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2021大河ドラマの前に知っておきたい渋沢栄一「論語と算盤」のもう一つの読み方

今回お届けする読書レビューはこちら。

日本の資本主義の父と言われる明治の偉人、渋沢栄一の代表的著書「論語と算盤」です。 

 

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:渋沢 栄一
  • 発売日: 2008/10/24
  • メディア: 文庫
 

 

 

渋沢栄一と言えば、2021年大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公として取り上げられ、2025年に刷新される新一万円札の肖像画に選ばれるなど、にわかに注目が高まっている人物です。

 

この「論語と算盤」は渋沢が著した書籍の中でも特に有名なもので、現代にも通じるビジネス書として広く読まれています。ただ、原文がかなり古い表現で書かれているため難易度が高い。そのため分かりやすく解説した書籍が数多く出版されています。その内容を一言で言えば、

「仕事やビジネスは自分の利益だけ考えてやっていては駄目だ。世のため、人のためになるかどうかを意識して取り組みなさい。論語にはそのための秘訣が書いてあるのだ。」

という感じです。いわば”道徳の教科書 ビジネス版”、それがこの「論語と算盤」だということですね。

 

これがすべて誤りであると言うつもりはありませんが、個人的には「表面的な解釈だな」という気がしています。

確かにそのような”実生活で役に立つ“秘訣が数多く書いてあるのは事実です。しかし、実はこの「論語と算盤」はそのような個人の道徳と経済の両立という“小さな話”ではなく、もっと壮大なスケールの大きな「国家戦略としての論語と経済のあり方」が書かれているのです。

そして、その観点こそが現代の私たちにとって非常に重要なポイントです。

ところが、残念ながらそのような視点で書かれている解説書はほとんどありません。それじゃあ、あまりにももったいない!

 

という訳で、今回は誰も光を当てていない「論語と算盤」に隠された渋沢の本当のメッセージに焦点を当てたレビューを書いていきたいと思います。

ちなみに、今回のレビューでは本書から引用した言葉をいくつか紹介しますが、原文は難解な表現が多いため基本的には分かりやすい表現に改めてあります。その点はご注意ください。

 

 

渋沢栄一とはどんな人?

論語と算盤の内容に入る前に、まずは渋沢栄一とはどのような人物なのかをざっくりさらっておきましょう。とっくにご存知の方は読み飛ばしてもらって大丈夫です。

 

渋沢栄一は江戸末期の1860年に今の埼玉県深谷市に生まれました。

 

彼の家は農家でありながら、養蚕や藍染も生業にしており、経済状態はかなり恵まれていたようです。いわゆる「豪農」というやつですね。

 

幼少期から文武両道。

 

剣術は神道無念流(桂小五郎永倉新八といった幕末を代表する人物も修得したことで有名)。また「論語と算盤」に見られるように「論語」や四書五経といった古典にも精通し、幼い頃からかなり秀才ぶりを発揮していたようです。

 

青年期には尊皇攘夷思想に傾倒。一時期は倒幕派の志士とも行動をともにして、横浜を焼き討ちして外国人を片っ端から斬り殺す計画も企てていたほどの激烈な人物だったようです (横浜焼き討ちは身内に説得されて断念した)。

 

そんな倒幕派だった渋沢は、ひょんなことから全く逆の幕府側・・・しかも後の十五代将軍、徳川慶喜の配下で働くことになります。その上、幕府の司令によりフランスに留学していた時に大政奉還が成立。大本の徳川幕府が倒れてしまったことで、急遽日本に引き戻されるという大波乱に巻き込まれます。

 

明治維新の時には幕府側だったものの、その有能さゆえに維新政府に参画し八面六臂の活躍を見せます。しかし、維新政府との方向性の違いを痛感して退職。その後は民間の側から日本国を支えるために、約470社に及ぶ企業の設立に関わります。彼が関わった企業と言えば、(現在の)みずほ銀行王子製紙キリンビール (現キリンホールディングス)、サッポロビールなどなど・・・などなど。いずれも現在にまで続く大企業が名を連ねます。渋沢栄一の名前を知らなくとも、彼の偉業は私たちの日々の生活にとてつもない影響を与えていることが分かりますね。

 

1931年、直腸がんによって死去。享年91歳。

渋沢の葬儀の車列が通った際には沿道には多くの人々が押し寄せ、その死を悼みました。

 

まさに幕末〜明治という激動の時代を生き抜いた男、それが渋沢栄一と言っても過言ではありません。

 

そんな渋沢がこの「論語と算盤」を書いたのは、第一次世界大戦中の1916年。つまり渋沢が77歳の時です。現代でも77歳と言えば高齢ですが、当時の77歳と言えば、もう余生も終えようかという年齢。そんな時にどうして渋沢はこの本を書こうとしたのでしょうか?

