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移民問題について考える時に知っておくべきこと

 昨年の国会で移民受け入れを拡大するための法律「出入国管理法改正案」が可決されました。その時の国会審議もそうですし、その後のメディアに出てくる議論の多くが

 

「外国人労働者(=移民)の受け入れ体制が整っていない」

 

ということを問題視するものです。しかし、ちょっと待って欲しい。その前に憂慮すべきものがあるのではないでしょうか?

 

まずは移民が増加した地域の実態を知ることが先決ではないか?

最近は「移民反対」「外国人労働者受け入れ反対」というと、それだけで外国人差別、人種差別だと疑われそうな空気が強くなっています。それは恐らく「差別をする人」というと、何の根拠もなく自分と違う人を排除しようとする「感情的な人間」で、理性に基づいた合理的な判断ができる現代的な人ではない、というイメージがつきまとっているからではないでしょうか。

 

確かに特定の人たちを何の言われもない思い込みで、一方的に排除したり、劣悪な環境に追い込んだりするのは差別主義だと言われても仕方がないかもしれません。しかし、そのような差別と、

 

差別的かどうかというようなイメージで判断する前に、まずは実際に外国人が多数派になってしまった地域の実態を知ることが必要なのではないでしょうか。

 

中国人住民が過半数となった団地の実態

国会議員や地方議員などへの政策アドバイザーを務める室伏謙一という方が、とある団地の取材レポートを記事にされています。

場所は埼玉県川口市のUR川口芝園団地。中国人の住民が半数以上を占め、かつては「チャイナ団地」と揶揄された場所です。

 

 

もともとは1970年代に全国で建設された団地で、当時は庶民の憧れの団地だったそうです。しかし、そこで育った子どもたちが都会へ出ていったり、親世代は養護施設へ移ったりなどした影響で過疎化が進行。1990年代後半にはだいぶ空き部屋が増えてしまっていたようです。

その代わりに中国人の労働者が居住し始めました。当初は割合も少なくそれほど大きな問題はなかったそうなのですが、2000年代に入り中国人が過半数を超える頃には日本人の住民とトラブルが増加するようになりました。

 

詳しくは記事をご覧頂きたいのですが、一部抜粋しますと「具体的には、ゴミを部屋の窓から投げ捨てる、階段の踊り場で大便や小便をする、ゴミ捨て場に分別を無視してゴミを捨てる、粗大ゴミを置いていく、団地内の広場で夜中に爆竹を鳴らし、注意に来た日本人住人に暴力を振るう等」の行為が行われるようになったとのことです。

 

日本人的にはちょっと考えられない行為ですが、私も中国に毎年行っている経験から考えて、「ま、そうなるわな」という気がします。中国は確かにここ10年ほどすごい勢いで都市化が進んでいますが、それは本当に都心部だけの話。その都心部でも一本裏通りに入ると、「え? さっきの高層ビル街はハリボテだったのか??」と思うほど悲惨な状態なのは相変わらずです。

ちなみに、立派なオフィスビルやホテルでも「入り口はすごい豪華だけど、地下に入った途端・・・」なんてことは当たり前です。「見える所だけきれいにしておけば、裏はどうなっててもOK!」。これが中国スタンダードです。

 

文化や生活習慣の違いを認識することは差別とは違う。

ただ、勘違いして頂きたくないのは、記事の中で室伏氏も述べていますが「だから中国人が悪い」という単純な話ではない、ということです。日本には日本の常識があるように、中国には中国の常識がある。その常識が食い違っている、ただそれだけの話なのです。どちらが正しくて、どちらかが悪だとかいうことが言いたいのではないのです。

 

しかし、「常識が違っているだけ」と言いましたが、それを乗り越えることは容易なことではありません。みなさんも聞いたことがあるかもしれませんが、笑い話で

 

「昔々、日本を訪れた中国人が瀬戸内海を見た時に、『日本には川がないと聞いていたが、立派な川があるじゃないか』と言った」

 

という話があります。

まぁ、それは多分作り話だと思いますが、この話で興味深いのは同じ「川」という言葉でも、日本人と中国人では捉え方が全く違うということです。

 

そして言葉が違うということは、そもそも世界の捉え方が違うということを意味し、世界の捉え方が違えば、当然文化や社会のルール、そして価値観も変わってきます。私達が「きれい」と思う物がきれいだと思われるとは限りません。

また、それと同じように外国人が「楽しい」と思うことを、私達は「うるさい」と思うかもしれない。

 

人手不足解消のために「外国人労働者を呼び寄せる」と言いますが、「外国人労働者」と一言で言っても、彼らにも独特の文化やがあり、それは千差万別です。そのような人たちと同じ場所に、同じルールで住め! と言っても、そんなに簡単に行くわけがないのです。

 

そのような違いを認識することは差別でもなんでもありません。

むしろそのような違いがあるからこそ、世界には多様な文化や生き方があり、これだけ世界は広くなっているのです。

 

移民問題を考える時は自分の生活に置き換えて考えてみよう。

ちなみに、私には中国人の友人がいます。また、仕事上で付き合いのある中国人もいます。彼ら個人個人はとても頭も良く、とても優しい紳士な方が多いのも事実です。ですが、やはり仕事上の付き合いや友人付き合いでうまく行っていたとしても、同じ共同体で生活するとなれば話は別です。

 

「移民受け入れはやめた方が良い」なんて言うと、人種差別とか排外主義だとか言われそうで、なかなか他の人に面と向かって言うことは難しいかもしれません。しかし、

移民政策とは「移民反対なんて言ったら人種差別とか排外主義とか言われるんじゃないか」とかそういう抽象的なイメージで考えるべきではありません。なぜなら、上記で紹介した記事のように私達の生活に直結する問題だからです。

 

海外からやってくる人たちはロボットではありません。自分や家族の人生を背負ってやってくる”人間”が実際にあなたの近くで生活する。しかもその人達は、私達が当たり前と思っているルールが通じない独自のルールで生きている人たちです。

その上、言語も違うのですからコミュニケーションも取れません。勉強して日常生活に支障がないレベルで日本語を話せるようになったとしても、”円滑にコミュニケーションを取れる”レベルとは全然違います。

 

そして彼らは彼らでコミュニティを作り、私達のコミュニティとは違うルールで生きていく。 これから何十年もです。

 

そのような異質なコミュニティがあちこちに存在する日本で暮らしていくことが、本当に自分たちの幸せになるのか?

差別主義だとか排外主義だとか、そういう抽象的なイメージではなく、ちゃんと自分の人生の問題として考えなくてはならない問題ではないかと思うのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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