世界を救う読書

ビジネス書から文芸書までさまざまな本を通して世界の見方を考えるブログ

日本の英語教育が駄目なのは政治家は言葉の力を舐めているからだ。

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昨年末から政治家のドタバタ劇のせいで揉めている大学入試共通テスト問題。その中でも一番問題になっているのが英語の4技能試験です。この言葉だけは何かニュースでもよく出るので、「何か聞いたことあるな〜」っていう人は多いのではないでしょうか。

英語4技能というのは

「聞く」「話す」「読む」「書く」

という4つの技能のことを指しています。昨年末に大揉めに揉めて撤回することになった民間試験の導入というのも、大学入試でもこの4つの技能の高さを測る試験が必要だということで検討されたものでした。

 

先日1月15日に、文部科学省が設置した「大学入試のあり方を議論する検討会議」の初会合が開かれたのですが、その中で萩生田光一文科相が

「次代を担う若者が英語によるコミュニケーション能力を身につけ、大学入試で4技能を適切に評価する重要性に変わりはない」

 と述べたとのこと。政府としてもこの4技能をいかに評価するかが重要だと認識している、ということですね。

 

が。

ですが。

この大学入試で英語の4技能を評価するってそんなに大事ですかね?(笑)

いきなり身も蓋もないことを言ってしまうと

 

「どうせAI (人工知能)技術を使って、数年で自動翻訳機が開発されるんだから、今さら英語勉強しても無駄。」

 

だとは思います(笑)。

とは言え、これで終わってしまってはこの問題の本質が見えませんので、もう少しこの英語教育のあり方について掘り下げてみたいと思います。

ちなみに、今回は自分の子にどのような英語教育を施すべきか悩んでいる人、あるいは学生時代に受けてきた英語教育に疑問を感じている人たちに向けて、外国語教育において何が重要なのかを書いてみたいと思います。少しでも子供の外国語教育の参考になれば、あるいは今まで「自分が受けて来た英語教育って意味があったのかな?」と感じている人の“もやもや”の解消になれば幸いです。

 

[目次] 

 

 

グローバル化 = 英語化?

英語教育の問題点は技術的な面や現場レベルでの問題点はいくつもあると思います。ただ、それらの問題の根幹となるのは私は一点に絞られると思っています。それは「そもそも言語とは何かという点が全く理解されていない」ということです。

 下記の日経新聞の記事にある日本私立中学高等学校連合会会長(役職名長すぎwww)の言葉に顕著にあらわれているのですが

論点の一つは英語4技能の評価方法だ。日本私立中学高等学校連合会会長の吉田晋委員は「英語4技能はグローバル社会で活躍するために必要なツールで、入試で測る必要がある」とする。国が民間試験の受験料を支援するなどし、各大学の4技能評価を後押しするといった方法を提案する。 

 

「英語4技能はグローバル社会で活躍するために必要なツールで、入試で測る必要がある」

 出ましたよ。「グローバル社会」と「ツール」。

はっきり言ってこの言葉を使う時点でもう既に教育を語る資格がありません。

 

グローバル化は既に時代遅れ

グローバル社会などと言いますが、もう既に世界はフランスの人類学者エマニュエル・トッドの言う「グローバル疲れ」によって、グローバル化の流れから反転しています。

そもそもグローバリゼーションというのはアメリカのような強国が「自由」「平等」という美辞麗句の下、自分の強さが最大限に発揮できるルールを作って、それを世界中に押し付けてきた流れでした。いわば「アメリカ圧倒的優位ルールの下での弱肉強食の世界」であり、強い者はますます強く、弱い者はますます弱くなるシステムだったのです。だからこそ政治的、金融的な強者から強烈に支持されてグローバル化が一気に進められました。

 

しかし、その一方で弱肉強食の世界によって収奪される側の弱者はますます弱くなった上、強者と結びついた政治からは完全に置き去りにされました。その自国政治に見放された人々の怒りが生み出したのがトランプ旋風であり、英国のEU離脱であり、ドイツの政治混乱、フランスの黄色いベスト運動だったのです。このようにそもそも行き過ぎたグローバル化がそういった混乱を引き起こしたことを考えれば、脱グローバル流れが生まれてくることは当たり前の話です。

つまり、日本以外の先進国はグローバル化の進展によって生まれた軋轢が国家的混乱を生むことが明らかになったため、そのグローバル化から舵を切ったのです。したがって、「グローバル化はもう時代遅れ」であるにも関わらず日本は愚かにも周回遅れで追いかけている。それが現実です。

将来どころか今現実に起こっていることすら理解できず、あいも変わらず「グローバル化社会で云々かんぬん」などと言っている人間たちに、将来世代の教育を語る資格など全くないのです。

 

言語はツールではない。

そして彼らが犯しているもう一つの重大な誤り。それは「英語はツール」だと思っていることです。英語に限らず「言語=ツール」だと考えている人は、恐らく言語とは人と人がコミュニケーションを取る上で生み出された道具だと思っているのでしょう。しかし、このような理解は言語の力をあまりにも低く見積もり過ぎています。

評論家の中野剛志さんの著書「富国と強兵」の中でジョン・サールという言語学者の言語行為理論が紹介されているのですが、そこでは

言葉というものには、物事の記述や報告にとどまらず、人間の行動を規定する規範的な力が宿っている。たとえば、「私は、明日必ず来ます」という約束の言葉は、単なる発話者の意図や信念の表現にとどまらない。その約束の言葉は、約束を表明した発話者に対して、言葉どおりに必ず実行しなければならないという社会的な義務を課すのである。

このように、言語というものには、一定の行為を遂行させる規範的な力がある。

*1

とした上で、社会一般における契約、私有財産権、さらには企業や組合といった組織までも“言語が持つ規範的な力”がその裏付けとなっている。あらゆる制度というものが言語によって創造されたものなのである、と結論づけます。

この場合の「制度」とは、法律のような明文化された規則だけではなく、学校や近所付き合いのようなコミュニティで暗黙に成立しているルールや、道徳や倫理といった社会の秩序を保つためのすべての規範が含まれています。

そうであれば、そのような規範が生きて、秩序のある平和な社会を成り立たせているのが言語である以上、言語こそが社会のあり方を規定するものであり、私達の道徳や行動倫理を言語が規定しているということになります。

 

ちなみに、近代言語学の祖とも言われるフェルディナン・ド・ソシュールも同様の指摘をしています。例えば「川」という言葉は英語では「River」、フランス語では「Rivière」ですが、それがイメージさせる姿かたちは全然別物だというのです。昔の寓話で、日本に来た中国人が「日本には大きな川がないと聞いていたが、立派な川があるじゃないか」と言ったところ、実はそれは“瀬戸内海”だった、と。

つまり、言語が違えば世界の捉え方そのものが違うということなのです。言語はツールどころか、この世界の認識方法そのものを左右する存在なのです。

 

「英語はツール」などと言う人は、そのような言語の持つ根源的な力すら理解していないし、そんなことを考えたこともないのでしょう。つまり、自分が住む社会がどのように成り立っているかも考えずに、まるで自分が自分だけの力でこの社会のあり方を規定しているかのような浅はかな認識能力しかないということです。その程度の人たちにこの日本の未来を担う若者の教育など語る資格はありません。

 

国際社会で生き残るために英語より重要なもの

ここまで見てきたように、英語教育推進を図る人たちのほとんどが言葉では偉そうに日本の未来を考えているように言っておきながら、 実は国際社会のことも、言語のことも全く理解せずに念仏のように「グローバル化が〜」「英語教育が〜」と唱えているだけに過ぎません。結局彼らの頭の中は

 