まずはその辺りから探ってみたいと思います。

国家社会を強く意識した渋沢

渋沢がこの本のタイトルに選んだ「論語」と「算盤」。

この論語とは“道徳“のこと、そして算盤とは“実業”あるいはざっくり“経済”のことだと思って貰えば良いです。

渋沢は本書の中でこれらの重要性を説いていますが、それ以上に何度も出てくる言葉があります。それが「国家のために」「社会のために」という言葉です。

実業(=経済)と道徳心の修養が重要である。それは国家をより強くしていくために、社会をより良くするために重要なのだ、と。

たとえば、渋沢自身が実業家を志した理由も

「欧米諸国が現在のような隆盛を誇っているのも商工業が発達しているからである。日本が今のまま現状を維持するだけでは、彼らと並び立つことはできない。国家のために商工業の発達を図りたいと思った時に、実業界で生きていこうという決心がついたのだ (本書P85)」

と述べています。

まさに国家の発展に民間サイドから寄与するために実業界を志したのです。

 

また、それ以外にも自分の能力や、それによって得た富は国家社会のために活用しなければならないといった、国家社会と個人の関係の重要性を述べている箇所がいくつも出てきます。

「専ら私は国家社会のために尽くすことを第一に考えている。自分の富とか地位とか、子孫繁栄とかいうものは二の次だと考えているのだ。」(本書P98)

 

「(知識や精神の)修養はただ自分のためだけではなく、国家の隆盛に貢献するものでなくてはならない。」(本書P204)

 

「今では国家の富国強兵よりも自分の富を増やそうとする人間が多くなっている。自分のことだけを考え、国家社会を眼中に入れないということは全く嘆かわしい。」(本書P216-217)

例をあげれば切りがありませんが、このように渋沢は何度も「国家のために」「社会のために」という言葉を使っています。

論語と算盤」を紹介する書籍はたくさんあるのですが、なぜかここに触れている物はほとんどありません。しかし、本当はこの「国家社会のために」という枠組みこそが重要であり、これを見落とすと、この本はただのよくある“道徳のススメ”になってしまいます。

この本を理解するためには、この点はもっと注意して考えるべき重要なポイントになります。

 

渋沢の考えていた「国家と個人」の関係性

渋沢が「国家社会」を意識していたからと言って、それは必ずしもいわゆる軍国主義的な国家像を描いていたとは限りません。渋沢の意図を測るには、渋沢が国家社会というものをどのように考えていたのか。つまり渋沢の国家観について知っておく必要があります。

 

国家観とは難しい言葉ですが、簡単に言えば「国家」に対してどのようなイメージ、あるいはビジョンを持っているかということです。

例えば現代の私たちは「国家」というものにある種の拒否反応を持っています。それこそ国家と言えばヒトラーナチスのように「個人を力づくで従わせ、自由を奪う権力」のことであるかのように思っている人も多いでしょう。

 

しかし、渋沢は国家をこのような個人と対立する概念だとは考えませんでした。

例えば本書の中で渋沢は下記のように書いています。

「人はただ一人だけでは何事もなし得ない。国家社会の助けによって自ら利益を得ることができるし、安全に生きていくことができる。もし国家社会がなかったら、何人もこの世で生きていくことは不可能だろう。

そう考えると、富が多い人ほどよりたくさんの助力を社会から得ているわけであるから、救済事業 に力を注ぐのは当然の義務であり、できる限り社会のために尽力しなければならないのだ。」(P134)

つまり、国家社会と個人は対立するものだと考えていなかった。国家があるから個人は生きていくことができる。だからこそ個人もまた社会のために尽力すべきであるという、言わば”補完的関係“にあるというのが渋沢の国家観でした。

 

このことは現在コロナ禍においては、私達にも理解しやすいのではないでしょうか。

たとえば感染拡大防止のために政府が店舗などに自粛要請を行うこと、国民に移動の制限を行うことも、”やり方”はともかく規制が行われること自体には多くの国民が理解を示していると思います。これもまさに「経済と安全のバランス」を国民と政府で補完する関係を示す一つの出来事だと思います。

 

論語と国家

では、この国家と国民が補完関係にあるという国家観の下で、なぜ「論語」が重要になるのでしょうか?

