なぜ近代資本主義は西欧で生まれたのか?
さて、今回は最近読んだ本のレビューをお届けします。
とりあげるのは宇山卓栄著「経済を読み解くための宗教史」。
こちらは図書館で借りたののですが、読後ノートを書く前に返してしまったので若干うろ覚え状態でお送りします(_ _;)
タイトルの通り一見無縁な「経済」と「宗教」を掛け合わせた本。
タイトルが面白そうだったので、よく検討もせず勢いで手に取ったのですが、これが中々“当り”でした。
宗教のトリビア的面白さでジャブ
個人的な面白ポイントは大きく2つで、1つはユダヤ教、イスラム教、仏教、キリスト教などの“トリビア的な面白さ”ことが書かれていること。例えば
・ユダヤ人が金融ビジネスで存在感を強めた理由の一つは、ユダヤ教が財産権、所有権の不可侵を戒律に定めたことでユダヤ人以外に信用されるおとになり、ユダヤ教以外の富裕層から資産の管理を任せられるようになったことにある。
・仏教は殺生を禁じたため、インドの統一王朝の安定に寄与した。それは安心して商売ができる環境作りにも繋がったので、商人階層に広く歓迎された。それにより都市収益の増大と豊かな税収、安定した国家作りに大きく貢献した。
・イスラム教のコーランには異教徒が税金を払って降参するまで戦って良いとは書いてあるが、異教徒を改宗させなければならないとか、抹殺しなければならないとは書かれていない。
つまり、聖戦(ジハード)の目的は納税義務を課すことであり、それは異教徒との共存を図る知恵である。
などなど、Wikipediaとかには書かれていないような、経済的視点ならではの興味深い宗教のトピックが書かれています。
これだけでも十分面白いのですが、私的に面白かったもう一つのポイントは、ヨーロッパ社会で生まれた近代資本主義の成り立ちをキリスト教の側面から紹介しているところです。
なぜ近代資本主義が西欧で生まれたか
その流れをここで全部紹介することはできませんので、物凄く大雑把な流れだけ紹介すると・・・・
15世紀の大航海時代の幕開けにより、それまでのヨーロッパ社会にはなかった新たな考え方や技術、価値観が広まる。
↓
新大陸からもたらされた莫大な量の金銀により強烈なインフレーションが発生
↓
金銀が様々な分野に投資されることで、新たな知識や技術が開拓される。それにより経済、軍事、商業などが益々発展
↓
経済や政治など現世的な制度へのキリスト教会の支配力が低下
↓
宗教的支配権と世俗的支配権が分離
↓
人間が現世で得た利益を蓄財することを禁止する価値観が薄れる
↓
より多くの利益を得ることに邁進するようになる
かなり端折ってますが、こんな流れで近代資本主義がヨーロッパで誕生するようになったのです。
ここで面白いは、このような近代化に向けての流れがなぜキリスト教社会でだけ起こったのか?という謎です。
これについては、この本に加えて「不思議なキリスト教」という橋爪大三郎の書籍にも書いてあったことも参考にしつつ考えてみます。こちらですね。
キリスト教だけが無い“宗教法”
まず、キリスト教以外の宗教には「宗教法」という法律があり、コーランなど神に与えられた戒律をどのように解釈するのかが法律で決められており、時代に即した独自解釈などが許されていません。
そして宗教では必ずといって良いほど「蓄財」、「他人にお金を貸して利子を取ること」が禁じられているため、必要以上の利益を追求することが非常にできにくくなっているのです。
それが宗教法で決められていればなおさらなのですが、キリスト教はこの宗教法がないため、時代状況によってある程度解釈の幅を広げることができるのです。これがキリスト教で近代資本主義が生まれることになった大きな原因の一つだとのことです。
現代の世界は基本的に西欧社会で作り上げられた価値観が主流となって、全ての動きが統制されています。その西欧社会の力の源泉でもある「近代資本主義」というパラダイムがなぜ西欧で生まれたのか? なぜ他の国や地域では起こり得なかったのか?
これは今の私のかなり大きな関心事ですが、その一旦がこの本によって少し垣間見えたような気がします。
・・・という訳で、私の次なる関心事は「ではなぜ大航海時代はヨーロッパから始まったのか?」です。14世紀、15世紀のルネサンスの時代にまで遡る必要がありそうです。
今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m