世界を救う読書

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"人は成長する"という物語を捨て去ることができますか?斎藤幸平著「人新生の資本論」

 私は基本的に流行り物に飛びつかないようにしています。本でも同じです。

流行っている物がすなわち良い物とは限らないと思いますし、「流行ってるから読んでみようって恥ずかしくない?」という、ある意味”中二病”的な心理も働いていることは否定できません(笑)。

そんな私が流行りに乗っかって読んだ本がこちらです。

斎藤幸平 著「人新生の資本論」。

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

  • 作者:斎藤 幸平
  • 発売日: 2020/09/17
  • メディア: 新書
 

 

・・・遅っっっ!

遅いよ!

今頃読んでるの??

という鋭いツッコミが聞こえてきそうです。

書店でもベストセラーとして並べられ、メディアでもかなり取り上げられており、ご存知の方は多い本書。そのせいかネット上でも多くの書評が展開されているのが散見されます。

ただ、率直に言ってどれも似たような書評ばかりで、本書の最大の魅力に迫っているものがほとんどないと感じています。

私はこの本は本当に面白いし、読む価値が高いと思います。だからこそ、よくある要約文を一読して分かった気になっているのは非常にもったいない。

本書がこれから先も社会において重要な位置を占めるであろう魅力をご紹介したいと思います。

この本の”表のテーマ”と”裏のテーマ”

この本のテーマは二つある。

ひとつは「気候変動が激しさを増す中、私たち人類はどのような社会を目指すべきか」。

そしてもう一つは「悪名高いマルクス主義に新たな意義を与えること」。

この2点だ。

この本の書評を見ると、ほとんどが一つめの気候変動への対策に関してについてのみ語られている。

しかし、私は実は二つめのマルクス主義の問い直しこそが著者がもっとも表現したかったことではないかと思う。

気候変動の原因は資本主義にある

ではまずは、”表のテーマ”である気候変動と私たちの社会に関する部分から見ていこう。

この点に関する本書の論旨は明快だ。

それは「現在の資本主義システムのもとでは、どのような努力をしようとも気候変動を食い止めることはできない。気候変動から私たちの未来を守るためには、”成長”を基盤とした資本主義を乗り越え、脱成長型の新しい社会モデルを作り上げなければならない」というものだ。

 

たとえば昨今話題となっている

「SDGs(持続可能な開発目標)」

グリーン・ニューディール(技術革新による環境保護と経済成長の両立)」

という言葉を聞いたことがある人も多いだろう。

だが、そのどれもが経済成長を前提とした資本主義的発想に基づくものである。

資本主義とは、あらゆる物を商品として取り込み、利益を最大化する活動のことだ。そこでは、人が生産したモノだけではなく、社会インフラ、水や食料、さらに生活の安全を守る活動まで、すべてが「商品」となる。

だからこそ、資本主義は歴史的に自然の略奪、人間の搾取、巨大な不平等と欠乏を生み出してきた。

地球温暖化問題とはその当然の帰結である。

だからこそ地球温暖化という未曽有の気候変動から生き残るためには、その資本主義を乗り越えなければ根本的解決にならない。

では、どのように資本主義を乗り越えるのか?

その先にあるパラダイムとは何か?

そのヒントとなるのが資本論の著者として有名なカール・マルクスの思想にあるという。

そして、ここからマルクスの研究者として名を馳せる著者の本領が発揮される。

”いわゆるマルクス思想”の限界

マルクスといえば、一般的に共産主義という思想を編み出した思想家として知られる。

共産主義をものすごくザックリ説明すると、次のようになる。

すなわち、資本主義社会では一部の金持ちが富を独占する。そこでは労働者は虐げられ、経済的、社会的にあらゆる格差が拡大する。

それを打破するためには、労働者が団結し、資本家に対して革命を起こさなければならない。

それによって労働者自身が治める平等な社会を作り上げられる。

このように社会が進歩していくのが歴史の必然であるのだ!

 

という思想だ。

これが20世紀に世界中で支持され、資本主義を打ち倒す共産主義革命を引き起こした。

 

しかし、このようなマルクス思想は現在多くの研究者によって否定されつつあるという。

著者によれば、確かにマルクスは若い頃この”いわゆるマルクス思想”に深く傾倒していた。しかし、主著「資本論」以降、このような「労働者革命による平等社会の構築」という物語に限界を感じていた。

仮に一時的に労働者が資本家を打倒し、社会の資産を平等に分け合ったとしよう。

だが、「投資によって物の生産と利潤の拡大を行う」という現在の経済モデルのままでは、結局労働者が新たな資本家になるだけで世界は変わらない。

つまり、今の支配者が新しい支配者に変わるだけだというのだ。

その問題の本質を晩年のマルクスははっきりと認識していた。

晩年のマルクスが志向した”協同体社会”という思想

では、晩年のマルクスはどのような社会構想を描いていたのか?