ズバリそれは「国民の間の絆を強くするため」です。

安っぽい表現ですみません(笑)。でも、本当にそうなんですよね。

もうちょっと詳しく考えてみましょう。

 

昨今よく聞かれる言葉に「多様性」というものがあります。

たとえば2021年にアメリカ大統領に就任する予定のバイデン氏も、選挙中から多様性の大切さを繰り返してきましたが、言われるまでもなく人間が社会で生きていくためには多様性の尊重が重要なのは間違いありません。しかし、「多様性が大事だ!」と言っているだけでは多様な社会は構築できないのも事実です。家庭環境、生活レベル、考え方、全てが違う人たちがお互いを受け入れて共同生活を営んでいくためには、お互いに共通項がなくてはならないのです。

 

それはたとえば言語であり、文化であり、歴史でもあります。その一つが「道徳」であり、日本人が共有できる道徳的指標だとして渋沢がもっとも重視したのが「論語」だったのです。

 

とかく現代の私たちは世界に通じる普遍的な真理や原理が世の中にはあると信じがちです。道徳にもそのような「普遍的な道徳」があるものだと思われがちです。しかし、本当にそうでしょうか?

少なくとも渋沢はそのようには考えていなかったようです。

渋沢は本書「実業と士道」の中で

「国が異なれば道徳の観念も異なるのが自然である。したがって、細かくその社会の組織や風習を観察し、祖先から受け継いだ素養や慣習も考え、その国や社会に適した道徳観念の育成に務めなければならない。」

と述べた後、論語の一文を紹介した後に、古来の日本人の習慣性から生まれる道徳観を堂々と誇るべきだと記しています。つまりそれぞれの国や社会に適した道徳が存在するのであり、論語こそが私たち日本人の習慣に根ざした道徳的指標であると渋沢は考えていたわけです。

 

もちろん「論語に書いてある道徳を日本人が全員共有せよ」などというマッチョな発想ではありません。渋沢が「論語」を重視したのは内容そのものよりも、論語という一つの道徳観に多くの人が触れ、一人でも多くの人がそれについて考えを巡らせること。それによって国民の一体感、つまり共同体意識を取り戻すことではないかと思うのです。

算盤と国家

次に、渋沢が国家社会と国民の繋がりを考える上で意識したもう一つの要素、それが「算盤」つまり経済でした。 

ただ、渋沢が本書を著した当時は国家経済、特に資本主義経済は大きな転換点を迎えていたことを知っておく必要があります。それは第二次産業革命です。

第二次産業革命後の経済の変化

日本では、産業革命というと18世紀に起こった第一次産業革命のことを指すことが多いです。蒸気機関の発明によって繊維の生産力が拡大したとか、石炭によって動く蒸気船が開発されたことで、欧米諸国が世界中に版図を広げていったという話は誰しも歴史の授業で習ったのではないでしょうか。しかし、実は資本主義の発展という意味では、蒸気機関による第一次産業革命よりもその後の”第二次産業革命”の方が圧倒的に影響が大きかったのです。

第二次産業革命とは石油化学や電力という新しいエネルギーによってもたらされた革命のこと。鉄道や蒸気船によって人、物、情報の流れのスピードが圧倒的に速くなり、現代に通じるグローバリゼーションをも誘発しました。

この第二次産業革命後の産業には2つの大きな特徴があります。それが「規模の経済」と「範囲の経済」です。

 

電力を使用した機械や石油化学製品などは大規模な設備の建設が不可欠となるため、莫大な金額の投資や土地などが必要になります。しかし、それができれば大幅なコストメリットが得られ、収益もかつてないほど得られるようになる。これを「規模の経済」と呼びます。

そして、石油製品や製鉄機械などは同じ原材料からさまざまな商品を生み出すことができるため、特定の範囲内で多品種生産を行った方がコストの削減が可能であるとともに、大量の数の製品を生み出すことが可能になります。これを「範囲の経済」と呼びます。

 

 「国家 vs 企業」ではなく「国家x企業」という戦略

このような「範囲の経済」「規模の経済」が強く働く第二次産業革命後の世界では、それ以前のような小規模事業では成果を上げることはできません。

渋沢も

「維新以降、世の中の機運が高まるに伴い、国家の経済組織もより複雑なものになっていき、商業にせよ、工業にせよ、大資本を投資して壮大な計画の下に物事を推進していかなければならない時代になったのだ」

と述べ (青淵百話)、大規模な計画の下に経済を推進していかなければ、当時の世界経済の中で生き残っていくことは困難であることを痛感していました。つまり、様々な事業体のバランスを取り、必要な社会的制度を練り上げていく国家が非常に重要な役割を果たしていたわけです。

この流れは基本的に現在の製造分野においても変わっていません。それどころか、IT分野でのアメリカ、EU、中国の国家的な対立に明らかなように、”国家と企業の複合産業体”としての戦略はますます苛烈になっていると言えます。

 

