フランスの学校では両親を「パパ、ママ」と呼ぶのは違法になった
なぜか日本には「フランス」「パリ」と言うと、それだけで「オシャレ」「自由」「先進的」というイメージがあります。
しかし、最近は町中でテロが起こったり、黄色いベスト運動というデモが起こったり、有名な凱旋門の通りでは浮浪者が群れをなしていたりと、色々な意味で危険な雰囲気が漂っています。
そんなフランスでどうもとんでもない法律が可決されたようです。
学校で両親を「パパ」「ママ」と呼ぶな???
何とLGBTなどの同性婚の家族の人権に配慮して、学校で両親を「パパ」「ママ」と呼ぶことが禁止され、「親1」「親2」と呼ぶことになったそうです。
お・・・恐るべし、フランス!!
実を言うと私の周りにもLGBTの人がいます。
その人たちは特に周りに隠していませんし(少なくとも近しい間柄では)、私もそれをどうこう言うつもりは全くありません。「ま、そういう人もいるでしょう」という感覚ですし、それを隠してビクビク生きるよりは、ある意味公然とというか自然と振る舞えるような社会の方が健全ではないかと思うくらいです。
ただ、です。
ただ、ですよ。
だからと言って、同性婚の人権に配慮して「親1」「親2」と呼べというのはいかがなものかと・・・。そのような「自分たちの権利を守るために、人の習慣をも法律で変える」というような強制的な力の行使を、当のLGBTの方々は喜ぶのでしょうか?
彼らこそが特定の習慣や信条に基づいた法律で苦しんできた人たちであるのに、それを他の人に強要する・・・そんな事を望むのかどうかがちょっと信じられません。
人権という爆弾
18世紀の思想家にエドマンド・バークという人物がいます。
フランス革命が起こった直後からそれを批判し、この革命は社会の混乱を招いて軍事独裁国家という形で終わると予想し、フランス革命が「ナポレオン体制という軍事独裁国家」に行き着くことを早い段階から予想した人物です。
彼はその著書「フランス革命の省察」の中でこのように言っています。
「(フランス革命を支持するイギリス人たちに対して)彼らは古来の伝統や、過去の議会による決議、憲章、法律のことごとくを、一気に吹き飛ばす爆弾まで持っている。
この爆弾は「人権」と呼ばれる。長年の慣習に基づく権利や取り決めなど、人権の前にはすべて無効となる。人権は加減を知らず、妥協を受け付けない。人権の名のもとになされる要求を少しでも拒んだら、インチキで不正だということにされてしまうのだ。」
(佐藤健志訳・「フランス革命の省察」より)
今回のフランスの法律はまさにエドマンド・バークの言う「人権という爆弾」によって、長年の慣習や基づく権利や取り決めなどを吹き飛ばす法律ではないでしょうか。
たしかに「政治的」には正しいのかもしれない。でも、人間は必ずしもそのような「政治的な正しさ」だけで生きている訳ではありません。しかも「親1」「親2」などという呼び方を変えたところで、実態は何も変わりません。むしろ、そのような呼び方を強制されることで、国民を分断する楔を打ち込むことだけになるのではないでしょうか。
「人権」という印籠を持ち出せばどんな横暴も許される・・・そんな「人権圧力」の恐ろしさを感じたフランス政治の一幕でありました。
今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