“ミーイズム”という自己利益の追求こそが正しいことだと盲信し、日本の未来を担う若い世代のことなど考えない(せいぜい自分の孫に“良いおじいちゃん”振ることしか考えない)彼らこそが、実は日本の若者の貧困化を推し進める中核を担っているということを、そろそろハッキリさせなくてはならないのではないでしょうか。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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