世界を救う読書

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読書レビュー 「AI x 人口減少 これから日本で何が起こるのか」

今回は久々の読書レビュー!

お題はこちらです!

中原圭介著 「 AI x 人口減少 これから日本で何が起こるのか」。

AI×人口減少 これから日本で何が起こるのか

AI×人口減少 これから日本で何が起こるのか

 

 [目次]

 

内容を2行で書く。

多分今回の読書レビューをご覧になっている方は、昨今話題になっている「AI」と「人口減少」のどちらか、あるいは両方に興味がある方だと思います。

例えば

「AIが発達して人間に取って代わるっていうのは本当なのか?」

「自分の仕事は大丈夫だろうか?」

「人手不足が話題だけどどうしようもないのか?」

「人口減少で日本は衰退するしかないのか?」

などなど・・・。

 

私もそのクチでこの本を読んでみたのですが・・・ぶっちゃけて言えばその感想は

「大して新しいこと言ってないなww」

です(笑)。

読書レビューを書く以上どうやって話を膨らませようかと私なりに試行錯誤したのですが・・・「ふくらませるの無理だわwww」という結論に達しました。

というわけで、この本での著者の主張をズバリ2行で言ってしまいましょう。

 

「人口減少は当分何ともならない。行政の責任で何とかしろ。

AIの進化は止められない。働きたかったらむしろAIと共存する方法を考えろ。」

 

以上! (笑)

本当にこれに尽きるのですが、一応もうちょっと詳しく言うと・・

「日本の人口減少の原因は“東京への一極集中”と“結婚率の低さ”が原因。これは今後数十年間何ともならない。長期的な対策としては企業が地方へ分散するように、地方での税制優遇などの行政が講じるべき。

一方、AIの進化については、これももはや止めようがない。弁護士や銀行員などのマニュアル化可能な業務だけでなく医師などのエリート職も今後はAIに取って代わられる。

それはもう避けられないのだから、AIに仕事を取られないために頑張るよりも、自分の仕事をAIには代替不可能である難しい複雑な判断が必要となるような形に洗練化させて行かなければならない。

むしろそれによってAIと共存する方向を目指すべきである。」

 

という感じでしょうか。

 

AIや人口減少に詳しい人には物足りないかも。

とは言え、一応250ページくらいある本ですので、本の中ではもっと詳しく・・・例えば、人口減少が今のように至った原因や今後の見通しを統計データを用いてもっと詳しく書いてありますので、そのような詳細なデータも興味がある方は是非本を購入してご覧頂ければ良いかと思います。

ただ、AIや人口減少に興味があって色々な情報をすでに得ている人には、「どっかで聞いたことあるなぁ・・・」という感じで、ちょっと物足りないと思います。

また、「AI x 人口減少」という本のタイトルからすると、AIの進化と人口減少が相乗効果でどのような影響を社会に及ぼすのか? という知見が得られそうな感じがしますが、実際の中身はAIと人口減少の影響がそれぞれ別々に書かれているだけで、「それらが合わさって社会のあり方自体を変えていく・・・」みたいなダイナミックな内容にはなっていません。

それぞれが並列に書かれているだけって感じ?

なので、この手の内容に詳しい人には、立ち読みでザッと見れば良いかな?というところでしょうか。

 

AI興味がある人にお勧めの本を紹介 

以上かなり辛口なレビューをお届けました(笑)。

とは言え、このままでレビューを終えるのも何か後味が悪いので、折角ですからAIやそれが与える社会への影響といった事に興味がある方へお勧めしたい本をリストアップしておきます。

どうせ読むならこっちの方が面白いと思いますよ。

 

松田卓也 著「人類を超えるAIは日本から生まれる」

世間的にはあまり知られていませんが、現在の日本の人工知能の立役者の一人である松田氏による著作。

新書なので文量は少ないのですが、現在に至るまでの人工知能技術発展の過程、先端の人工知能技術が何を目指しているのか、そして「どらえもん」のような汎用型人工知能が実現された時に人類がどうなるのか?といった幅広く深いテーマについて書かれています。

