世界を救う読書

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イノベーションとは合理性からの脱却である。安藤昭子著「才能をひらく編集工学」

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「ここ数年の変化は歴史的に見ても、千年に一度起こるかどうかというほどの大変動ですよ。」

以前、阿川佐和子が司会を務める「サワコの朝」という番組で、歴史学者磯田道史氏がゲストに招かれた際に発した言葉だ。

世の中の流れとは常に変化するものだが、ここ数年の変化の度合いは歴史上でもまれだろう。新型コロナの感染拡大だけの話ではない。その以前から、国際的な政治情勢、世界経済、テクノロジーといった様々な分野で非常に大きな地殻変動が続いている。

そのような先が見通せない不安定な社会で求められるのが、既存のシステムの壁を突破する探究力や、事態を急展開させるアイディア。いわゆる”イノベーション”を引き起こすクリエイティブな思考だ。

ただ、イノベーションやクリエイティビティというと、どこか”才能のある人が生まれつき持っている特殊能力”、あるいは”訓練で身につけた能力”のように思われがちだ。自分には関係ない話だと思う人が多いだろう。

ただ、もし「実はそうではない、そういった才能は誰にでも備わっているのだ」としたらどうだろうか?

 

今回紹介する本は、イノベーションに必要な"情報を読み解く力"を解明し、私たちの中に眠るクリエイティビティを揺り起こすための思考方法を説く力作。

 

安藤昭子 著「才能をひらく編集工学 世界の見方を変える10の思考法」だ。

 今回はこの本が説く編集工学の一端を紹介するとともに、クリエイティビティの覚醒を実は近代合理主義が阻害しているという少し哲学的な話もしてみたい。

 

編集工学とは何か

編集工学・・・耳慣れない言葉だが、これは松岡正剛 (まつおか せいごう)という著述家が生み出した情報編集技術のことだ。

松岡自身の言葉を借りれば「情報を工学的な組み立てを借りながら編集すること、それが編集工学だ。」ということになる。

注意が必要なのはこの場合の「情報」や「編集」の言葉の広さだ。これらの言葉の意味を理解することは、本書を読み進める上でとても重要なため、以下でザッと紹介しておきたい。

<編集工学が扱う情報の範囲>

まず、編集工学における「情報」とはニュースで取り上げられるような新しい出来事や、物事に関する知識だけにとどまらない。私たちを取り巻く環境のすべて、スマホや車のような生産物だけでなく、石ころや草花のような自然もまた何かしらの意味を持っている。編集工学が対象とする情報とは、私たちを取り囲む森羅万象すべてのことだ。

<編集工学における編集の意味>

また、編集という言葉も、一般的に考えられている、雑誌やWebサイトを作るような狭義の編集に留まらない。

先ほどの私たちの周りにある森羅万象すべての「情報」のそれぞれをつなぐ”関係性”を見出すこと。そして、それらの情報の組み合わせを変えることで新しい価値を生み出すこと。これが本書における「編集」だ。

<工学とは何か?>

そしてもう一つの「工学」。これは本書の中では明確に定義づけされていない。したがって、本書全体からの推測になるが、情報を読みといて編集を行う際に、分析対象を細かく切り分け、構造を明らかにするための手法のことを意味しているようだ。

たとえば「テレワークとは何か?」という設問で考えてみよう。

恐らく「在宅勤務」「リモートワーク」といった言葉が思い浮かぶと思うが、このテレワークという言葉を「tele =離れて」「work=働く」と考えてみる。そうすると「職人の分業体制」もテレワーク (離れて働くこと)であるし、役者やスポーツ選手の「自主練習」もテレワークだと言える。つまり、テレワークという言葉を「tele」「work」という2つの語からなっている構造だと理解すれば、様々な解釈が生まれることになるのだ。

このように分析対象の構造を分解することによって、新しい解釈を生み出そうとする行為。これを工学的アプローチだと本書では捉えている (ようだ)。この利点は、ある対象を分析するときに、「空気を読む」「風を読む」のような動物的感覚によらずに、誰にでも情報の関係性を把握できる技術体系として多くの人が共有できる点にあると思う。

 

以上を踏まえて、編集工学が何であるかを改めて説明すると次のようになるだろう。

すなわち、編集工学とは私たちを取り巻く全ての事象を誰にでも分析できるような分かりやすい構造に解きほぐすこと。そして、それらを組み合わせることで新しい価値を生み出せるようにするための技術ということだ。