「何か知らんけど、英語をペラペラ喋れるようになりゃ、外国からお金稼げるグローバルな戦士に育つんだろ。知らんけどww」

 

その程度のコンセプトしかないわけです。

しかし、はっきり言って本当にビジネスレベルで外国の人たちと渡り合っていくだけなら、社会人になってからの勉強で十分です。私も仕事上海外の人たちと英語を使ってコミュニケーションを取っていますが、彼らも仕事という共通の利益のために話をしているのですから、“話す内容さえしっかりしていれば”ちゃんとコミュニケーションは取れます。そのための必要最低限の英語力は社会人になってからでも十分身につきます。本人のやる気次第です。

逆に言えば、やる気がなければどんなに詰め込んでも無駄です。大学入試用に勉強したとしても、数年できれいさっぱり忘れてしまうでしょう。

 

むしろ重要で、なおかつ難しいのは

 

・「英語は下手だけど、こいつはコミュニケーションを取るべきやつだ」と思われる人間力

・会話を聞くに値する内容にできるかどうかの分析力、洞察力、判断力

 

の方でしょう。こればかりは付け焼き刃の試験勉強で意図的に育て上げることは相当難しい。一つの物事を注意深く見つめ、分析し、考え、仮設を立てて検証していく・・・そのような地味な努力が欠かせません。これこそ子供の時からの長い時間をかけた教育が必要であり、もっと政府が国を挙げて取り組んでいくべき教育でしょう。そして、このような教育においては、下手に中途半端に英語を学ばせるよりも母国語である日本語を徹底的に磨かせた方が、より深い理解力と創造性を身につけられる可能性すらあるのです。

繰り返しますが「何か知らんけど英語をペラペラ喋れるようになりゃ、金稼げんだろ。」程度の浅はかな考えで、安易に子供の教育方針を転換してはならないのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

*1:中野剛志著「富国と強兵」 P395より引用

アメリカ VS イラン。なぜ対立が激化するのかをまとめてみた。

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いやー、驚きましたね! アメリカとイランが「いざ戦争か???」という状況に突っ込みました (軽すぎww)。

1月8日昼のNHKニュースでは“イラン情勢に詳しい”解説者が

 

「イランはアメリカとは真剣に対立するつもりはない。しかし、司令官を殺害された以上、国内的にも報復を行わないわけにはいかない。トランプ大統領も報復があること自体は想定内だから、深刻な対立にはならないだろう。」

 

みたいなことを言ってましたが・・・・

ミサイル攻撃で80人の「米テロリスト」が死亡!!

NHKさんの面目丸つぶれwww残念www

 イラン側の報道だけなので真相はまだ不明ですが、少なくとも何らかの人的被害が出たことは確実でしょう。いや・・・笑い事じゃないんですけどね・・・。ここまで深刻だと逆に笑いで一呼吸置かないと整理できない感じなので。

 

明日トランプ大統領が声明を発表するということですので要注目ですが、自分自身の頭の整理の意味も込めて、以前投稿したイラン情勢の記事をまとめました。

事ここに至るまでの歴史的経緯がざっくりとお分かりいただけると思いますので、イラン情勢が気になる方は要チェックで!!

 

 

今回は短文で済みました。

手抜きじゃないよ!!! (笑)

この記事が好評だったら「ざっくりわかるイラン情勢のまとめ記事」を書いてみようと思いますので、読みたい方がいたらポチッと星つけてください(笑)。

 

最後までお読み頂きありがとうございます!m(_ _)m

嘘をつかずに国民を騙す。安倍政権のテクニック。

 

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安倍首相が2012年末に政権を取ってから、はや7年が経ちました。その間さまざまな改革がなされて来ましたが、さっぱり国民生活は改善していません。普通これだけ停滞していたら政権交代しても良さそうなものですが、さっぱりその気配すらありません。これはなぜなのでしょうか?

いくつか理由はあると思うのですが、今回取り上げたいのは「安倍政権が実に巧妙に国民を騙すテクニックを用いている」ということです。

そのテクニックは大きく分けて次の2つです。

1.  “聞く聞く”詐欺

2.  統計マジック詐欺

では、それぞれを詳しく見てみましょう。

 

[目次]

 

 

安倍政権のお家芸 “聞く聞く”詐欺とは?

まずひとつ目がこの「聞く聞く詐欺」。

つい先日の念頭訓示式で菅官房長官でも使われていました手法です。

上記記事にある通り菅官房長官はこのように述べたそうです。

「今年も謙虚に国民の声に耳を傾けながら、それぞれの政策課題に1つ1つ成果を出していただきたい」

はい。出ました(笑)。

「謙虚に国民の声に耳を傾けながら」。

これです。毎回言葉は違うのですが安倍政権の閣僚は、何かあるとみんな

 

「国民の意見に真摯に向き合う」

「国民の声をしっかりと受け止める」

 

などと、“国民に寄り添う感”を演出する言葉を発します。

・・・が、ズバリ言わせていただきますと

「声を聞くだけの簡単な仕事ならバイトで良いんだわwww政治家の仕事じゃねーwww」

政治家の仕事というのは国民の声を政治や政策に反映させることです。声を聞くだけじゃ駄目なんですよ。恐らく安倍政権の人たちはそれは分かっています。分かった上で敢えてこういう言葉を使っているのです。では、なぜそのような言葉を使うのでしょうか?

理由は簡単で、

「声を聞くと言っておけば、どのような政策を出されても国民は文句を言わない (=国会で過半数を占めているので言いようがない)ことを理解しているから」

です。

言い換えれば「声を聞くは言ったが、それを政策に反映させるとは一言も言ってない。声を聞くとさえ言っておけば支持してくれるんだから、お前らチョロすぎww」と国民はバカにされている訳です。

とは言え、別に安倍政権は嘘をついているわけではありません。「意見を聞くことと、それを方針に反映させることは別次元の話」というだけの話。それにまんまと国民が騙されているのです。

 

統計マジック詐欺とは?

もう一つの安倍政権の詐欺テクニック。それが統計操作です。

 下の記事は西日本新聞の記事を拝借しています。

 GDPというのは国内総生産 (Gross Domestic Product)の略です。一年間に国内で生産されたモノやサービスの量を金額で表したもので、これを見ると国家の経済規模が拡大しているのか、停滞しているのかが分かります。

上記の記事にある通り安倍政権は、2015年当時500兆円程度だったこの名目GDPを「2020年には600兆円に引き上げる」という目標を掲げました。それが2019年7~9月期は559兆円に達しています。この数字だけ見ると

「安倍政権は順調に目標を達成している。」

 「日本の景気は良くなっているんじゃないか。」

と勘違いしてしまいそうになります。

・・・が、そこが安倍政権の巧妙なところ。

実は、GDPの算出方法そのものを変更することで、約30兆円も“かさ上げ”を行っているのです。この操作自体は安倍政権も認めています。

 安倍政権はかさ上げすることが目的ではなく、国際基準に合わせただけだと言っていますが、それだったら2015年当時のGDPも新基準で計算し直すべきだし、「2020年には600兆円にする」という目標も変更するべきです。

 

安倍政権は嘘はついていない

安倍政権の詐欺テクニック、いかがでしたでしょうか?

いやぁ、素晴らしいですね。本当に。ここまで来ると感心します。

ただ、ここで注意しておかなければならないのは、安倍政権は別に国民に嘘をついているわけではない、ということです。

嘘をついているのではなく“本当のことを言っていない”、あるいは“都合の良い結果が出るように統計を操作している”というだけです。つまり、自分にとって都合が良いようにルール変更を常に行っているわけです。しかし、このようなルール変更は専門家ならまだしも普通に生活している国民には分かりません。専門用語オンパレードの文書を読み解くなどできないし、そんな物を読み込む時間がありません。多くの国民はその弱点をうまく利用されている、というわけです。

 

安倍政権に騙されないために 

では、どうすれば良いのか?