物理学者の著者が書いただけあって文章自体が若干読みづらいのが、ちょっと難点かもです。ご本人もちょっと個性的なおじいさんなので独特の語り口調が・・・・。

ただ、これを読むだけで今までの人工知能の歴史とこれから向かう未来が一本に繋がる良書です。

 

清水亮 著「よくわかる人工知能

人工知能ブームの火付け役となったディープラーニングという技術の何がすごいのか、「人間の脳の仕組みを人工的に作り上げる」という人工知能のそのもの目的に対して現在の技術がどこまで実現できているのか、そして現在の人工知能の技術的な壁と今後の展望などをそれぞれの分野の専門家と著者が対談する形で書かれた本。

ちょっと専門的な話も出てくるので全くの初心者には難しいかもしれませんが、人工知能の基礎的な知識が得られるので、それが分かっていると現在〜ちょっと先の未来の人工知能に何ができて何ができないのかが分かりやすくなります。

 

井上智洋 著「人工知能と経済の未来」

新書コーナーで今でも結構取り上げられているので、見たことある人も多いと思います。

経済学者の著者が経済学的な知見から人工知能の可能性と、それがもたらす経済と社会への影響について考察。そして、来たるべき未来に対してどのような対策を練るべきかをかなり具体的に述べてあります。

人工知能そのものよりも「人工知能とそれが与える社会への影響について知りたい」という人にはお薦めです。

 

というわけで、今回のレビューはここまで! 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

トイレットペーパーに群がる人を日本人は笑えない。

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「いや〜昔、新型肺炎の流行した時にはね、街中からトイレットペーパーが消えたんだよ。」

「いやいや、そんなばかな話ないっしょ(笑)。」

恐らく10年後にはこんな笑い話が家庭や飲み会の席で繰り広げられることになるでしょう。

それほど狂乱を引き起こしてるトイレットペーパー、キッチンペーパー不足。

 

冷静に考えれば、マスクが品薄になっているからと言って、原材料が違うトイレットペーパーがなくなるはずがないことは分かりそうなものですが、こういう社会不安の状況ではそういう冷静な判断ができないんですね。人間とはなかなか難しい生き物です。

実はこのような「実際にはあり得ない噂やデマで人々が踊らされる」ということはよくある話で、これを社会学の用語で「予言の自己成就」と言います。

今日本ではこのようなトイレットペーパーに群がる人々を小馬鹿にする意見が散見されます。しかし、実は今の日本でそういった人を嘲笑できるような人はいません。なぜなら、ほとんどの日本人はこの数十年この「予言の自己成就」の下に行動し続けてきたからです。

今回はほとんどの日本人が今もなお囚われて続けている予言の自己成就についてお話したいと思います。


[目次]

 

 

予言の自己成就とは?

そもそもこの「予言の自己成就」という言葉はアメリカのマートンという社会学者が提示したもので

「たとえ根拠のない予言(=噂や思い込み)であっても、人々がその予言を信じて行動することによって、結果として予言通りの現実がつくられるという現象のこと」(「コトバンク」より)。

です。

今回のトイレットペーパー不足のように、実際にはあり得ないのだけど、一部の人達が社会不安の中で冷静な判断ができず、噂話にのった行動をしてしまうとその根も葉もないが本当のことになってしまうのです。

 

 

予言の自己成就の恐ろしさ

トイレットペーパーが不足するくらいの話ならまだ可愛い物です。

しかし、ときにこの「予言の自己成就」は深刻な社会不安を引き起こします。

たとえば1980年代のバブルの頃もある意味で同じことがおきました。

 

当時人々がこぞって群がったのがゴルフクラブの会員権です。別に皆がみんなゴルフをやっていた訳ではありませんが、そのゴルフクラブの会員権が投機の対象となり、単なる「ゴルフ場でゴルフができる」というだけの会員権が全国平均で4388万円(!)にもなりました。

