Dive Into The World

話題のニュースの裏側を専門知識がない人にも分かりやすく。一般人と専門家の繋ぎになれるようなブログを目指します。

林修の本「いつやるか? 今でしょ!」(2012年)を今頃読んでみた

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「いつやるか? 今でしょ!」で大ブレイクした東進ハイスクール芸人・・・もといカリスマ講師の林修先生。

 

彼が6年前に書いた本

 

「いつやるか? 今でしょ −今すぐできる45の自己改造術!−」

 

と読みました。

 

今でしょ! と林先生が言っているにも関わらず、この2018年に読むという何とも妙な構図になっております(・∀・)

 

そもそもなぜ今頃になってこの本を読む気になったのか?

実は私もこの本が出た頃に、その存在は知っていました。

でも、あまりにも狙いすぎなタイトルに「どうせ中身はろくでもないんだろう」と敬遠んしていたのです。

 

ところが、先日とある無料動画サイト◯outubeで、この本について林先生が説明をしている動画を見たんです。

その中で御本人がこの本を書いた理由について

 

「編集の方が『いつやるか? 今でしょ!』というタイトルで本を書いてみないかと持ちかけて来たんです。

タイトルがこれであれば中身は何でも良いです・・・って。

とてもフランクな(率直な)編集の方で。」

 

と仰っていました。

うーん・・・身も蓋もない話ですね! (笑)。

 

実際、林先生の弁によると編集の方は「まぁ、中身はなんか適当にビジネスの啓発本的な感じで」という位しか考えていなかったそうです。

林先生も初めての本なので一応その方向で考えてみたそうなんですが、それでは「本」にするのは難しかったらしく、「自分が仕事をする上で実践していることや考え方を紹介するという方向なら書けるから、それじゃ駄目か?」という交渉をしたそうです。

 

それがこの本になった訳ですが、その顛末からも分かる通り中身はほとんど

 

「いつやるか?今でしょ!」は関係ないですwwww

 

一応「はじめ」と「おわり」に「今でしょ」的なことは言っていますが、結構無理やり突っ込んでます。

 

 そういう意味では期待を裏切ってしまっているのです。

そこはさすが林修先生。

非常に良い意味で期待を裏切ってくれております。

 

 

この本は誰かと仕事をしていく上で、そして自分が人生の中で何かを成し遂げる上で、とても示唆に富み、かつ実践的な考え方を紹介してくれていますが、基本的な考え方としては次のようにまとめることができると思います。

 

「何かを成し遂げるためには、自分のこだわりや価値観、感情などから距離を取り、自分の周りにある環境を俯瞰して見つめることがまず重要。

その上で、それらの中を流れる“物事の流れ”を見極めて、自分にとってベストだと思われる結果を得られるタイミングで物事を進めなければならない。

そして、最も重要なのはそのための下準備を怠らないことである。」

 

ということではないかと。

 

林先生はこの本の中でそれを実践するための具体的な方法をたくさん紹介してくれています。

そのどれもが、この適切な距離感・・・上司や友人だけでなく、さらには自分とも一定の距離感を保ち、物事がうまく進むタイミングで、うまく進むような言い方で、うまく進むような鉄壁の布陣を敷いておくことをどんな時でも取り組んでいることが分かる方法になっています。

 

そして、面白いのが、その方法をしっかりと身につけるために

 

とにかく数多く負けろ

 

と言っています。

 

テレビで活躍する林先生の姿と彼の経歴を見ると、その頭脳を生かしてうまいこと人生を歩んできたように見えます。

ですが、実は昔いじめられっ子だったり、銀行員になったもののすぐ辞職して事業を立ち上げたものの失敗して借金を背負ったり・・・はては生来のギャンブル好きのために、それでまた借金を増やしたりと、相当負け続けて来たようです。

 

ですが、その負けを分析し、何がいけなかったのか。

どういうパターンの時に自分が負けるのか。

負けないためにはどこで自分は勝負するべきか。

 

をしっかり学び続けて来た。だからこそ今の林先生の立場があるのだというのが、この本を読むと分かります。

 

この本は目次にもとても気が配られていて、目次を読むだけで自分にとって必要な箇所がどこなのか分かりやすいようになっています。

また、本文でもとても重要なところは太字になっていて、そこだけザッと読むだけでもある程度中身が分かるようになっています。

 

とても読みやすく。集中して読めば30分〜1時間くらいで読めてしまうと思います。

でも、ちゃんと読むと案外奥深く、とても面白いないようになっています。

さすが現代文のカリスマ講師! といったところでしょうか。

 

 

という訳で、学生にしろ、ビジネスマンにしろ、「何かを成し遂げたい」「何者かになりたい」と思っている人には、その考え方を磨く上でとても示唆に富んだ本になっておりオススメです。

