100分de名著でオルテガの「大衆の反逆」を読み返し!
普段テレビ番組をあまり観ない私ですが、ちょこちょこ観ている番組があります。それがNHKの100分de名著という番組です。
100分de名著とは?
その名の通り歴史に残る名著を100分で解説する番組です。
25分番組を4回に分けて放送。週一回放送なので丁度1ヶ月で一冊ということになります。毎回その道のプロフェッショナルの学者さんが、パーソナリティの伊集院光さんとNHKのアナウンサーに本の内容を紹介する、という形です。
いわゆる歴史に残る名著ばかりなのでタイトルを観ただけで敬遠される方もいらっしゃるかもしれませんが、そこは伊集院光さんがしっかりカバー。
何も知らないド素人の体で、本当に初歩的なことを質問して、それに学者が答えていくというようなトーク番組的な型式で進んでいくので、とても分かりやすくなっています。時々アニメーションやフリップを使って説明するのも良いポイントです。
今週の名著はオルテガの『大衆の反逆』
今週のテーマは20世紀前半に活躍したスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」です。
私も以前読んだことがあり、このブログでもその感想を書いたことがあります。しかも初投稿の時です。いきなりこんな本をぶっこんだのかwwやるな俺ww
何とか必死にまとめた記憶がありますが、まぁ難しいです。この本。でも面白い。読むのにすごく苦労しますけど、その価値が十分にある正に名著といえるでしょう。これほどの名著に出会えることは人生にそう何度もないので、是非いろんな方にお勧めしたいのですが、その前に一度この100de名著であらましを把握してから読むと理解がとてもスムーズに行くと思います。
オルテガは「大衆」を馬鹿にしたのではない
”もし読まなくても”注意して頂きたいのですが、この「大衆の反逆」というタイトルからエリート主義ばりばりの、大衆を馬鹿にしたような本だと思われがちです。実際にちゃんと読めば分かるはずですが、なぜかネット上の読書レビューを見てもそこを勘違いしている人が多いですね。
でも、それは全然違います。オルテガの定義では「大衆」とは特定の階級や社会的な地位とは関係なく、自分の意見を持たずに大勢にたやすく流されるような人間のことです。ですから、一般的に”エリート”というイメージをもたれやすい富裕層や支配者、官僚の階級にいたとしても、空気に流されやすく自分で考えることをしない人間は、それは大衆である、ということになります。
オルテガは「大衆」を忌み嫌ってはいますが、「庶民」は肯定的にとらえています。私も同じ意見ですが、長年の生活と伝統の中で蓄積してきた”知恵”と”守るべき伝統”を元に自分の行動を律することができる庶民は、人としてあるべき姿の一例だと思います。
「専門家」こそが大衆の原型
そして面白いのはオルテガは、このような「大衆」の原型を専門家・・・特に科学の専門家にあると言っているところです。
番組でも言っていたのですが、一般的なイメージでは「専門家」というのは知識が豊富な偉い人で、それこそ空気に流されず自分の信念に基づいて研究をする人、というイメージです。でも、オルテガは「そうではない。」というのです。どういうことでしょうか?
この世界で起こる事象はすべてとても複雑で多様な要素が組み合わさってできているものです。だからそれを観察する際には、そのような多様な要素との関連性に注目しながら総合的に判断していかなければならない。
しかし、専門家はその高度な専門性ゆえにそのような総合的な見地を失ってしまいます。オルテガはそのような専門家について「無知な知者」という呼び名を付けました。
普通は知者と言えば、より多くのことを知っている教養の高い人を指します。しかし、専門性が高くなり過ぎたがゆえに自分の専門のことは知っているが、専門外のことは全く知らないという無知な知者に成り下がりました。
そのような専門家の性質が少しずつ世間に広まっていく中で、大衆が生まれていった…それがオルテガが言う大衆の誕の過程です。
では、そのような「大衆」と呼ばれる人たちがどのように、何に反逆を起こしたというのか?
そしてそれは何を生み出したのか?
その辺りのことはこれからの番組に期待です。
今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございます😊