自由貿易とは”自由に略奪するルール”を作る歴史だった。福田邦夫「貿易の世界史」
ご存知の通り日本という国は資源が非常に少ない国です。
そんな日本にとって海外との貿易は欠かせない要素の一つ。
そして日本においては、「貿易」と言えば企業が自由に海外市場で競争できる「自由貿易」が当たり前だと思われています。
しかし、本当にそうでしょうか?
米ソ冷戦が終結した1990年代以降、世界ではいわゆる自由貿易が広がっていきました。
ところが、国際NGOオックスファムのレポートによると、世界人口の1%にあたる富裕層が持つ富は、残りの人口の99%が持つ富の合計を上回るという、異常な経済格差が世界に広がっています。
そして、アメリカ社会の分断、英国離脱など不協和音が出始めているEU、そして自由貿易によって強大な経済力を身に着けた中国の台頭など・・・自由貿易で繁栄すると思われていた世界が、目まぐるしく不安定化している姿も私たちが最近目にしているところです。
自由で公正なはずの貿易がなぜこのような結果を生んでいるのか?
その原因を貿易の歴史の中に求めた本があります。
それがこちら。福田邦夫著「貿易の世界史」です。
本書では、自由貿易という概念が広がった大航海時代にまでさかのぼり、自由貿易の本質を探ります。
貿易というものがどのように発展してきたのか。
それは誰のために、誰によって進められ、誰が利益を得てきたのか。
そして、これから世界の貿易はどのように進んでいくのか。
貿易の実態を歴史的に検証することで貿易の本質と今後進むべき道が明らかになります。
「世界の人々が国を越えて交流する」という表層的なイメージの奥にある実態を知ることで、「海外との経済的な交易」をどのように進めるべきか考えるきっかけになる著作です。
「自由な貿易」は誰のための物か
私たち日本人は外国と交易をするというと、すなわち「自由貿易」のことだと考えます。
実際、多くの政治家やビジネスエリートたちが
「開かれた自由で公正な市場を守らねばならない」
「自由な貿易が経済を発展させる」
と自由貿易の推進を訴えています。
・・が、本当にそうなのでしょうか?
かつて日本が現在と同じようなデフレ恐慌に陥った時に、日本経済を救った高橋是清という政治家がいました。
彼は自由貿易について次のように述べています。
「欧米列強が自由貿易を主張するとき、彼らは原理原則に従ってそれを主張しているのではなく、彼ら自身の利益のために主張している」と。
すなわち「自由とは自分たちが勝つための方便として使っているだけであり、誰も真の自由貿易なんか求めちゃいない」ということです。
本書において詳述される貿易の歴史を見ると、ヨーロッパ諸国がまさにそのような「自己利益を最大化するための自由」という思想の下、世界に進出していったことが明らかになります。
自由で公正なルールが略奪を生む?
この本の中では、スペイン、オランダ、イギリスといったかつての覇権国家が、自由貿易の名の下に世界中で富を収奪した歴史が語られます。
ただ、これ自体は特に本書オリジナルの考え方ではありません。
実際、ほとんどの人が義務教育で
・アフリカ大陸から黒人奴隷を買い取ってプランテーションなどで労働させる「奴隷貿易」
・イギリスがインドから中国へアヘンという麻薬を輸出させ暴利を貪る一方、中国を麻薬漬けにした三角貿易
といった、貿易の歴史を学んだことを覚えているかと思います。
したがって、歴史的に見れば、貿易とは”先進国による後進国からの収奪の歴史だった”ことは間違いありません。
しかしながら、現実にはほとんどの人がむしろ「貿易こそが世界を活性化させる」と信じているわけです。
その理由は
「過去の悲惨な貿易はヨーロッパ諸国が暴力を使って、後進国の富を力づくで奪い取ったからだ。暴力を使わせない公正なルールを作れば”自由、公正で、お互いWin-Winの関係となる貿易”が実現できるはずだ」
と考えているからです。
実はここに根本的な誤解があります。
実は、ヨーロッパ諸国は暴力で富を奪い取ったのではありません。
むしろ、貿易のルールづくりを自国に優位に導くことで行われてきたのです。
暴力による貿易は効率が悪い
略奪行為というとすぐに「暴力を伴うもの」と思いがちですが、実は貿易においてはそうではありません。
大航海時代の初期段階においては、当時の覇権国スペインやポルトガルは確かに暴力によって、インカ帝国やアステカ帝国を滅ぼし、その金銀財宝を略奪しました。
ただ、残念ながら金銀財宝といった鉱産物は必ず底がつきます。無尽蔵に発掘できるわけではありません。初期の大航海時代ではこの失敗によって覇権国家は衰退しました。
そこで次世代の覇権国家であるオランダやイギリスは、綿花生産や香辛料など”増産可能な産物”を自分たちに都合の良い金額で、都合の良い量を吸い上げることで富を蓄えていきました。つまり貿易によってです。
もちろん、そこではあからさまな暴力は使いません。
それは平和的な貿易を目指したからではありません。単純に暴力支配は効率が悪いからです。
