世界を救う読書

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映画『オッペンハイマー』が教える、芸術作品の本質に触れる鑑賞法。

ひょんなことから手に入れた無料映画鑑賞券。何を観ようか厳選していたら、あれよあれよという間に有効期限まであと一日に…!

そこで慌てて選んだ映画がこちらの作品。クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」。

アカデミー賞の13部門にノミネートされ、監督賞など7部門で受賞した話題の作品です。

内容としては、”原爆の父”と呼ばれた天才物理学者ロバート・オッペンハイマーの伝記映画。彼がどのようにして原爆を作るプロジェクトに参加することになったのか。原爆を作り出すまでの苦労。そして、原爆という兵器を作り出してしまったことに対する苦悩が描かれます。

今回の投稿では、この映画の感想を述べた後、芸術作品の正しい(?)鑑賞の仕方を考察していきます。

※ネタバレ含みますので要注意で!

 

とりあえず・・・難しかった!

映画を観た感想を聞かれたら、まず答えるのがこれ(笑)。

内容は非常に面白かったです。面白かったのですが・・・メチャクチャ難しかったです・・・。

私は第二次世界大戦前後の歴史にも比較的詳しい方だという自負があったので、予習など全くせずに”ノーガード”で軽い気持ちで見に行きました。

が(苦笑)、始まって3分くらいで認識の甘さを後悔。

イントロからエンディングまで超難解な構成。頭をフル回転させて3時間鑑賞しました。映画を見る前の根拠なき自信を恥ずかしく思いました。

正直「こんなに難しい映画、みんな普通に観れるのかな?」と思いつつ劇場を出たところ、案の定あちこちから

 

「全然分からなかった。」

「あれってどういう意味?」

という戸惑いの声が。

 

「やっぱりそうだよね?私だけが難しかったんじゃなかったんだ〜。」と思わず安堵したほど。

 

帰宅してからネットで検索すると、「オッペンハイマー 解説」で動画やWebページが出るわ出るわ・・・。挑戦した皆さんの苦労がヒシヒシと伝わります。この難解な映画を前に多くの人が「理解してもらおう」と解説すると共に、多くの人が「理解しよう」と努力されています。

ただ、私はここに一つの違和感を感じています。それは

「この映画はそんなに頭をガチガチにして”理解”するような作品ではないんじゃないか。」

ということです。

この作品は確かに”理解”しようと思うと非常に難解です。でも、実は理解することを放棄して、この作品の持つ”リズム”に身を任せて感情が赴くままに素直に受け止めた方が、より深くこの作品を味わい、秘められたテーマを深く考えることができるのではないかと私は思います。

 

この映画が難解な理由

ところで、なぜこの映画はこんなに難解なんでしょうか。その理由をいくつかピックアップします。

1.登場人物が多い。

まず一つ目がこれです。

とにかく登場人数が多い。エキストラ的な人を除いても、その数、五十人以上。

そして、それぞれの人物の名前が日本人には馴染みがないものばかり (JohnとかMikeとかじゃない)なのに、名前の字幕が出ない。突然新しい人物が出て来ても名前が出てこないため、会話の中から「ああ、この人の名前は○○○さんなのね」と察知しないといけません。そうこうしている間に問答無用で話は進んでいきます。人の名前を追うだけで一苦労。

さらに困ったことに、ちゃんと名前を覚えたと思ったら、その人は一回しか出てこず、苦労が水の泡 (笑) なんてことも度々。

2.時間軸が複雑

次の理由は、物語の時間軸が複数あるということ。

主人公であるオッペンハイマーの現在の視点で語られる時間軸と、彼が過去を回想する時間軸で、まず時間軸が二つ。そこにオッペンハイマーのライバル (ラスボス?) 的な人物の視点で語られる時間軸も加わった3つの時間軸が基本構成となっています。