 

 

ただ・・・やはりこの本のタイトル「いつやるか? 今でしょ!」は狙いすぎだったかなぁとww

というか、中身の濃さから考えると逆にもったいなかったな、と。

 

確かに衆目を集めるという意味では効果があったとは思いますが、本当にこういう本を必要としている人は、私のように「そんな狙いすぎのタイトルじゃ、どうせ中身薄いんでしょ」と馬鹿にしていたのではないでしょうか。

 

しかし、今や林先生自身もそれほど「今でしょ」を言わなくなりました(まぁ、昔もテレビ側が強要していたのでしょうが)。

「今でしょ」効果が落ち着き、ちゃんと林修という一人の人間のカリスマ講師らしさというか、頭の良さなどの総合力がきちんと評価されるようになった今こそ、改めてこの本を読む価値がある。

 

そんな風に思いました。

 

という訳で、

 

「この本をいつ読むの? 今でしょ!(・∀・)」

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

祝!! ついに100日連続投稿突破!! いまさらながら「なぜブログを始めたのか」を綴る

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という訳で・・・・ついに100日連続投稿マラソンを完走することができました!!!

祝!!!

やったぜ俺!!! 

o(〃>ω<)oオメデェエェェトオォォオオォォ!!!!!

 

こんな課題を自分で自分に課しておいてなんですが、まぁ・・・疲れましたorz

ブログ続けるのってこんなに大変なんですね〜・・・。

 

なぜこんな課題を課したかといいますと、ブログを開設するに当たりいくつかのハウツー本を読んだのですが

 

「とにかくブログは続けられるかどうかが肝」

「ぐだぐだ言わずにまずは100記事書け」

「100記事超えた辺りからアクセス数が伸び始める」

 

など、「ブログは100記事書けるかどうかが山」ということを書いてらっしゃる方が多かったからです。

私もどうせ始めるなら中途半端では終わりたくなかったので、とにかく1日1記事。それを100日続けて100記事を目指そう! と決意したのでありました。

 

私のブログは内容が内容なだけにちょっと“万人向けじゃない”ところがありますので、「そんなにアクセスは伸びないだろうなぁ・・・」と思っていたのですが、少しずつ読んでくれる人も増えていき、それが励みになりました。

 

多分本当にアクセス数が伸びなければ、100記事は書けなかったと思います。

という訳で、改めて私のブログを読んでくださっている方にお礼を申し上げます。

 

いつもありがとうございます!!!

アリガト───(人´∀`*´∀`人)───♪

 

さて、実は100記事を達成したら投稿しようと思っていたことがありました。

それは

 

「私がブログを始めた理由」

 

です。

 

一言で、しかも私ごときの一般社会人が偉そうに言わせて頂くと・・・

 

日本という国の現状を何とかしたい

 

と思ったからです。

「国」というと持って回った言い方ですが、「この国暮らす普通の人々の生活」みたいな感じで思って頂ければ良いかと。 

 

これが99%の理由です。

あと1%は・・・本を読んだ後に読後レビューを書くことで自分の考えをまとめたい、という・・・まぁ「自分のため」ですね(笑)。

 

多分普通はそのような目的があるんだったら、何かの政治団体に入るとか、自民党に入るとか、どこかの政治塾に通うとか・・・他にも方法があると思うんです。

でも、私は生来群れるのが嫌いなところがありますし、そういう団体に所属してしまうと結局その団体の意志に沿ったことしかできない気がして、自分がやりたいことは何もできないのではないかと思いました。

 

それと正直なところ

 

「いわゆる一般人の自分ごときが偉そうに政治活動なんかできるのか」

「自分なんかより優秀な人が一杯いるのだから、自分ごときが何を偉そうにほざくのか」

 

という心配(不安?)もありました。

 

とは言え、「だから何もしない。自分のことだけやっていよう」と割り切れるほど、私の情熱は軽いものでもありませんでした。

 

その「日本のために何かしたいという情熱」と「自分何かできることなんか無いのではという諦観」の狭間で散々悩んだ挙げ句、大したことはできないかもしれないけど、自分がちょっと頑張ればできることを一つだけでもやってみよう!と決意してブログを始めたのです。

 

このブログのタイトル「Dive Into The World」は、そんな私の「悩んでいても始まらない。勇気を出して世界に飛び込もう!」という決意を表したつもりです。

 

そのブログがようやく当初目標の100記事を突破。

何とかここまで来た、という実感もありますが、別にこれが最終目標ではありません(笑)。

ブログを書くという習慣を身に着けられた、という感じでしょうか。

 