このゴルフ会員権のように「別に欲しくはないんだけど、みんなが買おうとしているからもっと値上がりする (=儲かる) はず」と信じて、必要でもない物をみんなが借金までして購入。

バブルが弾けた後には、やりもしないゴルフの会員権とそれを購入するための数千万円の借金が残りました。この借金を返済するために一挙に投資や消費が縮小してデフレに突入。30年経った今もなお日本国民を苦しめ続けています。その原因の一端がこの「予言の自己成就」だったということです。 

 

世界で高まる不確実性

冷静に考えれば今回のトイレットペーパー騒動のようなことは起こるはずがありません。マスクの材料とトイレットペーパーの材料は関係ないのですから。

しかし、です。

決して起こらないはずのことが起こってしまう。

どんなに非合理的なことであっても、一旦社会の空気がそちらに流れてしまえば人々は平気でその非合理的な行動に突っ込んで行ってしまう。

これが世界の現実です。

しかも、このような非合理的な判断、不確実な事案というのは昨今増加する傾向にあります。

アメリカではトランプ大統領の就任後、各国との軋轢を強める方針が進行。昨年からは中国との貿易戦争も激化しています。単純にビジネス的利益の観点から言えば中国との貿易戦争は非合理的な判断としか言えません。ビジネス的観点では測ることのできない「国家安全保障」という側面から米中の対立激化は実際に発生しています。

また、英国のEU離脱も同じです。

EU離脱によって生じる経済的損失については多くの専門家が指摘してきました。しかし、実際に英国は離脱を実行しました。これもビジネス的観点では測ることのできない「国家主権」という側面から行われた選択です。 

 

グローバルな社会では不確実性の危険は高まる

世界が一つであるというグローバリズム的な考えは必ずしも真実ではないと思いますが、どのような形であれ世界の国々や人々の行動がお互いに影響を与えあっているのは事実です。そうであれば、どこかで誰かが起こした非合理的な、そして不確実な行動が私たちの社会にも影響を与えるということも事実。それは人々の距離が縮まれば縮まるほど加速します。

言い換えれば、このグローバルな社会では小さな不確実性が世界中に伝播する構造とも言えるのです。そして、その不確実性の波は一つ一つが小さくとも重なり合うことで巨大な波へと変貌します。

今回の新型コロナウィルス騒動も正しくその一例でしょう。中国の武漢市にある小さな市場から広がったウィルスが、世界を揺るがす大事件になると一体誰が想像できたでしょうか? 正しく世界を覆う不確実性の申し子と言える脅威でしょう。

 

不確実な世界で必要な“余裕”

このような不確実性の高まりの中で必要なものとは何でしょうか?

それはズバリ“余裕”です。

心の余裕。

人の余裕。

お金の余裕。

予想外の出来事が発生した時に、さまざまなリソースを組み合わせて解決するためにはそれぞれに余裕がなければなりません。余裕のない臨界点ギリギリの運転では、不確実な危機に対処することはできません。

 

しかし、残念ながら日本という国はこの不確実性を全く考慮しない方向へと社会を変貌させて来ました。政府は度重なる災害にも関わらず国土を強靭化するための対策や、生産性を高めるための社会資本への投資を放置、ないしは最小限の費用で最低限の対策に終始。一方、民間では必要な投資も行わない中で利益を最大化するため、社員を安い給料でギリギリまで働かせることを常態化させて来ました。

国民が全力でフル稼働して何とか体裁を保つという異常な状態を続け、お金にも、心にも余裕など全くない「今だけ、金だけ、自分だけ!」というこの状態で、新型コロナウィルスという不確実な事象が訪れたのです。政府の後手後手 & その場しのぎ対応に批判が集まっていますが、「不確実性を想定しない状態で不確実な事象が起きたら混乱して破綻する」などということは当たり前の話なのです。

 

冷静に考えてみればごく当たり前の話なのですが、そんな想定外のことを想定しないのがここ数十年の日本でした。

「想定外のことなんて起こらないという根拠のない思い込みであっても、人々がそうを信じて行動することによって、結果として“想定外のことがあり得るということを誰も想定しない”という現実がつくられる」。

まさに“予言の自己成就”です。

トイレットペーパーに群がる人々を、今の日本国民は誰一人笑えないのです。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

古代中国の「莊子」が予言したネット社会の病。便利さの追求が心の安定を失わせる。

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さて皆さん、毎日どれくらいインターネットに接続していますか?