当たり前ですが、ヨーロッパから遠い南アジア、東南アジアへ軍隊を派遣すること自体が非常に困難です。
もし仮に一時的な勝利が獲得できたとしても、何年もの間、圧倒的に人数の多い現地を力で抑え込み続けるのは不可能。
だから、暴力に訴える支配は効率が悪いのです。
そこでヨーロッパ諸国が現地支配のために用いたのが、社会の分断です。
現地の特定勢力に利益を与え、彼らに統治を行わせる。もし反対する勢力が出てきたら、そちらにも利益を与え、敢えて衝突させる。
それによって国を疲弊させることで、その国を統治しやすくするわけです。
そして、一番強い勢力に利益を与え続けることで、彼らを通してその国を支配するという手法をとりました。
特定の勢力に力や利益を与えることで、間接的にその土地から利益を吸い上げるシステムを作り出す。
このような「貿易システム」こそがヨーロッパ諸国が世界の覇権を手にした要因だったのです。
貿易における「自由」とは自分勝手の正当化
このような貿易のシステム作りやルール作りの重要性に早くから気付いていた欧米諸国は、「自分に優位なルール」を相手に押し付けるための技術を長年磨いてきました。
その技術の一つが「自由」という言葉です。
私たちは自由と言えば無条件で良いものだと思いがちですが、実はこれほど自分に都合が良いように人を操れる言葉はありません。
たとえば、記憶に新しいTPPこと環太平洋連携協定への参加が盛んに議論されていた時、「非関税障壁」という言葉が頻繁に使われました。
非関税障壁というのは、文字通り関税ではないが貿易の障害になるものです。
以前アメリカは日本で米国車が売れないのは、軽自動車などという物があるからだと難癖をつけてきたことがあります。
日本人の感覚では大きすぎて燃費の悪い米国車よりも、小さく経済的な軽自動車を選ぶのは”自由”なわけですが、「軽自動車という日本独自の規格」こそが非関税障壁と認定されることになり得ます。
この論法でいけば、日本で日本語が使われるのも非関税障壁となります。日本で英語でビジネスができないのは、アメリカ人にとっては不自由である、というわけです。
TPPの議論の際、アメリカの経済学者ジョセフ・E・スティグリッツ教授が次のように述べていました。
「もしある国が本当の自由貿易協定を批准するとしたら、その批准書の長さは3ページくらいのものだろう。」と。
確かに完全に自由な貿易だということならば、「一切の規制をするな。企業への補助も行うな。」だけで済むはずです。
しかしながら、実際にはTPPの協定書は数千ページにも及ぶ長大な文書になった。
つまり、彼らの言う自由とは「自分にとって都合が良い自由」のことであり、それを各国に認めさせるためには、それだけ膨大な説明書きがなければ成り立たなかった、ということなのです。
まさに高橋是清が指摘したように
「欧米列強が自由貿易を主張するとき、彼らは原理原則に従ってそれを主張しているのではなく、彼ら自身の利益のために主張している」のです。
今こそ貿易の意義を考え直すべき
私たち日本人は”閉鎖性コンプレックス”、”島国根性コンプレックス”が染み付いています。
そのため「閉鎖的だ」「日本的だ」「海外では〜」と言われると、頭を叩かれたように一瞬で”しょんぼり”してしまいます。
その習性ゆえに、貿易というのは無条件に良いものであり、積極的に展開していかなければならない物だと無自覚に信じています。
しかし、この本で明らかにされているように、貿易とは必ずしもそのような”自由で、公正な”素晴らしいものとは言えない側面があります。
もちろん資源小国である日本が完全に鎖国化することはできません。
しかし、だからと言ってありもしない”自由で、公正で、開かれた貿易”などという幻想にしがみついて良い訳でもありません。
貿易とは”貿易することが正しい”からやる訳ではない。あくまで自分たちの利益になるからやるものです。
欧米諸国はそれを理解しているからこそ、貿易のルール作りのために権謀術数を用いているし、それを大航海時代以来何百年も繰り広げているのです。
日本人の美徳とされる”ルールを守って行動する”という律儀さは、そのような狡猾な欧米諸国との貿易戦争においてもむしろ百害あって一利なしといえるかもしれません。
海外との貿易が日本にとって必要なのは間違いありません。
だからと言って、すぐさま「じゃあ、自由貿易だ」というのは話ではない。
なぜなら、その自由貿易というルールがそもそも欧米諸国が優位に立つために作り上げられたルールだからです。
欧米諸国との貿易戦争で勝ち抜くためには、「自由貿易は正しい」というナイーブな幻想から離れ、自国の利益を拡大するための戦いであるという現実を再認識する必要があります。
そのような貿易の意義を改めて問い直す上で、本書で描かれている貿易の歴史は私たちにとって非常に重要な意味があるのではないでしょうか。
という訳で、今回ご紹介したのはこちら
福田邦夫 著「貿易の世界史」でした。
今回も最後まで長文をお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m