実際問題、専門的な勉強をしたわけでもない人が、安倍政権のブレーンや官僚たちが描いたシナリオを突き崩すことは無理だと思います。ただ、論破することはできなくても「本当にそうなのか?」と疑うことはできます。そして、その疑いを元にネットなどを使って調べることはできます。専門家の論理に打ち勝つ必要はありませんが、疑問を持って考え続けることは誰にでもできるわけです。私は安倍政権のこのような巧妙なテクニックを打ち破るためには、一人でも多くの人が「本当かなぁ?」と考えられる状況を作り出すしかないと思っています。

 

私も別に、私が書いていることが100%正しいなどと言うつもりはありません。でも考えるキッカケ作りくらいにはなるはず。そう信じて細々ながらこのブログを日々更新しているのあります。本当に細々ですがwww

疑問をもって、考えるということはめちゃくちゃ面倒くさいです。でも、それをやらない限りこのまま日本がどんどん後進国化していくのは止められない。それもまた事実なのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂き有難うございました😆

労働者の使い捨てを“ヒット商品”と呼ぶ。それが日経新聞。

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日経新聞の中でも特にマーケティング関係の記事を取り上げる日経MJという新聞があるのですが、それの1月1日付の記事で、「世界各国の2019年度ヒット商品」を紹介する特集記事がありました。アメリカのヒット商品ベスト5として取り上げられていたのが

 

1位 宅配サービス

2位 CBD入り食品

3位 「こんまり」指南の片付け

4位 女子サッカー関連商品

5位 エコフレンドリー商品

 

です。

見事1位に輝いた「宅配サービス」と言えば昔からあるサービスですが、ここでは特にAmazonやウーバーに代表される無理宅配サービスのことを取り上げていました。

“宅配、「即日・無料」で競う”と題された記事によりますと

アマゾン・ドット・コムが有料会員に対し注文から1時間以内に配送するサービスをすれば、ウォルマートは特別契約した顧客に生鮮食料品を自宅の冷蔵庫内まで運ぶサービスを始めた。

これを受け、あらゆる業界が宅配サービス事業を拡充。しかも「無料宅配」がカギとなった。

とのことです。

何も日経MJの記事が間違ったことを書いている訳ではありませんが、いわゆるシェアリングエコノミーをベースにした無料宅配サービスを「ヒット商品」として取り上げる感覚はある種の「冷たさ」を感じます。

 

昨日の投稿で、このシェアリングエコノミーを題材にした映画「家族を想うとき」という作品を取り上げました。 

 

この投稿でも書いたのですが、本来Amazonやウーバーなどの小売企業は社員を正式に雇い、その社員に宅配業務を担わせるべきものです。そして、その社員の安全管理などを自社できちんと行うべきなのです。それを“個人事業主”という名で個人の労働者と直接契約を結び、彼らにその安全責任を“激安で”丸投げする業務形態・・・それがシェアリングエコノミーなのです。

 

シェアリングエコノミー、(そこで働く日雇い労働者を指す)ギグワーカーなどというそれらしい横文字を使うことで、まるで新しい時代に適応した新サービスのようなクリーンな印象を与えていますが、実態は

 

安い金で、労働者を買い叩く搾取モデル

 

でしかありません。

「経済」という言葉の語源は「経世済民 (けいせいさいみん)」で、「世を治め、民を救う」という意味です。“日本経済”新聞と名乗るのであれば、本来の経済という言葉の意味とは真逆の搾取ビジネスを礼賛するような記事を書くのは慎むべきではないか? と私は思うのです。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました 😆

映画「家族を想うとき」に見るシェアエコの恐るべき実態

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遅くなりましたが令和2年初投稿となります。

最近投稿の頻度が落ちてしまっていますが、東京オリンピックもありますし(?)一念発起して今年はもっと投稿できるようにがんばりますので、みなさま宜しくお願い申し上げます! m(_ _)m

 

さて、令和2年初投稿はなんと映画の感想です。めずらしい!

普段はそれほど映画を観ないのですが、今回はなんと元日に映画館で観てきたこちらの映画がとても面白く、一人でも多くの人に見ていただきたいと思ってレビューを投稿します。

その映画とはこちら。

 

ケン・ローチ監督作「家族を想うとき」です。


「家族を想うとき」というタイトルからすると感動ドラマかと思われそうですが・・・全然違います! (笑)

かなり社会派のドラマで、感動モノというよりも「最後まで報われない家族」の物語です。本当に最後まで報われないのである意味映画を観たあとも非常にもやっとします。でも、とても考えさせられるドラマです。

 

以下ネタバレを含みますのでご注意ください!

 

[目次]

 

 

あらすじ

ではさらっと、公式HPからあらすじを抜粋します。

舞台はイギリスのニューカッスル。ターナー家の父リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして独立。母のアビーはパートタイムの介護福祉士として1日中働いている。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい想いを募らせてゆく。

(中略)

個人事業主とは名ばかりで、理不尽なシステムによる過酷な労働条件に振り回されながら、家族のために働き続ける父。そんな父を少しでも支えようと互いを思いやり懸命に生き抜く母と子供たち。日本でも日々取り上げられている労働問題と重なり、観る者は現代社会が失いつつある家族の美しくも力強い絆に、激しく胸を揺さぶられるだろう。

 勘の良い方はピンと来たと思いますが、これはウー◯ーに代表されるシェアリングエコノミーで生計を立てる家族の悲痛な物語です。

主人公でもある父親リッキーは元々建築業界で正社員として働いていました。それが2008年の金融危機により会社が倒産。その後さまざまな仕事を転々としていたのですが、なかなか馴染めず遂に友人の紹介で◯ーバーのような運送会社に就職します。

「これからは人に使われるのではない。個人事業主として独立して生計を立てていくんだ!」と言えば聞こえは良いのですが、実態は過剰労働で生活は不安定。休みもなく働かされて収入も激減し、家族もバラバラになっていく・・・という物語です。

 

「個人事業主」とは名ばかりの恐ろしい実態

主人公リッキーが運送会社と契約を結ぶ時からすでに罠が仕掛けられているのですが、その会社経営者から「うちの社員として雇うのではない。あくまでお前は個人事業主で、うちとは業務契約を行うだけだ。」というようなことを言われます。

最近は日本でも「副業のすすめ」みたいな本が流行っていて、「雇われ従業員を辞めて個人事業主として独立しよう!」みたいなタイトルの本がよく書店に並べられています。この経営者が言っているのも同じようなことです。しかし、個人事業主というのは名ばかりで、実際には

 

・運送業を行うための車は自分で準備しなければならない。当然自動車保険も自腹。

・運送中に事故や事件に巻き込まれても自己責任で対処。

・「働いた分だけ収入になる」という触れ込みだが、実態は労働基準法違反の安い報酬で一日中働かなければ、満足な収入が得られない。

・社員ではなく業務を発注/受注する関係であるため、仕事を断ったら違約金が発生する

 

など、本来「雇用主と社員」の関係であれば、雇用主が持たなければならない責任をすべて労働者側に押し付ける関係となっているのです。

 

これは映画の中の話ではない

実際、これは映画の中だけの話ではありません。現実の世界で起こっていることでもあります。

例えば、最近日本でも徐々に勢力を拡大しているウーバーではこんな記事が取り上げられていました。

サンフランシスコ(CNN Business) 米配車サービス大手のウーバーが5日に公表した安全性に関する報告書で、2017~18年にかけて報告された性的暴行被害が5981件に上っていたことを明らかにした。

このうち464件はレイプ被害だった。

ウーバーをめぐっては、CNNの調査報道で昨年、それまでの4年間で米国内の運転手少なくとも103人が、乗客に対する性的暴行などの罪に問われていたことが判明した。運転手は逮捕されたり警察に指名手配されたり、民事訴訟を起こされたりしている。

ウーバーに雇われた側が暴行被害に遭うこともあれば、逆に客に暴行被害を加えることもある・・・。本来であれば「安全管理」雇用者が持つべき責任です。しかし、何事も管理するにはお金がかかります。シェアリングエコノミーというのは、そのような管理に掛かるお金を極限まで削ることで、利益を絞り出すビジネスモデルなのです。いわば「責任を立場の弱い人にシェアさせる (=押し付ける)ビジネスモデル」、それがシェアリングエコノミーの正体です。

 

自己責任論でごまかすな!