デスクワークをしている人であればネットに繋がっていない時はほぼないでしょうし、そうじゃない人でもスマホの時間まで計算すれば、むしろ寝ている時は常時接続が当たり前かもしれません。

 

確かにインターネット以前の世界に比べればはるかに便利になりました。

欲しい情報も無料ですぐに手に入るようになりました。

ですが、それによって失われた物もまた多いのではないでしょうか?

 

ネットでブログ記事を書いてるお前が何言ってんだwwというツッコミはさておき(笑)、ちょっと今日はそんな「インターネットによって失われた物」の話をしてみたいと思います。

 

ネット技術によって失われた経済効果

たとえば経済的側面で見てみましょう。

タイラー・コーエンというアメリカの経済学者が著した「大停滞」という本があります。

その中でコーエンはこのように書いています(そのまま引用すると大変なので私なりにまとめます。本文が気になる方は是非ご購入ください)。

 

大停滞

大停滞

 

 確かにインターネットは世界を大きく変えた。ツイッターFacebookといった新しい娯楽と情報伝達の方法を生み出した。

だが、その経済的効果は決して大きくない。

インターネットが生み出す価値の多くは、個人が私的に経験するものなので、GDPのような生産性のデータに反映されないのである。

たとえば私達が2ドルでバナナを買えばGDPがその分押し上げられるが、インターネットで20ドル相当の娯楽を楽しんでもGDPは上昇しない。むしろ、家にこもってインターネットを楽しめば、逆にGDPの値が小さくなる可能性すらある。

 

さらに、自動車や機械工業などに比べると、インターネット事業は圧倒的に雇用創出の効果が低いのである。

いわゆる「GAFA」と呼ばれる4大IT企業の従業員数を見ると

 

Google: 10万人

Apple: 12万人

Facebook: 2万人

Amazon: 56万人

 

確かに1企業としてみれば膨大な数であるが、全世界を席巻している企業として考えればGAFA全てを合計してもたった80万人程度の雇用しか生み出していないことになる。

ちなみにトヨタグループの社員数は37万人。当然自動車製造の場合、膨大な下請け企業が存在しており、そこまで勘案すれば膨大な数になる。

 

ネットという“無料サービス”の反対側には“無料で請け負っている人”がいる

いかがでしょうか?

確かに、コーエン氏が言うように私達はインターネットによって多くの娯楽を得ることができるようになりました。

しかも無料で。

無料であるということは、個人にとっては非常に有り難いものです。特にこのデフレ不況においては。

しかし、あるサービスが無料であるということは、反対側にはそれを無料あるいはそれに近い金額で請け負っている人たちがいるということでもあります。

 

そのようなインターネットにおけるサービスの両面を鑑みた時に、果たしてインターネットというものは私達の生活を本当に豊かにしているのでしょうか?

 

立場や価値観、その人の職業などによってその答えは変わるでしょう。

どちらが正解という訳でもないと思いますし、「本当はむしろ貧しくなっているんだ!」と声を上げたところで、今から「インターネットがなかった時代」に戻れる訳ではありません。

人間は一度手にした物をたやすく手放すことはできませんから。

 

ただ、私達が手に入れたものの反対で失ったものもあるということ。そして、なぜそれを失うことになったのかという背景や社会の原理に思いを馳せることは、決して無駄ではないと思います。

 

古代の思想家「莊子」が予言したネット社会の病

私はこういった「文明の利器」について考える時に、決まって思い出す話があります。

それは古代中国の思想家“莊子”の天地篇にある短い話です。

 