そして、この時間軸がかなりのスピードで唐突に切り替わっていくので、注意して観ていないと、いつ、どこの話をしているのか見失ってしまいます。

3.物理学への知見が前提

内容が原子爆弾を作る「マンハッタン計画」を描いているだけに、理論物理学の知見や科学史に関する知識をある程度備えていることが前提となっています。

アインシュタインの相対性理論くらいは誰もが聞いたことがあると思いますが、量子力学、核分裂と核融合、光量子仮説、ニールス・ボーア、ハイゼルベルクの運動方程式・・・こういう謎言語が次々に出て来ます。

まぁ、知らなくても話の筋は読めるのですが、やはり人間は知らない単語が出るとそこで理解が遅くなってしまうので、追っていくのが大変です。

これから映画を観る人でこういう知識がない人は「ふーん、何かわからないけど、そういう難しい理論があるんだね。」くらいの気持ちでスルーしてください。そうでないと置いてけぼりになります。

4.第二次世界大戦前後の歴史知識が前提

内容が広島や長崎に落とされた原子爆弾の開発プロジェクトというだけに、当時の世界情勢に関する知識がある程度ないと、話について行くのが難しいです。

ナチスドイツや日本と、アメリカが戦争していた位のことは皆さんご存知かと思いますが、特に、第二次世界大戦前後のアメリカでは共産主義に対する危機感が病的なほど強く、「赤狩り」と呼ばれた共産主義者摘発の嵐が吹き荒れたことは事前情報として知っておいた方が良いかと思います (主人公がこの抗争に巻き込まれることが、話の大きな軸になっているので)。

なぜこんなややこしい設定になっているのか?

では、なぜこの作品はこんなに難しい設定と構成になっているのでしょうか?

もしかしたら「原作がそうなっているから。」という単純な理由かもしれません (この作品は書籍での原作がありますが、私は目を通していません)。しかし、仮に原作がそうだとしても映画で表現し直すときにもっと分かりやすい構成に変更することは可能だったはず。だが、監督と脚本家はそれをやらなかった。

そこには何か理由があるはずです。

これは私の推測ですが、監督は「”理解”させたくなかった」のではないでしょうか。

 

人間というものは複雑で理解できないものを見ると、およそ二つの傾向のどちらかを示しがちです。拒否感を示すか、理解しようとするか、です。

映画を観に来て拒否感を示されたらお手上げですが (「眠ってください」ですね)、多くの人はせっかくお金を払って観に来たのだから何とか理解して、何かしらの「意味」を持ち帰ろうとするはずです。

製作者としてはもちろん後者の方がありがたいでしょう。

ただ、「理解しよう」という鑑賞の仕方にも厄介なところがあります。それは「観た。理解した。こういう話だった。」で終わってしまうこと。「そこから何かを感じ取ろう」「これをきっかけに深く考えよう」という態度に結びつき辛いことです。有り体に言えば「映画が消費物として消費されるだけ」になってしまうと表現しても良いかもしれません。

 

…と、ここから深い話に入るに当たって、やはりある程度映画の内容に触れておかなければなりません。

という訳で、次の項は著しくネタバレを含みますので、ネタバレが嫌いな人はすっ飛ばしてくださいね。

物語の概要 (ネタバレ)

すでに映画をご覧になった方はおさらい。

まだご覧になっていない方はスルーしてください。

 

ロバート・オッペンハイマーは天才と言われた物理学者。そういう人物にありがちですが、あまり社交的な人間ではなかったようです。実験を伴う物理学よりも理論上の問題を解き明かす理論物理学が得意で、自分の世界にこもって思索するのが好きでした。

ただ、なぜか女性にはモテる。そして節操がない・・・。”真剣に付き合った結果”、二股、三股、不倫、何でもござれ。これが度々災いを引き起こすのですが。

 