とは言え。 

何とかここまで来ることができましたが、この内容のレベルの投稿をずっと続けるのは正直しんどい! というのが実感(笑)。

 

私は研究職でもなければ会社経営者でもなく、ごく普通の一般社会人ですので国内、海外のニュースをリサーチするにも時間的に結構大変です。

 

元々「この国を何とかしたい」という身に余る大目標を持って始めた以上、私はこのブログを単純に日々思ったことだけを毎日綴っていくようなブログにはしたくないと思っています。

私自身もっと上のレベルを目指して勉強しながら、そこで得たことをちょっとでも周りに広げ、読んでくれている方をほんの少しでも刺激できたら・・・というつもりでいます。

 

そのためにはやはり継続的な勉強が必要ですし、日々のニュースもただチェックするだけではなく、それなりに分析が必要だと考えています。

今まではブログを始めるまでの蓄積で乗り越えて来ましたが、このままのペースで継続するのは、ちょっと現実的ではないなと考えた次第です。

 

となると、方法は大きく分けて二つ。

 

一つは内容を薄めてでも毎日継続する。

そしてもう一つは、更新頻度は下げるが、内容は今のままをキープ、あるいはそれ以上を目指す。

 

 

こんな底辺ブログではありますが、定期的に見てくださっている方もいらっしゃるので、その期待を裏切らないためにはどちらにすべきか相当悩みました。

 

で、悩んだ結果、後者の

 

更新頻度は下げるが、内容は今のままをキープ、あるいはそれ以上を目指す。

 

を選択することにしました。

 

毎日継続することが大事!とも思ったのですが、やはり私の性格的に「それなりに力を抜いて、それなりの質で投稿する」というのはどうにも難しいんですよね(^_^;)

 

「やるなら全力投球!!」

それが私です。

 

という訳で、100記事突破したのを機に今後腰を据えてしっかりとした記事を書いていくためにも、敢えて毎日投稿にこだわらないようにしました。

だらだら書いていくという意味では決してなく、「毎日投稿」に縛られて中途半端な記事を出すくらいなら、次の日にしっかりした内容で投稿する、というつもりでいます。

 

という訳で、毎日更新は難しくなるかもしれませんが、その分ちゃんとした内容でこれからもお届けして行きたいと思いますので、皆様の変わらぬご拝読をお願い致します!!(・∀・)

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

 

「マツダ車がなぜ魂を揺さぶるのか」。日本のブランドが在るべき姿を探るための要諦を説く本をレビュー。

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 ここ数年一番元気のある自動車ブランドと言えば何でしょうか?

一番売れている、ではなく、ブランドとしての価値を順調に伸ばしている会社。

その意味では私はやはり「マツダ」ではないかと思います。

地域にもよるかもしれませんが、車に乗っていて信号待ちをしていれば大体マツダ車が近くにいます。

それにあの「ソウルレッド」と呼ばれる特徴的な赤い車は、誰しもが記憶に残り、「あ、マツダだ」とひと目で分かるインパクトがあるのではないでしょうか。

 

かく言う私も、今マツダCX-3という車に乗っています。

実はその前も同じくマツダCX-5

そして、その前もまたマツダDEMIO

 

という感じで、ここ10数年の間私はずっとマツダ車に乗り続けています。

 

ですが、別に昔からマツダファンだった訳ではありません。

むしろ「車は所詮道具なんだから壊れなければ何でも良い」くらいの感じで選んでいました。

 

そんな私がひょんな事から人生で初めて“新車で”DEMIOを買い、その後もずっとマツダに乗り続けています。

 

それはマツダの車・・・特にCX-5に乗ったときに「走る楽しさ」を感じ、マツダのクルマづくりに惚れてしまったからです。

CX-5が発売される少し前くらいから、マツダは(多分聞いたことは皆さんあるのではないかと思うのですが)あの「魂動(こどう)」プロジェクトをスタートさせました。

それは「車で走ることにワクワクやドキドキをもたらす。そんな車作りをする。」というプロジェクトで、私は正にそれにどストライクでハマってしまった、という訳です。

 

そんな「魂動プロジェクト」を手がけたのが、マツダのデザイン本部長としてプロジェクトの立ち上げ、推進を行った前田育男氏。

今回の投稿では、その前田氏がマツダがなぜ今のような地位を築けたのかを語る著作

 

「デザインが日本を変える」

 

の読書レビューをお届けします。

 

 

この本の目次を見ると、内容が組織論、ブランド論、言葉論というような章立てになっています。

ですので、つい組織のリーダーやブランドを牽引するような立場の人に向けて書かれているように考えられそうな気がしますが、案外そうでもありません。

確かにそのような人には、より実践的な内容として前田氏の言葉が受け止められるかもしれません。

 