編集工学の肝「3A」

本書を理解する上で中心となる概念に「3A」というものがある。3Aとは、3つのAのことで、

・アナロジー (analogy)

アブダクション (abduction)

アフォーダンス (affordance)

という3つの言葉の頭文字を取ったものだ。以下、簡単にこれらを説明しよう。

<アナロジーとは>

まず、アナロジーとは「類推すること」。「似ている(類似)」ものを「推し量る (推論)」ことだ。一言で言えば、何か新しい概念や出来事に出くわしたときに「何かに別のことにたとえて考えること」と言っても良いだろう。誰かに説明を求められた時に「まぁ、これはつまりXXXXみたいなもんですよ」と説明するようなものだ。この「XXXみたいなもの」という”たとえ”を連想していき、

<アブダクションとは>

次にアブダクションとは「ある問題に対して、仮説を立て、それを元に推論すること」。かのアインシュタインは「経験をいくら集めても理論は生まれない」と言ったそうだが、目に見えるもの、経験したものを追いかけているだけでは何も引き出すことができない。

自分が遭遇したものに対して、当てずっぽうでも良いから想像力を働かせて仮説を立てる。それによって新しい発見を生み出す。それがアブダクションだ。

<アフォーダンスとは>

そして、最後のアフォーダンス。これは英語の「afford (与える)」という言葉を名詞化したものだ。これは適切な日本語が見当たらないので理解するのが難しい概念だが、「環境が物事に与え、提供している意味や価値」のこと。本書に書かれている例がわかりやすいので、少し長いが引用しよう。

たとえば、ある3人家族が山登りに行ったとする。

しばらく歩いていると道端に人の腰の高さくらいの岩があるのを見つける。

父親はそこに「一休みしよう」と腰をかけ、母親は岩の平らなところに弁当を広げ、子供は岩によじ登ったりして遊び始める。

この場合、たった一つの岩が多くの意味を持っていることが分かる。父親にとっては椅子であり、母親にとってはテーブルであり、子供にとっては遊び道具だ。

つまり一つの物事でもそれが置かれている環境や、それに接する人の解釈によって、無限の意味を持ちうる (=意味をアフォードしている)ということだ。

 

これら「アナロジー」「アブダクション」そして「アフォーダンス」という3つの概念が編集工学において非常に重要だ。

なぜなら、世界のあらゆる物事が持つ意味(アフォーダンス)を環境や状況といった関係性から解釈し、それをアナロジーアブダクション(推論)を使って他の物事が持つ意味や関係性を捉え直すこと。これこそが「編集」だからだ。

本書の後半では「具体的にどのように情報を編集するのか。」「新しい価値を生み出すための思考法とはどんなものか?」が数多く紹介されている。そのすべてがこの3つの概念をベースとして展開されている。拙い説明で恐縮だったが、上記の3Aに関して少しでも興味を持たれたならば、ぜひ本書を手にとって頂きたい。今までとは全く違う世界の見方を知ることができるはずだ。

 

編集工学とは関係性を見出すための技術

このように編集工学の特徴とは、あらゆる情報を分析する際に、物事それ自体ではなく、それが置かれた環境や他の物事との関係性に目を向けるところだ。

私たちは特定の物事を考える時には、その物自体を中心に考える癖がある。しかし、その物事自体は実に多様な意味(アフォーダンス)を含んでいるため、結局物事分析とはその環境と関係性を見つめることに他ならないのだ。

 

ただ、このような関係性に着目して分析するという手法編集工学の特権ではない。たとえば20世紀の経済学者にジョセフ・アロイス・シュンペーターがいる。イノベーションという概念の重要性を説いた人物であり、本書でも彼が提唱したイノベーションの重要性が紹介されているのだが、彼もまた物事の関係性という観点を重視した。

イノベーションにおける物事の関係性の役割を考えるために、この点を少し掘り下げたい。

イノベーションとは"編集"のこと

シュンペーターの提唱したイノベーションという言葉は、日本語で技術革新と訳されることが多い。しかし、彼が使っている意味は少し異なる。

シュンペーターは『経済発展の理論』の中で「新結合」という言葉を使って、この概念の重要性を説いた。その中で彼は企業が生産を拡大するために、生産方法や組織といった生産要素の組合せを組み替えたり、新たな生産要素を導入することで生産力を拡大することをイノベーションと呼んでいる。

