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残業規制によって国内消費は8.5兆円縮小! 形だけの改革は不要!

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今日は4月1日。新しい年度が始まりますね。

新入社員もベテランも頑張って行きましょう!! (←お前もなww)

 

さて、今年はいろいろと大きな出来事が予定されています。一つはもちろん1ヶ月後に迫った新元号への移行。そしてもう一つは残業規制の上限規制です。 

働き方改革関連法が4月1日に施行され、大企業を対象とした残業時間の罰則付き上限規制などが始まる。(中略) 残業時間の上限規制は、原則で月45時間、年360時間、最長でも月100時間未満、年720時間としている。これまで事実上「青天井」だった残業時間を初めて罰則付きで規制する制度だ。

 

働き方改革で残業代規制というと企業が支払う賃金が減って良いことのようにも思えますが、逆に言えばそれは従業員の給与が減り、国内消費が落ち込むということを意味します。従業員は社内では被雇用者ですが、”市場”では消費者、つまりコインの裏表なのですから。

 

大和総研の試算によると、この働き方改革の残業規制により残業代が縮小され最悪8.5兆円もの縮小になります。

これがどれくらいの規模かと言うと、2014年の消費税増税による実質消費の減少が8兆円でしたので、この消費税増税をも超える悪影響を与える可能性が計算になります。

 

また、記事によりますと

日本商工会議所などの調査によると、上限規制に向け「対応済み、対応のめどがついている」と回答した企業は約46%にとどまる。課題(複数回答)では約54%が「人員不足」を挙げており、有効求人倍率が高い水準で推移する中、対応の苦慮が続きそうだ。

とのことで、残業規制による業務負担の軽減などの対応ができている企業が数多い模様。商工会議所だって全ての企業を調べられる訳ではありませんから、商工会議所が調べた内の46%しか対応の目処がついていないということは、中小企業はほとんど対応の目処が立っていないと考えるべきでしょう。

 

そんな状況で杓子定規に残業規制が行われれば、当然発生するのは従業員へのサービス残業の強制です。「実際に強制する」あるいは「自発的にサービス残業せざるを得ない状況に追い込むか」は別として、です。

 

そもそも今の日本で進められている働き方改革は「ルールを変えて働く時間を短くすることにより、イノベーションを起こしやすくし、結果として生産性が上がる」という考え方が発想の根底にあるように思います。

 

ルールを変えることも大事ですが、生産性を向上させるためには設備投資、人的投資、技術投資を行うことによる環境整備の方が余程大切です。

そもそも日本人の勤勉さと優秀さは世界的な調査でも折り紙つきです。

以前の投稿にも書きましたが、World Economic Forumの調べによると、

日本人労働者の質は世界第4位。

1位ノルウェー、2位スイス、3位カナダ、アメリカは13位。

 

 

そんな状況で「働き方のルール」を変えたところで劇的に生産性が上がるとは非常に考えにくい。せいぜい「効率性」が上がるだけでしょう。

むしろ「働き方を変えれば生産性が上がる」という主張は、そもそも「日本人労働者の生産性が悪い」と経営側や(経団連とどっぷりの)政治家の中に根強い思い込みがあるからです。

 

私はそれに対しては因果関係というか原因と結果の関係が全く逆だと思っています。

つまり「労働者の生産性が悪い」のではなく、「経営者の働かせ方が悪いから、労働者の生産性が低くなってしまう」のだと。

 

もう少し詳しく説明しましょう。

 

「お客様は神様です」

この言葉、恐らく日本人なら誰でも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

この言葉を発した三波春夫の意図とはかけ離れて、この言葉は世間をひとり歩きし、ある「自分を犠牲にしてでもお客様の望みを叶える」ことが美徳であるかのような認識が広まりました。

 

私はこのような認識は「日本の商品は高品質・高価格で素晴らしいものだ」という考え方とほとんど同じ発想のように思います。

 

これらはどちらも、ある種の日本人の美徳とも言われる「自己犠牲の精神」を自分の利益のために人を動かすための方便として“悪用”しているだけではないでしょうか。

いや、敢えて言い切りましょう。

そうに違いない、と。

 

 優秀で勤勉に働く労働者を「高品質・低価格」という美辞麗句の下、安い賃金で働かせ、その差分の利益は経営者が手に入れる。あるいは内部留保として企業内に留めておく。

 

そして、内部留保の言い訳としては「この時代何が起こるか分からない、いざと言う時のために確保しておくのだ。労働者も何かあった時に給料が出ないのでは困るだろう」と。

何となく説得力があるような気はします。

 

ですが、そのような事態に陥った時に、本当にそのお金が労働者に支払われる保証はありません。むしろ真っ先に株主や経営陣に持って行かれるのではないでしょうか。

そもそも何が起こるのかが分からないのは世の常ですので、「何かの時のために・・・」などと言い出したら、いつまでも労働者に還元されることはないでしょう。

 

そう考えると、やはり先程書いたように「高品質・低価格の日本のモノやサービスは素晴らしいのだ!」という盲信は、経営者が労働者を安く買い叩くために用いている方便としか考えられません。

そして、日本人の労働者もまた「自己犠牲の精神」が結果的にそれを許してしまっているのではないかと。

 

根本的な話をすると、高品質の商品を低価格で売るのはどんな馬鹿でもできるのです。

しかし、一時的にそれで売上が上がったとしても、すぐに他社との安売り競争に巻き込まれてあっという間に利益率と売上が悪化。それでもさらなる低価格競争チキンレースを演じるしかなくなるのです。

 

そんなことは数年前の牛丼業界の安売り競争を思い出せば誰でも分かるでしょう。

あの競争の後に何が残りましたか?

売上も利益も激減し、満身創痍になった業界と、ワンオペを前提とした働かせ方によって劣悪になった労働環境。そして、それらが生み出した社会問題です。

 

では、どうするべきか?

言うまでもありません。

「高品質な商品を正当な利益が取れる、正当な価格で売る」ことです。

そして、それが可能な生産性のより高い商品、すなわち

「より付加価値の高い商品を生み出すこと」です。

 

働き方改革とは、そのために・・・つまり

 

・より付加価値の高い商品を生み出すことができるような環境や設備を整えること。

・労働者がそのような商品を生み出しやすくなるようなモチベーションを保つようにすること

 

のために行われるべきです。

そして最も肝心なのは「それを労働者ではなく経営者に迫ること」です。

この点を政府は決定的に誤解しています。

というか、全く理解していません。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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