世界を救う読書

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アメリカに「ねじれ国会」は存在しない。 ねじれという日本的発想。

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昨日に引き続きアメリ中間選挙ネタですが、日本のメディアの報道を観ていて面白いなぁと思ったことがあります。

それは今回の中間選挙によって上院が共和党優位、下院が民主党優位になった状況をして「ねじれ議会」と表現していることです。

 

これは勿論日本の国会で衆議院参議院のどちらかが与党優位で、もう一方が野党優位になることを「ねじれ国会」ということをもじって言っているのです。確かに今回の選挙によりそのような状態になったことは事実だと思います。しかし、当のアメリカ人達は「ねじれ議会」などとは思っているはずがありません。なぜなら「ねじれ議会」という概念自体が日本的な発想であり、アメリカにはそんな概念は存在しないからです。

 

“ねじれる”ということは何か正しい方向性があり、それが別の力によって意図せざる方向へと変化することです。これを「ねじれ国会」に当てはめて考えてみましょう。

国会がねじれているということは、与党が示す方向性がまず存在して、それが衆議院参議院を通してスムーズに国政へと反映されるという“本来のあるべき筋道”が、野党勢力によってスムーズに流れていかないという状況が生まれているということです。

つまり、上意下達という「上からの意向が下に伝わって行くのが、あるべき筋道である」という前提が国政においても置かれているということになります。

 

その是非はさておき、これってある意味とても「日本的」な考え方だと思うのです。ヨーロッパ諸国はちょっと分かりませんが、少なくともアメリカにはそのような考え方は存在しないはずです。

彼らはむしろ、意見の違う人達が闊達に議論を行うことで、お互いの意見が超克され、より良い方策が見つかるはずだと考える人達です。しかもアメリカにおいて政府や権力というのは、アメリカ人の自由を制限しようとするある意味忌みすべき対象であり、そのような行動を起こさないよう広く監視すべき対象なのです。

であれば、上院と下院において一つの政党が単独優位に立っている状況の方がむしろ好ましくないと考えるのです。

今回の中間選挙でもそうですが、だからこそ選挙で存分に戦った相手に対し、勝者は相手の奮闘を褒め称えるのです。

 

私は別に親トランプ派というわけではありません。

反・新自由主義ではありますので、それに対立する真っ当な政策を行おうとする態度は肯定的に捉えていますが、日本への二国間協定の強行な態度などを見ると別に日本の味方という訳ではありませんしね。

ただ、昨日の投稿にも書きましたが、日本のメディアのように「とりあえずトランプをこき下ろせるなら何でも良い」とばかりに、闇雲にトランプ政権の情勢を否定的に報じても何の甲斐もないということは理解しておくべきだと思います。

 

アメリカ人にはアメリカ人特有の概念と正義があり、それを日本的な価値観に無理やり当てはめて理解しても何の意味もありません。どんなにおかしな事に見えたとしても、別の国にはよそからは計り知れない道理があり、それを理解することはできないということ。そして、その上で、そのような各国の独自の価値観を尊重することを私達はもう一度肝に銘じる必要があるのではないかと思うのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました(≧▽≦)

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