渋沢はこのような第二次産業革命後の激変する経済社会の姿を目の前で見ていました。だからこそ、実業家が自分の利益ばかりを追求してバラバラで闘っているような国家体制では、早晩日本の没落は避けられないことを渋沢は見抜いていたのでしょう。

道徳のみならず、経済の面においても国家社会がより強く結びつくことの必要性を強く感じていたのです。

 

ちなみに、このような国家と企業の協業関係的な戦略眼は、これからますます重要になってくると思われます。

dそれはデジタル分野での「米国 vs EU」「米国 vs 中国」の対立にあらわれているように、先進技術分野の開拓においては非常に重要な視点です。なぜなら、渋沢が見抜いたように、あるいはそれ以上にそれらの事業分野においては、短期的な利益に左右されない「国家」だからこそできる超長期的な視点と、強制力を伴った統制もまた重要になるからです。しかしながら、今の日本は「あくまで主体は民間企業で、政府はそのサポートをするだけ」という姿勢が抜けません。それは「政府のような公的機関よりも民間企業の方が効率性の高い展開ができる」という盲信が基盤にあるように思われます。

これからの先端技術分野の開拓においては、政府と企業が短期的利益ではなく「国家社会のために」という共通の目的の下、一丸となって取り組んでいく姿勢がますます重要になるのではないでしょうか。 

まとめ

では、そろそろまとめに入りたいと思います。

渋沢栄一がこの本を著したのは、道徳と経済の両立の重要性を国民に説くことが必要だと考えていたからでした。

しかし、あくまで渋沢が説いたのは「自分1人の利益を追求するのではなく、みんなと分かち合おう。そうすれば誰もが幸せになれる。」というようなヒューマニスティックな“道徳のススメ”ではありませんでした。

 

渋沢は、まだ帝国主義が色濃く残っている世界で日本が生き残るためには、国家社会をより強靭なものにすることが必須だと考えていた。近代社会においては国家社会の存立こそが国民の生活を保障するものであり、そのような国家があるからこそ国民も自分の能力を精一杯奮うことができる。そんな国家観を持っていた渋沢にとって、一人ひとりの国民の幸福のためにも国家社会の強靭化は必要不可欠だったのです。

 

そして、その場合の強靭な国家とは”西洋的な弱肉強食の国家”ではありませんでした。渋沢はこのようなアプローチを、論語でいう「覇道」だと述べて否定しています。そうではなく、”道徳と経済を両立した国家”・・・論語で言う「王道」こそが、日本という国に相応しい戦略だと考えていたのです。

渋沢がこの本で敢えて迂遠とも思える「道徳」と「経済」の重要性を説いたのも、あくまでその戦略的な流れにおいてでした。

私はこれこそ今の私たちが渋沢から受け継ぐべきもっとも重要な視点ではないかと思います。

 

もちろん、現代の私たちがいきなり「国家社会を強くするために生きる!」というような目標を掲げることは、相当難しいのは事実です。明日から生き方を変えることもできません。

しかし、その一方、現代社会において誰もが自分の利益や目先の利益だけを考え、人かの利益を奪い取ろうとする弱肉強食の装いが強まっていること。誰かが困っていてもそれを「自己責任」で片づける風潮が強くなっていること。そして、それによる社会的、経済的な分断が広がっているのも事実です。

そのような状況を何かおかしいと思っている人は大勢いるのではないでしょうか。

 

いきなり「国家社会のために生きる」なんて大目標を掲げる必要はない。しかし、自分以外の周囲の人との結びつきの重要性を、「道徳的な見地」と「経済的な見地」の両方から見つめ直してみることくらいは、きっとできるのではないでしょうか。

そのような小さな一歩を一人ひとりが踏み出すことで、日本という国の共同体が強くなり、そこで暮らす人々も確実に幸せになっていく。

そんな未来の姿こそ渋沢栄一が「論語と算盤」を通して、私たちに伝えようとしているのではないかと私には思えるのです。

 

 この「論語と算盤」は、世間で一般で言われるようにビジネス書、処世術の書として読むことは確かに可能です。でも、それでは私はあまりにもったいないと思います。渋沢が本当に言いたかったのは、もっと深いところにあるのではないかと思うのです。

ずいぶん昔に書かれた本ですので、表現はいささか難しい部分があります。しかし、それを補って余りあるほど、渋沢の日本の未来を思う熱い魂が宿る本になっています。

「今だけ、金だけ、自分だけ」。

そんな個人主義がはびこる現代にこそ改めて読み直されるべき名著だと思います。

 

今回も長文を最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m

 

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:渋沢 栄一
  • 発売日: 2008/10/24
  • メディア: 文庫
 

 

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