Dive Into The World

話題のニュースがどんな意味を持つのかを分かりやすく解説。普通の人たちと専門家をつなげるようなブログを目指します。

「緊急事態宣言」という愚策と「事業規模」というごまかし

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とうとう緊急事態宣言が出される事態になってしまいました。 

世の中の空気とは敢えて全く逆のことを言いますが、はっきり言ってこんな馬鹿げた話はありません。なぜならこの宣言によって日本の経済恐慌の被害が激化する可能性が非常に高いからです。

今回はこの時点で緊急事態宣言を出すことの負の側面についてご説明いたします。

ちなみに最初に書いておきますが、私は「どんな状況でも緊急事態宣言を出すな」と主張している訳ではありません。出すタイミングと出し方によるが、今の出し方だと絶対にマズイと述べているだけですので、その点はご理解ください。

 

テレビや新聞、あるいはネットでの反応を見る限り、どうも多くの人がこの「緊急事態宣言」という言葉にばかり注目が行って、その中身のことを考えていないようです。

たとえば

「海外ではとっくに緊急事態宣言が出されているのに日本はのんびりしている。」

「政府は危機感が足りない。国民の緊張感を高めるためにも一刻も早く出すべきだ。」

「今回宣言が出される7都市以外の地域も安全という訳ではない。どの地域も緊急事態宣言を出されたと思って動くべきだ。」

とか言った意見が散見されます。

こういう意見から考えるに、どうも

国民の緊張感を高めるために緊急事態宣言を出すべき」

「(政府がのんびりしているようだから) 真剣に取り組みますという意思表示のために出すべき」

だと考えている人が多いようです。しかし、これは完全に間違っています。

 

 

すでに広く言われているところですが、そもそも緊急事態宣言を出したところで外出の禁止はできません。またイベントを自粛を強く要請することができますが禁止することはできません。したがって緊急事態宣言を出したからといって拡散がすぐに止むわけではないのです。

確かに政府が緊急事態宣言を出すと言う事の心理的インパクトがあるかもしれません。しかしそれによって失われる経済効果というのは非常に甚大なもので、これはどれだけ多く見積もっても見積もりすぎることはありません。むしろ緊急事態宣言を出したことによって、緊急事態宣言倒産に陥る企業や、緊急事態宣言失業者が出る可能性が非常に高いのです。

 

というのは、緊急事態宣言が出ていない状況であれば、企業がそれぞれの裁量に基づいて社員の出勤を止めさせることができます。その際の休業補償は政府が行います (安倍政権は全力で回避してますが…)。なぜならあくまで政府が要請をしてそれに企業がしたがっている形だからです。しかし緊急事態宣言を出してしまうと、その補填は政府が行う必要はなくなります。なぜなら「緊急事態」だからです。「国家的緊急事態なのだから、全国民を挙げて政府に協力すべし!」ということになり、政府は補填を行う必要なくなるのです。そうなるとどうなるでしょうか?

緊急事態宣言によって発生する経済的損失は、個人や企業が負担しなければならなくなるということです。大企業であればある程度の期間社員を雇い続けることができるかもしれません。しかし、そのような体力がある企業はどれだけ日本にあるでしょうか? 大半は会社が存続するために社員を切り捨てざるを得ないか、大幅に給料をカットするしかなくなるでしょう。

つまり緊急事態宣言を出すことによって、その経済的負担は逆に会社員や個人事業主に押し付けられ、むしろその経済的損害が果てしなく大きくなるのです。おそらく「緊急事態宣言を早く出せ」と言っている人たちのほとんどはそんなことは考えていません。

 

しかし、緊急事態宣言による経済的損失に対応する経済対策には、莫大な額の財政支出が必要になります。しかし、緊縮財政一本槍の財務省が天下である現在では、その額を引き出すことは不可能でしょう。それを実現するには総理大臣が財務官僚と全面対決するくらいの覚悟がなければならないのですが、これまでさまざまな政策を考えるに安倍政権にその気概はありません。消費増税によって実質GDPが年率で7%以上も下落するというとんでもない経済危機を引き起こしたにも関わらず、未だにろくな経済対策を打てていないのですから。それどころか、「この不況は消費増税のせいではない!コロナウィルスのせいだ!」と自分たちの失政をコロナウィルスのせいにしている始末です。こんな政府にまともな経済対策を打ち出せるわけがありません。

メディアでは「事業規模108兆円。かつてない経済対策!」とか言われていますが、はっきり言って無価値!!

「経済規模」なんてどうでも良い!!!真水で・・・つまり国債発行によって実際にいくらお金を注入するのかが重要なのです。

今日予定通り緊急事態宣言が出されるのであれば、それと同時に経済対策が打ち出されるはずですので、みなさんも必ずそれを確認してください。これが事業規模ではなく「国債発行額」で見てください。それが50兆円 (GDPの約1ヶ月分)を下回るようだったら、それは「政府は完全に国民を見捨てた」ということを意味します!

 

 

今回も長文を最後までお読みいただきありがとうございました。

コロナウィルス経済対策は「事業規模30兆円」じゃ全然足りない

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新型コロナウィルスの国内経済への悪影響のために政府が超大型経済対策を打ち出そうとしています。 ただ、その経済対策の中身についてはどうも“前例に囚われない”とか“超大型”とかいう言葉だけで、中身が全く伴ってないスカスカの経済対策”になりそうな様子です。

これをこのまま実行されて「経済対策してやったぜ!」と威張られると大問題ですので、現在上がっているプランがいかにダメダメなのか。そしてなぜ駄目なのか?

細かいことを説明し始めるとキリがないので、今回は

 

・事業規模30兆円超えの経済対策

・一律現金給付見送り

・商品券配布

 

この3点に絞って説明したいと思います。

 

[目次]

  

「事業規模30兆円超」の“事業規模”とは

恐らく多くの人が「30兆円を超える経済対策」と言われると、その金額だけで大規模な対策が講じられるように感じるでしょう。しかし、残念ながら騙されていますよ! (笑)

くせものは「事業規模」という言葉です。事業規模30兆円超えと言われるとまるで全て政府が負担して30兆円以上の支出を行うように思われますが、実は事業規模というのには

 

・国の財政支出

地方自治体の財政支出

・民間金融機関から民間企業への融資

・政府事業に関係する民間企業の資金

 

などが含まれます。

分かりやすく単純化して言うと、民間金融機関に政府/日銀が働きかけて1%で民間企業に1億円融資させたとしましょう。その場合1億円に対して1%の利子分 (100万円) を政府が負担し、銀行が1億円貸し出すことになります。この場合でも政府の経済対策としては「事業規模1億円」になるのです!

いやいやいや、政府は100万円しか払わないじゃないか! と思われると思います。というか、そもそも1億円も民間金融機関が企業に貸し出したのであって、政府が貸し出している訳ではありません。

それにも関わらず“政府が関わった事業の規模”は1億円ということになるのです!!

 

事業規模マジックは政府の常套手段

恐らくほとんどの人が信じられないと思いますが、これは今回に限った話ではなく、よくある「普通の話」なのです。例えば昨年消費増税が行われた時にも「政府は事業規模26兆円の経済対策を発表」などと報道されましたが、これも中身を見てみると実際に政府が行う支出は

 

1) 災害からの復旧・復興と安全・安心の確保 5.8兆円
2) 経済の下振れリスクを乗り越えようとする 者への重点支援  3.1兆円
3) 未来への投資と東京オリンピック・パラリ ンピック後も見据えた経済活力の維持・向上 4.3兆円

 

と13.2兆円くらい。あとは全て民間の支出です。それにも関わらず「事業規模26兆円」!!と報道されるのです。

 

リーマンショック時を超える経済対策?

