世界を救う読書

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ブログ更新が月イチになった理由。文字を書くことへの恐れと超克。

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皆さん、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

 

はい。という訳で2021年が終わり、2022年を迎えました。

本当に「やっと2022年になった」というのが私の率直な気持ちです。

個人的な話で恐縮ですが、2021年は本当に辛い一年でした。45歳を超えたので”みんなそんなもんだよ”と言われるかもしれませんが、初頭から年末までずっと体調を崩しがち。体調不良に弄ばれ、仕事も想定外のことが連発。まさに「忍びに忍んだ一年だった」というのが正直なところです。

そのせいにしてはいけないかもしれませんが、ブログの更新も滞りまくり・・・。週イチが2週間に一度になり、秋頃からは何とか月イチ更新は死守したという感じです。

こんなブログでも更新すれば見てくださる方々がいらっしゃるので、その期待(??)に応えたいと何とか頑張りました。私のブログはとにかく長文ばかりなので(笑)、見て頂ける方には本当に感謝しています。ありがたい限りです。

 

さて、そんな大変な2021年でしたが・・・不思議なもので、2021年12月31日に”ゆく年くる年”を見て2022年になった瞬間、何だか憑き物が落ちたような気分になり、少し前向きに物事を考えられるようになりました。

そこでちょっと昨年の反省と今年の抱負みたいなものを語ってみようかと思います。

 

ブログ更新が滞った理由

先程も書いたように2021年はとにかくブログ更新が滞りました。

最大の理由は体調不良によるものですが、もう一つは心理的なものです。

一言で言えば「ブログを書くことが恐くなったから」です。

「大人気ブロガーでもあるまいし、お前程度のブログで何を・・・」と嘲笑されるかもしれませんが(笑)。

恐くなったと言っても批判を受けることが恐いという意味ではありません。”文字”というものの力に恐れを抱くようになったのです。

私のブログを御覧になったことがある方はご存知かと思いますが、このブログでは私が読んだ本の書評、紹介をメインコンテンツにしています。

世の中には様々な本がありますが、その中には人の人生を変えたり、下手をすれば世界そのものを変えてしまうような力を持った本が存在します。私自身にそんな本を書くような力はないけれども、そのような圧倒的な力を持った、”誰かにとって意味のある本”を一人でも多くの人に紹介できたら少しでも社会に貢献できるのかなと思っているからです。

そういう思いもあって、私が紹介する本はかなり”骨太な内容”の物が多いです。忙しいビジネスマンとかだと迂闊に手が出せないような学術書に近い本も取り扱っています。

ブログを始めた頃は「とにかく皆に紹介したい」という気持ちだけでやっていましたが、何冊も紹介しているうちに、そのような骨太の本を私ごときがレビューすることに恐れを感じるようになってきたのです。それはレビュー記事を書くために深く読み込むほどに強くなってきました。私ごときでは太刀打ちできないような深謀遠慮の下、一言一句が丁寧に書かれていることが肌身で感じられるようになり、恐れ多い気持ちになることがとても増えたのです。

 

本当に「お前のブログごときがなんぼのもんじゃい(笑)」という感じなのですが、本の著者に対する敬意と、私の記事を読んでくださる皆さんへの責任感みたいなものが、私の中で積み重なっていき、ますます書きづらくなる・・・。2021年は本当にそんな混沌とした思いに駆られた一年でした。

それでも書きたい。

恐らくここまで読んでくださった方の中には「だったら止めれば良いじゃん」と思う方もいらっしゃるでしょう。全くそのとおりです。ブログなんて誰かに強制されてやるものでもないし、始めるのも終えるのも自分の意思ひとつです。

・・・でも、「書きたい」んですよ。こんなちっぽけなブログでも「嫌になったから止めた」だと絶対に後悔すると思う。少なくとも自分の中で後から「あの時やめたことは正解だった」と納得できる形にはしておかないといけない。そんな風に思いながら、「でもしんどいなー」「でも書きたいな」とかグダグダ悩んでいました。

 

そんなこんなで悶々としている昨年末、ある本に出会いました。

それが浜崎洋介著「小林秀雄の『人生』論」です。

今回の記事はレビューが目的ではありませんので、内容の紹介は割愛します。

ここでは私がこの本との出会いを運命的だと感じた理由だけ少しお話したいと思います。

 

小林秀雄とは”批評の神様”と呼ばれた、昭和の伝説的な文芸評論家です。本書はこの小林秀雄の人生観を浜崎洋介という現代の文芸評論家が探った本です。ややこしいですね。すみません。

ざっくり言いますと

「批評とは”(その対象となる)何か”を論じることではない。その”何か”を通じて『自分の内にある世界』と『自分の外にある世界』がどのように関係しているのかを論じることである。だからこそ批評することとは、必然的に自分自身を見つめることに他ならない。」

というようなことを述べた上で、その”批評する対象”をどう選び、どのように批評するかは畢竟 (ひっきょう) 自分の”直観”に依るしかないのだと言っています。

 

この”直感”が、いわゆるパッと思いつく”直感”ではないところがポイントなのですが、単なる思いつきではなく自分の存在そのものがどうしようもなく引き付けられるような感覚のことです。小林秀雄はそれを『宿命』と呼び、本書の著者である浜崎洋介は『惚れる』ことだと言っています。

これを読んだ時に私は「まさにその通りだ」と”直観”しました。

体調不良で苦しみ、文字を書くことに恐れを抱くようになりながらも、「でも、やっぱり書きたい」というどうしようもない思い。これは私にとっては「文字という存在に関わる宿命」であり、「文字を書くという力に惚れたしまった宿命」と言っても良いのではないかと思ったのです。

 

私ごときの力で、世界を変えるような”力”を持つような大著を書評しようなんて片腹痛いかもしれない。そんな努力は誰の目にも届かないかもしれない。

でも、だからと言って書くことを止めてしまったら、自分の宿命から逃げてしまうことになる。力及ばずとも「文字の力」という自分が惚れたものには全力で取り組むべきだはないか。

そんな風に思えてきたのです。

 

2022年になったからと言って、突然毎日更新するようにはできないと思います。

やっぱり月イチ更新が精一杯かもしれません。

でも「書きたい」という思いがある限り、自分のその気持ちを大事に書き続けるよう努力したい。

その先にきっと何かを見つけることができる

そう信じて今年も頑張って行きたいと思います。

 

 

という訳で、今年もぼちぼち更新して参りますので引き続きご愛顧頂けましたら幸いです。

本年も宜しくお願い申し上げますm(_ _)m

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