さて、ワタシ的にこの映画の中でひとつ記憶に残っているシーンがあります。

それは主人公が安い報酬で一日中へとへとになるまで働いている最中、中学生の息子と口論になるシーンです。

 

実は息子はとても頭が良く、父親思いの良い子なのですが、両親が働き詰めのために家族の時間が取れないことで、とても寂しい思いをしています。そして、(ありがちですが)両親の気を引くためにわざと揉め事を起こすのです。そんな息子に対して父親は「俺は今までいろんな職場で散々な思いをしても、家族のために頑張って来た。それなのになんでお前は迷惑をかけるんだ!」と言って怒鳴りつけます。

それに対して息子は

 

「自分でそれを選んだんだろ。自己責任だろ。」

 

と言ってのけるのです。私はこの息子が言い放った一言は、ここしばらく日本でも蔓延している「自己責任論」と通じるものがあると思います。

 

この父親は何も好き好んで現在の境遇になった訳ではありません。建設業で正社員として働いている時は一所懸命真面目に働いていました。ですが、金融危機という本人には何も責任がなく、彼にはどうしようもなかった理由によって会社が倒産。世間に放り出された結果、仕方なく現在のような境遇に陥ってしまったのです。それに対して、社会に何も責任を取らなくて良い“子供”が「自己責任」だと切り捨てる。私にはこの子供の姿が昨今の日本人の姿と重なります。

 

そりゃ、人間なのですから結果的には不味い選択をする時もあるでしょう。でも、それを他人事のように「自己責任でしょ」で切り捨ててしまったら、社会は成り立ちません。社会というのはそのような“何が起こるかわからない”人生という荒波を少しでも平和に暮らせるようにするセーフティネットなのです。今この瞬間は他人事であっても、次の瞬間には自分がそのセーフティネットに助けられることになるかもしれない。それが人生なのです。そして、そのようなセーフティネットを保つためには思いやりや気遣いがなければなりません。甘っちょろいと思われるかもしれませんが、そのような「思いやりを基盤にしたセーフティネット」こそが、この不確実な世界の中で少しでも安定した社会を築くための人類の知恵なのです。

 

そのような人類の知恵を「自己責任でしょ」とバッサリ切り捨てる冷徹さこそが、世界中で貧富の差の拡大と、それに反発するデモや暴動を引き起こす原因になっているのではないか?と思うのです。

 

監督からのメッセージ

それでは最後にこの映画のパンフレットに書いているケン・ローチ監督自身のメッセージを紹介してこの投稿を終えたいと思います。

 

“1日14時間、くたくたになるまで働いている宅配ドライバーを介して勝ったものを手に入れるということが持続可能と言えるのでしょうか?

(中略)

友人や家族にまで波及するようなプレッシャーのもとで人々が働き、人生を狭めるような世界を、私たちは望んでいるのでしょうか?

(中略)

ワーキングプア、つまりリッキーやアビー (※主人公とその妻)のような人々とその家族が代償を払うのです。”

 

私達が何気なく手にしている便利さの裏にどのような闇と代償が横たわっているのか。そのことに私達は今一度思いを馳せなければならないのではないでしょうか。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました! 😆

もっとルーズになれば日本は必ずうまくいく!

日本の大停滞時代とも言える平成という時代が終わり、令和という新しい時代が始まりました。

しかし、「新しい時代」とは名ばかりに、消費増税以降、実質賃金が減少したり、出生数が統計開始以来はじめて90万人を下回ったり、小売業の販売額が下落したりと暗いニュースばかりで、とてもオメデタ感はありません。恐らくこのブログを読んでいる方も「来年は良い一年になりそうだ!」と思っている人はほとんどいないのではないでしょうか?

 

この停滞感と閉塞感の原因は一体何なのでしょう?

理由はいくつもあるとは思いますが、私が思うにひとつは「日本人が真面目すぎるから」という点があると思います。特に

「決められたルールは守る」

ということに関しては、日本人は恐ろしいほど真面目です。

 

「ルールを守って何が悪いんだ? 当たり前じゃないか!」と思う人も多いでしょう。確かに“個人の美徳”のレベルでは、ルールを守るということは素晴らしいことだと思います。それが世界でも日本人は礼儀正しいということで高い評価を受けているのも事実です。

ただ、残念ながらたとえ理不尽なことであっても「これがルールだ」と決められたら、不満に思っていてもそれに従ってしまうので“ルールを作る側”から利用されやすいという側面にも繋がっているのも事実です。

その「ルールを作る側から利用されやすい」という側面が悪い方向に働いている典型的な例が、政府や財務省、大手メディアがよく言う「財政規律」というやつです。今回はこの財政規律という問題、そしてそれがいかに馬鹿げている話なのかを取り上げてみたいと思います。

 

[目次]

 

 

日経の財政規律論が酷すぎる

先日の日経新聞のコラムに、下記のような財政規律を解説した記事がありました。

国は税収や公債の発行で歳入を手当し、社会保障や防衛、公共サービスなどを国民に提供している。野放図に借金を積み重ねると金利上昇を招いて国民生活に影響しかねないため、財政畝井には一定の規律が必要になる。

日本の財政再建は黄信号が点滅し、いつ赤信号になるかわからない。国民総生産 (GDP)に対する国と地方を合わせた長期債務残高の割合は20年度末時点で197%になる見通しだ。10年度末の173%からじりじり上がり、18年度は200%の大台に乗せた。

(2019年12月 より)

 

恐らく経済学を学んだことのないほとんどの人にとっては「この記事のどこがいけないの?新聞やニュースで言われていることじゃないか。」という感覚だと思います。ですが、残念ながらこれらはほとんどデタラメ、もしくはわざと誤解させるような内容で、このようなデタラメの「日本経済新聞」が書いて、日本人の多くが信じ込んでいるということが日本の長期停滞の原因なのです。

では、具体的にどうデタラメなのか見ていきましょう。

 

1) 公共サービスは税金を使っているのではない

国は税収や公債の発行で歳入を手当し、社会保障や防衛、公共サービスなどを国民に提供している。

これ、「手当し」という表現がメチャクチャ曖昧なので(多分わざとでしょう)“デタラメ”とは断言できないのですが、そもそも国は税収で公共サービスを国民に提供している訳ではありません。

これは大部分の人が勘違いしていますが、まず国が日銀にお金を発行させて、それを公共サービスなどを通して民間に流しているのです。そして、お金を流しっぱなしだとお金の流通量が増えすぎてインフレになってしまうので、お金の流通量を調整するために税金を徴収しているのです。税収を原資にして、公共サービスを提供している訳ではありません。順番が逆なのです。

 

2) 日経は景気回復して欲しくないらしい

野放図に借金を積み重ねると金利上昇を招いて国民生活に影響しかねない

これもメチャクチャ定義が曖昧です。

大手メディアを名乗るのであれば

 

・“野放図に”というような抽象的な言葉を使うべきではありません。たとえばGDP比率で何%の拡大を何年間継続すること、など定義を明確にすべき。

・国民生活に影響しかねないって、そりゃ国が何をやっても国民生活には影響は出るでしょう。それが良い影響なのか、悪い影響なのかが問題だし、さらに言えば「何をもって良い or 悪いを判断するのか基準を示さなければ無意味」

 

この程度ははっきりさせるべきです。

また、そもそも「金利上昇を招いて〜」とか言ってますが、金利が上昇するということは“借金してでも投資したい”という需要が伸びているということなので、それは景気回復しているということです。実際バブルの時などは国債の長期金利は7%超えていましたが、その時に誰かが「このまま好景気が続いたまずい!」とか騒いでいましたか?