さて、ここまで事業規模という言葉がいかに一般常識からかけ離れた概念であるかを説明してきました。これを元に下記の時事通信の報道を見ると本当に気持ちが萎えてきます。  

経済対策は事業規模30兆円超とされ昨年末に策定した経済対策(26兆円)と合わせると、リーマン・ショック時の経済対策(56・8兆円)を超える見込み。

と書いてありますが、リーマン・ショックの時の経済対策56.8兆円というのも実際に政府が支出したのは13.9兆円。あとは民間支出だった訳です。そもそもコロナショックが起こる前に消費増税対策として行われた経済対策の事業規模と、今回のコロナショック対策の事業規模を足し算して何になるんだ??という感じです。全く無意味。

結局「リーマンショック時を超える経済対策」という言葉を使いたいから、都合が良い数字を足し算しただけでしょう。

繰り返しますが「事業規模30兆円」という言葉に騙されてはいけません。

政府が新たに国債で“最低でも30兆円以上”を支出して初めてまともな経済対策になる。

このことをくれぐれもお忘れないように。 

 

一律現金給付を見送るという愚の骨頂

これは多分森永卓郎氏が最初に提案した内容だと思うのですが、国民への一律現金給付案です。

現時点でまだ確定はしていませんが、どうもこれも見送られる可能性が高いようです。上記の時事通信の報道によると

新型コロナ拡大で休業などを強いられるケースが増えており、政府関係者は「本当に困っている人に厚めに現金が行き渡るようにすべきだ」として、一律給付は見送った上で、早ければ5月にも始めたい考えだ。

 

 とのこと。

まぁ、正直「アホかwww」の一言で片付けたいのですが・・・(笑)。

そもそもこういう事は一度「検討している」ということが漏れてしまえば、取り下げた途端国民の士気が下がります。本気で検討するのであれば外に漏らしてはいけませんし、外に漏れた以上やるしかないのです。その辺りの政治的機微が分からない時点で、安倍政権に相当政治的センスがないのがわかります。

 

それは置いておいたとしても、「本当に困っている人に厚めに現金が行き渡るようにすべきだ」という言葉に現状と先行きについての認識が根本的に間違っていることが現れています。今回のコロナショックのような恐慌というのは、遅れれば遅れるほど本当に困っている人はねずみ算式に増えていくのです。

“今”困っている人を助けている間に、次の瞬間には別の人がもっと困っているのです。その都度困っている人を救済するような対処療法的な対策では間に合いません。戦力の逐次投入は最も愚かな行為であり、最初に全精力を注ぎ込んで叩き潰さなければならないのは兵法の基本です。 

 

特化型商品券の愚かさ

私個人の意見としては商品券の配布自体は意味がある対策だと思います。

ただ、それは当然他の経済対策へのプラスαとしてであり、むしろ「最低でも消費税をゼロにしろ」が基本です。今回はそこまで踏み込みませんが。

 

したがって政府が商品券の配布を検討していること自体は別に否定するつもりはありません。問題はこれです。

五輪延期を補うための景気刺激策として、政府・与党は観光やイベント向けに特化した期限付きの商品券発行などを検討する。新型コロナの影響が収束した後に、国内観光を盛り上げてインバウンドの減少をカバーしたい考えだ。

国内観光を盛り上げることは確かに大事なことです。それに観光地に限らずとも、地域密着型の商店街なども大打撃でしょう。政府の自粛要請により人の移動が制限されたことで、どこの業界でも壊滅的な損害を受けている事業者は大勢います。

商品券発行による救済を企図するのであれば、当然どのような消費活動にでも使える商品券にするべきです。分野や給付対象を絞るべきではありません。結局そのような分野特定型の商品券は国会議員が自分に有利な分野への消費を促したいための利権奪取の活動でしかないと思います。

という文章を書いていたらこんなニュースが・・・。

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて政府が4月にまとめる緊急経済対策をめぐり、国産牛肉を購入できる「お肉券」や、魚介類を対象とした商品券を配る案が自民党内で相次いで浮上している。高級食材を中心に減った需要を下支えする狙いだが、幅広い分野で需要が減っている中で対象を絞った商品券が実現するかは不透明だ。 

 やっぱりそういう利権絡みの話になりますよね。もう本当にこの国いやだ・・・・(泣

 

 今の経済対策案の何が一番まずいか? 

さて、ここまでボロボロに批判してきた政府の経済対策ですが、変な話「中身もボロボロだが言葉も中身と同じくボロボロ」ならそれはそれで良いのです (当然経済対策としては駄目なんですが)。問題は「言葉は勇ましく、いかにも大規模な対策を打っている感を出しているけど、実は中身がボロボロ」という場合。そしてそれが広く浸透してしまう場合で

この場合にまずいのは、たとえ全然効果が得られず日本経済がガタガタになっても「安倍政権はやれることは全てやった。今回のことは前例のないことなのだから、誰がやっても完全な対策はできなかった。安倍政権だからここまでやれたんだ。」という空気が出来上がってしまうこと。

これは非常に厄介です。

 

そうではなくて「安倍政権のやとうとしていることは最初から規模もしょぼく、内容も的外れで、まともな経済対策とは思えないとんでもない代物だった」ということが共通理解にならなければなりません。そして、まともな経済対策がスピーディに行われるように世論を盛り上げなくてはならないのです。そうしなければ、この1年の間に大量の失業者や経済破綻した人たちが生まれ、バブル崩壊後を超える大量の自殺者を引き起こし、下手したらアメリカのように国民が自分たちの身を守るために武装しなければならないような社会的混乱を招きかねません。これは大げさでも何でもなく、本当に私たちはそのような歴史の転換点にいるのだということを一人でも多くの人が考えてくれることを願っています。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

あなたの食卓が危険で一杯になる日。日本の食料安全神話崩壊 その2

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早速ですが今回は前回の記事に続き、種子法が廃案になったことによって私たちの食生活にどのような影響が出るかについてです。

 

 

 

 [目次]

 

種子法廃止後、誰が種を作るのか?

さて、前回の投稿でもご説明したように日本の食料の基盤となる「食物の種子」を守るために、採取農家 (種子の生産を主にする農家) の方々が「採算度外視」とも言えるほどの努力を行っています。ただ農家の方々も生活しなければなりませんので、その支援を国や地方自治体が行っています。その予算の根拠となるのが種子法だった訳です。

その種子法が廃止されたことにより、採取農家の方々への支援が途絶えることになります。

そうするとどういう事になるでしょうか?

 

地方自治体からの支援がなくなると当然農家は今までのような価格や形態での販売ができなくなります。そうなると採取農家の廃業が相次ぐことになり、逆に資金力のある大手民間企業が参入してくることになるでしょう。

もちろん民間企業が参入してくること自体は別に問題ではありません。

ただ、民間企業が参入して来ても種子法の下で採取農家が行っていたような厳格な管理の種子生産を行うことはできません。同じ金額では。

なぜなら民間企業であれば(当たり前ですが)利益を取らなければいけないからです。そうしなければ企業は倒産します。しかし、現在採取農家が行っているような厳格な管理での生産は非常にコストが高くなりますので、同じ金額、同じ品質での販売は不可能です。ではどうするか?

