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古代中国の「莊子」が予言したネット社会の病。便利さの追求が心の安定を失わせる。

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さて皆さん、毎日どれくらいインターネットに接続していますか?

デスクワークをしている人であればネットに繋がっていない時はほぼないでしょうし、そうじゃない人でもスマホの時間まで計算すれば、むしろ寝ている時は常時接続が当たり前かもしれません。

 

確かにインターネット以前の世界に比べればはるかに便利になりました。

欲しい情報も無料ですぐに手に入るようになりました。

ですが、それによって失われた物もまた多いのではないでしょうか?

 

ネットでブログ記事を書いてるお前が何言ってんだwwというツッコミはさておき(笑)、ちょっと今日はそんな「インターネットによって失われた物」の話をしてみたいと思います。

 

ネット技術によって失われた経済効果

たとえば経済的側面で見てみましょう。

タイラー・コーエンというアメリカの経済学者が著した「大停滞」という本があります。

その中でコーエンはこのように書いています(そのまま引用すると大変なので私なりにまとめます。本文が気になる方は是非ご購入ください)。

 

大停滞

大停滞

 

 確かにインターネットは世界を大きく変えた。ツイッターFacebookといった新しい娯楽と情報伝達の方法を生み出した。

だが、その経済的効果は決して大きくない。

インターネットが生み出す価値の多くは、個人が私的に経験するものなので、GDPのような生産性のデータに反映されないのである。

たとえば私達が2ドルでバナナを買えばGDPがその分押し上げられるが、インターネットで20ドル相当の娯楽を楽しんでもGDPは上昇しない。むしろ、家にこもってインターネットを楽しめば、逆にGDPの値が小さくなる可能性すらある。

 

さらに、自動車や機械工業などに比べると、インターネット事業は圧倒的に雇用創出の効果が低いのである。

いわゆる「GAFA」と呼ばれる4大IT企業の従業員数を見ると

 

Google: 10万人

Apple: 12万人

Facebook: 2万人

Amazon: 56万人

 

確かに1企業としてみれば膨大な数であるが、全世界を席巻している企業として考えればGAFA全てを合計してもたった80万人程度の雇用しか生み出していないことになる。

ちなみにトヨタグループの社員数は37万人。当然自動車製造の場合、膨大な下請け企業が存在しており、そこまで勘案すれば膨大な数になる。

 

ネットという“無料サービス”の反対側には“無料で請け負っている人”がいる

いかがでしょうか?

確かに、コーエン氏が言うように私達はインターネットによって多くの娯楽を得ることができるようになりました。

しかも無料で。

無料であるということは、個人にとっては非常に有り難いものです。特にこのデフレ不況においては。

しかし、あるサービスが無料であるということは、反対側にはそれを無料あるいはそれに近い金額で請け負っている人たちがいるということでもあります。

 

そのようなインターネットにおけるサービスの両面を鑑みた時に、果たしてインターネットというものは私達の生活を本当に豊かにしているのでしょうか?

 

立場や価値観、その人の職業などによってその答えは変わるでしょう。

どちらが正解という訳でもないと思いますし、「本当はむしろ貧しくなっているんだ!」と声を上げたところで、今から「インターネットがなかった時代」に戻れる訳ではありません。

人間は一度手にした物をたやすく手放すことはできませんから。

 

ただ、私達が手に入れたものの反対で失ったものもあるということ。そして、なぜそれを失うことになったのかという背景や社会の原理に思いを馳せることは、決して無駄ではないと思います。

 

古代の思想家「莊子」が予言したネット社会の病

私はこういった「文明の利器」について考える時に、決まって思い出す話があります。

それは古代中国の思想家“莊子”の天地篇にある短い話です。

 

孔子の弟子の子貢という人が旅行をしている時に畑仕事をしている老人に出会います。

その老人は畑に水を注ぐのに、井戸から手でバケツを使って汲み出しています。子貢は

その老人に「はねつるべ」という機械があって、それを使えばもっと簡単に効率的に水くみができますよ、と教えてあげます。

 

それに対して老人は

 

「その機械は知っているが、機械に頼る仕事が増えれば、必ず機械に頼る心が生まれる。心に機械に頼る思いが生まれれば自然のままの素朴な美しさが失われる。

そして、素朴な美しさが失われれば命の働きが不安定になり、命の働きが不安定になれば人の道を踏み外す。

私はそんな恥知らずなことになりたくないから、機械は使わないのだ。」

 

と告げます。

子貢は恥ずかしくなって黙り込んでしまったそうです。

 

細かいところはちょっと違うと思いますが、大体こんな感じのお話です。

 

さすがに「はねつるべ」は古すぎるかもしれませんが、これは「インターネット」や「パソコン」「スマホ」であっても同じことではないでしょうか。

インターネットに頼った仕事が増えれば、インターネットに頼る心が生まれる。

そして、インターネットに頼り過ぎた結果、心の安定を失い、人の道を踏み外す。

 

正に現代の病を莊子が言い当てていると言っても過言ではないと思うのです。

 

 

私達はインターネットという技術によって多くの娯楽と情報、そして便利さを手にしました。しかし、その反対側で実に多くの物を失ったのではないか。

そんな事を考えた秋の夜長の一日でございました。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

 

 

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