ですが、多分これは「何かしら人と協力して物事を進めたい人」であれば、誰にでもお勧めできる本ではないかと私は思います。

 

と言うのが、この本で前田氏が述べている色々な持論は、すべて

 

「誰かと一緒にチームで仕事を行う上で大事なことは何か?」

 

に集約されているからです。

 

その事をプロジェクトリーダーならどうやるべきか、組織としてはどうやるべきか、そしてそのためにブランドとはどうあるべきかという様々な切り口から述べている本だと言えると思います。

 

そして、色々な「誰かと一緒にチームで仕事を行う上で大事なこと」とは、(私なりの解釈ですが)

 

自分が理想とするイメージを「カタチ」と「言葉」により表現し、それをただの情報ではなく、自分の情熱と共に仲間と共有すること

 

です。

 

それを会社組織に当てはめれば、社内で共有されやすい状況、共有された上でみんなが一丸となって取り組めるような環境を作り出すための組織論になり、

それを対ユーザーに当てはめれば、会社が目指すイメージを伝えるにはどのような方法が考えられるかというブランド論になる。

 

ぶっちゃけて言うと、この本の肝はその一点です。

もちろん、そのイメージを作り出すためには外から借りてきたようなマーケティング理論ではなく、自分たちの歴史や社員一人ひとりのあり方を見つめ、「自分たちとはそもそも何者なのか?」という根源的問題を突き詰めなくてはならない、とかそういう具体的な方針も書いてあります。

 

それはそれで参考になります。

ですが、やはりそれは方法論の話であり、肝はやはり上記の1点に絞られると言って良いかと。

 

特に私は前田氏の言う「イメージを“カタチ”と“言葉”にする。この両輪が絶対必要。」というのは、正に至言だと思います。仰る通り!

 

会社やチームというのはいろんな価値観や判断基準や経験を持った人たちの集まりです。

もちろんそれを「できるだけ同質の人を集める」という方法で、最初から方向性を揃えるということは可能でしょう。しかし、それではやはり全ての結論が予定調和にしかなりませんし、「意外なプラン」というモノは出にくい状況を生み出します。

 

どうせチームでやるのなら、一人では出せないような意外なプランが出せた方が面白いし、チームでやる意味がある。

 

でも、いろんな人が集まると、みんなが描くイメージや方向性は少しずつズレて行きます。打開策やアプローチは異なっている方が面白いですが、やはり方向性や終着駅はある程度揃っていないと、そもそもプロジェクトを進めること自体が困難になります。

 

その時に重要になるのが、この前田氏が言う「イメージを“カタチ”と“言葉”にする。」ということだと思います。

ちゃんと具体的にイメージが落とし込まれた「目に見える絵やカタチ」、そしてその絵やカタチがどのような意味を持つのか解釈するための「言葉」。

これら両輪が揃うことでチームは初めて同じ方向を向いて仕事をすることができる。

 

 

絵やカタチだけでは人によって何とでも解釈できるし、逆に言葉だけでは「同じ単語」でも人によってポジティブな意味だったりネガティブな意味だったりするのでイメージは共有できない。

 

やはりチームで仕事をするには、この両輪が揃ってないと駄目だというのは、誰かと一緒に仕事をしたことがある人であれば、「我が意を得たり」とストンと心に落ちてくるのではないでしょうか。

 

そういう意味において、この本は

 

「誰かと一緒にチームで仕事を行う上で大事なことは何か?」

 

を机上の空論ではなく前田氏自身の経験から導き出した、独自の・・・しかし非常に汎用性の高い方法論として落とし込まれたものになっているのではないかと思います。

 

 

 

うーん・・・マツダ車に乗っているからって持ち上げすぎですかね(笑)。

でも、やはり私も日本のブランドにはもっと元気を出して欲しいですし、ブランドとしてのプライドをもっと真剣に考えるべきだと思います(私も日本のブランドの一角を担っている身ですので)。

 

その意味でもこういった「ブランドが自分たちの夢や理想、目指しているものを語る」というコンテンツが注目されることはとても良いことだと思います。

マツダだけでなく、そういった日本のブランドを応援するという意味でも、微力ながら応援できないかとので、少しでもそのような気持ちを持っていらっしゃる方には、是非立ち読みではなく、購入して頂けるとありがたいです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

「実質GDPが成長!」を鵜呑みにするな。そもそも実質GDPとは計測できないのだ。

先日8月10日に4〜6月期の国民所得統計速報が発表され、実質GDP年率1.9%成長!というようなニュースが流れています。

 

 

ここで私が皆さんに知っておいて貰いたいことはただ一つ。

それは

 

実質GDPは計測できないという事実

 

です。

 

そのように言うと多くの人がこう思われるでしょう。

 