 

A. 十分な利益が取れるくらいの高額設定にする

B. 現在の価格でも元が取れるように品質を落とす

 

このどちらかになります。

 

 

民間企業が担う種子の問題点1

まずAの「十分な利益が取れるくらいの高額設定にする」の場合ですが、これはもう小学生でもわかるように、当然増加した金額は私たちの食費に跳ね返ってきます。仮に現在の状況と同じレベルの品質が維持されたとしても、私たちが支払う食費は下手すれば数倍に跳ね上がるでしょう。

後でも詳しく書きますが、民間企業が開発する種子の代表的な種類にF1品種というものがあります。これは病害に強いとか、型崩れがしないとかいろいろなメリットがあるのですが、かなりコスト高の種類なのです。このF1品種が蔓延したことで、たとえばアメリカでは種子の価格がこの20年で数倍に跳ね上がっているという研究があるほどです。

 

F1品種とは?

恐らくほとんどの人は「F1品種」という名前をご存知ないでしょう。

 

F1品種・・・聞き慣れない言葉ですね。F1って何??って感じですよね。

これは「Final 1 Hybrid」の略で、日本語だと「一代品種」です。

普通遺伝子情報というのは親から子へと代々引き継がれますが、F1品種は遺伝子操作によって特定の一代には優れた性質が備わるものの、次の世代以降には引き継がれません。ですので一代品種 (F1品種) という訳です。成長が早く、形が整うということで大量生産/大量消費にはもってこいということになります。「そんな良い物があるなら最高じゃないか」と思われるかもしれませんが、F1品種には大きな問題があります。

 

その問題は

 

・この特性が一代限りである

・食物の花粉による伝播を防ぐのは非常に難しい

 

ということです。

 

F1品種訴訟 

まず「特性が一代限りである」ことの問題点。

特性が一代限りであるということは、この種子を購入するとこれを継続して取り扱うならば、毎年種子を購入し続けなければならないということです。種子メーカーが善意のある会社であれば問題ないのでしょうが、利益最優先の会社の場合、農家はそのメーカーに一方的に有利な契約を更新し続けなければならない可能性があります。

たとえば、世界中で農業事業を手掛ける超大手企業モンサント社では、農家に対して種子は毎年購入するよう契約をさせ、研究や品種改良の目的でも複製することは一切禁止。もし違反した場合は巨額の賠償金を請求することになっています。

 

「企業の商品なんだから複製なんかしちゃ駄目だろ」と思われるかもしれません。

確かにそれはそうなのですが、問題は「花粉の飛散がコントロールできない」ということです。

この時期花粉症で苦しんでいる人が多いと思いますが、マスクをしていてもそれほど細かい粒子です。これは食物でも同じことで、花粉の飛散を防止することは非常に難しいです。たとえばある農家Aさんがモンサントの品種を購入したとしましょう。Aさんには当然モンサントの品種を複製しない義務があります。しかし、Aさんの畑から少し離れたところにあるBさんの畑に花粉が飛んでいった場合にはどうなるでしょうか?

BさんはモンサントからF1品種を導入していませんし、そのつもりもありません。しかし、F1品種を導入したAさんの田畑からF1品種の花粉が飛んできて、Bさんの田畑でF1品種が発芽する可能性があるのです。この場合でもモンサントはBさんに損害賠償を請求することができるのです。Bさんには何の落ち度もないにも関わらず。

「そんな馬鹿な」と思われるかもしれません。しかし、実際にカナダではこのような“難癖”に近い方法で数千に上る農家に対し、モンサントは損害賠償を求める勧告を行い、従わなかった農家550件以上に対し訴訟を行いました。 

 

民間企業が担う種子の問題点2

そしてもうひとつの民間企業が採用する方法はB案の「現在の価格でも元が取れるように品質を落とす」方法です。価格上昇を抑えるのであれば、品質を落とすしかない。これも当たり前ですね。ですが問題は、食料の品質を落とすということは多くの場合安全性を犠牲にするということです。代表的な例は遺伝子組換え作物。

遺伝子組換え作物の危険性はいろいろな所で取り上げられていますが、有名なのはやはりモンサント社が開発した遺伝子組換え大豆「ラウンドアップ・レディ」でしょう。

ここ数年ホームセンターなどで販売されている「ラウンドアップ」という除草剤を目にしたことがある人も多いかと思いますが、実はこれアメリカの大手農薬メーカー「モンサント」社が開発した除草剤。アメリカの開発した除草剤ということで実際かなり強力です。値段も比較的お手頃なため日本でも使用する人が増えてきているようです。

 

ところがこのラウンドアップ実は以前から発ガン性物質「グリホサート」が含まれているということで欧州などではむしろ規制対象になっており、使用できない国が世界で増えています。

先程のラウンドアップ・レディという遺伝子組換え大豆は、このラウンドアップという除草剤でも枯れないという強力な除草剤耐性を人工的に持たせた大豆なのです。つまり、ラウンドアップレディという大豆を畑に撒いてラウンドアップ除草剤を撒くと、あら不思議、雑草はすべて枯れさせられますが、ラウンドアップ・レディという大豆だけは何も影響を受けずに生育するのです。

確かにラウンドアップを撒きさえすれば除草の手間が省ける訳ですから、生産性は向上します。ですが、そんな「発がん性物質を物ともしない遺伝子組換え大豆」を食べたいですか?・・・ちょっと私は遠慮したいですね・・・。

 

「実質的同等性」という恐ろしさ

F1品種にしろ、遺伝子組換え作物にしろ、まだここ20年くらいで開発された技術ですので、人間が長期に食物として摂取して大丈夫かどうかは実証されていません。そんな怪しい物がなぜ市場で出回るかというと「実質的同等性が認められているから」です。

実質的同等性とは何でしょうか?

これは「遺伝子操作を施された植物から作られた食物の構成要素は、一般的な食物の構成要素と同じであるか、あるいは"実質的に同じである"」という考え方です。分かりやすく言ってしまえば「自然の食物とほとんど一緒。ちょっと違いはあるけどほとんど一緒。だから実質的に同じ。」ということです。

「いやいやいや、“ほとんど同じ”と“全く同じ”では意味がぜんぜん違うだろ!!」と即座に突っ込みたいところですが、実際にこのような言葉遊びの類で安全性が確認されていない食物が生産されているのが現状です。

 

すでに遺伝子組換え作物汚染は始まっている

そして、驚くべきことに日本は既に遺伝子組換え作物を年間数千万トン輸入する、世界でも有数の遺伝子組換え作物輸入大国になっています。つまり、我々の食卓はすでに遺伝子組換え作物、あるいはそれを原材料にした食材で侵食されている、というのが実態なのです。

現在のところ日本では遺伝子組換え作物の生産はそれほど進んでいません。その陰には、種子法によって確保されていた安全で安価な種子が日本の食糧生産を支えていたからです。しかし、それが廃案になったことによって徐々に採取農家廃業し、民間企業による非安全もしくは高価な種子が席巻することになるでしょう。そうなった時に私たちの食卓はどうなるのか。

「高価だが安全な自然作物」か「安価だが危険な遺伝子組換え作物」。この二択の中から選択を迫られる恐ろしい未来がやってくる可能性が非常に高いのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

あなたの食卓が危険で一杯になる日。日本の食料安全神話崩壊 その1

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みなさんは普段スーパーなどで食料品を買うときに、その食料の安全性にどれくらい気を使っていますか?

例えば「この食料は国産か?」「国産でも日本のどこ作られたのか?」「どのように作られたのか?」などなど・・・どれくらい注意を払っていますか?

