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人生を長く生きる”良い生き方”。セネカ著「生の短さについて」

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人生は短い。

しかし、人が生きた時間的な長さが必ずしも人生の価値を決めるわけではない。もし「人生の長さ=人生の価値」ならば、平均寿命が80歳を超える現代人の人生は過去のどんな優れた人間の人生よりも価値があるものとなる。

人生の価値が時間の長さで決まるものではないことは誰もが分かっていることだ。たとえ短くとも、太く、充実した人生を送ることはできる。

では、どう生きれば価値のある人生が送れるのだろうか。

誰もが抱くこの問いに答えてくれる名著こそが、今回ご紹介するこちらの本

 セネカ著「生の短さについて」

だ。

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

  • 作者:セネカ
  • 発売日: 2010/03/17
  • メディア: 文庫
 

 

 人生は短いとはよく言われることだが、セネカによれば“我々が所有する時間が短いのではなく、実はその多くを浪費しているのだ”。

人生は十分に長く、それが有効に使われるのであれば、もっとも偉大なことをなすことが十分可能だ。しかし、それを浪費してしまえば、人生の最期にあたり「今まで消え去っているとは思わなかった人生が、もはや既に過ぎ去ってしまっている」ことに否応なしに気付かされる。気づいた時にはもう遅い。

“我々は授かっている人生が短いのではない。我々がそれを短くしている”のだ。

 

現代人は多忙だというが本当にそうだろうか?

“忙しい”、“時間がない”のは確かにその通りだろう。だがそれが本当に自分が望んだ時間の使い方なのだろうか。

「誰かに言われたから仕方なく。」

「立場上断れない。」

「周りの人たちについていくために必要だから。」

そんな理由で自分の時間を他人に吸い取られている人がいかに多いことか。

セネカはそのような多忙な人は惨めであるという。

“誰彼問わず、およそ多忙の人の状態は惨めであるが、なかんずく最も惨めな者といえば、自分自身の幼児でもないことに苦労したり、他人の眠りに合わせて眠ったり、他人の歩調に合わせて歩き回ったり、何よりも一番自由であるべき愛と憎しみとを命令されて行う者たちである。彼らが自分自身の人生のいかに短いかを知ろうと思うならば、自分だけの生活がいかに小さな部分でしかないかを考えさせるが良い。”

自分が多忙だと思っている人は、「自分の意思で、自分のために使っている時間がどれだけあるのか」について思いを馳せてみよう。

家庭を持っている社会人であれば、1日1時間確保できれば幸せな方ではないだろうか。

そう考えれば、自分に残されている時間があまりにも短いことを誰もが思い至るのではないか。

 

もちろん「人生が短いことが分かっているから、できるだけ多くのことを吸収できるように、自己研鑽に励んでいる」という人も多いだろう。

寸暇を惜しまず勉強したり、セミナーに通ったり、あるいはちょっとした空き時間にYoutubeで検索している人もいる。そのような人たちは自らを“時間を有意義に使っている者であり、浪費などしていない”と信じているに違いない。

だが、セネカによれば、それすらも時間の浪費に過ぎない。

 

セネカは言う。

「ところがその間に、諸君が誰かに、もしくは何かに与えている一日は、諸君の最期の日になるかもしれないのだ。諸君は今にも死ぬかのようにすべてを恐怖するが、いつまでも死なないかのようにすべてを熱望する。では、お尋ねしたいが、君は長生きするという保証でも得ているのか。君の計画通りにことが運ぶのを一体誰が許してくれるのか。

(中略)

誓って言うが、諸君の人生は、たとえ千年以上続いたとしても、極めて短いものに縮められるであろう。」 

将来という不確定な時間のために、今まさに手元にある時間という財産を使う。それこそが浪費である。

 

たとえば昨今は子供の教育にプログラミングが必要だと言われている。

だが、はっきり言って今頃プログラミングを学んでももう遅い。

プログラミング教育が必要だった時期があるとすれば、いま20代か30代の人間だろう。今の子供が10年後、20年後の社会に出る頃には、AIがプログラミングを行う時代になっている。

たしかに超最先端のプログラミングに関わる人物はいるだろう。しかし、それは世界でもごくごく一部の超エリートだけであり、一般人にプログラミングが必要な時代はとっくに終わっているだろう。

そんな不確実な将来のために、かけがえのない幼少期の時間を無駄に費やそうとしているのがいまの日本という国だ。

 

 

では、いかにすれば人は実り豊かな人生を送ることができるのだろうか?

セネカの答えはシンプルだ。

「古典を読むこと」。

古典に触れ、古代の哲人たちと語り合うこと。

これだけだ。

セネカの意図を理解するためにはセネカが「時」をどのように考えていたのかを整理する必要がある。

 

セネカは時を次の3つに分けている。現在、過去、未来だ。

このうち現在は今まさに目の前を通り過ぎており、つかむことが決してできない。

未来は不確実であり、これもつかむことができない。

よって唯一われわれが確実につかむことができるのは過去のみだ。

この世のあらゆる時の中で過去のみが唯一確実なものなのである。

古典とはこの過去の結晶なのだ。

 

もちろん時代的に古いものがすべて「古典」というわけではない。

長い歴史の中で読みつがれ、評価され、今もなおその価値を失わないもの。

時代を超えて私たちの価値観に影響を与え続けるちからを備えたもの、それが古典だ。

時の流れとともに時代は変わりゆく。しかし、人間の本質や、人間が直面する問題は変わらない。古典とは、過去の天才たちがそれらの問題に徹底的に向き合い、戦ってきた記録なのだ。

実際、歴史に名を残すような人物は、ほぼ間違いなく古典に精通している。2021年の大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公、渋沢栄一論語に精通し「人が生きるために必要なものはすべて論語に収められている」と言っている。

 

人生に悩む人達に向けた自己啓発セミナーは昔からあるが、昨今はネットの発達により、雨後の竹の子のように「自己啓発コンテンツ」が配信されている。

高いお金を払って有料コンテンツを観ても

「今日の講師は悪かった」

「期待していた内容と違った」

「これだったら○○さんの無料動画の方がマシ」

などと言った不満が募ることが非常に多い。

セネカの言葉を借りれば、そんなあやふやな物に費やす時間は無駄である。その時間があるのなら古典を読めば良い。古典の中に答えはあるのだ。

 

ページ数が40ページと文量自体は少ない。特に速読などを会得していない人でも、集中して読めば30分程度で読めてしまう。

だが、その内容は深い。

何度読んでも、その度に新しい発見がある。これぞ古典の魅力だろう。

セネカは短い人生を実りあるものにしたいのならば、古典を読み、古代の英知と語らうことを強く推奨しているが、まさにこの本こそがそのような”古典”のひとつだと言える。

 

 という訳で今回ご紹介したのはこちら。

セネカ著「生の短さについて」でした。

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

  • 作者:セネカ
  • 発売日: 2010/03/17
  • メディア: 文庫
 

 

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