孔子の弟子の子貢という人が旅行をしている時に畑仕事をしている老人に出会います。

その老人は畑に水を注ぐのに、井戸から手でバケツを使って汲み出しています。子貢は

その老人に「はねつるべ」という機械があって、それを使えばもっと簡単に効率的に水くみができますよ、と教えてあげます。

 

それに対して老人は

 

「その機械は知っているが、機械に頼る仕事が増えれば、必ず機械に頼る心が生まれる。心に機械に頼る思いが生まれれば自然のままの素朴な美しさが失われる。

そして、素朴な美しさが失われれば命の働きが不安定になり、命の働きが不安定になれば人の道を踏み外す。

私はそんな恥知らずなことになりたくないから、機械は使わないのだ。」

 

と告げます。

子貢は恥ずかしくなって黙り込んでしまったそうです。

 

細かいところはちょっと違うと思いますが、大体こんな感じのお話です。

 

さすがに「はねつるべ」は古すぎるかもしれませんが、これは「インターネット」や「パソコン」「スマホ」であっても同じことではないでしょうか。

インターネットに頼った仕事が増えれば、インターネットに頼る心が生まれる。

そして、インターネットに頼り過ぎた結果、心の安定を失い、人の道を踏み外す。

 

正に現代の病を莊子が言い当てていると言っても過言ではないと思うのです。

 

 

私達はインターネットという技術によって多くの娯楽と情報、そして便利さを手にしました。しかし、その反対側で実に多くの物を失ったのではないか。

そんな事を考えた秋の夜長の一日でございました。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

 

 

「国民の安全よりもお金が優先」それが責任全力回避政府の大方針

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新型コロナウィルス対策として2月27日に政府が出した「全国の小中高の休校要請」。

世間では賛否両論あるようですが、ざっくり言うと

賛成派: 感染拡大を防ぐためなら仕方ない。

反対派: 子供が家にいる間誰が面倒みるんだ。その間の勉強の遅れはどうするのか。

と言う感じです。

両方の言い分は一理あると思いますし難しい判断だと思います。

・・・が、私は「賛成か?反対か?」の前に、この政府の対策は間違っていると思います。なぜなら所詮「休校“要請”」だからです。

 

[目次]

 

 

緊急事態でも命令を下せない腰抜け政府

私は医学方面には詳しくありませんし、報道を見る限り専門家の中でもこの新型コロナウィルスの病理学的な恐ろしさは評価が別れているようです (致死率は高くないし、基礎疾患がなければウィルスを拾ったとしても重大な事態にはならないと言っている医者も多いのはご存知の通り)。しかし、この新型肺炎の実際の病気としての恐ろしさはさておき、社会が昨今まれに見るほど大きく動揺しているのは事実です。この社会不安を沈静化させるのも政府の役割だとすれば、休校要請などという甘っちょろいことを言っている場合ではありません。

 

政府はさっさと休校を命令しろ!!

 

政府はこの休校要請の前に全国でのイベントや行事に関しても「自粛“要請”」を出しましたが、その時と同じく今回も「要請」でしかありません。強制ではないのです。その上、文部科学省のトップである萩生田文科大臣に至っては

 

萩生田文科大臣は「地域や学校の実情を踏まえて、設置者である地方自治体において様々な工夫があっていいと考えている」とした上で、「適切な期間を設定していただくなど、学習に著しい遅れが生じないよう、実施形態を工夫していただきたい」と述べた。

などと発言する始末。

正直、このニュースを見たときは

 

「このどあほうが!!!! 」

 

と叫びたくなりました(笑)。

要請だとか、地方や学校の実情を踏まえてだとか、さも世間の多様性に合わせた大人の対応かのように振る舞っていますが、要するに

 

「要請はした。あとはそれぞれ判断しろ。政府は責任持たない。何かやるなら自己責任でやれwwwオレは知らんからなwww」

 

ということです。

何があっても責任は取らない!

無責任政府ここに極まれり!