金利上昇したらまずい!!っていうのは「景気は回復させるな!!」と言っていることと同意義ですが、意味が分かっているのですか?

 

3) 債務残高197%でも何も悪くない

国民総生産 (GDP)に対する国と地方を合わせた長期債務残高の割合は20年度末時点で197%

これもよく言われるやつですね。財政破綻したギリシャで言えば、最大の債務残高が180%まで行きました。なので、それを超える「197%」とかいう数字を見せられると一瞬ビビってしまいます。しかし、財政破綻をするのであれば日本国債の金利はもっと急上昇しているはずです。なぜなら簡単に言えば

 

・国債の金利が高いということは、国が市場に対して「それくらい利子を払ってでも誰かがお金を貸してくれ!」と要望している状況のこと (それでも貸してくれないから困ってる)

・国債の金利が低いということは、市場が国に対して「利子なんか激安でも良いから“お金を貸させてくれ”! 誰も借りてくれなくても困ってるんだよ!」という状況のこと

 

です。

そしてご存知の通り日本の国債はいま長低金利です。マイナス金利とかよく言われてますよね。

つまりそんな低金利でも民間金融機関がこぞって「日本政府にお金を貸したい!」と思っているのです。日本が本当に財政破綻するのであれば、誰が「日本政府にお金を貸したい!」などと思うのでしょうか? 貸したお金が全部パァになるかもしれないのに??

本当に日本政府が財政破綻するのであれば、誰もお金を貸したがりません。だから金利は急上昇するはず。それにも関わらず、日本はずーっっっと低金利。日経の記事では「日本の財政再建は黄信号が点滅し、いつ赤信号になるかわからない」などと書かれていますが、実はお金の流れのシステムをちゃんと理解している人は日本の財政が赤信号になるなどとは考えてもいないのです。

 

それが分かっていると、日本のような長低金利が20年以上も続く国とギリシャのような国を「債務残高」という数字だけで並べるのは、全く意味がないのです。

 

いかがだったでしょうか?

日経の「財政規律」論がいかにバカバカしいものであるかお分かりいただけましたでしょうか?

ただ、日経がこのようなデタラメ、あるいは読者をミスリードする記事を書いていること自体が問題なのではありません。もっと大きな問題は、このようなデタラメの財政規律論がまことしやかに世の中に出回って、世間一般に広く信じられることで

 

財政規律を守らなくてはならない!

 

というルールが日本人にインプットされて、「だからお金を使わないようにしよう!」「国がお金を使うなんてもってのほかだ!」という国家ぐるみの節約志向に走ることが問題なのです。お金は天下の回りものとはよく言いますが、お金は誰かが使わなくては回って行きません。国民もお金を使わない、企業もお金を使わない、そして政府もお金を使わない・・・こんな状況では経済の回復なんて永遠に不可能です。そして、この状況を「ロック」してしまっているのが、今回取り上げた財政規律というバカバカしいルールなのです。

 

いい加減日本はこのバカバカしいルールから、解き放たれてもっとルーズにお金を使わなくてはなりません。そして、そのようなルーズなお金の使い方ができるのは、実は通貨をいくらでも発行できる日本政府だけなのです。

ちょっと最後がルーズになってしまいましたが(笑)、来年はこのルーズなお金の使い方を政府にさせて、民間にお金を回させることがいかに大事かということを説明する投稿を増やしていきたいと思います。

 

ああ、何か最後ちょっと雑だなww

まぁ、いいや。年末だし(笑) ←何が?ww

という訳で、日本という国に必要なのはルーズさだ! 国がもっとルーズになれば、日本はもっとうまくいく!!!(笑)

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😊

今さら聞けない「仮想通貨の秘密」。お金はなぜ価値があるか?

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さて前回の投稿で、アメリカドルや日本円のような通貨は「政府がそれを使って税金を支払うことを義務付けている」ということが価値の源泉である、という説明をしました。

一方、ここ数年流行りの仮想通貨は「仮想空間での発掘量が限定されているという”希少性”」がその価値の源泉である、とも説明しました。

では、2019年にFacebookが発表した「リブラ」という通貨はどうなのでしょうか? 

 

[目次]

 

リブラは国家の信用にタダノリしている

先程も書いたように仮想通貨というのは、バーチャルな世界の希少性によって価値が裏付けされています (例えばビットコインは2100万ビットコインが”発掘”されたら終了)。ではリブラが何によって価値を裏付けられているかというと、アメリカドルや日本円などの法廷通貨と交換できるということです。実際リブラを発行する時は必ずそれと同額の銀行預金や国債を保有することになっています(ただ、その用意するお金はドルでも日本円でも良いので為替で価格が上下することはありますが)。ですから、リブラは「仮想通貨 (バーチャルコイン)」ではなく「安定通貨 (ステーブルコイン)」と言われています。つまり、国家が発行している通貨によってその価値を保証しているんですね。

ということは、結局ところリブラも国家によって価値が保障されるということなのです。言い方は悪いですが、リブラとはその国家の保障や信用にフリーライド…無料乗りしていると言っても良いでしょう。ある意味"安心"とも言えますが、通貨としての価値という意味では日本円とかドルなどの既存通貨に取って変わるような物ではない、とも言えます。

 

リブラの意義とは?

ではリブラは何も意義がない物なのでしょうか?

もちろん全く意義がないというわけではありません。いくつかリブラが誕生する意義はあると思いますが、2つの点を取り上げてみます。

 

リブラの利点1: ファイナンシャル・インクルージョン

まず1つめ。

これはFacebook自身も強調していることですが、世界の成人人口の約30% (17億人)の金融インフラ難民を救うという点です。

日本にいるとなかなか気づきませんが、特に発展途上国では銀行口座を持てないなどの理由で、大都市で稼いだお金を家族の送金できないとか、送金手数料が高額といった問題を抱えている人たちがいます。それが約17億人もいると。

そういう人たちがリブラのような新しい金融サービスの登場によって、よりスムーズに金銭のやり取りが可能になります。専門用語では「ファイナンシャル・インクルージョン (金融包摂)」と言いますが、そのようなサービスを受けられる人たちが増えることで市場が拡大するということはあり得るでしょう。

ただ、そのためには自分のお金の取引などの個人情報をFacebookなどに提供する必要がありますので、「個人情報保護」という観点では微妙なところではありますが・・・。

 

リブラの利点2: 通貨について考えるきっかけになる

そして、もう一つのりブラの意義個人的にはリブラというプロジェクトの意義はこれしかないようにさえ思えるのですが、「リブラってなんだ?」と考えることで「通貨とは何か?」ということについて改めて考え直すきっかけになります。これこそがリブラの一番の功績なのではないかと思います。

以前出川哲郎がCMに出て有名になったコインチェックで仮想通貨が有名になったように、Facebookがリブラプロジェクトを発表したことで再び仮想通貨に注目が集まっています。こういうきっかけがないと中々普段「そもそもお金って何なのか?」ということを考える機会はないと思います。

 

確かに「お金になんで価値があるのか?」なんて知らなくても生活はできます。それを知らずに一生を終えるひとがほとんどでしょう。

でも、それって怖くないですか?

