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福沢諭吉の解説が鋭すぎる!! ビシビシ来るぜ。YUKICHI FUKUZAWA!!!

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昨日福沢諭吉について書かれた書籍についてのレビューを投稿しました。

 

 

今回はその続きです。

 

経済に関する知識についての福沢の説明がとても分かりやすかったので、折角なんでシェアしておこうと思った次第です。

引用したい言葉はいくつもあるのですが、とりあえず3つ厳選しました。

 

1) 金は天下に回らせなくちゃ意味がない  

「世の中でお金が出回らないのは、金がないからではない。金はある所にはあるのだ。それが回らないのは、金を持っている人がお金を貸すべき相手を見つけられないからだ。

さらに言うなら、その相手がいないわけでもない。お金を貸して“ちゃんと返済できる人”を見つけられないだけである。

だから、お金があるにも関わらず金庫の中にしまい込んでしまって、お金が世に出回らないのである。

お金が金庫に入り込んでしまえば、金銀財宝であっても瓦礫の石と変わらない。肝心なのは金を貸すべき相手が存在することだ。

それができなくては、お金の意味をなくしてしまったのと同じであろう。」

 

まさに日銀に言いたい一言。「日銀当座預金に何百兆円積んでも瓦礫の石と同じだ!!」とYUKICHI FUKUZAWAが言ってますよ!!

 

2) 金融市場について

「相場などという物は博打と一緒である。“いくら儲けた”だの、“いくら損した”だのと言っても、これで国の富がほんの少しでも増えるわけではない。

いたずらに誰かが損した分だけ誰かが得をして、誰かが悲嘆にくれているのを自分の喜びとするだけである。

こんな当たり前のことをわざわざ紙に記すのだけでも不本意である。」

 

そうなんです。

金融市場でいくら儲けようが、それは国の富・・・つまりGDPにはこれっぽっちもプラスにならないのです。損した人の資産が減って、得した人の資産が増える。それだけなのです。

 

3) お金の本質とは何か

ちょっと長くなりますが、とても重要なことなので引用します(分かりやすいように、私なりに翻訳しています)。

 

「たとえばここに余分な米が10俵あったとしよう。

これを綿製品に替えようと思っても、「これだ!」というめぼしい物もない。そうは言ってもこの米を余らせておいても仕方ないから、近所の綿製品屋に売ってしまってその代金を受け取っておくとしよう。

で、そのお店に良い商品が入った時に、以前受け取っておいた代金でもってその商品を買えば良い。

 

ちなみに、これは米と綿製品を交易したのと同じことになる。

その交易の際に実際に使う代金は、いわゆる“お金”でなくとも、綿製品屋が「ちゃんと米を受け取りましたよ」という米の預り手形を出しても同じであろう。

 

ところで、この預り手形として金銀を用いれば何か便利なことがあるだろうか?

あるいは紙を用いれば何か不便なことがあるだろうか?

 

何にもありはしない。役割は同じである。

「金銀は人が一所懸命掘り出して鋳造した物であるがゆえに“預り証”として価値がある」とでも言うつもりだろうか?

そんな事は関係あるまい。肝心なのは人々の間で「その預り手形が価値がある」と信じられているかどうかである。預り手形が金銀であろうが、紙であろうが同じことだ。」

 

そう。お金とはそれを使う人々の相互信用のもとに成り立っているのです。

これはとても大事な意味を持っています。

お金が金銀の価値をベースに発行されているのだとしたら、お金を発行できる上限が発生してしまいます。

ですが、お金が人々の相互信用をベースに成り立っているのであれば、その信用が損なわれない限りいくらでも発行できるのです。 そしてその相互信用の目安となるのがインフレ率なのです。

だから、インフレ率にさえ気をつけていれば、国はいくらでも通貨を発行できるのです。

 

本当に理解している人の説明は分かりやすい

・・・・と、まぁこんな感じで経済や政治に歯に衣着せぬ解説をビシビシ展開します。

誰が言っていたのか忘れてしまったのですが

 

「難しいことを難しく説明する人は、実はあまりその事が理解できていない。本当に理解している人は、子供にも分かるような簡潔な説明ができる」

 

という言葉を聞いたことがあります。

 

もちろん「簡潔に説明できる」のと「簡単にするために必要な説明を省く。あるいは嘘をつく」というのは全然違います。

「簡潔な説明」というと直感的に「短い説明」のことだと思ってしまいがちですが、そうではありません。それは「丁寧に分かりやすく説明できる」という意味だと思います。

たとえ長くなったとしても、分かりやすく、聞いている側の興味をそそりつつ、ちゃんと納得できる説明をする。

うーん・・・難しいですね!!(笑)

 

私自身耳が痛い話なんですが、福沢諭吉の説明を読むと本当にその通りだなぁと思って感心してしまいます。

私もいつか「この人の説明は分かりやすいよね!」と言ってもらえるように努力したいと思います。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

 

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