 

 なぜ政府は責任を取らないのか

しかし、そもそも政府はなぜこれだけ社会的混乱が起こっているにも関わらず「要請」程度のことしかできないのでしょうか?

その理由は簡単で「責任を取りたくないから」です。しかし、どんなに小さくても組織に属したことがある人なら、こう思うでしょう。

 

・なぜ責任を取りたくないのか?

・責任を取るのがトップの人たちの役割じゃないのか?

・そのためにあんた達政治家がいるんじゃないの?

 

と。

その理由をいわゆる「ことなかれ主義」に求めることもできると思いますが、私が強調したいのは

 

「責任を取る」と「金を払う」はイコールである

金を払いたくないから責任は取らない

 

ということです。

仮にもし政府が休校を全国の小中高に命令したとしたら、どうなるでしょうか?

 

・子供の面倒を見る家庭の負担が増える。

・共働きの場合の仕事へ影響

・休校中に勉強が遅れる子供の将来的ケア

・学校や教育ビジネスの運営に関わる関係者への経済的影響

 

など様々な影響が考えられます。

たとえば、すでに学校給食の3月分の食材が手配されており、それらの処分をどうするかなどが問題になっていることもその一例です。政府の関係者が全く予期していないような影響が今後続発するでしょう。

 

そうなった場合は、当然命令を下した政府が責任を取らなくてはなりません。具体的には「金銭的支援」です。お金がすべてを解決するとは言いませんが、現実問題として政府が取れる方法としてはお金を出すことが最低限必要になります。ところが政府はこのお金を払いたくないのです。ビタ一文たりとも!

なぜなら日本政府はプライマリーバランス目標という財政赤字縮小方針を錦の御旗として掲げており、緊縮至上主義を徹底しているからです。たとえ国民を守るためでも余分なお金は一切使わない!

しかし、何も対策をしなければ政治的責任を取らされる・・・だったらお金は払わずに何となく行動を起こした感の演出される「要請」をしとけ、という話なのです。

 

少しはアメリカの対応を見習え

私は基本的に「アメリカではこうなんだ。日本は遅れてるんだよ!」的な発言をするのは嫌いですが、この点に関しては残念ながら「アメリカさん、流石っす!」と言わざるを得ません。

 感染予防などの対策費として議会の承認を経て、25億ドル、日本円で2700億円規模の緊急の予算措置を行う方針を示したうえで「議会がもっと出すというのなら必要なだけ使う」と述べ、今後の状況に応じて予算を増額する方針を示唆しました。

「議会がもっと出すというのなら必要なだけ使う!!」

アメリカさん、さすがです!!

トランプさん、かっけーーーー!!!

 

ちなみに他国の対策費用は

 

アメリカ:2,700億円

台湾:2,200億円

シンガポール:5,000億円

 

ですが、我が国日本は

 

日本:153億円

 

世界第三位の経済大国なのに。

そして中国、韓国に続く発症者数を抱えるのにたった153億円ぽっち。

 

国民の安全や秩序の維持よりもお金が大事。

政治責任からは全力回避!!

それが日本政府です!!エッヘン!!

 

最後にもう一度書きましょう。

 

このどあほうが!!!! 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

キャッシュレス化をこのまま進めても本当に大丈夫か?

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2019年10月の消費増税に合わせて実施されているポイント還元で注目を集めているキャッシュレス化。PayPay(ペイペイ)やLINE Payなど、少しずつ日本でも拡大してきたキャッシュレス化の流れが強くなっていますが、一方で「個人情報の抜き取り」などの懸念が多いのも事実。

そこで今回はこのキャッシュレス化の実情とその背後にある潮流を考えてみたいと思います。

 

[目次]

 

日本のキャッシュレス決済比率は後進国並み?

いきなりですが問題です。

次の数字は一体何を表しているでしょうか?