私もお金が人生の全てだとは思いません。でも、時には私たちの人生を左右し、時には周りの人達の人生を左右し、そして時には米中貿易戦争のように世界の安全保障にも巨大な影響を与えるのがお金です。そしてほとんどの人がそのお金の正体を分かりもせずに、経済や政治のことについて議論している訳です。そんな「お金とは何か?」について理解していない人達が下した決断で、私達の人生や世界を左右される…めっちゃ怖くないですか?

 

逆に言えば「お金とは何なのか?」がわかると、世界がどのように動いているのかについてもかなり分かるようになるのです。そのような「世界を動かす力」について考える上で、このリブラというのは格好の素材になるのではないかと思うのです。実はそれこそがリブラという物の最大の功績になるのではないでしょうか。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😊

 

今さら聞けない「仮想通貨って何?」。リブラで考えるお金の価値。

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ビットコインやら何やらで数年前から話題になっている「仮想通貨」。「"通貨"でさえよく分からないのに、それに"仮想"なんかくっ付いたら意味不明!」っていう人も多いのではないでしょうか(笑)。しかし、仮想通貨の中身を知ると、これがなかなか面白い!リブラのことを知ると私たちが普段使っているけど、あまりよく分かっていない「お金の不思議」が分かります。この面白さを知らないのはもったいない!

そこで今回は

「仮想通貨」とは何か?

そもそも「通貨」とは何か?

ということについて、ざっくりと解説してみたいと思います。

これを読めば「そもそも通貨っていうのはだね・・・」と偉そうに“通ぶって”経済について語れること間違いなし! (多分ww) では早速行ってみましょう!

 

[目次]

 

2019年を騒がせたFacebookの仮想通貨リブラ

仮想通貨という名前が騒がれ出したのはもう2〜3年前だと思います。日本ではお笑い芸人の出川哲郎がCMに起用された「コインチェック」という仮想通貨が、一気に知名度を高めました。仮想通貨が出始めの頃は「新時代の通貨の形」みたいにもてはやされていましたが、2018年1月に600億円近くの通貨が流出した「コインチェック事件」のせいもあって、今ではほとんどの人から“何か危ないヤツでしょ”という印象がすっかり定着してしまっていると思います。

 

そんな“怪しい投機商品”である仮想通貨に風穴を空ける報道が今年流れました。

それがこの2019年6月にFacebookが発表した仮想通貨「リブラ」です。多分名前だけは聞いたことはあると思いますが、「名前は聞いたことあるけど、何か?って言われるとよくわからないな〜」という感じですよね。そもそも「通貨とか仮想通貨とか関係ないし〜」っていうのが感覚ではないでしょうか。

実際このリブラの発表以来、また日本でも仮想通貨に注目が集まり始めましたが、残念ながら日本のメディアを含めて中々的を得た解説がありません。そもそも「通貨」というものに対する誤解を持ったまま記事が書かれてるな〜というものがほとんどです。そこで「そもそも通貨って何なの?」という根本的な部分から、出来るだけわかりやすいように解説をしてみたいと思います。

 

リブラは仮想通貨ではない

まず多くの人が誤解しているのですが、リブラというのはいわゆる「仮想通貨」ではありません。

多分Facebookという巨大IT企業が主導しているので、いわゆる現金通貨とは違う「ネット上の通貨」というような意味で仮想通貨だと思っている人が多いと思います。

ですが、現金通貨と違ってネット上に存在するというだけであれば、昔から使われているクレジットカードでの支払いや、ポイントカードのポイントと同じです。っていうか、もっと昔からから使っている「銀行口座」も同じです。なんか銀行口座というとルパン三世の金庫みたいに、銀行の巨大金庫に大金が積まれているようなイメージがありますが、現実にはあんな大量の現金は銀行にはありません。ほとんどの銀行預金は銀行が管理するサーバー上に数字が記帳されているだけなのです。

つまり「デジタル上の通貨」という意味では、銀行預金がとっくに実現しています。「デジタル管理されている通貨=仮想通貨」という訳ではないのです。

 

通貨とは何か?

では、仮想通貨というのは何でしょうか?

その説明の前に私達が普段使っている「通貨」の説明が必要です。

まず、日本円やアメリカドルなど、ある国の中で使用されている通貨は、国家が国内での決済手段として認めています。これを「法定通貨」と言いますが、「法定」というと「法律で決まっているから価値がある」というように思われるかと思います。当たらずとも遠からずなのですが、現在もっとも理論的に通貨のシステムを説明している理論に「現代貨幣理論」というものがあります。

この理論によりますと、国家で流通している通貨が価値を持っているのは「国家が使用を許可しているから」・・・より正確に言うと、「納税する時にはこの通貨を使いなさい」と指定しているから通貨として流通しているのです。

 

もし、仮に納税が給料が日本円で支払われるのに、税金がアメリカドルで支払うことになっていたとしましょう。そうすると日本円の給料では税金の支払いができないため、税金を支払うたびに日本円をドルに交換しなくてはなりません。もしそんなことになったらどうしますか?

誰もが「給料もドルで払ってくれ!!」と言いたくなるでしょう。

そのように私達日本人は税金の支払いが日本円で行うことが義務付けられている。だからこそ日本円で全ての経済活動を行っているのです。考えてみれば当たり前ですが、「徴税能力を持つ国家が日本円での支払いを国民に義務付けている」からこそ、日本円は日本国内で流通する価値を持っているのです。

これが法定通貨の力の源泉であるし、通貨の存在意義でもあるのです。

 

では、現実の通貨が国家権力に裏付けられたものだとすると、一方の仮想通貨とは何なのか?

それは法定通貨のような国家権力のような現実的な裏付けがない、“仮想の裏付け”の下で運営されている通貨のことです。だからこその「仮想通貨」なわけです。では、その仮想の裏付けとは何か?

これが実は何もないのです。現実世界に価値を裏付けるものがないも無い。だからこその"仮想"通貨なのです。

 

仮想通貨はバーチャル世界の金脈採掘?

仮想通貨の代表といえば有名なビットコインです。誰でも一度は名前くらい聞いたことがありますよね。仮想通貨のシステムをこのビットコインを例にとって考えてみましょう。

ビットコインというのは、バーチャルな世界の中にビットコインが発掘できる金鉱脈のようなものが設定されています。もちろんバーチャル世界の鉱脈ですので、ブルドーザーとかツルハシで採掘できるわけではありません。ではどのようにして採掘するかというと、複雑な"数式"を解くことでビットコインを発掘できるようになっているのです。

 


そしてこのビットコインは発掘できる量が予め決まっています。その総量は2100万ビットコイン。2100万ビットコインが発掘されたら、それ以上は発掘できません。このような"数に限りがあるから"、つまりその希少性によってビットコインは価値があるとされているわけです。

要はバーチャル世界の限定品というわけです。あれですよ。スマホゲームで「期間限定でガチャを回せば、レアキャラが手に入る!」みたいなものです(笑)。そのような限定ものだから欲しがる人が群がって価値が出るというわけですね。


という訳ですので、ビットコインのような仮想通貨というのは別に通貨としての価値があるわけではありません。一応今のところはまだ多少人気があるので現実のお金と交換可能ですが、それも時間の問題でしょう。私達の普段の生活の売買がすべて仮想通貨で行われるのであれば話は違います。ですが、現実問題としてビットコインで税金が払えるわけでもありません。単に希少性があるから価値があるもの・・・いわば単なる趣味の世界、あるいはギャンブルの類いです。仮想通貨がアメリカドルや日本円のような「法定通貨」に取って代わるなどということは現実的あり得ません。

 

では、Facebookが発表した仮想通貨「リブラ」とは何なのでしょうか?

