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「保護主義 vs 自由主義」という善悪二元論が既に思考停止の状態である

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アメリカにトランプ政権が樹立されて以来、どこのメディアでも

 

保護主義から自由主義を守らなければならない」

保護主義との戦い」

自国第一主義を許すな」

 

などと保護主義自由主義、あるいは保護貿易自由貿易の対立を煽る論調が席巻しています。

そして、その内容はもちろん「自由主義 = 善」「保護主義 = 悪」というお決まりのに軸対立です。

 

しかし、このような「Yes or No」「A or B」という2つの選択肢のどちらかを選ばせるというのは、「他の選択肢がある」という思考を停止させ、自分に都合の良い結論を引き出そうとする時の常套句なのです。

 

実は、そもそも保護主義か、自由主義かというのはどちらが正しいとか、あるいは対立する概念だとか、そういうものではないのです。

これらは経世済民、つまり「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という本来の意味での国民経済における、方策というか戦略の違いでしかありません。

 

どちらの方が自国にとって有利な立場を築けるのか?

どちらが国力を高め、国民を救うためになるのか?

 

国際状況や国内状況を鑑みながら、その目的を果たすためにどちらが好ましいかを判断がまず先にあり、それに沿った政策として保護主義的な方策と自由主義的な方策、どちらが良いのかを戦略的に判断するのが正しいあり方です。

 

自由主義は自由だから正しい。保護主義は自由を制限するものだから間違っている。」

 

それはただのイデオロギーに過ぎません。

例えば

 

・自由だけどトマス・ホッブズがその著書「リヴァイアサン」で述べたような「万人の万人に対する闘争」という自然状態での闘争が繰り広げられるような混乱した世界

 

・「多少の制限はあるけど、個人生活のレベルで自由が保証されている」。国家権力や国際社会によって秩序立てられた状態で世界

 

 どちらが良いでしょうか?

 

身の危険を感じ、日々の生活が安心して送れないような状態であったとしても“自由というだけで素晴らしい”・・・そこまで自由に命を懸けられますか?

 

そこまでアナーキーな方ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、そこまで極端な自由至上主義の方はまずいないと思います。

ほとんどの人は、自由をある程度制限することによって実現される秩序だった世界を望みます。

 

であれば、やはり「自由」そのものに価値があるのではなく、あくまでそれによって実現される社会の有り様が目的であり、そのためにどの程度のバランスで自由と制限を実現するか? を考えるのが、真っ当な考えではないでしょうか。

 

 

例えば、WTO(世界貿易機関)という組織をご存知でしょうか?

世界の「自由貿易」を推進するための機関ですが、これが発足する1995年までは「GATT(貿易と関税に関する一般協定)」という協定が世界貿易の核を担っていました。

 

このGATTWTOと決定に違うのは、自由貿易の対象が工業に限定されており、農業関税、サービスや資本移動の自由化には一定の制限が掛けられていたことです。

またGATT には、自由化の例外規定や緊急避難的な措置(セーフガード)が数多く設けられており、各国政府は貿易自由化による国内の急激な変化を避けることが可能でした。

 

日本が戦後から高度成長期の繁栄を享受できたのは、このGATTでの秩序立てられた自由貿易の最中でした。

もちろん、それは日本に限った話ではなくいわゆる欧米の西側諸国でも同じことです。

 

ところがWTOの発足以来、その土台が崩れ始めます。

GATTでは制限されていた農業やサービス産業も自由貿易の交渉の対象となりました。

それに加え、国内制度の各国間の文化に基づく違いも「非関税障壁」という名の下に“排除すべき対象”として交渉のテーブルに載せられ、各国の金融、投資、衛生、政府調達、知的財産権といった国内制度の画一化が進めました。


その結果何が起こったか。

グローバリズムという制度の画一化が浸透し、国内制度をそれぞれの国が自律的に決めることができなくなりました。

これによって、一部のグローバル企業や富裕層はますます富を得ることができるようになった一方、大多数の労働者は不利益を強いられました。

さらに、金融市場は不安定化して危機を頻発させるようになり、格差は拡大し、国民生活が脅かされるようになったのは周知の事実です。

 

トマス・ホッブズのいう“自然状態”という自由競争がより先鋭化したことで、従来の秩序だった自由の中で得ていた国民の生活が著しく脅かされたのです。

 

その事実を考えてもなお「保護主義 = 悪」「自由主義 = 善」という善悪二元論が正しいと思うでしょうか?

今回私は通常考えられているのとは逆の、保護主義の良い点、自由主義の悪い点を書きましたが、それはある意味「敢えてのカウンターパンチ」です。

別にだからと言って「いつどんな時も保護主義が正しい」などというつもりはありません。

逆に保護主義によって、国民が不利益を被る場合もあるでしょう。

 

私が言いたいのはあくまで

 

保護主義自由主義かは戦略に応じて使い分けるべきであり、そこに善悪という価値判断を持ち込むべきではない

 

ということです。

 

もっとぶっちゃけて言えば、

 

保護主義だろうが、自由主義だろうが、経世済民が達成されるのであればどっちでも良い

 

ということです。

 

保護主義 vs 自由主義」という誤った対立軸で答えを出そうとすると、本来最も重要である「国家が果たすべき役割」自体を見失ってしまう可能性があるのです。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

 

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