 

最近は「生産者の顔が分かる商品」というのがもてはやされる風潮があるので、食料品のパッケージには生産者の顔写真が載っていたり、その食料品の流通ルートがわかるQRコードが掲載されていることもあります。

ですが、こだわる人はちゃんとチェックしているかもしれませんが、ほとんどの人は「値段があまり変わらないなら国産にしようかな」くらいしか気にしてないのではないでしょうか。

かく言う私もその程度しか気にしていないので大丈夫です! (笑)。

 ただ、実はこの「国産=安全」という神話がすでに崩壊しつつあるのです。

今回はそんな恐ろしい“日本の食の安全崩壊”について書いてみたいと思います。

 

あ、ちなみに今回の投稿は山田正彦氏の書「売り渡される食の安全」を参考にしながら書かせて頂いております。今回の投稿で日本の農業の現状についてもっと知りたいと思われた方は、是非こちらの本をご覧ください。

売り渡される食の安全 (角川新書)

売り渡される食の安全 (角川新書)

  • 作者:山田 正彦
  • 発売日: 2019/08/10
  • メディア: 新書
 

 

[目次]

 

日本の種を守る法律「種子法」 

皆さん、種子法という法律をご存知でしょうか?

ちなみに私は知りませんでした(笑)。

 

この種子法というのは正しくは「 主要農作物種子法」という名前の法律で、1952年に制定されました。1952年と言えばまさに第二次世界大戦終了直後ということで、食料の生産や供給網が壊滅していたことで食料が多くの国民に行き渡らなかった時代。このような時代に「国民を飢えさせない」ことを目的として制定されています。

この法律によって日本政府は主要作物 (稲、大麦、はだか麦、小麦) の良質な種子が農家に行き渡るよう、そしてそれらの農家から国民に行き渡るように必要な対策を講ずることが義務付けられていました。

 
考えてみれば当たり前ですね。

食料に限らずどんな植物でも種子から育ちますから、種子がなくなってしまえばその植物は絶滅します。最近はフードロスが問題になっていますが、もし食料の種子がなくなってしまえばフードロスどころか食料がなくなってしまいます。当然国民は飢えてしまいますので、種子を守ることは国の義務とも言えるでしょう。

ですから、この法律が根拠となって国や自治体が食料の種子を守り育てていくために必要な予算を組んでいたのです。

 

種子法廃止の衝撃

ところがなんと、実はこの法律は2018年4月に廃案になってしまったのです。

その理由は

 

1) 多様なニーズに対応するために民間活力の活用が必要。

2) 種子法のために民間企業に比べて都道府県が管理する種子が安すぎる。これは不当競争だ。

3) 種子生産者の技術が向上しているので、生産や供給の品質に対して義務づける必要がなくなった。

 

という3点です。

ですが、これって本当に正しいのでしょうか?

 

まず「1) 多様なニーズに対応するために民間活力の活用が必要」についてですが、食料に関して「多様なニーズ」ってどこまで必要でしょうか?

確かに食を楽しむというレベルであれば多様なニーズというのはあり得ると思います。でも「国民の生活を守る」というレベルで言えば、一番重要なのは例えば大きな災害などが起こった場合などでも、安定して食料を生産し供給できることではないでしょうか。もしもの時に国民に食料を提供できる食料保障と多様なニーズが天秤に載せられること自体がおかしな話です。

 

次に「2) 種子法のために民間企業に比べて都道府県が管理する種子が安すぎる。これは不当競争だ。」という点。

種子が高すぎて国民に届けられる食料までもが高価になりすぎているというのなら分かりますが、安全なものを安く提供できることの何が問題なのでしょうか? そもそも国民の食料保障を民間企業に担わせようということ自体が奇妙だとしか言えません。国民の安全に関わることだからこそ、国や地方自治体が責任を持って管理する。その結果国民も安全な食料を安く購入することができる・・・この事のどこに問題が??

 

 

種子の品質安定は驚くべき農家の努力のお陰

そして最もおかしな理由が3番目の「種子生産者の技術が向上しているので、生産や供給の品質に対して義務づける必要がなくなった。」という点です。

山田氏の書籍に詳しく書いてあるので是非ご覧頂きたいのですが、農家には種子を作るための「採取農家」という人々がおり、彼らが生産した種子が一般の農家へ販売され、そこで育てられた食料が私たちの元へ届くという仕組みになっているそうなのです。この採取農家のお仕事というのがメチャクチャ大変。

そもそも近くに一般農家の田畑があると、そこから別の種の花粉が飛んでくる可能性があるため、人里離れた場所が谷あいなどでしか生産ができない。また、もちろん雑草が入ってくる可能性もあるし、一年前の種子から生えてきた物は別の種類とされてしまうので、そのような「異株」が混じらないように細心の注意を払って育てなくてはならないそうです。なんと収穫までの間に10回もの抜き取り検査が行われるとのことです・・・。

それ以外にも稲が倒れたりしても駄目だとか、病気にかかっても駄目だとか、相当厳格な基準が定められており、それらを全てクリアしないと出荷できないそうです。

 

分野は違いますが、私も従事している仕事がいわゆるモノづくり系の仕事ですので、正直こんな高リスクな生産なんか、私だったらとてもやってられないと思います。費用対効果で考えたら絶対ビジネスとして成り立たない。

しかし、それが成り立っているのは農家の人たちの必死の努力と、ちゃんとそれを経済的にも国と地方自治体が支援しているからです。その経済的支援を行うための根拠がこの種子法という訳です。

それを「品質が安定しているから国や地方自治体が管理義務を負う必要はない」とは・・・一体どういう了見なのでしょうか?

しかし、現実問題としては先程も書いたようにその種子法が廃止されました。それでは今後日本の食料の安全と安定はどうなるのでしょうか?

 

実はこれにより私たちの食卓を揺るがす恐るべき事態が想定されるのですが、ここまでで相当長くなってしまったので(笑)、それに関しては次回の投稿にて。

まずはこの種子法という法律の存在と、それがあったからこそ私たちの食生活は安全/安定を保たれてきたという事実を知っていただけると幸いです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

林修先生の本「いつやるか? 今でしょ!」を今頃読んでみた

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「いつやるか? 今でしょ!」で大ブレイクした東進ハイスクール芸人・・・もといカリスマ講師の林修先生。

 

彼が8年前に書いた本

 

「いつやるか? 今でしょ −今すぐできる45の自己改造術!−」

 

と読みました。

 

今でしょ! と林先生が言っているにも関わらず、この2020年に読むという何とも妙な構図になっております(・∀・)

 

そもそもなぜ今頃になってこの本を読む気になったのか?