ちょっとこれはまた長くなるので、今回の解説した「通貨」「仮想通貨」の話を元にしながら次回の投稿で解説したいと思います。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

 

なぜアメリカ人は銃を手放せないのか?

あなたも一度は思ったことのあるのではありませんか?

「なぜアメリカでは銃犯罪がなくならないのか?」と。

 

そもそも日本では銃を持つどころか見たことすらない人がほとんどですので、あれだけ銃犯罪が発生するのになぜ銃規制が進まないのか全く理解できないと思います。正直私も何度も疑問に思っています。

その日本人なら誰でも思う疑問が氷塊する答えがこちらの本に書いてありました。

実はそれが前回の投稿で「ケント・ギルバート著 ”トランプは再選する!”」という本です。

 

[目次]

 

グレーター・アパラチアという集団

この本によりますと、アメリカにはGreater Appalachia (グレーター・アパラチア)という集団がいます。集団と言っても何かあやしい団体とかではなく、日本で言えば関西人とか九州男児みたいな、特定の地域で何かしらの“民族性”みたいなものを共有している人たちのことです。地域的にはアメリカの中東部に位置するところで、ケンタッキー州とかテキサス州とかが含まれます。

 

テキサスというとカウボーイというイメージがありますが、正にその通りでこの本では

 

「北アイルランド、イングランド北部、スコットランド低地の、戦争で荒廃した辺境地域から相次いでやってきた粗野で好戦的な入植者の一団によって18世紀初めに創設された」

「独立心が旺盛で、自分の力だけを信じ、他人の力などまったくあてにしません。(中略)完全に自立した人たちなのです。」

 

と書かれています。

正に私達が抱くイメージ通りのアメリカ人という感じですね。

 

グレーター・アパラチアの人々には銃は不可欠

このグレーター・アパラチアの人たちは非常に独立心が強いため、自分の家から5km圏内に誰かが来たら引っ越してしまうのだそうです。日本ではちょっと考えられない感覚ですが、「隣近所」が5kmも離れてしまうとなると何かがあっても近くの様子を見に行けるような距離ではありません。

このケント・ギルバート氏によると、彼らにとっては銃は絶対に手放せないのだそうです。そりゃそうですよね。5km以上も離れていては強盗が入ってきても、誰も助けに来てくれません。もちろん危険は強盗だけではありません。熊や狼のような危険な動物も近くにいるのです。ときには家畜を守らなければならない時もあります。彼らにとっては銃を持つことは生命線だと言えるでしょう。

 

もちろん「だからアメリカ人は野蛮なんだ」という話ではありません。

自立心の強い彼らは当然ほかの人達にも自分の価値観を強要することはないので、別の地域の人たちが銃規制をすることにとやかく文句を言うことはありません。ニューヨークやロサンゼルスの人たちが銃規制を行うのは全然構わない。彼らが銃規制に反対するのは「自分たちの生活に必須の銃を取り上げられること」に対してなのです。

この点を理解してないとアメリカ人がなぜ銃を手放せないのかが全く理解できないということになります。

 

アメリカを構成する11の集団

ただ、ここまでのことを聞いただけだと、「アメリカのグレーター・アパラチアの人たちが銃を手放せないのは分かった。じゃあ、都市部だけとか規制すれば良いじゃないか。アメリカなら州ごとに規制もできるんじゃないの?」という疑問が浮かぶと思います。

これがそう簡単な話ではないのがアメリカという国が「11の集団」によって構成されているからです。

グレーター・アパラチアの人たちのように銃を持つことに非常に強いこだわりを持っている人がいるのと同じく、全く別のことに非常に強いこだわりを持った集団がいるのです。それが11も!

 

  

アメリカ人は11の集団から成立している

先程も書いたように、11の集団というのは別に宗教団体だとか利益団体だとかではありません。どちらかというと日本で言う「関西人」とか「九州男児」とか、そういう特定の地域性と密接に絡んだ集まりです。しかし、その差異が日本とは比べ物にならないほど大きい。

具体的には先程紹介したグレーター・アパラチアの他に

 

YANKEEDOM

NEW NETHERLAND

TIDE WATER

DEEP SOUTH

THE MIDLANDS

って文字で書いても分かんないですね (笑)。

ただ、日本の地域分布よりも複雑です。 

例えば有名なニューヨーク州が含まれる「YANKEEDOM」という地域集団。 

ケント・ギルバート氏はこのYANKEEDOMの人たちが大嫌いのようで、このように述べています。

「彼らは自らが多少の犠牲を払ってでも全体を考えるべきだ考えます。問題なのは、彼らがそのような考えを他の人達にも押し付けることだと私は感じています。」

彼らヤンキーダムの人たちからすれば、危険な銃を持つことにこだわるグレーター・アパラチアの人は「野蛮」以外の何者でもないでしょう。下手したら「こんな奴らが同じアメリカ人ということが許せない。さっさと銃を捨てろ! 地域が危険だというなら都市部へ引っ越せよ!」と思っているのではないでしょうか。

 

同じ国でありながらなぜ差異が生まれるのか

さて、では同じ国でありながら、なぜこのような違いが生まれるのでしょうか?

それにはいくつかの理由がありますが、大きな理由は地理的な位置関係と歴史の問題です。

例えば先程書いたYANKEEDOMの人たちが多く住むニューヨーク州。ここはアメリカの北東部にあります。結構寒いところで、最初にイギリスから入植して来た人たちがこの辺りに入りました。大航海時代のことですから当然移動は船。イギリスから直線距離が近いんですよね。

なぜイギリス人が入ってきたかというと、ピューリタン (清教徒)と呼ばれるキリスト教の一派の人たちが宗教弾圧から逃れてきたからです。イギリスというとそういう経緯があるので、非常に理想に対するこだわりが強い人達なのです。そのように理想的な社会への新年が強いため、逆にそれ以外の考えの人たちを強く排除するという傾向が強いのだとか。「なぜ俺たちの崇高な理念が、お前たちには分からないんだ!」という感じですね。

 

この本ではそれぞれの地域がなぜそのような特色を持つに至ったのかについても詳しく書かれていますので、興味がある人は是非お読みください。

 

アメリカと日本は本当に同じ価値観を共有しているのか?

さて、このように非常に強いこだわりというか、価値観やアイデンティティを持った多様な集団が大きく分けて11もあるのですから、意見の集約なんてできる訳がありません。そもそも“アメリカ人”と十把一絡げで考えること自体が無理があると言った方が良いような気すらします。

日本人はまだ関西人とか、九州の人とかいろんな区分けがありますが「言うても同じ日本人だよね」という感覚が根強いです。ですから、これほど強力な価値観の相違というのはなかなか理解しづらいと思います。

 

ところが、です。

以前安倍首相が「日本とアメリカは同じ民主主義という価値観を共有する隣人だ」みたいなことを言っていました(隣人とは言ってないかな??)。

ですが、本当にそうなのでしょうか?

