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あなたの食卓が危険で一杯になる日。日本の食料安全神話崩壊 その1

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みなさんは普段スーパーなどで食料品を買うときに、その食料の安全性にどれくらい気を使っていますか?

例えば「この食料は国産か?」「国産でも日本のどこ作られたのか?」「どのように作られたのか?」などなど・・・どれくらい注意を払っていますか?

 

最近は「生産者の顔が分かる商品」というのがもてはやされる風潮があるので、食料品のパッケージには生産者の顔写真が載っていたり、その食料品の流通ルートがわかるQRコードが掲載されていることもあります。

ですが、こだわる人はちゃんとチェックしているかもしれませんが、ほとんどの人は「値段があまり変わらないなら国産にしようかな」くらいしか気にしてないのではないでしょうか。

かく言う私もその程度しか気にしていないので大丈夫です! (笑)。

 ただ、実はこの「国産=安全」という神話がすでに崩壊しつつあるのです。

今回はそんな恐ろしい“日本の食の安全崩壊”について書いてみたいと思います。

 

あ、ちなみに今回の投稿は山田正彦氏の書「売り渡される食の安全」を参考にしながら書かせて頂いております。今回の投稿で日本の農業の現状についてもっと知りたいと思われた方は、是非こちらの本をご覧ください。

売り渡される食の安全 (角川新書)

売り渡される食の安全 (角川新書)

  • 作者:山田 正彦
  • 発売日: 2019/08/10
  • メディア: 新書
 

 

[目次]

 

日本の種を守る法律「種子法」 

皆さん、種子法という法律をご存知でしょうか?

ちなみに私は知りませんでした(笑)。

 

この種子法というのは正しくは「 主要農作物種子法」という名前の法律で、1952年に制定されました。1952年と言えばまさに第二次世界大戦終了直後ということで、食料の生産や供給網が壊滅していたことで食料が多くの国民に行き渡らなかった時代。このような時代に「国民を飢えさせない」ことを目的として制定されています。

この法律によって日本政府は主要作物 (稲、大麦、はだか麦、小麦) の良質な種子が農家に行き渡るよう、そしてそれらの農家から国民に行き渡るように必要な対策を講ずることが義務付けられていました。

 
考えてみれば当たり前ですね。

食料に限らずどんな植物でも種子から育ちますから、種子がなくなってしまえばその植物は絶滅します。最近はフードロスが問題になっていますが、もし食料の種子がなくなってしまえばフードロスどころか食料がなくなってしまいます。当然国民は飢えてしまいますので、種子を守ることは国の義務とも言えるでしょう。

ですから、この法律が根拠となって国や自治体が食料の種子を守り育てていくために必要な予算を組んでいたのです。

 

種子法廃止の衝撃

ところがなんと、実はこの法律は2018年4月に廃案になってしまったのです。

その理由は

 

1) 多様なニーズに対応するために民間活力の活用が必要。

2) 種子法のために民間企業に比べて都道府県が管理する種子が安すぎる。これは不当競争だ。

3) 種子生産者の技術が向上しているので、生産や供給の品質に対して義務づける必要がなくなった。

 

という3点です。

ですが、これって本当に正しいのでしょうか?

 

まず「1) 多様なニーズに対応するために民間活力の活用が必要」についてですが、食料に関して「多様なニーズ」ってどこまで必要でしょうか?

確かに食を楽しむというレベルであれば多様なニーズというのはあり得ると思います。でも「国民の生活を守る」というレベルで言えば、一番重要なのは例えば大きな災害などが起こった場合などでも、安定して食料を生産し供給できることではないでしょうか。もしもの時に国民に食料を提供できる食料保障と多様なニーズが天秤に載せられること自体がおかしな話です。

 

次に「2) 種子法のために民間企業に比べて都道府県が管理する種子が安すぎる。これは不当競争だ。」という点。

種子が高すぎて国民に届けられる食料までもが高価になりすぎているというのなら分かりますが、安全なものを安く提供できることの何が問題なのでしょうか? そもそも国民の食料保障を民間企業に担わせようということ自体が奇妙だとしか言えません。国民の安全に関わることだからこそ、国や地方自治体が責任を持って管理する。その結果国民も安全な食料を安く購入することができる・・・この事のどこに問題が??

 

 

種子の品質安定は驚くべき農家の努力のお陰

そして最もおかしな理由が3番目の「種子生産者の技術が向上しているので、生産や供給の品質に対して義務づける必要がなくなった。」という点です。

山田氏の書籍に詳しく書いてあるので是非ご覧頂きたいのですが、農家には種子を作るための「採取農家」という人々がおり、彼らが生産した種子が一般の農家へ販売され、そこで育てられた食料が私たちの元へ届くという仕組みになっているそうなのです。この採取農家のお仕事というのがメチャクチャ大変。

そもそも近くに一般農家の田畑があると、そこから別の種の花粉が飛んでくる可能性があるため、人里離れた場所が谷あいなどでしか生産ができない。また、もちろん雑草が入ってくる可能性もあるし、一年前の種子から生えてきた物は別の種類とされてしまうので、そのような「異株」が混じらないように細心の注意を払って育てなくてはならないそうです。なんと収穫までの間に10回もの抜き取り検査が行われるとのことです・・・。

それ以外にも稲が倒れたりしても駄目だとか、病気にかかっても駄目だとか、相当厳格な基準が定められており、それらを全てクリアしないと出荷できないそうです。

 

分野は違いますが、私も従事している仕事がいわゆるモノづくり系の仕事ですので、正直こんな高リスクな生産なんか、私だったらとてもやってられないと思います。費用対効果で考えたら絶対ビジネスとして成り立たない。

しかし、それが成り立っているのは農家の人たちの必死の努力と、ちゃんとそれを経済的にも国と地方自治体が支援しているからです。その経済的支援を行うための根拠がこの種子法という訳です。

それを「品質が安定しているから国や地方自治体が管理義務を負う必要はない」とは・・・一体どういう了見なのでしょうか?

しかし、現実問題としては先程も書いたようにその種子法が廃止されました。それでは今後日本の食料の安全と安定はどうなるのでしょうか?

 

実はこれにより私たちの食卓を揺るがす恐るべき事態が想定されるのですが、ここまでで相当長くなってしまったので(笑)、それに関しては次回の投稿にて。

まずはこの種子法という法律の存在と、それがあったからこそ私たちの食生活は安全/安定を保たれてきたという事実を知っていただけると幸いです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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