実は私もこの本が出た頃に、その存在は知っていました。

でも、あまりにも狙いすぎなタイトルに「どうせ中身はろくでもないんだろう」と敬遠んしていたのです。

 

ところが、先日とある無料動画サイト◯outubeで、この本について林先生が説明をしている動画を見たんです。

その中で御本人がこの本を書いた理由について

 

「編集の方が『いつやるか? 今でしょ!』というタイトルで本を書いてみないかと持ちかけて来たんです。

タイトルがこれであれば中身は何でも良いです・・・って。

とてもフランクな(率直な)編集の方で。」

 

と仰っていました。

うーん・・・身も蓋もない話ですね! (笑)。

 

実際、林先生の弁によると編集の方は「まぁ、中身はなんか適当にビジネスの啓発本的な感じで」という位しか考えていなかったそうです。

林先生も初めての本なので一応その方向で考えてみたそうなんですが、それでは「本」にするのは難しかったらしく、「自分が仕事をする上で実践していることや考え方を紹介するという方向なら書けるから、それじゃ駄目か?」という交渉をしたそうです。

 

それがこの本になった訳ですが、その顛末からも分かる通り中身はほとんど

 

「いつやるか?今でしょ!」は関係ないですwwww

 

一応「はじめ」と「おわり」に「今でしょ」的なことは言っていますが、結構無理やり突っ込んでます。

 

 そういう意味では期待を裏切ってしまっているのです。

そこはさすが林修先生。

非常に良い意味で期待を裏切ってくれております。

 

 

この本は誰かと仕事をしていく上で、そして自分が人生の中で何かを成し遂げる上で、とても示唆に富み、かつ実践的な考え方を紹介してくれていますが、基本的な考え方としては次のようにまとめることができると思います。

 

「何かを成し遂げるためには、自分のこだわりや価値観、感情などから距離を取り、自分の周りにある環境を俯瞰して見つめることがまず重要。

その上で、それらの中を流れる“物事の流れ”を見極めて、自分にとってベストだと思われる結果を得られるタイミングで物事を進めなければならない。

そして、最も重要なのはそのための下準備を怠らないことである。」

 

ということではないかと。

 

林先生はこの本の中でそれを実践するための具体的な方法をたくさん紹介してくれています。

そのどれもが、この適切な距離感・・・上司や友人だけでなく、さらには自分とも一定の距離感を保ち、物事がうまく進むタイミングで、うまく進むような言い方で、うまく進むような鉄壁の布陣を敷いておくことをどんな時でも取り組んでいることが分かる方法になっています。

 

そして、面白いのが、その方法をしっかりと身につけるために

 

とにかく数多く負けろ

 

と言っています。

 

テレビで活躍する林先生の姿と彼の経歴を見ると、その頭脳を生かしてうまいこと人生を歩んできたように見えます。

ですが、実は昔いじめられっ子だったり、銀行員になったもののすぐ辞職して事業を立ち上げたものの失敗して借金を背負ったり・・・はては生来のギャンブル好きのために、それでまた借金を増やしたりと、相当負け続けて来たようです。

 

ですが、その負けを分析し、何がいけなかったのか。

どういうパターンの時に自分が負けるのか。

負けないためにはどこで自分は勝負するべきか。

 

をしっかり学び続けて来た。だからこそ今の林先生の立場があるのだというのが、この本を読むと分かります。

 

この本は目次にもとても気が配られていて、目次を読むだけで自分にとって必要な箇所がどこなのか分かりやすいようになっています。

また、本文でもとても重要なところは太字になっていて、そこだけザッと読むだけでもある程度中身が分かるようになっています。

 

とても読みやすく。集中して読めば30分〜1時間くらいで読めてしまうと思います。

でも、ちゃんと読むと案外奥深く、とても面白いないようになっています。

さすが現代文のカリスマ講師! といったところでしょうか。

 

 

という訳で、学生にしろ、ビジネスマンにしろ、「何かを成し遂げたい」「何者かになりたい」と思っている人には、その考え方を磨く上でとても示唆に富んだ本になっておりオススメです。

 

 

ただ・・・やはりこの本のタイトル「いつやるか? 今でしょ!」は狙いすぎだったかなぁとww

というか、中身の濃さから考えると逆にもったいなかったな、と。

 

確かに衆目を集めるという意味では効果があったとは思いますが、本当にこういう本を必要としている人は、私のように「そんな狙いすぎのタイトルじゃ、どうせ中身薄いんでしょ」と馬鹿にしていたのではないでしょうか。

 

しかし、今や林先生自身もそれほど「今でしょ」を言わなくなりました(まぁ、昔もテレビ側が強要していたのでしょうが)。

「今でしょ」効果が落ち着き、ちゃんと林修という一人の人間のカリスマ講師らしさというか、頭の良さなどの総合力がきちんと評価されるようになった今こそ、改めてこの本を読む価値がある。

 

そんな風に思いました。

 

という訳で、

 

「この本をいつ読むの? 今でしょ!(・∀・)」

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

カルロス・ゴーンの誕生日に逃亡先のレバノンが財政破綻

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今日、3月9日は元日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏の誕生日だそうです。

そのゴーン氏が逃亡先に選んだ中東の国家レバノン財政破綻しました (笑)。

いや、笑い事じゃないですしゴーン氏の逃亡とも何の関係もないのですが、「カルロス・ゴーン、“持ってる”な・・・。」と思ってしまいました。

中東の小国レバノンのディアブ首相は7日、まもなく償還期限を迎える12億ドル(約1260億円)の外貨建て国債について、支払いを延期すると表明した。経済の低迷や放漫な歳出で長らく財政危機に陥っていた。政府は債務再編による財政再建を目指すが、すでに破綻寸前の経済や政治混乱がさらに悪化する恐れがある。

 

すごい誕生日プレゼントだなと思いますが、問題はそこではありません。

恐らくこのレバノン財政破綻をもって「レバノンは政府債務が国内総生産GDP)比で170%に達して破産した! 200%を超える日本も破産する!!もうすぐにでも破綻する!!」と騒ぎ出す人がいるだろうということです。

 

もしテレビや新聞などでこの手の話をするコメンテーターがいたら気をつけて欲しいのは

 

レバノンの債務は“外貨建て”。日本は“自国通貨建て”」

 

だということです。

 

日経の記事にもあるようにレバノンは1990年まで続いた内戦後、復興のために多額の資金を外国から借り入れました。ざっくばらんに言えば、個人が金融会社からお金を借りるのと同じですから、返済できなければ普通に財政破綻します。当たり前。

しかし、日本の場合は自国通貨である日本円での債務です。そして日本政府は日本円を発行する権限があります。自分が発行できるお金で借金を抱えて破綻するなどということは、どう考えてもあり得ません。

 

という訳で、「レバノンが破綻したから日本も破綻する!詐欺」にご注意を。 

ちなみに日本が財政破綻しない理由については以前こちらでも取り上げました。良かったこちらの記事も合わせて御覧ください m(_ _)m 

  

今回は比較的短くまとめられたかな?

最後までお読み頂きありがとうございました😆

SNS離れが進む潮流。私がSNSを辞めた理由と辞めて良かった点を挙げる。

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さて、今日は皆さんから「ブログやってるお前が言うなwww」と怒られそうな、この話題を取り上げてみたいと思います。 

それはズバリ「SNS疲れ」についてです!

 

私はマーケティングに携わるという仕事上、どうしてもSNSから逃れることはできないので、完全にアカウントも削除することは現状非常に難しいです。

しかし、「自分で投稿する」「友人の投稿をチェックする」という意味では綺麗さっぱりSNSからは足を洗いました。

※ブログは「交流」を目的としたSNSとは違うと思っていますので、ブログは除きます。

 

今日はなぜ私がSNSを止めて、ブログを書き始めたのか。

SNSを止めたことで何か良いことがあったのか。

について書いてみたいと思います。

 

[目次]

 

 

SNSを辞めた理由①

まず私がSNSを止めた理由ですが、ざっくばらんに言いますと

 

自由になりたかったから

 

です。

 

ざっくばらん過ぎるので少し説明を(笑)。

これはもう皆さん経験されていることだと思いますが、SNSの場合いわゆる普通のWebサイトでの交流と違って、現実社会の交流の延長という側面が強いです。従って、人からどう思われるかを空気を読みながら書く必要があります。

つまり自分の思考が現実の人間関係に縛られてしまう訳です。これが私にはかなりストレスでした。

 

元々私がSNS・・・というかFacebookを始めた時は、まだまだ日本ではFacebookをやっている人は少数で(LINEは多かったように思いますが)、実際の友人関係とそれほどリンクしていませんでした。