そんな彼の天才性が見込まれて、ある超破壊兵器を作るためのプロジェクト「マンハッタン計画」のリーダーとして白羽の矢が立ちます。それは後に20億ドル (現在価値では300億ドル以上)と延べ50万人以上の人間が関わることになる一大国家プロジェクトでした。

そのずば抜けた頭脳によって、物理学者という立場を超えプロジェクトの目的を完璧に成し遂げるという強い信念の下、圧倒的なカリスマ性を発揮しついにその目的を達成します。

それが原子爆弾。通称原爆です。

 

彼がこのプロジェクトに関わり始めた頃は、あくまで物理学者として核分裂を人工的に引き起こすことが可能なのか。可能だとしたら、そこからどのような結果が得られるのか。そういった純粋な物理学者としての興味に、彼は突き動かされていたように見えます。

それがある時、いつもと同じように研究者仲間と討論をしている最中に、彼は不意に、そして意を決したように

「爆弾を作るんだよ。爆弾 (Bomb)だ。」

という言葉を発します。私の記憶が正しければ、ここに至るまで爆弾という言葉を彼は使っていなかったはずです。研究成果を追い求めていたけれど、爆弾という破壊兵器を作るとは明言していなかった。

当然研究当初からわかっていたはずですが、実際にその口から「爆弾」という言葉が発せられた瞬間、彼のモードが切り替わったように私には見えました。

物理学研究というレールを飛び越え、理論的に実証するのではなく、爆弾という”形”を作る。それを明確に意識した瞬間でした。

 

そこからの話の流れは基本的にはシンプルです。いくつかの葛藤はありながらも、原爆の開発のために死力を尽くします。

その努力の賜物により(という表現は日本人として思う所がありますが…)、原爆を開発の開発は成功します。、実験によってその効果を目の当たりにしたオッペンハイマーと他の研究者たちは、成功を喜ぶ一方でその威力に恐れ慄き、政府が実戦投入するのを止めようとします。しかしながら、国家予算の何倍もの資金を投入して作られた圧倒的破壊力を持つ爆弾を使用せずに保管しておくことなど、当時の国家にはできない話。

研究者たちの提言も虚しく核の悲劇は現実のものとなってしまいます。

 

その後、原爆開発という功績によって時の人なったのも束の間、オッペンハイマーは核使用に反発したことや、かつて共産主義者と行動と共にしていたことから、「赤狩り(共産主義者の摘発)」の憂き目に遭い、政界から疎まれる存在に。

果たしてオッペンハイマーは自分の名誉を取り戻すことができるのか。そして、オッペンハイマーの陥れた人物とは一体誰だったのか?

 

以上がこの映画の大まかなストーリーとなります。

この内容を踏まえて、次項からこの映画で監督が表現しようとしたものが何だったのか。そして、それを十分に味わうにはどのように鑑賞するのがお勧めかという点について、話をしていきたいと思います。

監督の伝えたかったこと

この物語は実に多くのテーマを含んでいます。たとえば

・その天才性ゆえに誰にも理解されない男の孤独。

・祖国のためと信じて生きた男の人生の浮沈。

・時代や世界に翻弄され、社会的にも精神的にも追い込まれて行く男の苦悩。

・孤独ゆえに追い求めた愛情と、その強すぎる愛ゆえに大切なものを失っていく悲哀。

などなど。

どれもがそれだけで一本の映画を作れるほどの深いテーマ性を備えているにも関わらず、それらが渾然一体となって一つの物語としてまとめ上げられている様は見事という他ありません。

 

しかしながら、興味深いのはそれらのテーマが「問題」として提示されるに留まっていることです。それらの問題が複雑に絡み合い、時代の力によってどうしようもなく産み落とされた様が描かれるだけで、どれも”解決”はしないのです (形式的に”決着”するものもありますが、何かしら不穏な空気やわだかまりを残したままで終えます)。