「は??? じゃあ、ニュースで言ってる実質GDPとは何なんだ?デタラメなのか?」

 

と。

 

もちろんデタラメではありません。

実質GDPとは

 

計測可能な"名目GDP(付加価値の金額の総計)"から、これまた計測可能なGDPデフレータの影響を排除することで"計算"した数値

GDPデフレータとは名目GDPから物価の影響を取り除くための数値

 

です。

 

そう、実質GDPとは計測ではなく計算結果なのです。

 

「計測」と「計算」という似たような表現ですが、内容が全然違います。

計測であれば数値を意図的に不正にいじらない限り現実を反映したものになります。

しかし、計算の場合、そもそもどのような計算式を採用するか?という根幹の部分に価値判断が入ってしまうので、場合によってはその結果を意図的に捻じ曲げることができるのです。

より分かりやすく言えば、

 

「自分の都合が良い結果を引っ張り出すために、自分に都合が良い結果を導き出せるような計算式を使うことが可能」

 

ということです。

 

例えば以前にはこんなことがありました。

 

今回同様、去年末に発表された国民所得統計速報10〜12月期では「実質GDPが年率0.5%成長」と報じられました。

 

が、しかし、その中身を見ると「名目GDPが0.0%」「GDPデフレータが−0.1%」。

つまり名目GDPは増えていないのだけど、物価水準が下がったため結果敵に「実質GDPはプラス成長」しただけ。

実質GDPがプラス!と言えば聞こえは良いのですが、単純に物価が下がっただけ、つまりデフレが深刻になっただけじゃん、という話なのです。

 

でも、残念ながら普通の国民はそこまで詳しく経済報告を吟味しません。

当たり前です。みんな普段の生活で忙しいんですから。

従って、メディアが「実質GDPがプラス成長!」と見出しで書いてしまえば、ほとんどの国民は「(自分は実感ないけど)国としては成長してるんだな。」と思ってしまうわけです。

 

 

ちなみに、今回の速報を読むと、実際に計測から見いだせる4〜6月の名目GDPは前期比・・・つまり1〜3月期に比べ0.4%アップとなっていて、プラスの傾向が強いような印象になっています(まぁ、所詮0.4%ですけどね・・・)

 

しかし、総務省が発表する家計調査報告では2014年4月の消費税増税後、ほとんどの月で家計の消費支出は前年の水準を下回っています。

最近では2月から6月まで5カ月連続で前年同月比マイナスです。4~6月期の平均では前年同期比、実質2・6%の減少です。

日本のGDPの6割を締めるのが個人消費がこの様では、実際には景気回復なんて程遠いでしょう。

 

 

 

本来、このような内閣府による大本営発表をメディアがしっかりと検証し、国民に伝えなければならないはずです。

それこそがメディアに求められる役割であるはずです。

 

しかし、残念なことに実際にはメディアにその力はなく、ただの政府広報機関と化しているのが実情です。

 

では、私達国民はどうすれば良いのか?

 

このような情報の表側に騙されないよう、一人ひとりが勉強するしかありません。

面倒臭い・・・面倒臭いですよね・・・。

ただでさえ仕事で忙しいのに、そんな暇あるか!という方もいらっしゃるでしょう。

 

しかし、残念ながらそれこそが民主主義なのですから仕方ありません。

私達一人ひとりが正しい知識を仕入れ、分析をし、判断をする。

そして、それを票に反映させる。

 

遠回りのようですが、国民一人ひとりのそういった努力こそが民主主義を成り立たせていくのです。

 

そのためにこのブログでは少しでも有益な情報と、みなさんが考えるきっかけになるような事を微力ながら発信して行きたいと思います。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

やり甲斐を感じられる仕事は素晴らしい。だからこそやり甲斐を搾取されないよう線引きをせよ。

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突然ですが最近皆さんCDを買ってますか?

私は音楽業界に身を置きながら、ここ数年めっきりCDを買う機会が減ってしまいました・・・(-_-;)

いや、駄目なんでしょうけどいろいろな事情がありましてなかなかね・・・。

 

そんな音楽業界への貢献度の低い私ですが、今日は久しぶりにCDショップを訪れました。お伺いしたのはTower Recordです!

 

やっぱりCDショップと言えばタワレコですよ!

