Facebookのザッカーバーグが驚きの発言。GAFA時代の転換点か。
日本中が新元号発表で大騒ぎとなる中、超巨大IT企業GAFAの一角であるFacebookについて、気になるニュースが入ってきました。
記事によりますと
米フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は1日までに、インターネット上のルールを確立するために、規制当局に対して、「より積極的な役割」を果たすよう呼び掛けた。
そうです。
Facebookと言えば世界で20億人以上が活用するSNSの最大手。 そのCEOであるザッカーバーグと言えば、大学生時代に開発したFacebookによって一気にIT業界のトップクラスに上り詰めた、天才として有名です。世界で10人に
そして、SNSとはインターネットという仮想空間によって、世界中の人々をつなぎ、国境、言語、人種といった“現実の壁”を取り払い、新たな平和な世界を切り開くツールとして注目・・・いえ、世界を席巻している”社会システム”と言っても過言ではないほどのアプリケーションです。
そのSNSの顔とも言えるザッカーバーグが
「有害なコンテンツ」
「選挙の公平性」
「プライバシー」
「データの移植性」
という4つの要素において、
「政府や規制当局がより積極的な役割を果たさなくてはならないと確信している」
とインターネットという仮想空間における国家の役割強化を主張した。これは何を意味するのでしょうか?
Facebookを襲う逆風
Facebookはその圧倒的なユーザー数の伸びを武器にした広告収入によって、莫大な利益を得て来ました。もちろんその広告収入の裏付けとなるのは、Facebookによって集められる膨大な個人情報です。
この個人情報の取扱を巡り、ここ数年Facebookには確実に逆風が吹き始めています。
その逆風の一つがザッカーバーグ自身が「国家規制の強化」を提言している、「選挙の公平性」です。
実際、イギリスのEU離脱を決める国民投票やトランプ大統領が決まった時の大統領選などにおいて、Facebookが集めて販売した個人情報を、選挙活動と関連するマーケティング会社が活用。それが選挙活動に影響を及ぼしたという疑惑は、広く知られているところです。
また去年には8700万人に及ぶFacebookユーザーの個人情報が流出する事案も発生
そのような事件を受け、ザッカーバーグはアメリカ公聴会での審問を余儀なくされました。EUではGDPR(一般データ保護規制)による制裁金として約1,850億円もの金額を支払わなければならないのではないかと言われています。
ぶっちゃけ、次々と襲いかかる逆風にザッカーバーグ自身もヤケになったのかもしれません(笑)。 ただ、そうは言っても実際にこのような発言に及ぶというのは、やはりただ事ではありません。FacebookのようなSNSを利用する際に、誰もが恐れるのはやはり個人情報の漏洩です。それはすなわちその情報漏洩を防ぐための策が講じられているという信頼があるからこそ、広く利用されているということでもあります。
ザッカーバーグが今回の発言をしたということは、今の失われかけたFacebookの信頼を取り返すには「国家」の力に頼るしかないと判断せざるを得ないほど追い込まれているということでしょう。
インターネットは国境を超えるという幻想
今回のザッカーバーグの発言が持つ意味というのは非常に大きいと思います。
なぜならザッカーバーグといえばFacebook。
Facebookと言えばSNS。
SNSと言えばインターネットの世界のさまざまな人々を国境、国家、人種の壁を超えてつなげる夢のアプリケーションだと思われているわけです。
その顔であるザッカーバーグが国家の規制を強化することがむしろ
自分自身を表現したり、起業家が新しいものを作り出したりする自由というネットの最良の部分を維持すると同時に、幅広い危害から社会を守ることにもつながる
と述べたのです。
これは単純にザッカーバーグが様々な方面からの逆風にこらえきれず白旗を揚げたという話にとどまりません。インターネットの誕生以来、信じられてきた「人類は国境などの壁を超え、より平和な世界を築くべく進歩していける」という価値観を、その代表者自らが否定したということを意味するのです。
否定というと言い過ぎかもしれませんが、少なくとも「現実はそれほど甘くない」ということを認めたということは間違いありません。
人類は進歩していくと信じている人たちは、国家という壁が高くなることを人類の後退と受け止める人もいるかもしれません。しかし、国家と国民の自由というのは別に対立する存在ではありません。むしろ、それぞれがそれぞれの負うべき役目を認識し、そのバランスを見極めることでこそ、お互いが発展していける道を探ることができる。
「国家」と「国民の自由」はどちらか一つしか選べないというような、オルタナティブな関係ではありません。その単純な対立軸を描くのではない、お互いがお互いを補完しあうというもう一つの道を模索する時期に来ている。
今回のザッカーバーグの意見表明はそのことを象徴している出来事ではないかと思うのです。
今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