 

それが自然環境やエネルギー、食糧など生活に不可欠な資産を市民が自分たちで共同管理する”協同体社会”だ。

もともと資本主義社会が利潤を生み出すことができるのは、自然環境やエネルギーなどの人類共通の資産を資本家が独占し、希少価値を高めることに由来している。

 

たとえば「水」という商品を考えてみよう。

水が商品として成立するには、その水が希少価値を持っていなければならない。

誰もが自由に、好きな時に、きれいな水を飲むことができるのであれば商売は成り立たない。

逆に言えば、「水にアクセスできる権利」が制限され、一部の人間が独占できるからこそ、その水に商品価値が生まれるのである。

そして、商品価値が生まれれば、必ずその価値を高めようとする活動が生じる。それが資本主義だ。

そうであれば資本主義を乗り越えるには、この水へのアクセス権を広くみんなで共有すれば良い。共有資産である水を市民で管理・運営し、誰でも使用できるようにする。これがマルクスが志向した「協同体社会」である。

”独占による利益の発生”を防ぐことで、資本主義による社会の不平等を乗り越えることができる。

脱成長という新たなパラダイムに向けた課題

ただ、一つ問題がある。

それはこの協同体社会では基本的に”経済成長が見込めない”という点だ。

経済が成長するためには投資が必要である。投資によって生産効率を上げることで利潤を増やすのだから当然だ。

しかし、共同管理によって利潤の増加を求めないのであれば、利潤を増やすための投資は極めて小規模になるだろう。

社会インフラや自然環境の整備など、必要最低限の投資に留まることになる。

そうすれば”経済成長がゼロ”とまではいかないまでも、現在のような経済成長は見込めなくなってしまう

しかし、この事実を受け入れなければ、この協同体社会による資本主義の超克は不可能だ。

著者はこの問題点を指摘した上で、「だが、やらなければならない」と言う。そうでなければ気候変動によって人類が滅びてしまうからだ。

これは経済成長を否定しようというのではない。

経済成長を追い求めるという現在の枠組みを超えて、”脱成長”という次の新しいパラダイムを構築しなければ人類に未来はない。

これが著者の結論である。 

本書が投げかける重要な問題

我々は確かに資本主義的経済モデルのもたらす大きな問題に直面している。

この本のテーマでもある地球温暖化問題もその一つだろう。

それを脱成長コミュニズムという新しいモデルによって乗り越えようとする著者の提案は興味深い。

しかし、残念ながら私はここに大きな違和感を感じている。

それは「脱成長によって資本主義を乗り越える」という考え方自体がすでに資本主義と同じ価値観に基づいているという点だ。

資本主義といえばお金儲けのことだと思っている人も多いかもしれない。

そうではない。

資本主義とは「資本(お金や労力や技術)を投資して、より大きな利潤を生み出そうとする活動」のことだ。

その根幹には「人は成長していく」という進歩主義的価値観がある。

これは当然だ。どれだけ投資しても生産効率が上がらないのであれば、投資の意味がない。

それは経済活動に限った話ではない。私たち自身もまた成長できると信じているから、自己投資を行うのである。

つまり、現代社会はすべて”人は困難を乗り越え、成長し、進歩する”という進歩主義を前提としているということだ。

 

さらに皮肉なことに、困難は乗り越えることができるのならば、”より早く”、”より効率的に”困難を乗り越える道を探すのが人間の性だ。

「この困難な状況をもっと深く、ゆっくり味わいたい。もっとつらい思いをしたい。」という人はまれだろう。

資本主義がここまで発展してきた原因もここにある。

その根幹にある「コストを最小化し、効率的に、早く、利益を最大化する」という考え方は、私たち自身の進歩主義的信念に合致しているのだ。

これこそが資本主義の超克を阻む最大の壁である。

この点を著者は見落としているのではないか。

 

著者が言うように、資本主義は”成長”を前提とした社会パラダイムである。

そうであるなら、我々が真に資本主義を超克するためには「困難は乗り越えることができない。」「人は成長しない。」という事実を受け入れる強さを持つしかないのではないか。

それは生き方や哲学としては非常に潔く、美しい。東洋的な悟りの境地とも言える。

果たしてそのような生き方や社会を現代人が受け入れることができるだろうか。

 

私は本書はある意味で非常に大きなテーマを投げかけていると思う。

それは「"人は成長するという物語"から逃れられるのか」というテーマだ。

これは私たちの生き方や世界の捉え方すら揺るがしかねない、とてつもなく大きな問題である。

人が成長するという物語が成立するためには、未来という概念が存在しなければならない。

未来がなければ成長などないのだから当然だ。

しかし、実は歴史上の大部分で人類は現在のような「未来」という概念を持っていなかった。近代社会以前は時代の流れが非常に緩やかだったため、"未だ来ない時間"を思う必要などなかったのだ。

現代人は、過去の近代以前の人々が考えもしなかった、過去から現在へ流れ、未来へ繋がっていくという時間の流れを前提とした世界に生きている。

現在は未来へつながっていく一本の道でつながっているという神話の中で私達は生きている。

その神話を信じているからこそ、現代の私たちは今直面している苦しみを耐えることができるのである。

著者の言うような脱成長型社会とは、そのような神話を根本から揺るがそうという試みに他ならないのだが、著者はそこまで理解した上で主張しているのだろうか?

 

これが現実的に可能なことかどうかは、ここで述べるつもりはない。あまりにも巨大過ぎるテーマであり、結論が出せるような人間は誰一人いないだろう。

しかし、これこそ我々が正面から向き合うべき課題ではないかと思う。

現代人は”日々成長しなければならない”という無言の圧力に苦しめられている。

その原因のひとつが我々を支配する成長神話だ。

この成長神話が本当に私たちを幸せにする神話なのか。

それとも資本主義が私達から利潤を搾り取ろうとするために作られた都合のよい物語なのか。

それを考える上でも非常に参考になる書籍であるのは間違いないだろう。

 

というわけで今回はこちらの本のご紹介でした。

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m 

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

  • 作者:斎藤 幸平
  • 発売日: 2020/09/17
  • メディア: 新書
 

 

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