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J.S.ミル著「自由論」が示す”民主主義ゆえの弱さ”

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社会が大きな混乱に陥ると、それまで当たり前と思われていた考え方や価値観が根本から問い直されることがある。

昨今「民主主義」が危機に瀕していると言われるが、これもまさにコロナ禍という社会的混乱によって引き起こされていると言えるだろう。

では、なぜコロナ禍で民主主義が危機に陥るのか?

これを考える上で、歴史上とても参考になる古典がある。

それが今回取り上げるジョン・スチュアート・ミル「自由論」だ。

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:ミル
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle
 

 

 

自由論の要点

経済学者であり、哲学者でもあったJ.S.ミルの主著であるこの「自由論」は、1859年に書かれた書だ。個人の自由とは何かを考える上で、歴史上外すことができない重要な古典だと言って良い。

その中心原理は「人間は他人に危害を及ぼさない限り、自分が望むどのような行動をしようとも自由であり、他人 (や政府から) 抑圧されるべきではない」というものだ。 

注意しなければならないのは、このミルの提唱する原理は「人に迷惑をかけなければ何をやっても良いでしょ」というような、自分勝手な自由を許容するものではないということだ。

ミルの求める自由とは「人間とは自由で平等な社会で育つことができれば、より良い社会を築くために努力をすることができる生き物である」という前提に立っている。

したがって、基本的に社会に資する行動をとるべきであるのは当然として、それが独りよがりで他者に迷惑をかけるような行いでなければ、人は自由に考え、行動すべきであるという意味である。

いわば、人は環境に恵まれさえすれば正しい行いをするという”人間への絶対の信頼”が基礎にあるということだ。

時代が要請した自由論

今となっては特に画期的でもないミルの原理だが、書かれた19世紀半ばには非常に大きな意味を持っていた。

それはアメリカという民主主義国家が大国として台頭してきた時代であったからだ。

自由や民主制という理念は17世紀頃から現れはじめ、フランス革命を経てヨーロッパ中に広がっていった。しかし、当時はまだ王権制が強く、市民による民主的な政治体制というのはどこか「そうあったら良いな」「そうあるべきだ」「そういう世界を目指そう」という理想論的な理念でしかなかった。

それが変わったのが、アメリカという民主主義国家の誕生だ。理想論でしかなかった民主政による国家が生まれ、しかも当時の世界列強と肩を並べるほどの国力を持つようになった。

理想論を振りかざしていれば良かった理論家たちは「実際に民主主義という国が誕生すれば、どのような問題が発生するか。それにどのように対処していけば良いのか。」という現実的な問題にいきなり直面することになったのだ。

天才トクヴィルが見抜いた民主主義の問題点

J.S.ミルの盟友にアレクシス・トクヴィルという政治思想家がいる。

彼は25歳の時に外交官としてアメリカに5ヶ月ほど外遊し、その体験を元に主著「アメリカのデモクラシー」を著した。この書は200年近くたった今も最も優れたアメリカ政治論として絶大な評価を受けている。

この中でトクヴィルは、アメリカという国家が将来直面するであろう問題を推察している。

それがすなわち「多数者の専制」だ。

そしてこれはアメリカだけでなく、これから民主化が進むすべてのヨーロッパ諸国が直面するであろう問題でもあった。

 

「多数派の専制」を簡単にいえば、民主主義においては多数派の意見が強くなるために、少数派の意見が封じられ、世論が多数派の一方的な意見によって牛耳られてしまうことを言う。

それまでは専制と言えば、王侯貴族や独裁者など一握りの権力者が多数者を弾圧することを指していた。民主主義国家においては主権者が市民となり、一人ひとりの市民が平等となるため、そのような「専制」は生まれないものだと考えられていた。

しかし、実際には平等な市民はその時の空気や専門家の影響を強く受けるために、一つの意見に流されやすくなる。そうするとその意見に異を唱えることは、個人という小さな力では困難になってしまう。

非常にざっくりだが、このようにして多数派の意見 (世論) がその国のすべての意見のようになり、少数派の意見が封殺される「多数派の専制」が生まれてしまうのだ。

「多数派の専制」を防ぐために必要なもの

ミルはトクヴィルの著書に非常な影響を受けており、文通仲間にもなった。当然ミルの「自由論」にも、このトクヴィルの影響は大きい。実際ミルはこの書の中でアメリカという国の誕生によって、自由についてなすべき議論が変わったと言っている。