すなわちイノベーションとは、一般に思われているような革新的なアイデアをゼロから生み出すようなものではなく、既存の要素を組み合わせを変化させることで新しい価値を生み出すことなのだ。そう、今回紹介している本書の中でいわれている、”既存の情報を編集する(組み合わせる)こと”がイノベーションだとシュンペーターは言っているのだ。

そして、イノベーションのためにシュンペーターが重視したのが「ヴィジョン」であった。

イノベーションに必要な”ヴィジョン”

ヴィジョンという言葉は、世界の全体像や未来など、本来見えるはずのないものを見通す力のことであり、あえて言うならば洞察力、直感力、想像力といった言葉が当てはまるだろう。一見すると科学的な根拠のない、非合理的な、神がかった力のように思える物だが、シュンペーターは”科学”こそがこのヴィジョンの力に支えられていると考えていた。

たとえば何かの科学的な研究を行うとしよう。

この世界には無数の事柄が存在し、それらをすべて網羅的に分析することなどは人間にはできない。そこで科学者は無数の事柄の中から分析対象を選び出し、それに焦点を絞って研究を始めることになる。

すなわち、直感力などとは何も関係ないような科学的研究においても、まず最初に分析対象を選ぶ時点では、非科学的な直感にしたがって決定を行うのである。この直感に対してシュンペーターはヴィジョンという名を与え、その重要性に焦点を当てた。

つまり、科学という非常に合理的な学術体系においてさえ、実はその出発点にはヴィジョンという非科学的なものを宿しているのだ。

イノベーションは近代合理主義の否定から始まる

さて、ここまで見たように、シュンペーターの議論にならえば、科学さえもその出発点にはヴィジョンという非科学的なものを宿していることになる。

そして、現代の私たちの生活のほとんどはこの”科学的なるもの”に支えられている。

ここから分かるのは、科学によって進歩してきたと思われる私たちの生活は、実は非科学的なによってもたらされているということだ。これはある意味近代以来の合理主義が必ずしもこの世界のすべてを説明しうるものではない、ということを意味する。

 

実際、本書においても編集工学という考え方がいわゆる「近代合理主義」への批判、あるいは距離を置こうとする思想が見え隠れしている。

たとえば第二章「世界と自分を結び直すアプローチ」において、つぎのような記述がある。

近代以降の伝統的な知覚モデルでは、「意味」というものは人間の頭の中で完全に処理されているとされてきました。視覚、聴覚、触覚等の感覚器からの入力情報を脳が処理して「意味」にすると考えられてきたのです。

その見方のルーツは17世紀の哲学者ルネ・デカルトにあります。「我思う故に我あり」で知られるデカルトは、精神と身体を異なる実体として捉える「心身二元論」を説きました。客観的な「事実」の世界と人間が生きる「価値」の世界を明確に分離したのです。現代の医学やテクノロジーは、このデカルト以降の二元論を基軸にした西洋的世界観を規範としています。知性を身体や環境から切り離し、知識や論理の力で自然を含む世界を認識しコントロールしようという見方です。

 と述べている。

また、シュンペーターもヴィジョンに関する議論において、カール・マンハイムという社会学者の研究を参照しているのだが、マンハイム社会学は次のような哲学を基礎としていた。

それは

・人間とは集団生活の営みの中で生きるものであるという存在論

・人間はその集団生活を通じてのみ世界を知ることができるという認識論

だ。これはまさに主観世界と客観世界を分離し、個人が抽象的な思索を通じて客観世界を認識するというデカルト以来の近代合理主義を否定するものだ。

ヴィジョンを磨くための編集工学

社会が安定的に成長してきたこれまでの世界においては、たしかに近代合理主義的な判断や思考方法が機能してきたのは間違いない。ファクトやエビデンスに基づく論理的な思考こそが重要であると言われてきた。

しかし、これからの社会ではそれが逆転するのかもしれない。

むしろ、ここ数年のように社会が不安定化し、先行きが不透明な時代においては、必ずしも近代合理主義的な方法では物事を解決するイノベーションを見出すことができないという可能性がある。

これからの不透明な時代を生き抜くためには、合理的で科学的なロジカル思考ではなく、先を見通すヴィジョンを持つことが私たち一人ひとりに求められるのかもしれない。そのヴィジョンを身につけるために、この編集工学というアプローチは非常に強力な武器になるのは間違いないだろう。

 

 

 

という訳で今回ご紹介した本はこちら

安藤昭子著「才能をひらく編集工学 世界の見方を変える10の思考法」

でした。

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m

 

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