初めて訪れた時のあのCDの量と豊富な種類には本当に驚き、感動したのを今でも覚えています。しかも店員もコアな人が多く、いろんな情報にあふれていますからね。

 

という訳で、いざタワレコへGO!!・・・・したのですが・・・。

 

ちょっと驚きました。

全然CDが無い・・・棚がすっからかんやがな・・・。

入り口はディズニーのDVDとゲーム&アニメのCDやDVDで敷き詰められ、いわゆる音楽コーナーの棚はすっからかん。

 

CDが売れなくなっているのはもちろん知っていますが、タワレコがこの有様とは。

 

しかし、驚いたことに少ないCDを紹介するポップはすごい凝りよう。

また、関東や関西のライブハウスで配られているフライヤーを集めたクリアファイルを取り揃え、各地域のアマチュア/インディーズ音楽の事情まで詳しい情報を掲載。

 

さらに、スタッフの中に凄まじいSMAPファンがいるらしく、全CDの陳列はもちろんレアなSMAPグッズや数十冊に及ぶファンの交流ノートまで・・・。

 

正直、“引くレベル”のコアな音楽好きスタッフが揃っていると思いました。

褒め言葉として「コイツらアホやろww」という。

 

しかしながら。

音楽業界に身を置く者として嬉しい限りではありましたが、ちょっと恐ろしくもなりました。

 

というのは、あのCDのラインナップや棚の空き具合、そしてお客の少なさから考えて、あのスタッフの労力は絶対に金銭的にペイできておりません。

費用対効果を全く度外視した情報の詰め込み具合なのです。

確実に「スタッフのやり甲斐」に依存した店舗展開になっているのです。

 

スタッフ達はそれを辛いとは思っていないかもしれません。

むしろやり甲斐を感じ活き活きしているのかもしれません。

 

ただ、それを前提とした店舗展開というのはどうなのでしょうか?

スタッフも若いうちは良いかもしれませんが、彼らの将来を考えた時にそのような「やり甲斐依存型」の形態というのは、果たして経営的に正しいのでしょうか?

 

やり甲斐を感じられる仕事に就けるということはとても幸運なことです。それが自分が前から好きだったことであれば尚更のこと。

 

しかし、そういった場合にこそ

 

① 会社から職責として与えられた自分がやるべき職務

 

 

② 会社やお客さんのためにやるべきだと“自分が思う”職務

 

は明確に分けておく必要があるのではないかと思います。

 

やり甲斐を感じられない場合には、これら2つは自然と分かれて冷静な判断ができます。だって、“基本やりたくない”のですから。

しかし、やり甲斐を感じられる時、さらにそれが好きだった場合には、その区分けが曖昧になりがちです。だって、“好き”なんですから、労力を厭わないのです。

 

ある程度までは「やり甲斐を感じられる」という心理的なパワーで、その職務を乗り越えることは可能です。特に物事が上手く進み、結果も得られる場合は達成感も感じられ、乗り越えることが楽しくなっていきます。

 

ただ、それが上手く行かなくなった時にはどうなるか?

 

やり甲斐を感じて仕事をしている人の方が「上手く行かないのは自分の責任」だと考えがてしまうのです。“やり甲斐パワー”で何とかしてきたからこそ、そういう上手くいかない時もまたその原因を自分の精神力に求めてしまう。

 

先程も書いたようにやり甲斐を感じられる仕事に就けることは素晴らしいことです。

世の中には特にやり甲斐も感じられないのに、生活するためにその仕事をこなさなければならない人も沢山います。

 

ですが、だからこそ先ほど書いた「職責としてやらなければならない仕事」と「(会社やお客さんのために)やるべきだと“自分が思う”仕事」はしっかり分けるべきです。

そうでなければ、その“好き”だという強い気持ちこそが自らを追い詰めることになりかねません。

 

今回私が見たTower Recordのスタッフの陳列や音楽に対する愛情、そしてそれをお客さんに伝えたいという情熱は素晴らしかったと思います。

単なる「職務」でしかなければ、これだけのことはできません。

 

だからこそ、その線引きがしっかりできているのか、単なるやり甲斐の搾取になっていないのか、その心配をせずにいられませんでした。

彼らの音楽を愛する心が正当な形で報われることを祈ります(ー人ー)

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆 

「やる気スイッチ」は入れれば良いものではない。やる気至上主義から距離を置け。

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ここは本当に日本か? と疑うほど暑い日が続いていますが、皆さん元気に過ごしてますか?

暑さには強い方だと思っている私ですが、さすがに今年の異常な暑さには心が折れそうです・・・(TдT)

 

さて、そんな暑い時期と言えば、世間では「甲子園」のようですね。

ちょうど甲子園シーズン真っ只中で、TVでもよく取り上げられれます。

そのニュースを見て知ったのですが、今年はさすがに暑すぎるようで水分補給を積極的に行うように、アナウンスが入ったりしているんですね~。

私のような世代にとっては驚きです。

 

私が中学生、高校生の時は練習や試合中に水を飲もうものなら、「やる気がない!!」「気合が足りん!!」と怒鳴られていたものですよ。

もちろん適切な水分をとって休憩も入れるというのはとても良いことです。

むしろ私達の世代の「やる気があれば何でもできる!」的思考の方が間違っていたのです。異常だったのです! 