そのため今ブログで書いているような事を投稿したりしていたのですが、Facebookユーザーが増えるほどに、まぁ実際の人間関係とリンクしていった訳です。そうするとどうしてもそれを無視して投稿することはできなくなります。

「こんな事を書くとあの人が嫌な思いをするかもしれない」とか。

 

また、SNSは元々長文を読むのには適さないインターフェースでしたが、スマートフォンをベースにした設計の度合いが強くなるにつれて、よりそれが顕著になったため、自分が本来書きたいことを大分省略化、あるいは簡略化して書かなければならないようになっていきました。

そういう意味でも自分が書きたいこと、届けたいことがしっかり書けないという不自由さがストレスになっていったのです。

そういう意味での「自由」を求めたのが理由の一つ。

 

SNSを辞めた理由②

そしてもう一つは、SNSという現実と仮想空間が入り混じったシステムの中で作られた、「半分は現実の自分」でありながらも、「もう半分はバーチャルに作られた自分」のような二重構造の自分の姿が出来上がったように感じて、自分のアイデンティティが揺らぎ始めたことです。

 

おそらく普通に社会人として生きていてSNSを活用している人は、いわゆる「リア充を演出することが生きがい!」という方はそんなにいないと思います。

むしろ、SNSで人にどう思われるなんか気にしても仕方ないと思いつつも、隙間の時間で他の人が何を投稿しているのか、自分の投稿がどんな反応をされているのかを確認してしまう・・・。積極的にやりたい訳じゃないけど、かと言って積極的に辞める理由もないし・・・そんな中間地点で右往左往している人の方が多いのではないでしょうか。

 

これがスマートフォンがない時代だったら、パソコンだと起動するのに時間と場所を選ぶのでSNSへのアクセスが制限されるのですが、スマホだと思った時にすぐ見れてしまうので、逆に依存度が高まってしまうように思います。

 そういう意味で、SNSの中というバーチャルな世界での自分が現実の自分を支配するような状況から自由になりたかった。それがもう一つの理由です。

 

その不自由さに耐えきれなくなった私は思い切ってSNSをズバッと辞めようと思い至った訳です。

正直迷いはありました。

頻繁に使わなくなると仕事上の支障が出るのではないか?

友人関係に問題が生じないか?

(自分が好きなブランドやお店などの)情報源から得られる情報が減るのではないか?

・・・などなど。

 

SNSを辞めてどうなったか?

そのような後ろ髪を引かれるような思いを断ち切って辞めてみたところ、結果はどうなったのか?

 

マジで辞めて良かったwww

 

 本当にそう思います(笑)。

 

まず、上に書いたような迷いの元は全くの杞憂でした。

 

・友人関係

特に支障ありません。私の周りが寛大なのかもしれませんが、友人がSNSに投稿していた記事を知らなかったからと言って、それでどうこう言われることはありません。むしろ「情報」として知るよりも、直に話した方がより深いところまで話が聞けて面白い。

 

・情報源としての活用

確かに自動的に、受動的に入手できる情報は減りましたが、逆に自分が動いて得た情報の方がより価値が高く、深くまで内容を知ることができると再確認できました。

 

・仕事への影響

ある意味一番の懸念だった仕事への影響。確かに各種SNSに関する最新情報を得るのは少し遅くなりましたし、企業アカウントへのファンの反応を知るのも少し遅くなったと思います。

ですが、逆に考えると、それが早かったから何なのか?と思うようになりました。

確かに個人経営の店舗のSNSなら速さが命という所はあると思います。しかし、そのようなケースでない限りは、むしろ物事の瞬間風速に惑わされることなく、もう少し長い目で見た状況の流れを読みやすくなったように感じます。

 

SNSを辞めて良かったこと

そして、肝心のSNSを辞めて良かった点は、やはり時間的にも、思考的にも自由度が格段に増したことです。

SNSに縛られることがなくなったので、同じスマホを使うにしても能動的な情報収集に時間を使えるようになりました。

また、SNSを辞めてこのようにブログを始められたことが私にとっては非常に大きな契機になりました。

 

SNSの場合は次々と大量に情報が流れていくので、長い文章を読んでもらうには不向きでした。ですが、ブログではそれなりに文章が長くてもしっかり内容を読みたい人たちが訪れるので、内容次第ではあるもののしっかりと自分の考えを書くことができます。

勿論、その分SNSに比べてブログは拡散力が落ちます。しかし、元々私は自分が考えていることを拡散したい訳ではなく、届けるべき人に届けたいという考えですので、その点も特に不利になったとは考えていません。

 

むしろSNSを辞めてブログを始めたことで、SNSの中で大量に渦巻く雑音に紛らわせられることなく、自分が書きたいこと、自分が届けたいことについてより真剣に考える時間が増えたことは自分にとって非常に良いことだと思っています。

 

という訳で、私にとってSNSを辞めて、こうして皆さんにブログをお届けできるようになったことは非常に良い選択だったと言えます。

Good Job!! 俺!!! (笑)

 

もちろん、これはあくまで私のケースです。

SNSをとても楽しんで生きがいを感じている方は、そのまま続ければ良いでしょう。

ただ、もし取り立てて楽しんでいるという訳でもなく、「何となく続けている」「みんなやっているから辞めづらい」と思っているのであれば、勇気を持って一度バシッと辞めてみてはどうでしょうか?

私のように今までとは違う何かに出会えるかもしれませんよ! (・∀・)

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

読書レビュー 「AI x 人口減少 これから日本で何が起こるのか」

今回は久々の読書レビュー!

お題はこちらです!

中原圭介著 「 AI x 人口減少 これから日本で何が起こるのか」。

AI×人口減少 これから日本で何が起こるのか

AI×人口減少 これから日本で何が起こるのか

 

 [目次]

 

内容を2行で書く。

多分今回の読書レビューをご覧になっている方は、昨今話題になっている「AI」と「人口減少」のどちらか、あるいは両方に興味がある方だと思います。

例えば

「AIが発達して人間に取って代わるっていうのは本当なのか?」

「自分の仕事は大丈夫だろうか?」

「人手不足が話題だけどどうしようもないのか?」

「人口減少で日本は衰退するしかないのか?」

などなど・・・。

 

私もそのクチでこの本を読んでみたのですが・・・ぶっちゃけて言えばその感想は

「大して新しいこと言ってないなww」

です(笑)。

読書レビューを書く以上どうやって話を膨らませようかと私なりに試行錯誤したのですが・・・「ふくらませるの無理だわwww」という結論に達しました。

というわけで、この本での著者の主張をズバリ2行で言ってしまいましょう。

 

「人口減少は当分何ともならない。行政の責任で何とかしろ。

AIの進化は止められない。働きたかったらむしろAIと共存する方法を考えろ。」

 

以上! (笑)

本当にこれに尽きるのですが、一応もうちょっと詳しく言うと・・

「日本の人口減少の原因は“東京への一極集中”と“結婚率の低さ”が原因。これは今後数十年間何ともならない。長期的な対策としては企業が地方へ分散するように、地方での税制優遇などの行政が講じるべき。

一方、AIの進化については、これももはや止めようがない。弁護士や銀行員などのマニュアル化可能な業務だけでなく医師などのエリート職も今後はAIに取って代わられる。

それはもう避けられないのだから、AIに仕事を取られないために頑張るよりも、自分の仕事をAIには代替不可能である難しい複雑な判断が必要となるような形に洗練化させて行かなければならない。

むしろそれによってAIと共存する方向を目指すべきである。」

 

という感じでしょうか。

 

AIや人口減少に詳しい人には物足りないかも。

とは言え、一応250ページくらいある本ですので、本の中ではもっと詳しく・・・例えば、人口減少が今のように至った原因や今後の見通しを統計データを用いてもっと詳しく書いてありますので、そのような詳細なデータも興味がある方は是非本を購入してご覧頂ければ良いかと思います。

ただ、AIや人口減少に興味があって色々な情報をすでに得ている人には、「どっかで聞いたことあるなぁ・・・」という感じで、ちょっと物足りないと思います。

また、「AI x 人口減少」という本のタイトルからすると、AIの進化と人口減少が相乗効果でどのような影響を社会に及ぼすのか? という知見が得られそうな感じがしますが、実際の中身はAIと人口減少の影響がそれぞれ別々に書かれているだけで、「それらが合わさって社会のあり方自体を変えていく・・・」みたいなダイナミックな内容にはなっていません。

それぞれが並列に書かれているだけって感じ?