 

韓国: 89.1%

中国: 60.0%

カナダ: 55.4%

アメリカ: 45.0%

日本: 18.4%

 

日本がダントツで低い数字になっていますが、実はこれは民間(特に個人)におけるキャッシュレス決済の割合を計算した、「キャッシュレス決済比率」というものです。

 

この数字が表すように日本におけるキャッシュレス化は世界的には遅れをとっている状況です。最近このような「日本のキャッシュレス後進国」が報道でもよく流れるようになりました。特に外国人観光客(・・・・まぁ、ほとんど中国人ですが)が日本に来て現金で支払わなくてはならないことに不都合を感じることが多いようで、「日本もキャッシュレス化が必須!」と騒がれるようになりました。

 

私は基本的に「便利の裏には影がある」と思っていますので、キャッシュレス化を迎合するつもりはさらさらありません。ただ「敵」を知らなければ戦うことはできません(笑)。

という訳で、このキャッシュレス化の現状について面白い本を見付けましたので、今日はその読書レビューを投稿したいと思います。

 

キャッシュレス覇権戦争

その本がこちら。

岩田昭男著「キャッシュレス覇権戦争」です。

キャッシュレス覇権戦争 (NHK出版新書 574)

キャッシュレス覇権戦争 (NHK出版新書 574)

 

 この本の良いところは、キャッシュレスが進んでいる国の現状をレポートし、その利便性に説明しつつ、ちゃんとその危険性に言及することも忘れていないところです。

比較的中立的な立場で、キャッシュレス化の良い面と悪い面を丁寧に説明してくれていますので、キャッシュレス化の入門書としてはとても良い本だと思います。文体も読みやすいですしね。

 

キャッシュレス化のメリットとデメリットをおさらい

まず、キャッシュレス化のメリットとデメリットを軽くおさらいしておきますと

 

<メリット>

・現金を持ち歩く必要がなくなる

・ポイント還元などさまざまな恩恵が受けられる

・記録が残るのでお金を管理しやすくなる

・現金を製造したり、流通させるためのコストを削減できる

・外国人観光客の決済がやりやすくなり"インバウンド”による経済活性化を図れる

 

<デメリット>

・紛失の恐れがある(現金も落としたり、盗まれる可能性がありますが、キャッシュレス化された方が被害額は大きくなる)

・お金の管理は技術的にはしやすくなりますが、目に見えないデジタルデータなので使いすぎてしまう傾向が強まる

 

などです。

そして、この本で著者が一番問題視しているのは、資産がどの位あるかや、お金をどのように使っているかといった「個人情報」が民間企業や政府にすべて漏れてしまうことです。

最近はこの個人情報のことを「ビッグデータ」というマーケティング用語で呼ぶことで、「個人情報の漏洩」というニュアンスを弱めようという動きがありますが、どのような言葉で表現しようとも、キャッシュレス化が個人情報の漏洩であることには変わりません。

 

多分そんなことは言われなくてもみんな分かっていることだと思います。

ではなぜそれでもキャッシュレス化を推進しようとするのでしょうか?

 

キャッシュレス先進国中国の現状

さて、ここで急に話が変わりますが、みなさん「ゴマ信用」というものをご存知でしょうか?

これはアリペイという中国の会社が提供しているサービスで「芝麻(ジーマ)信用」というものの通称です。

クレジットカードなどのデジタルキャッシュを使うと、どの人がどのくらい使ったのかの履歴が残ります。それをスコア化(点数化)して、その人の格付けを行うのです。クレジットとは「信用」(信用に基づいてお金を貸し出す)ということですから、「ゴマ信用」ということです。

 

これの凄いところ(恐いところ、とも言う)は個人情報を5つの項目に分けて点数化し、その人間を点数でランキング化することです。

その項目とは

 

1) 年齢、学歴、職歴など

2) 返済能力に関する情報

3) 返済履歴情報

4) 人脈 (リアルとSNSなどのネット上の交友関係)

5) 日常の行動や趣味嗜好

 