 

このような強烈な価値観の相違の上で成り立っているアメリカと、「言うても同じ日本人だよね」という連帯感が根付いている日本が「同じ価値観を共有している」というのは、少なくとも私はかなり違和感を感じます。

むしろ、多様な価値観を持つ集団を「民主主義」というような特定の価値観で統合するという方式は、膨大な民族と言語を一党独裁という形で無理やり統合している中国と近いのではないかとすら思えるのは私だけでしょうか。

ー広大な国土とそれが生み出す様々な風土。

ー歴史の短さ

ー多民族。

ー自国第一主義。

ー(社会の連帯ではなく民主主義あるいは共産主義のような)特定の価値観でまとめ上げた国家体制。

などなど・・・類似点を挙げればキリがありません。

 

トランプが大統領になってからは日本にも「おいおい、アメリカ大丈夫かよ。ちょっと距離置いた方が良くない?」という空気がありますが、とは言え基本的にはアメリカは良き隣人という考え方の方が主流だと思います。ですが、今回ご紹介した11の集団のように「家族全員価値観バラバラ」という国が本当に日本にとって“良き隣人”といえるのでしょうか?

トランプという困った人物が大統領になった現在をキッカケにして、もう一度アメリカという国との付き合い方を考え直すべき時になっているのではないかと思うのです。 

 

あー、今回めっちゃ長くなりましたね!

すみません!!(笑)

いつも書いていることですが、今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました!!😆

なぜトランプが2020年の大統領選を制するのか?

2020年と言えば「東京オリンピック」ということで、日本では大変盛り上がっていますね。 まぁ、ぶっちゃけ私の周りでは誰も盛り上がっていませんが、日本のどこかの一部では盛り上がってるらしいですね(笑)。

ただ、オリンピックとは別に2020年には世界に影響を与える大きなイベントが行われます。それは他でもない「アメリカ大統領選挙」です。

 

ご存知の通り前回2016年の大統領選では、アメリカ・ファーストを掲げて戦ったトランプ氏が大統領に選ばれました。

そのトランプ氏が再び大統領に選ばれるのか?

それとも民主党の別の候補が選ばれるのか?

ある意味、世界的には東京オリンピックよりも注目される一大イベントと言えるかもしれません。

 

でも、ぶっちゃけ日本人の多くはアメリカ大統領選がどのように行われるのかに対してあまり知識がないので(私もその一人)、なかなか「見どころ」が見極められないのも事実です。日本の報道も「どこの州では共和党が勝った。こっちでは民主党が優勢だ。」とかいったことしか報じられないので、正直何に注目すべきなのかよくわからないし、何が面白いのかもよく分かりません。

 

そんな「アメリカ大統領選とか言っても、よく分からんわ〜。」という人にお勧めしたいのが、こちらの本。

 

ケント・ギルバート著「トランプは再選する! 日本とアメリカの未来」

です。

トランプは再選する! 日本とアメリカの未来

トランプは再選する! 日本とアメリカの未来

 

 

[目次]

 

 

ケント・ギルバートと言えば・・・

年齢がバレそうですが(笑)、私のようなアラフォー世代にとってケント・ギルバートと言えば、「世界まるごとHOWマッチの外国人タレントでしょ?」というのが第一印象。

この番組は大橋巨泉が司会をやっていたクイズ番組で、世界のさまざまな名品、珍品を紹介して、その値段を解答者が予想するという内容でした。ビートたけしや所ジョージが解答者として出演してお茶の間を賑わせていましたが、その中に出演していたのがケント・デリカットと、このケント・ギルバートの二人です。

 

最近のケント・ギルバートは保守系のお気に入り?

その番組が終わった後は、ケント・ギルバートは日本ではすっかり鳴りを潜めていましたが(メディアに出てなかっただけ?)、5〜6年ほど前からでしょうか、突然すごい勢いで露出し始めました。

その理由は(誤解を恐れずに言うと)、いわゆる「ネトウヨ」や「保守系」の人たちに響く

 

「日本はすごい」

「中国、韓国は敵性国家」

 

というような主張を”アメリカ人が言っている”という新奇性によるところが大きかったと思います。

本人の心の中は分かりませんし、上記のような表現が100%正しいかと言えば、ちょっと誇張表現かもしれません。ただ、世間的にはそのような目で見られているのは間違ってないと思いますし、少なくともケント・ギルバート氏の数々の著作はそのような層に受け入れられやすい方向性の物でした。

 

なぜ私がこの本を読んだか

そういう事情もあって、私は敢えてケント・ギルバート氏の著作は避けていたところがあるのですが、この本の帯に書いてあった次の言葉に惹かれて思わず手に取ってしまいました。

それは

 

「日本人が知っているアメリカは東海岸と西海岸のYANKEEDOMの連中だけだ! トランプを支持している人たちは反YANKEEDOMだ。

これを知らないから日本人はいつまでもアメリカが理解できない!」

 

という言葉です。

私は仕事柄アメリカ人とのやり取りがありますが、この帯にある通り東海岸か西海岸の人たちばかりで、中部や南部の人たちとはほとんど接点がありません。

でも、よく考えたら日本でも東京と九州の人では大分考え方が違いますし、そもそも言葉も違います。だったら、国土が何倍もあるアメリカなら尚更だな・・・と思ったわけです。

分かった気になっているアメリカのことを自分がどれだけ分かってないか。

それをちょっと覗いてみようと思ったわけです。

 

トランプ大統領がなぜアメリカで支持されているか

日本ではトランプ大統領と言えば、下品な物言いで品性がなく、自分勝手。アメリカの利益のためなら何でもする・・・そんなイメージで報道されることが非常に多いです。実際、大統領に就任してからも「ロシア疑惑」「(大統領になる前の)女性問題」そして「ウクライナへの圧力問題」など悪い噂が絶えません。しかし、そんなダーティなイメージがありながらも、次回の大統領選ではやはりトランプの再選が有力とされています。著者のケント・ギルバートもそれを支持しています。なぜでしょうか?

それはひとえに「何だかんだ言って、トランプは政治的、経済的にアメリカに多くの成功をもたらしているから」です。

 

確かに最近アメリカは米国第一主義を掲げ、中国との貿易戦争やイスラエル問題、メキシコとの国境問題などで対外的にトラブルを抱えています。そしてそれはほとんどがトランプ大統領発のものだと言っても良いです。ただ、アメリカ国内に目を向ければ

 

・アメリカ経済は絶好調。株価も30%以上上昇。

・失業率は戦後最低レベル。

・アメリカの貧困層への食料補助制度である「フードスタンプ」の利用者が、オバマ大統領時代に比べ700万人減少

 

国内経済はオバマ大統領時代よりも明らかに改善しています。

この他にも温暖化問題などで実はトランプは結構まともな政策を取っているということが、この本では事実として示されています。興味がある人は是非手にとってお読みください。

 

ちなみに、ケント・ギルバート氏も本書の中で

どの国でも、一番大切なのは国民の生活です。そして、それを支える経済です。

トランプはアメリカ・ファーストといわれますが、それは外交政策ではなくて、「アメリカ人の生活を一番に考えているんだ」ということを知っておいた方が良いと思います。

と書いていますが、日本のメディアはこういった側面を全く報道しません。しかし、アメリカという国の動きに非常に影響を受ける日本という国においては、こういう側面があることも知っておくべきではないでしょうか。

 

実はこの本にはもう一つアメリカという国を理解するために非常に参考になる面白い話があります。それは「アメリカは11の異なる価値観を持った集団が構成している」という考え方です。これがめちゃくちゃおもしろい!

ただ、これを書くとメチャクチャ長くなってしまうので、この点は次回の投稿で書いてみたいと思います。まて! 次号! ww

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

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