読書の効能とは何か? 読書術遭難者にお勧めの最強読書。
書店の店頭を見ると、必ずと言って良いほど新刊コーナーに「読書術」「読書のススメ」など、読書の効能や効果的な読書方法などを指南する本が並べてあります。
ネットで情報を収集する習慣が強くなってきたため、逆に敢えて「本を読む」という行為の価値が高まっているのかもしれません。
ただ、何をするにしても時間がない現代人は、やはり「効率的に」「数多く」しかも「身になる」読書の仕方を探してさまよっている方が多いようです。書店でもその手の指南本が多いのは、そういう需要が大きいからということなんでしょう。
さて、もしそんな風に自分にあった読書法を探している人がいるのであれば、是非ともお勧めしたいのがこちらの本。
ショウペンハウエル著 「読書について」
- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
- メディア: 文庫
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です。
ショウペンハウエルって誰??
ショウペンハウエル、またはショーペンハウアーという人物は19世紀に活躍したドイツの哲学者です。天才というか奇才というか、ぶっちゃけ「頑固じいさん」と言った方が適切な厄介な人だったようです(笑)。
とにかく何にでも噛み付く。
自分が気に入らないと思ったら完膚なきまでに批判する。
言い訳は一切許さない。
ショーペンハウアーの母親は、今で言う小説家や文芸作品を書く人だったのですが、まぁその母親にも手厳しい。「あなたの書くようなくだらない本は、今は流行にのって書店に並んでいるかもしれないが、あっという間に消え失せる。50年後、100年後に残るのは私が書いた本だ。」みたいなことを言って、母親を叱責したような人物です。
ただ、そんな性格を反映してか、ショーペンハウアーの言葉は「舌鋒鋭い」という表現がぴったりくる文章が多いのですが、実に鋭く本質をつき、しかも簡潔な物言いを得意としています。
この「読書について」という本も、実に鋭く読書の本質をえぐり出しています。
「良い本を読みたいなら、本を読むな」⁉
ただ、のっけから全てを覆すようで恐縮ですが、この本の要点を一言で言うならば
良い本を読みたいなら”本を読まない技術”を身に着けろ
です。
んんん⁉ 何か逆のこと言ってない??? ”とんち”みたいですねww
ショーペンハウアーは読書や学問によって「知識を身に着ける」ことより、「自分で考える能力を身に着ける」ことこそが重要だと言っています。冒頭の彼の言葉を引用してみましょう。
「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値は遥かに高い。何か一つのことを知り、一つの真理をものにするといっても、それを他のさまざまな知識や真理と結合し比較する必要があり、この手続きを経て初めて、自分自身の知識が完全な意味で獲得され、その知識を自由に駆使することができるからである。」
書店に行くと、速読術の指南書などが沢山あります。
本を早く読めて、月に10冊、20冊と読める人もいます。
ですが、ショーペンハウアーによれば、そんな風に多量に知識をかき集めても何の意味もない。そんなことよりも、たとえ少量の本であっても丁寧に読み、それについて自分で考え抜くことこそが重要であるということなのです。
むしろショーペンハウアーは読書による弊害を主張します。
・読書は思索の代用品に過ぎない。
・読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。
・多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る。重圧を加え続けるとバネは弾力を失う。
・自分の思想というものを”所有したくなければ”、暇を見つけ次第読書をしろ (逆に言えば自分の思想を身に着けたいなら読書するな、ということ)
などなど、読書による弊害を多数指摘します。
ショーペンハウアーの真意
ここまで書くと「じゃあ、本なんか読まない方が良いってこと? 読書指南じゃないの?」と思われるかもしれません。
そうですね。半分正解、半分不正解というところでしょうか。
これがショーペンハウアーの面白いところで、まず根本的には彼は世にある本の中で「読む価値のある本はほんの一握りに過ぎない」という前提に立っています。この世の中にある99%の本は読む価値がない。そんなことに時間を使ってる暇があったら、自分の思想を強化することに時間を使いなさい、と。
特に新書とか今話題の本なんか絶対読むな、と(笑)。
ショーペンハウアーは自らの思想を鍛える上で、どうしても自分の解釈だけでは考えがまとまらない時、溢れ出るようなパワーが自分の中から生まれて来ないという時にだけ本を読め、と言います。
そして、そのような時に読む価値がある本は「古典」である、と。
また、古典を読むのは良いけど「古典の解説書」などは絶対読むな、と言います(笑)。古典はその著者本人の思想が余すところなく発揮されているものであり、全ての言葉や流れに意味がある。それを中途半端に抜き出したり、勝手な解釈をしたりしたまがい物には手を出すな、と。
いや、まぁ凄い物言いですね・・・・(笑)。
ただ、彼が言いたいことの意味は分かって頂けるのではないかと思います。
流行にのって、何でもかんでも本を読めば良いという訳ではない。
あくまで重要なのは「自分で考える」こと。そのために必要な素材として必要であれば、本を読むべきである。ただ、読書というのは基本的に著者の考え方に沿って自分も思考してしまうため、ちゃんとそのことを意識して著者と距離を置いて読まないと精神の弾力性を失われる可能性があること。
それを理解した上で、本当に読むの価値のある古典だけを選んで読みなさい。
それがショーペンハウアーが言いたいことの意味だと思います。
私も今、自分なりの読書の仕方を勉強している最中なので、時々本屋さんで「読書術」的な本にも目を通します。しかし、このショーペンハウアーの言葉ほど真に迫るものには今まで出会えておらず、結局「読書術」なる本は一度も買ったことがありません。
読書が好き、読書で知識を身に着けたい、など読書に興味がある人はこのショーペンハウアーの言葉に耳を傾けて欲しいと思います。
今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