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新一万円札渋沢栄一の知られざる功績

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新元号の発表から時を置かずして、日本紙幣の新デザインが発表になりました。その中でも新一万円札に採用された渋沢栄一がにわかに注目を集めています。ぶっちゃけ「渋沢栄一??? 誰やそれ!!ww」という感じでしょう(笑)。

ところが、実はこの渋沢栄一は私たちの暮らしにとても関係の深い“ある言葉”の考案者でもあります。

その言葉とは「銀行」です。

 

そう、皆さんにとっても馴染みのある「銀行」。実はこの言葉を作ったのが渋沢栄一なのです。明治以前の江戸時代までで言うと、業務的には比較的銀行に近い「両替商」という業者はいましたが、いわゆる「銀行」というものは存在しませんでした。

それを明治政府がアメリカの「National Bank」をモデルに銀行という組織を作る際、渋沢栄一が「銀行」という言葉を作ったそうです。当時はお金を取り扱うということで、「金行(きんこう)」というそのまんまのアイデアもあったそうなのですが、渋沢栄一が「銀行」の方が語呂が良いとのことで銀行に決まった、という訳なのです。

 

その「銀行」の生みの親である渋沢栄一が約150年の時を経て、日本銀行券の「顔」になるというのも面白い話ですね。

 

日本の資本主義の父と言われる男だが・・

ただ、この渋沢栄一、その功績に反して日本の歴史に詳しい人でない限り、ほとんど「渋沢栄一って誰??? 知らんわ!」という感じだと思います。メディアでは「日本の資本主義の父」というような呼び方で解説されていますが、それは明治初期に500以上の企業の立ち上げに携わり、アメリカやヨーロッパで既に一般的になっていた「会社」という組織の日本での法的な整備に携わったことも、その理由の一つでしょう。

 

ただ、そのような一面を取り上げて「実業家」としての渋沢栄一だけを取り上げるのは、ちょっともったいないように思います。

例えば、渋沢は幕末の混乱期に生まれたのですが、その動乱の時代で坂本龍馬も通った千葉道場という江戸でも指折りの剣術道場で剣術修行をしました。また、幕末志士の一人として横浜の外国人大使館を焼き討ちを計画したりするなど、なかなか血気盛んな人物だったようです。

 

そんな人物を単なる日本に会社制度を導入した「実業家」として捉えるだけでは、渋沢栄一の功績を評価することはできないのではないかと思います。彼が「実業」を振興したのは、現在のような「経済人」的な意味以上のものがあったのではないでしょうか。

 

渋沢栄一は実業家の前に官僚だった。

渋沢栄一は実業家として多くの会社の立ち上げに携わるようになる前は、実はバリバリの官僚でした。しかも大蔵省、今の財務省の前身に当たる官庁です。

その上、当時の各省庁の優秀なエリートを集めた「民部省改正掛」という組織を、大隈重信とともに立ち上げ、鉄道敷設、郵便事業の創設、国内の殖産興業の立ち上げなどをガンガンと行いました。

 

この当時は欧米諸国がグローバルにその支配地域を広げる弱肉強食の世界。いわば第一次グローバリズムの時代です。

しかし、明治維新が行われたばかりの日本は当然「食われる側」の国です。

幕末の志士として生き抜いた渋沢は当然、この産声を上げたばかりの日本という国をいかに強固な国にしていくかに苦心したかは想像に難くありません。現代の日本以上に“生き抜くため”に必死だったことは間違いありません。

そこで渋沢が所属していた 「民部省改正掛」は、新しい日本の国作りのためにさまざまな活動を行いました。その一つが「鉄道の敷設」です。

 

多分みなさん小学校や中学校の歴史の教科書で学んだ、明治維新以後蒸気機関車の普及。実はこの影にも渋沢栄一の姿があったというのですから驚きです。

 

インフラ事業の重要性を早くから認識していた渋沢

ただ、鉄道というのは恐ろしくお金が掛かります。今でも新しい路線を作ろうとすれば、用地買収も含めて莫大なお金と時間が掛かります。

それを当時は道路すらまともに整備されていないような場所に、線路を引くのです。しかも、蒸気機関車というのは日本に全く存在しなかったものを一から作るわけですから。

恐らく短期的な費用対効果、今で言う「コスパ」だけを考えたら、この鉄道敷設のような事業を実現することは不可能だったでしょう。なぜなら、産声を上げたばかりの明治政府は、現代の日本以上に“お金がなかった”のですから。

ただ、「お金がなかろうが何だろうが、何としてでもこの事業を実現させる。それしか日本が生き残れる道はない!」と信じたからこそ、このような事業を完遂できたのでしょう。

実際、鉄道事業の立ち上げ時に伊藤博文や大隈重信に、資金の捻出を理由に鉄道敷設を反対された際、渋沢のいた民部省改正掛は「電信機、蒸気車を構造すべき」として次のような反論をしています。

 

電信や鉄道は国が富んでから建設するものではない。国を富ませるために建設するものだ。現在、日本の物流は人馬や和船に頼るしかないが、鉄道を建設すれば素早く割安でものの長距離輸送ができる。鉄道建設の官民におけるメリットは計り知れない。」

(武田知弘著「経済改革としての明治維新」P107)

 

鶏が先か卵が先か?とはよく言われますが、まさに鉄道のようなインフラ整備と国民経済の発展とはそれです。

当時の鉄道、今で言えばリニアモーターカー、あるいは次世代電信技術である5Gなど、インフラ整備を行うことではじめてそれを活用した技術や産業が生まれ、国の経済が発展し、国民生活が豊かになるのです。まさにインフラ整備とは「国が富んでから建設するものではない。国を富ませるために建設するもの。」なのです。

 

現在、私たちが当たり前のように使っている道路や鉄道。運輸サービスなどなどあらゆる物が昔から“当たり前”にそこに存在したわけではありません。あくまで“その先の国民”のことを考え、血と汗を流した人たちの努力の上に成り立っているのです。

そうであれば、たとえ今すぐ私たちの生活を利するものではなかったとしても、未来の日本国民のためにインフラ整備を整えていくことも私たちの責任ではないでしょうか。

 

渋沢栄一の「実業家」としての側面だけでなく、官僚として日本政府に貢献した“国士”としての側面も知ることで、私たちがやるべきことを新たに見直す機会になるのではないかと思うのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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