言うなれば、監督はこれらのテーマを提示するけれど、自分の思いやメッセージを表現しようとはしていないのはないでしょうか。あるいは、メタ的視点から考えれば「この映画が提示するのは、簡単に個人のメッセージを表現して良いような安っぽいテーマではない。映画を観た人それぞれに自分で考えて欲しいんだ。」というメッセージが込められているとも言えるかもしれません。

 

この映画が難解な構成になっているのも、このような監督の哲学があったからではないかと私は考えます。

もっと分かりやすく話を展開させようと思えばできた。しかし、それをやらないという選択をした。

それは敢えて複雑に入り組んだ構成や設定にすることで、鑑賞者が抱く「話の概要」という意味での”ストーリー”を理解したくなる衝動をぶち壊して、この物語が描くテーマを直感的に感じて、(理論的に思考するのではなく、何だか心にずっと残るという意味で)考えて欲しかったのではないでしょうか。

タイパ至上主義へのアンチテーゼ

現代社会では映画にしろ、芸術にしろ、本にしろ、何かにつけて「そこから何を得たのか?」という学びを説明できることがとても重視されます。むしろそれを説明できなければ「何をぼけっと見ていたんだ?」と非難すらされるほど。そのように追い込まれないようにするためには、ちゃんと説明できなくてはならないし、”説明できるように見なくてはならない”。

なるほど。他の人に作品の内容を説明できれば、周りからは「この人はちゃんと作品を理解しているな」と認識されるでしょう。でもそれが目的化するのは何だか本末転倒のように感じます。

もっと言えば、それは作品を楽しむのではなく、

「他人に説明できるようにする」

「こういう学びを得たことを明示する」

ということのために、作品を消費しているだけのように思えるのです。

言い換えると、本来の作品の価値とは何の関係もない「オッペンハイマーという話題の、小難しい映画を見た。理解した。」というラベルを自分自身に貼り付けるために、作品を利用しているだけではないかと。

 

もちろん、そういう楽しみ方も”アリ”だとは思います。

しかし、それだと結局筋書きが分かりさえすれば良いだけで「だったら3倍速で見れば良いじゃん。」というタイパ至上主義に陥ってしまい、作品が表現しているテーマに迫ることはできないのではないでしょうか。

実際、この作品は3倍速で何度観ても難し過ぎて理解できません。どれだけ「タイム」をつぎ込んでも「パフォーマンス」は得られないでしょう。

その意味でこの作品を本当に楽しむためには、「あらすじを知る」というような理解の仕方とは違う鑑賞方法で望むべきではないかと思うのです。ことはできるかもしれませんが、この作品が表現しようとしたことについて体感することはできないでしょう。

作品への正しい(?)向き合い方とは

では、どのようにこの作品を鑑賞すれば本当の意味で楽しめるのでしょうか?

私が思う一番の方法はズバリ、「Don't Think. Feel.」。そう、ブルース・リーの名言「考えるな。感じろ。」です。「何だそれ?」と拍子抜けというか、むしろ「舐めてんのか」と思われそうですが(笑)、ちゃんと理由があります。

 

一つには物語の構成の複雑さゆえ。冷静に考えて話の筋を追っていくと理解が間に合わない。

もう一つの理由は、この作品の心理描写とそれを演じる俳優たちの演技が非常の巧みだからです。

 

例えば、映画の冒頭での学生時代を描いたシーン。

主人公であるオッペンハイマーは理論物理学には長けている一方、物理学の実験は非常に苦手で、それを教師や同級生にからかわれていました。

辱められたと感じた主人公は、なんと教師に毒を盛るのですが寸前で思い留まります。このシーンでは自分の怒りの感情に抗えない主人公の病的な思い込みの強さが際立ちます。

その直後には彼がピカソのキュビズム作品やT.S.エリオットというイギリスの詩人の作品に没頭するシーンなどが描かれ、オッペンハイマーが物事の真理を探究しようという強い情熱と純粋さを持った青年であることが描かれます。