なので、この手の内容に詳しい人には、立ち読みでザッと見れば良いかな?というところでしょうか。

 

AI興味がある人にお勧めの本を紹介 

以上かなり辛口なレビューをお届けました(笑)。

とは言え、このままでレビューを終えるのも何か後味が悪いので、折角ですからAIやそれが与える社会への影響といった事に興味がある方へお勧めしたい本をリストアップしておきます。

どうせ読むならこっちの方が面白いと思いますよ。

 

松田卓也 著「人類を超えるAIは日本から生まれる」

世間的にはあまり知られていませんが、現在の日本の人工知能の立役者の一人である松田氏による著作。

新書なので文量は少ないのですが、現在に至るまでの人工知能技術発展の過程、先端の人工知能技術が何を目指しているのか、そして「どらえもん」のような汎用型人工知能が実現された時に人類がどうなるのか?といった幅広く深いテーマについて書かれています。

物理学者の著者が書いただけあって文章自体が若干読みづらいのが、ちょっと難点かもです。ご本人もちょっと個性的なおじいさんなので独特の語り口調が・・・・。

ただ、これを読むだけで今までの人工知能の歴史とこれから向かう未来が一本に繋がる良書です。

 

清水亮 著「よくわかる人工知能

人工知能ブームの火付け役となったディープラーニングという技術の何がすごいのか、「人間の脳の仕組みを人工的に作り上げる」という人工知能のそのもの目的に対して現在の技術がどこまで実現できているのか、そして現在の人工知能の技術的な壁と今後の展望などをそれぞれの分野の専門家と著者が対談する形で書かれた本。

ちょっと専門的な話も出てくるので全くの初心者には難しいかもしれませんが、人工知能の基礎的な知識が得られるので、それが分かっていると現在〜ちょっと先の未来の人工知能に何ができて何ができないのかが分かりやすくなります。

 

井上智洋 著「人工知能と経済の未来」

新書コーナーで今でも結構取り上げられているので、見たことある人も多いと思います。

経済学者の著者が経済学的な知見から人工知能の可能性と、それがもたらす経済と社会への影響について考察。そして、来たるべき未来に対してどのような対策を練るべきかをかなり具体的に述べてあります。

人工知能そのものよりも「人工知能とそれが与える社会への影響について知りたい」という人にはお薦めです。

 

というわけで、今回のレビューはここまで! 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

トイレットペーパーに群がる人を日本人は笑えない。

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「いや〜昔、新型肺炎の流行した時にはね、街中からトイレットペーパーが消えたんだよ。」

「いやいや、そんなばかな話ないっしょ(笑)。」

恐らく10年後にはこんな笑い話が家庭や飲み会の席で繰り広げられることになるでしょう。

それほど狂乱を引き起こしてるトイレットペーパー、キッチンペーパー不足。

 

冷静に考えれば、マスクが品薄になっているからと言って、原材料が違うトイレットペーパーがなくなるはずがないことは分かりそうなものですが、こういう社会不安の状況ではそういう冷静な判断ができないんですね。人間とはなかなか難しい生き物です。

実はこのような「実際にはあり得ない噂やデマで人々が踊らされる」ということはよくある話で、これを社会学の用語で「予言の自己成就」と言います。

今日本ではこのようなトイレットペーパーに群がる人々を小馬鹿にする意見が散見されます。しかし、実は今の日本でそういった人を嘲笑できるような人はいません。なぜなら、ほとんどの日本人はこの数十年この「予言の自己成就」の下に行動し続けてきたからです。

今回はほとんどの日本人が今もなお囚われて続けている予言の自己成就についてお話したいと思います。


[目次]

 

 

予言の自己成就とは?

そもそもこの「予言の自己成就」という言葉はアメリカのマートンという社会学者が提示したもので

「たとえ根拠のない予言(=噂や思い込み)であっても、人々がその予言を信じて行動することによって、結果として予言通りの現実がつくられるという現象のこと」(「コトバンク」より)。

です。

今回のトイレットペーパー不足のように、実際にはあり得ないのだけど、一部の人達が社会不安の中で冷静な判断ができず、噂話にのった行動をしてしまうとその根も葉もないが本当のことになってしまうのです。

 

 

予言の自己成就の恐ろしさ

トイレットペーパーが不足するくらいの話ならまだ可愛い物です。

しかし、ときにこの「予言の自己成就」は深刻な社会不安を引き起こします。

たとえば1980年代のバブルの頃もある意味で同じことがおきました。

 

当時人々がこぞって群がったのがゴルフクラブの会員権です。別に皆がみんなゴルフをやっていた訳ではありませんが、そのゴルフクラブの会員権が投機の対象となり、単なる「ゴルフ場でゴルフができる」というだけの会員権が全国平均で4388万円(!)にもなりました。

このゴルフ会員権のように「別に欲しくはないんだけど、みんなが買おうとしているからもっと値上がりする (=儲かる) はず」と信じて、必要でもない物をみんなが借金までして購入。

バブルが弾けた後には、やりもしないゴルフの会員権とそれを購入するための数千万円の借金が残りました。この借金を返済するために一挙に投資や消費が縮小してデフレに突入。30年経った今もなお日本国民を苦しめ続けています。その原因の一端がこの「予言の自己成就」だったということです。 

 

世界で高まる不確実性

冷静に考えれば今回のトイレットペーパー騒動のようなことは起こるはずがありません。マスクの材料とトイレットペーパーの材料は関係ないのですから。

しかし、です。

決して起こらないはずのことが起こってしまう。

どんなに非合理的なことであっても、一旦社会の空気がそちらに流れてしまえば人々は平気でその非合理的な行動に突っ込んで行ってしまう。

これが世界の現実です。

しかも、このような非合理的な判断、不確実な事案というのは昨今増加する傾向にあります。

アメリカではトランプ大統領の就任後、各国との軋轢を強める方針が進行。昨年からは中国との貿易戦争も激化しています。単純にビジネス的利益の観点から言えば中国との貿易戦争は非合理的な判断としか言えません。ビジネス的観点では測ることのできない「国家安全保障」という側面から米中の対立激化は実際に発生しています。

また、英国のEU離脱も同じです。

EU離脱によって生じる経済的損失については多くの専門家が指摘してきました。しかし、実際に英国は離脱を実行しました。これもビジネス的観点では測ることのできない「国家主権」という側面から行われた選択です。 

 

グローバルな社会では不確実性の危険は高まる

世界が一つであるというグローバリズム的な考えは必ずしも真実ではないと思いますが、どのような形であれ世界の国々や人々の行動がお互いに影響を与えあっているのは事実です。そうであれば、どこかで誰かが起こした非合理的な、そして不確実な行動が私たちの社会にも影響を与えるということも事実。それは人々の距離が縮まれば縮まるほど加速します。

言い換えれば、このグローバルな社会では小さな不確実性が世界中に伝播する構造とも言えるのです。そして、その不確実性の波は一つ一つが小さくとも重なり合うことで巨大な波へと変貌します。

今回の新型コロナウィルス騒動も正しくその一例でしょう。中国の武漢市にある小さな市場から広がったウィルスが、世界を揺るがす大事件になると一体誰が想像できたでしょうか? 正しく世界を覆う不確実性の申し子と言える脅威でしょう。

 

不確実な世界で必要な“余裕”

このような不確実性の高まりの中で必要なものとは何でしょうか?

