世界を救う読書

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経済学とは自衛隊が出動するような非常事態を一切想定しない学問である。

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みなさんご存知の通り、今年は異常なまでに災害が日本列島を直撃しています。

数もそうですが、一つ一つの災害の規模も今まででは考えられなかったようなレベルのものが発生しています。

 

そのような異常事態において最近では当たり前のように自衛隊の方々が出動し、復旧のために尽力されています。

いくら仕事とはいえ、災害地のような過酷な現場で連日に及ぶ肉体労働、精神労働をこなすのは並大抵のことではありません。やはり「日頃の鍛錬」の積み重ねだということなのでしょう。

 

ところで、この自衛隊の方々の日頃の鍛錬ですが、何のために行われているのでしょうか。

当然趣味で鍛えている訳ではありません(笑)。

公の仕事である以上、国家の何かのために行っています。

それは国家に迫る異常事態に対処するためです。

もちろん「戦争」というのが最重要の事案になりますが、今現在で言えば北海道で行われているような救援活動も、災害という異常事態に対処するための活動です。

 

それは災害にあった地域からすればとても有り難い話なのですが、本当はそのような事態が起こらないことが一番幸せな訳です。

助けてもらえるのは有り難い。でも、助けてもらうような事態にならず平穏に生活できるのが一番。当たり前ですね。

 

ですが。

これに異を唱える学問があるのです。

そう。それこそが経済学なのです。

 

まず、経済学にはいくつかの流派があり、主義主張がかなり異なります。

今回の投稿で書く経済学というのは、いわゆる“主流派”経済学と呼ばれる「新古典派経済学」のことになります。主流派のくせに現実から乖離しているという事実が、経済学の混乱を表していますが・・・(笑)。

 

この新古典派経済学における重要な法則に「セイの法則」というものがあります(ジャン・バティスト・セイという経済学者が提唱した)。

これがどういうものかと言いますと

 

市場に参加する人は、自分が欲しいと思うものを手に入れるために、自分以外の人が欲しがっているモノを持ち込む人たちということになっています。

私達が日頃行っている「何かを買おうと思えば、お金を持ってくる」ということも同じです。

 

そして、この市場においては下記のような人たちは存在しないことになっています。

 

・そもそも誰も欲しがっていないモノを持ち込む人

・そもそも欲しいモノが無い人

・モノを無償で提供したいという人

 

そんな人たちが存在したら、市場の動きを予測できないからです。

さらに、この市場においては、持ち込まれたモノはすぐに誰かに購入されて、モノが余るということもありません。

 

つまり「作ったモノが全て、すぐに売れる」ということになっています。

売れ残るとか、将来のために買い溜めるとか、そんなことはあり得ないのです。

 

セイの法則とは、このような「市場においては作ったモノが全て売れる。しかもすぐ売れる。」という決まりごとのことを言います。

 

この経済学的な見地には

 

「理性的な人間であれば売れないはずのモノを作るはずがなく、買う人も理性的であれば、適切な価格で適切な数だけ購入するはずだ」

 

という人間の理性に対する絶対的な信頼がベースになっています。

※多分、この時点で多くの人は「そんな馬鹿な。そんな現実あるわけがない。」と思われるでしょう。それが普通です。

ですが、怒りを抑えてもうちょっとお付き合いください・・・。

 

 

さて気を取り直して、ここで「自衛隊」のことを考えてみましょう。

自衛隊という組織が提供するサービスとは、非常事態を適切に解決することになります。しかし、そもそもそんな「非常事態を解決する」などという自衛隊サービスは、そもそも発揮されない方が良いに決まっているのです。

自衛隊の存在意義である非常事態の解決するというサービスを提供するために、災害は起きるべきだし、戦争も起きるべきだ」

などという事を言う人がいるでしょうか。

そんな事を言う人はどこにもいませんよね。そういう意味で、自衛隊の提供するサービスというものは発揮されない方が良いに決まっているのです。

 

しかし、それにも関わらず自衛隊の方々は、万が一の時に備えて十分な役目を発揮できるように常に訓練を行っているのです。

なぜなら非常事態というのは必ず起こるものであり、しかもそれはいつ起こるか分からないからです。

 

ところが、上記のセイの法則に従うと、経済学的にはそのような誰も望まないサービスが存在することは間違っていることになっていますのです。

「そんなことは経済学的に、理論的にありえない。そんなサービスが存在するとすれば、それは現実が間違っているのだ!! 経済学の理論は絶対に正しいのだーー!!」

ということです。

なぜなら、理性的な人間は無駄なモノやサービスを生産しませんし、いつ必要になるのか、本当に必要な時が来るのかすら分からないようなサービスはあり得ないという解釈になるからです。

理性的な人間は無駄なことを一切しないのだーー!!ってことですね。

 

だからこそ、自衛隊のような「需要が存在するかどうかも分からないサービス」、あるいは公共事業のように「損をする可能性が非常に高いのに提供されるサービス」の存在は主流派経済学にとっては邪魔だということになります。

そんなものが存在していては、自分達の学説が成り立たないからです。

 

 

どう思われますか?

経済学という学問の立場に立てば、言っていることの意味は分からないではありません。

確かに何の事件や事故もなく、災害もなく、現在と同じ時が永遠に続くのであれば、人間は無駄な物を一切作らないのかもしれません。

しかし、普通に社会で生きている感覚で言えば、そんな事に「その通りだ。経済学が正しい!」と納得できるでしょうか?

今私達が経験しているように事件や事故、災害という不測の事態は必ず起こるのです。だから、「無駄かもしれない」「こんなモノが役に立つような時は来るべきではない」としても、万が一に備えて人は準備を行うのです。

 

今回取り上げたセイの法則以外にも、現在“主流派”と呼ばれる新古典派経済学には似たような非現実的な前提が数多くあります。

全てがそうだということではないですが、多くのものが「理論では分かるけど、そんな現実ありえないよね」という前提ばかりです。

バブルは存在しない、失業は存在しない、不況は存在しないとか(笑)。

そんな非現実的な理論が“主流派”としてまかり通っているのが、経済学の現状です。

 

ただ、私は別に「だから経済学は無駄だ」とまで言うつもりはありません。

ですが、このような事実が知られることなく「経済のことはよく分からんけど、えらい学者さんが言っているならそうなんだろう。」と一般国民から盲信され、その経済学に従った結果、国民や国家を誤った方向に導かれるような事態は避けなければならない。

そのためには学問という人類の知恵に対する敬意の一方で、「学問は所詮学問であり、常に正しいとは限らない」という事実もしっかりと認知されるべきではないかと思います。

 

そのような社会に根差していればこそ、学問もまた成長していくことができる・・・と。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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