だから私は昔から体育教師が嫌いだったのです!! (笑) (・∀・)

 

しかしながら、この「やる気至上主義」とでも言いますか、「やる気はあればあるほど良いことだ」という考え方自体は、今でもなお強く信奉されているように思います。

 

そんな「やる気至上主義」に冷水を浴びせるこんな言葉をご存じでしょうか?

それがこれ。 

 

「やる気がある奴は去れ!

 

実はこれタモさんこと(?)タモリさんが発した名言の一つ。

 

普通なら「やる気が“ない”奴は去れ」だと思いますが、これを「やる気が“ある”奴は去れ」と言ってのける所が、タモリさんらしさ感じます。

 

タモリさんはこれについて「だって、やる気がある奴って暑苦しいんだよ(笑)」とか言ってネタにしているようですが、真意は

 

「やる気がある奴っていうのは真ん中しか見えていない。周りが見えていないんだ。それじゃ笑いは作れないんだよ。」

 

というタモリさんならでは「笑い」という芸に対するこだわりだったようです。

でも、それをそのまま直球で言わずに、このような言葉で表現するセンスがさすがですね・・・。

 

でも、これって「笑い」という分野に限った話ではないと思うんです。

「やる気がある奴っていうのは真ん中しか見えていない。」というのは至言で、熱中して真剣に取り組めば取り組むほど、その対象と自分の熱意に囚われ過ぎて周りが見えなくなる傾向が強くなります。

 

よく恋愛ドラマとかであるような「なんでこんなに好きなのに分かってくれないんだ!」っていうやつですね。

好きになること、好きになっている自分の熱意に囚われすぎて相手が全く見えなくなっている。

 

仕事でも同じだと思いますが、やる気があるというのはそれだけで評価をされがちです。

 

しかし、何事も「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」。

必要以上の熱意を以って取り組むことが本当にその仕事を遂行する上で良いことになっているのか。

むしろ冷静な判断を失うことで悪い結果を生み出したり、周りに迷惑を掛けているということもあり得るんじゃないか。

しかも、その場合、周り人達もその人の熱意を知っているからこそ止められない。止めるのも悪いしなぁ・・・というストレスを抱え、それがチーム全体の歯車を少しずつ狂わせる。

 

誰も悪くない。

みんな一所懸命やってる。

でも、だからこそ上手くいかない。

社会に出れば誰しもが経験したことがあるのではないでしょうか。

 

このタモリさんの言葉は、熱意が生み出すそんなジレンマを一言でズバリ言い当てている名言だと思います。

  

日本ではとにかく「やる気」を重視する傾向が強いです。

もちろん、やる気があること自体は何も悪いことではありません。逆に本当にやる気がなくてイヤイヤ取り組んで結果が出せないのは論外です。

 

ただ、

 

「やる気を見せる」

「やる気があれば乗り越えられる」

 

とか、過度にやる気に依存した取り組み方は本人だけでなく、周りにとっても良くない結果を生むことがあるのではないでしょうか。

 

「やる気の熱にとらわれることなく、適切な温度感で“ゆる〜く”やる気を発揮する」

 

それくらいの距離感でやる気を発揮することが、実は自分や周りの人も一番良いパフォーマンスを発揮する秘訣なのかもしれませんね。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

接客やサービスは“おもてなし“の本質ではない。もてなしとは「何をもって、何を成すのか」?

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昨日の投稿で

 

「今の日本は成長戦略という美辞麗句によって過去の遺産を切り売りしているだけではないか? そしてその切り売りする行為を“おもてなし”という言葉で誤魔化しているのではないか? 」

 

という話を書きました。

 

 

 

 

 

実はその時にもう一つ書きたかった話があるのですが、論点がゴチャゴチャになるので端折ってしまったことがあります。

そこで今日はその「昨日端折ってしまった話」を書いてみようかと。

 

どういう話かと言いますと、

 

そもそも現代のような“おもてなし”という言葉の使い方は間違っているんじゃないのか?

