Dive Into The World

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「政局」という政治ショーが無ければ、国民は政治に関心を持ち続けられない。

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昨日石破茂氏の書籍のタイトルに書かれていた「政策至上主義」という考え方について、異論を述べる記事を投稿しました。

 

 

長くなりすぎるので止めておいたのですが、実はその時に盛り込もうとしたもう一つの論点があります。
今日は話を投稿してみようかと。
 
それは、政策の重要性を説く際に必ずといって良い程セットで話されるこれです。
 
「政局にこだわってる場合ではない」
 
というやつです。
 
自民党 vs 野党。
自民党内の派閥争い。
などなど。
 
確かに政治家同士が権力を巡って相手のことを罵ったり、小さなミスを重箱の隅をつつくように糾弾するのは見ていて気持ちの良いものではありません。
特に現在のように政治家が一体となって国難に当たらなければならない時代においては、国民としては言いたくもなります。
 
「権力争いしてる暇があったら、具体的な政策を議論しろ!!」
 
と。
 
わかります。
わかりますよ。
私もしょっちゅうそう思います。
 
でも。
でも、です。
それを分かっていながら、やっぱり敢えて言いたいこと。
自戒の念も込めて言いたいことは
 
 
「実はその政局を求めているのは、むしろ国民である。」
 
と。
 
私がこう思う理由は2つあります。
 
1つは本当に国民みんなが「政局」という名の権力争いを求めていない、むしろ嫌がっているのであれば、政治家はそういった争いをやる訳がないのです。
 
もう少し正確にいうと、権力争い自体はやるでしょう。
ただ、表立ってやらず、裏から手を回したり、外堀を埋めるなどしてバレないようにやる、ということです。
 
本当に国民に嫌われたら選挙で勝てませんからね。
政治家は何よりそれを恐れます。
 
しかし、現実には「政局ショー」が日々繰り広げられています。
結局それはそういった政治ショーを望んでいる国民がいるからです。
 
「政局」という政治ショーを望む国民がいるから政治家もそれに応える。
マスコミもそれで視聴率が稼げるからそれに応える。
そして、それを「そんな事ばかりやりやがって!!!」と怒ることで、“政治のことだけでない日々の生活での溜飲”を下げようとしている国民がいるのです。
 
実は「政局」とは、ローマ時代の“パンとサーカス”よろしく国民の鬱憤を晴らすためのエンターテイメントに過ぎないのです。
 
もちろん日本国民全員がそうだと極端な話をしている訳ではありません。
本当に義憤に駆られている方も数多くいることは間違いありません。
ただ、実際に政治家に票を集める数多くの取り巻きがおり、彼らは自身が支持する政治家がそのような政治ショーで活躍して喜んでいる。
それもまた事実なのです。
 
 
 
そして、私が「国民こそが政局を求めている」というもう一つの理由。
それは、ある意味逆説的な表現なのですが、
 
「仮に政局という政治ショーがなかった場合、どれくらいの国民が政治に本当に興味を抱けるのか?」
 
と思うからです。
 
どうでしょうか?
仮に政治の場というのが本当に、それぞれの政治家がお互いの国家理念を語り、それに基づいた政策のあり方を議論するという形。
しかも、それが国民が相当程度政治や経済、国際社会について知識を持った上でしか理解できないような内容だった場合。
 
果たして自信を持って
 
「毎回国会中継をチェックし、それぞれの国会議員の意見を聞き、各党や各省庁から提出される法案を時間が許す限り最大限チェックする!」
 
と言い切れる国民がどれだけいるでしょうか?
 
率直に言わせていただくと、私はほとんどいないと思います。
 

考えてもみてください。

TVなどのコメンテーターでさえ、それぞれの政策や法案について各条文を吟味して解説できるような人はいません。

ましてや、町中で普段実生活で忙しいサラリーマンがそのような議論をしている姿を想像できるでしょうか?

 

そんな多くの国民にとって、「政局」という政治ショーがあることでギリギリ国民の感心を政治に縛り付けておける・・・そんな側面もあるのではないでしょうか?

 

20世紀初頭にアメリカで活躍したジャーナリスト、ウォルター・リップマンは「世論」という著書の中で次のように語っています。

ちょっと長いですが、興味深い分析なので引用します。

 

「政治は、そこで闘争が行われているとき、つまり争点があるときに面白くなる。

そして人の興味を集めるためには、実際のところ何ら問題がなくとも、争点というものを見つけ出さなくてはならない。

ここで問題がないというのは、判断や原則や事実相違はあっても、それが闘争心を掻き立てるには至らないということである。

 

しかし、直接政治に参加していない我々にとって、闘争心がかき立てられないところで関心を持ち続けることは難しい。

(中略)ある問題の全てが自分の外側の遠いところにあるような人達の場合、この種の(競争心や創造力といった)心的作用が簡単に活動を開始することはない。

その事柄についてのおぼろげなイメージが彼らにとって何らかの意味をもつように仕向けるためには、闘争、緊張、勝利に対する執着心を起こさせるようにしてやらなければならない。」

 

 

簡単にいうと、

 

直接政治に参加していない人間に政治に関心をもたせ続けることは難しい。

関心をもたせ続けるためには、誰かと誰かが闘っているという分かりやすい構図とイメージを設定してあげる必要がある

 

というような感じでしょうか。

 

正に「政局があることで、国民を政治に関心を持たせることができる」ということです。

 

確かに政局にかかずらっている政治家達を見ると違和感を感じるのは事実です。

ですが、その政局が国民を政治に惹きつけるのだとしたら、政局もまた政治の重要な側面であるに違いありません。

 

「政局よりも政策を」

 

と言えば聴こえは良いのですが、そのような「政局の重要な側面」と昨日投稿した「政策よりも政治理念の方が遥かに大事である」ということを考え合わせて頂ければ、普段流れる「政治ショー」も今までと違った見方ができるのではないでしょうか。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