他にも例を挙げればキリがありませんが、作中ではオッペンハイマーの心理が感じられるシーンを丁寧に、そして迫力のある演出で描写することがとても多いと感じました。

 

単に複雑な構成の作品を作りたいだけなら、このようなシーンは不要だったのではないでしょうか。にも関わらず、そこにしっかりと時間を使っているのは、オッペンハイマーという人物の精神のありようを”まさにそこにいるかのようなリアリティ”を持って、しっかりと印象付けたいという意図があったからだと思います。

実際、オッペンハイマーの心のうちを覗き込んだ観客は、オッペンハイマーの感情が染み込みすぎて、まるで彼が見てきた世界を自分も追体験しているかのような不思議な感覚に襲われます。

その後、オッペンハイマーは「純粋な科学的な探究心」と「祖国を守るため」という言葉を隠れ蓑に、底なし沼にハマっていくかのように少しずつ、少しずつ「原爆」の闇に飲み込まれていくのですが、それと同時に観客もまた彼と一緒に少しずつその闇に吸い込まれていきます。

この辺りの”なし崩し的に原爆に関わっていく”流れの描き方が実に見事なんです。

そして、この流れというか作品の持つエネルギーを、頭で理解するのではなく身体で感じてこそ、本来人類に光をもたらすはずの科学が「原爆」という最悪の兵器を生むジレンマとそのもどかしさが、観る人の心をどうしようもなく捉えて離さないのです。

理解なんて不要。感じろ!(まとめに代えて)

さて、えらく長い考察になってしまいましたが、この辺りで私がこの作品を通して考えさせられたことを書いて終わりにしたいと思います。

 

言わずもがな、この作品の中心的なテーマは「原爆」です。しかし、それは必ずしも原子爆弾という兵器に限定されたものではありません。

兵器に限らず、権力や富、あるいは知識など、人を惑わすほどの強力な何かを手に入れられそうになった時、その魔力に取り込まれることなく、自らを律することができるのか?という、いわば「人類と知恵の均衡はどこにあるのか」という難題を描いた物語だと言えます。

 

難しいのは、このような問題が自分の人生に立ち現れる時は、その問題が単独で現れることはないということ。自分のそれまでの人生のあり方や家族・友人との関係、そして自分が置かれた環境など、その時の自分の力だけではどうしようもない状況を引っ提げて訪れます。

問題そのものはそれほど難しいことではない。しかし、それが現れる時に身に纏う状況あるいは歴史が、その問題を複雑なものにするのです。

 

そして問題が状況を伴って現れる以上、必ず周りの人を巻き込むことになる。家族、友人、あるいは恋人など、かけがえのない存在をも。

そんな時、自分にどんな選択肢の中から、どんな決断を選ぶことができるのか。

自分が後悔しない決断とは何か。

いえ、むしろこう言うべきかもしれません。

人生における大きな決断とは、どんな決断を下しても必ず後悔する。だから最も後悔が少ない決断をすべきだと。

そのためには常日頃からその問題に向き合い、小さな決断を下す訓練をしておかなければなりません。

 

私が今回の作品を観て感じたのは、このような映画作品とは、まさにいつ来るとも知れないその日のために、自分自身の精神を陶冶するものとして観るべきものではないかということです。

自分が下す決断がどのような人にどのような影響を及ぼすのか。それを全て見通すことはできないけれども、常日頃から想像を働かせる力を養っておくことで、”その時”に少しでも後悔のしない選択をすることができる。

そのように考えると、この作品を理解しようとして批評的に観ることは、やはり「もったいない」と思えてなりません。

あえて言いましょう。

この作品を「理解」などしなくてもいい。それよりもオッペンハイマーに共感し、自分の人生に起こったことのようなリアリティを持って作品にどっぷり入り込み、想像力を働かせろ。その方があなたの人生にとって遥かに重要だと。

Don't think. Feel !

 

長文を最後までお読み頂きありがとうございます(^人^)

 

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