 

という話です。

 

これは「語源と違うのでは?」という意味もあるのですが、それだけではなくその言葉の根幹にある日本独自の価値観に根ざした意味とかけ離れてしまっているのでは?という意味です。

 

私は仕事で文字を書くこともやっていますが、言語学の専門家ではありません。

ですので、ここで書くことは多分に私の独自解釈でしかありません。

学術的な裏付けは何もありません <( ̄^ ̄)>

ですが、読んで頂ければきっと日本的な価値観の奥深さをもう一度考え直すきっかけにはなるのではないかと思いますので、生暖かい目で楽しんで頂ければ幸いですm(_ _)m

 

 

さて。

「語源としての意味を考えるのではない」と言いつつも、やはり語源は気になるもので(笑)。

 

ネットで調べると

 

「“裏表がない”の形が変わって“おもてなし”になった」

「モノを以って成し遂げる、の意味」

 

という解釈がよく出てきます。

 

「裏表なし」説はまぁ日本語の移り変わりという話ではよくありがちですが、それだったらむしろ「うらなし」になるのが普通な気がします。

おもてなし、だと、みんな裏ばっかりになって逆の意味ですからね。

 

次の「モノを以って成し遂げる」という説が多いように思いますが、私はこれはかなり違和感を覚えます。

そしてその違和感が私なりの「おもてなし」の本来の意味の解釈に繋がります。

 

「モノを以って成し遂げる」と言う場合、まず何を成し遂げるのでしょうか?

みなさんの説では「相手を喜ばせることを成し遂げる」というように書かれているようですが、本当でしょうか?

 

私はこの解釈はかなり西洋的な解釈のように思えてなりません。

西洋のような「自分」と「それ以外の人」が明確に分かれている世界観です。

 

その世界観は言語の一人称に如実に表れており、例えば英語では「私」はいつの時代でもどのようなシチュエーションでも「I」。

面と向かっている相手はいつの時代でも「You」です。

これは変わりません。

 

しかし、日本語では一人称は相手との関係性で変化します。

「私は〜」「俺は〜」「お父さんはね〜」とか、時代が変われば「拙者」とか「わらわ」とか、方言によっても違いますしね。

 

これは日本人が「確固たる自分」の前に社会との関係性で自分のことを認識していることの表れです。それは「相手に合わせる」というような話ではなく、「相手があり、周りの環境があり、それら全てが自分を形作っている」という全体の調和の中で自分という存在が規定されているという考え方です。

 

 そのような日本人にとって「モノによって相手を喜ばせるというミッションを成し遂げる」というような相手と自分が明確に分かれた価値観の言葉が生まれてくるとはとても思えないのです。

むしろ、自分が世界の一部であるように、相手もまたこの世界の一部であり、ともにこの世界の調和をなす存在という意味で全体の一部である。

その全体の調和を成すためにそれぞれが何をなすべきか? 

それを行動の規範に据えて状況に合わせた柔軟な対応をすること。それこそが日本的な美学ではないかと思います。

※この場合の調和とは「誰かと揉め事を起こさない」とか「事なかれ主義」とは全然違います。

この自然災害の総合デパートのような国土で生きる人として、自分の命だけでなく、社会全体が末永く続いていくために、利己主義的な狭い価値観にとらわれず、過去と未来を繋ぐ結節点として自分の存在を捉え判断するということです。

 

そのように考えると“もてなし”の「以って成す」とは、

 

「“自分という存在を以って、全体の調和を成す”ために、いかに行動すべきかを考える」

 

ということではないかと思うのです。

その方が今自分が生きている日本と、様々な古典や歴史的遺産から感じる日本に通じる日本らしさにぴったり来る気がするのです。

なんか抽象的な表現ですみません。

 

 

ですから、真心を込めて接するとか、相手を喜ばせるために期待を超えるようなサービスを提供するとか、そんなことはあくまで枝葉末節の話であり、上記のような意味での「もてなし」の本質にとっては単なる表層にしか過ぎないように思います。

 

そのように考えた時、現在の日本が成長戦略と銘打って行っている

 

・テーマパーク的な分かりやすい外観的な魅力

・交通やWi-Fiスポットなどの便利さ、快適さ

 

などは、本当の意味での日本のもてなしになっているのでしょうか。

 

それは「全体の調和をなす」ためのものではなく、やはり「どうでしょ? 日本凄いでしょ? Japan is cool でしょ? 喜んでくれるでしょ?」という“これだけしてるんだから喜んでるはずだ”という押し売りによって、外国人観光客の心情も含めた全体の調和を乱すものではないでしょうか?

 

もし相手が「日本人の実際の生活に宿った文化を感じたい」と思っているのであれば(多分欧米の方はそういう方が多いと思いますが)、むしろ「英語は通じない環境の方が良い!」という解釈もあり得るのです。

 

どんなに立派な箱や建物を作っても、多言語の取説や、洒落たキャッチコピーを考えても、それに見合った中身がなければ、ただの「きれいなパッケージ」に過ぎません。

それを作り上げることが“おもてなし”だと考えているのだとしたら、自分達の文化の真髄すら分かっていない人間が、自分たちの文化は凄い!と語るという何とも滑稽な姿ではないでしょうか?

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