それはズバリ“余裕”です。

心の余裕。

人の余裕。

お金の余裕。

予想外の出来事が発生した時に、さまざまなリソースを組み合わせて解決するためにはそれぞれに余裕がなければなりません。余裕のない臨界点ギリギリの運転では、不確実な危機に対処することはできません。

 

しかし、残念ながら日本という国はこの不確実性を全く考慮しない方向へと社会を変貌させて来ました。政府は度重なる災害にも関わらず国土を強靭化するための対策や、生産性を高めるための社会資本への投資を放置、ないしは最小限の費用で最低限の対策に終始。一方、民間では必要な投資も行わない中で利益を最大化するため、社員を安い給料でギリギリまで働かせることを常態化させて来ました。

国民が全力でフル稼働して何とか体裁を保つという異常な状態を続け、お金にも、心にも余裕など全くない「今だけ、金だけ、自分だけ!」というこの状態で、新型コロナウィルスという不確実な事象が訪れたのです。政府の後手後手 & その場しのぎ対応に批判が集まっていますが、「不確実性を想定しない状態で不確実な事象が起きたら混乱して破綻する」などということは当たり前の話なのです。

 

冷静に考えてみればごく当たり前の話なのですが、そんな想定外のことを想定しないのがここ数十年の日本でした。

「想定外のことなんて起こらないという根拠のない思い込みであっても、人々がそうを信じて行動することによって、結果として“想定外のことがあり得るということを誰も想定しない”という現実がつくられる」。

まさに“予言の自己成就”です。

トイレットペーパーに群がる人々を、今の日本国民は誰一人笑えないのです。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

古代中国の「莊子」が予言したネット社会の病。便利さの追求が心の安定を失わせる。

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さて皆さん、毎日どれくらいインターネットに接続していますか?

デスクワークをしている人であればネットに繋がっていない時はほぼないでしょうし、そうじゃない人でもスマホの時間まで計算すれば、むしろ寝ている時は常時接続が当たり前かもしれません。

 

確かにインターネット以前の世界に比べればはるかに便利になりました。

欲しい情報も無料ですぐに手に入るようになりました。

ですが、それによって失われた物もまた多いのではないでしょうか?

 

ネットでブログ記事を書いてるお前が何言ってんだwwというツッコミはさておき(笑)、ちょっと今日はそんな「インターネットによって失われた物」の話をしてみたいと思います。

 

ネット技術によって失われた経済効果

たとえば経済的側面で見てみましょう。

タイラー・コーエンというアメリカの経済学者が著した「大停滞」という本があります。

その中でコーエンはこのように書いています(そのまま引用すると大変なので私なりにまとめます。本文が気になる方は是非ご購入ください)。

 

大停滞

大停滞

 

 確かにインターネットは世界を大きく変えた。ツイッターFacebookといった新しい娯楽と情報伝達の方法を生み出した。

だが、その経済的効果は決して大きくない。

インターネットが生み出す価値の多くは、個人が私的に経験するものなので、GDPのような生産性のデータに反映されないのである。

たとえば私達が2ドルでバナナを買えばGDPがその分押し上げられるが、インターネットで20ドル相当の娯楽を楽しんでもGDPは上昇しない。むしろ、家にこもってインターネットを楽しめば、逆にGDPの値が小さくなる可能性すらある。

 

さらに、自動車や機械工業などに比べると、インターネット事業は圧倒的に雇用創出の効果が低いのである。

いわゆる「GAFA」と呼ばれる4大IT企業の従業員数を見ると

 

Google: 10万人

Apple: 12万人

Facebook: 2万人

Amazon: 56万人

 

確かに1企業としてみれば膨大な数であるが、全世界を席巻している企業として考えればGAFA全てを合計してもたった80万人程度の雇用しか生み出していないことになる。

ちなみにトヨタグループの社員数は37万人。当然自動車製造の場合、膨大な下請け企業が存在しており、そこまで勘案すれば膨大な数になる。

 

ネットという“無料サービス”の反対側には“無料で請け負っている人”がいる

いかがでしょうか?

確かに、コーエン氏が言うように私達はインターネットによって多くの娯楽を得ることができるようになりました。

しかも無料で。

無料であるということは、個人にとっては非常に有り難いものです。特にこのデフレ不況においては。

しかし、あるサービスが無料であるということは、反対側にはそれを無料あるいはそれに近い金額で請け負っている人たちがいるということでもあります。

 

そのようなインターネットにおけるサービスの両面を鑑みた時に、果たしてインターネットというものは私達の生活を本当に豊かにしているのでしょうか?

 

立場や価値観、その人の職業などによってその答えは変わるでしょう。

どちらが正解という訳でもないと思いますし、「本当はむしろ貧しくなっているんだ!」と声を上げたところで、今から「インターネットがなかった時代」に戻れる訳ではありません。

人間は一度手にした物をたやすく手放すことはできませんから。

 

ただ、私達が手に入れたものの反対で失ったものもあるということ。そして、なぜそれを失うことになったのかという背景や社会の原理に思いを馳せることは、決して無駄ではないと思います。

 

古代の思想家「莊子」が予言したネット社会の病

私はこういった「文明の利器」について考える時に、決まって思い出す話があります。

それは古代中国の思想家“莊子”の天地篇にある短い話です。

 

孔子の弟子の子貢という人が旅行をしている時に畑仕事をしている老人に出会います。

その老人は畑に水を注ぐのに、井戸から手でバケツを使って汲み出しています。子貢は

その老人に「はねつるべ」という機械があって、それを使えばもっと簡単に効率的に水くみができますよ、と教えてあげます。

 

それに対して老人は

 

「その機械は知っているが、機械に頼る仕事が増えれば、必ず機械に頼る心が生まれる。心に機械に頼る思いが生まれれば自然のままの素朴な美しさが失われる。

そして、素朴な美しさが失われれば命の働きが不安定になり、命の働きが不安定になれば人の道を踏み外す。

私はそんな恥知らずなことになりたくないから、機械は使わないのだ。」

 

と告げます。

子貢は恥ずかしくなって黙り込んでしまったそうです。

 

細かいところはちょっと違うと思いますが、大体こんな感じのお話です。

 

さすがに「はねつるべ」は古すぎるかもしれませんが、これは「インターネット」や「パソコン」「スマホ」であっても同じことではないでしょうか。

インターネットに頼った仕事が増えれば、インターネットに頼る心が生まれる。

そして、インターネットに頼り過ぎた結果、心の安定を失い、人の道を踏み外す。

 

正に現代の病を莊子が言い当てていると言っても過言ではないと思うのです。

 

 

私達はインターネットという技術によって多くの娯楽と情報、そして便利さを手にしました。しかし、その反対側で実に多くの物を失ったのではないか。

そんな事を考えた秋の夜長の一日でございました。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