ミルにとってはこの自由論は、トクヴィルが示した「多数派の専制」を防ぐために何をするべきかと問うた書物だと言っても過言ではない。

そして、ミルがそのために必要だと主張したのが、まさに「自由」だったのだ。

 

この「自由論」を読むと、ミルがどれほど”人間”を信じていたかが分かる。ミルの考え方の根本にあるのは「人間は適切な環境条件の下ならば必ず成長する」という人間への絶対的な信頼である。

すなわち”すべての人に自由と平等という環境を整えられれば、教養、道徳、そして高い感受性を持った豊かな人格を必ず育むことができるはず”。ミルはこのように考えていたようだ。

そして、この自由と平等という環境を整えるために、民主主義という政治制度が必要だとミルは考えていた。なぜなら、民主主義であれば特定の権力に抑圧されることはない。自由で闊達な議論を行うことができ、人は必ず進歩していくことができるからだ。

だからこそ多数派の専制はあってはならない。

民主主義とは、徹底した討論を行う制度と、少数派の意見にもちゃんと耳を傾ける人々の覚悟を持ってこそ機能する。それなくしては、民主主義はその機能を果たすことができないのだ。

「自由ゆえの弱さ」と「不自由ゆえの強さ」

さて、ミルが自由論を著してから200年近くが経つ現在、果たして民主主義によって人は自由になり、豊かな人生を享受しているだろうか?

残念ながら現実は真逆だ。

民主主義的な"自由な"競争に勝利した一部の富裕層や政治家によって、社会の富は独占され、貧困層が拡大。先進国の経済格差はかつてないほどに開いている。

その一方、非民主主義国家である中国がアメリカに対抗するほどの力を備え始め、国民も膨大な富を享受している。

皮肉なことに、自由によって人々の生活を豊かにするはずだった民主主義よりも、人々を抑圧する政治体制の方が世界手中に収めんとするほどの力を蓄えているのが現実だ。

一体なぜだろうか?

 

その理由こそが他でもない民主主義を成り立たせる基盤にある。

ミルが指摘したように、民主主義が正しく機能するためには次の二つの要素が必要となる。

一つは少数派の意見を吸い上げること。

もう一つが個々人が自由な意見述べることができることだ。

民主主義にはこれらが不可欠であると共に、これらが保証されているからこそ、人間は議論を重ね進歩することができる。

ところが、この自由な議論による合意形成は非常に多くの手続きや時間が必要となる。時には一度出た方針が覆り、一から議論をやり直さなければならない時すらあるだろう。

このような合意形成は、コロナ禍のような混乱の最中では大きなビハインドになりかねない。目まぐるしく変わる状況に応じた、迅速な対応が難しくなるからだ。 

逆に中国のような専制体制の方が機動的な対応が可能となる。

自由な意見も、少数派の意見も聞く必要がなく、トップダウンで対策を進められるからだ。もちろん前言撤回しても責任問われないため、大胆な対策を即座に実行に移すことができる。

つまり、民主主義はその自由さゆえに危機に脆く、専制主義はその不自由さゆえに危機に強いのだ。 

 

このコロナ禍は人知れず潜んでいたさまざまな問題を露わにした。この民主主義国家の混乱と中国の躍進という対照的な姿もそのひとつだと言えるだろう。

このまま民主主義国家が凋落し、中国の躍進が加速するのかは分からない。

しかし、この混乱に際し改めて民主主義について考えることで、この制度がさまざまな前提条件の元に何とか存立しているのだということが見えてくる。

そして、その前提条件は実はいつ崩れてもおかしくないほど脆いものだということが露呈した。

私たちが素朴に正しいと信じてきた民主主義だが、決して万能では政治制度ではない。むしろさまざまな問題点をはらんでいることを、改めて見つめ直す必要があるのではないだろうか。

ミルの自由論はそのために必要な、数多くの示唆を与えてくれる名著だと思う。

 

という訳で、今回ご紹介した本はこちらの本。

ジョン・スチュアート・ミル「自由論」でした。

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:ミル
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle
 
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