世界を救う読書

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選挙に行かなかった人は自分が何をしたのか理解していない

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ご存知の通り昨日参議院選挙が行われました。

みなさん、“ちゃんと”選挙に行かれましたか?(笑)

 

私のブログを読んでくださっている方は、きっと選挙に行かれたと思います(多分そういう人しか読まないww)。

ですが、残念ながら世の中の動きは違ったようで・・・

 

驚きの投票率の低さ

 

いやぁ、凄いですね。この低さww

敢えて上から目線で言わせて頂くと・・・・

 

ガッカリだよ! お前たち(※選挙行かなかった人)には!!

 

という感じです。

 

これで消費増税は確定

今回の選挙は私たちにとっても非常に大きな意味のある選挙でした。

なぜなら今回の選挙で予定通り10月に消費増税が行われるかが決まってしまうからです。

というか、今回の選挙で与党が大きく議席を減らすようなことになれば、「消費増税なんかやってる場合じゃないんじゃないか」という危機感が与党の中に高まる可能性があった、と言った方が適切かもしれません。

 

恐らくこれで10月からの消費増税は確実になりました。

“アメリカの有志連合とイランが戦争でもして石油の輸入が大幅に減少でもしない限り”確実に増税されるでしょう。

 

はっきり言って、これで消費税が増税されたら、今回選挙行かなかった人たちの責任だと私は思っています。

なぜなら民主主義の国において選挙に行かないということは、

 

「政治がどうなっても良い。政治家の言われた通りにする。一切文句は言いません。」

 

という意思を示したのと同じなのですから。

 

日本の選挙権を持っているという“特権”

安倍政権がどうのとか、アベノミクスがどうのとか、そういうことはちゃんと政治に参加する意思を示した人だけに言う権利があります。

その権利を国民は与えられている訳です。

これって凄いことなんですよ。

落ちたりと言えども、世界第三位の経済大国の政治に対して物申すという権利を“たまたま日本に生まれたから”というだけで、生まれながらにして獲得しているのです。

これって世界的に見れば物凄い特権なのです。

 

世界には生まれ落ちた国を選べなかったせいで、貧困に喘ぎ、犯罪に手を染めるしかない人たちがたくさんいます。

物心ついた時から武器を持ち、殺さなければ殺されるという境遇で生きるしかない人達が大勢いるのです。

 

しかし、日本に生まれていれば、ごく一部のケース・・・たとえば幼児虐待を受けて育ったような子を除いて、今日生き残れるかどうかも分からないほどの境遇に陥ることはほとんどありません。

そのような恵まれた国の政治に参加することができるというのは、世界的に見れば凄まじい特権なのです。

選挙に行かなかった人たちというのは、それをわざわざ放棄したのです。

 

もちろん、選挙権を放棄するのも個人の自由です。

法律で“選挙に行かなければ厳罰”だと決っている訳ではありませんしね。

ただ、選挙に行かなかった人たちはその“選択の自由”の反対で自分が何をしてしまったのかを全く理解していません。

 

選挙に行かないという意志を示したということは、逆に言えば

 

「政治に何をされても私は文句を言いません。自分や家族の命の処遇も含めて全てを決めて頂いて結構です。命じられたことに従います。」

という意思を示したということなのですよ?

 

自覚はないのでしょうが、結果的にそういうことになるのです。

 

政治の力をなめすぎている

日本人は概して政治の力を舐めすぎです。

実際自民党政権下でのこの20年、いえ2012年以降の安倍政権だけに限ってみても、実質賃金の低下、法人税や富裕層への減税によって国民の暮らしは明らかに貧困化しています。

そして、これによって生まれる社会格差が社会の分断と怨嗟を生み出すのです。
これは確実に政策の失敗のせいです。
これが政治の力なのです。

多くの人が「どうせ政治家なんて誰がなっても一緒だろう」と言います。
でも本当にそうでしょうか?
少なくとも投票率が高く「国民に見られている」という感覚が強くなれば、政治家の国民に対する考え方も変わってきます。
「どうせ誰も見てやしない。選挙にすら行かないんだから。」と思わているからこそ、政治家も国民をなめて「自分が正しいと思うことが正義だ」とばかりに、ゴリ押しの政治を行うようになるのです。


確かに今の政治家は昔に比べて馬◯が圧倒的に増えたように思います(まともな人も一部にはいますが)。
でも、それはある意味国民が政治の力を馬鹿にして、「どうせ誰がやったって一緒だ」と何も政治のことを勉強しようとしなかったからでもあります。

 

真に価値があるのは自分で掴み取った力である

日本の政治参加意識の低さが報じられる度に、ある私が好きな漫画のシーンを思い出します。
それは大暮維人の「エア・ギア」という作品なのですが、あるマッド・サイエンティストがとある目的のために自分の考えうる最強の能力を詰め込んだ人間を作り出します。
彼は世界でも最高の知能を持った自分が考えうる全てをつぎ込んだこの人間こそが、世界を新たな道へ導くと信じて疑いませんでした。
しかし、その最強だったはずの人間も、彼が「汎用型」と呼んだ“失敗作の人間”に敗れ去ってしまいます。

彼はそれから「自分が何を間違ったのか」を模索し、その答えを見つけ出します。
その時に彼がこのような台詞を言うのです。

 

「人は“与えられたもの”は・・・すぐに忘れてしまうみたいなんだよ。

人がこれほどバカだったとは僕も予想もしていなかった。」


つまり、「どれだけ素晴らしい力を人間に埋め込んだとしても、“人から与えられた力”では、その人間はその力を使いこなすことはできない。
苦労して、必至で手に入れた力だからこそ人間はその力を使いこなすことができる。」のだという意味です。

私はこの言葉は真理をついていると思います。
生まれついての権利などというものを与えられても、人間はその意味を理解することはできないし、それを十分に活用することはできない。
何かの制約があり、その壁を乗り越えて、自分のちからでもぎ取った力こそ人間は十分にその意義を理解し、活用することができるのだと思うのです。

 

選挙権獲得のための試験を導入すべき

だから、私はこのような投票率の低さを観る度に、選挙権を一定の年齢に達したら付与するという方法は間違いだと思います。
何かしらの試験制度を導入して、それに合格した人のみが選挙権を得ることができるようにすべきではないかと。

 

もちろん、その試験はごく一般的な知識を問う程度のレベルで十分です。
ただ、小中学校で習う程度の知識があり、普段からニュースに触れて考えていれば十分答えられる程度のマークシート方式で問題ないと思います。
しかし、定期的に試験を行う必要がある。
その試験を受けて合格するという壁を乗り越えた人でなければ、投票権を与えても何も意味がないと思うのです。

 

これはひとつの手法の提案にしか過ぎませんので、これで全てが解決するとかそんな馬鹿なことは思っていません。

ですが、今のように若者に「選挙に行こう! 自分の未来は自分で選ぼう!」とか甘っちょろい言葉を投げかけても何も意味がないのではないでしょうか。

だって、そもそも興味がないんですから。

そんな人達に「興味を持って」と訴えかけても時間の無駄です。

 

それだったらむしろある程度の強制力を持って臨ませる方がよほど有効ではないかと思うのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございます😊

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