これにそれぞれ5段階で点数を着けます。そうすると、その人をランキングづけできる分けです。

このランキングが高まると、キャッシングの上限が上がるのはもちろん、自動車ローンの利率が下がる、賃貸住宅で敷金が無料になる、就職の時に有利になるなどなど・・・さまざまな恩恵が受けられるとのこと(P123 「キャッシュレス先進国に躍り出た中国」より)

 

そうなると皆が競ってスコアを少しでも高くしようとし始めます。

そのためには税金や公共料金を滞納しないなどに加え、スコアが高い人を友人にする、知人を増やすなどの方法がある一方、スコアが悪い人と友人関係にあると自分もスコアが下がるなどということが起こります。

つまり個人的な人間関係が点数化され、ゴマ信用という点数を高めるためにどんな人と付き合うのかを選別するようになっている。それが中国の実情だということです。

 

このように中国ではキャッシュレスやデジタル化による利便性を極限まで推し進めることで、「個人情報の漏洩」を恐れるどころか、むしろ積極的に”個人情報を売り渡したい!”と考えるほどの状態になっているようです。

さらに言えば、「どれだけ個人情報を売り渡したか?」で周りの人たちや国からの評価が変わることで、「個人情報を売り渡さなければ生きていけない」状況が作り出されていると言えるでしょう。

 

デジタルデータ化をなぜ拒めないか?

日本人はいまのところ中国に比べ、個人情報の取り扱いにかなり慎重な状況だと思います。しかし、少し前に100億円還元キャンペーンで騒ぎになったPayPayや、LINE Payなどキャッシュレス化の波は確実に押し寄せていて、「キャッシュレス」の利便性と引き換えに私達のスマホなどのデジタル機器から個人情報はどんどん抜き出されています。

もちろんそれはキャッシュレス化だけではありません。

今ではみんなが誰でもやっているSNSやグーグル検索などもそうです。

いつ、どこで、何をやったのか、どんな交友関係があるのか、どんな趣味嗜好の持ち主か、すべての個人情報が日々抜き出されビッグデータとして”活用”されています。

 

一応建前上はそのようにして入手した個人情報を他者に売り渡したり、悪用したりしないとどこの企業も謳っていますが、そんなことが口約束にしか過ぎないことは誰もが感じていることだと思います。

それでもキャッシュレス化を拒否できないのは、恐らく

 

・そのように悪用される実感がない

・目先の利便性がすさまじく高い

・先端技術を拒否したら古臭い、遅れたヤツだと思われそう

 

というところではないでしょうか。

特に最後の「先端技術を拒否したら古臭い、遅れたヤツだと思われそう」という、先端技術を拒否することの後ろめたさ(?)はかなり強いのではないかと思います。

「今どきそんなこと言ってるの?」とか「もうそんな時代じゃない」とか、「みんなやってるよ。」とか言われるとなかなかそれに抵抗し続けるのは精神的に辛いものがあるのは事実です。

 

そして、そういう後ろめたさを上手いこと突いてくる「キャッシュレス社会の利点」の一つが犯罪抑止への活用です。

 

アメリカで進む犯罪予測システム

確かに犯罪率を低く抑えられるということは、相当なメリットだと思います。「安全のためなら多少個人情報が流れても・・・・そういう時代か・・・」と受け入れてしまう気持ちも分かります。

ただ、犯罪防止というコインの裏側にあるのは「監視社会の実現」でもあります。

このことについての次のような著者の指摘は実に鋭いと思います。

 

政府機関による個人監視は、「テロリストなどの犯罪者を対象にしている」という大義名分が掲げられ、多くの人は、「私はやましいことなどしてないので関係なく、監視が強化されてもいい」と考え、大きな批判が起こりにくくなっている。

しかし、”やましいこと”の内容を決めるのは監視機関の方であり、普通に暮らしていた人がある日突然、やましいことをしている人間にされてしまうこともあるのだ。

(本書P187より抜粋)

 

安全で平和な暮らしのために十分な個人情報を提供し、自分は安全だと信じていたら、すぐ後ろに、自分を捕まえる監視者が手錠を持って立っている・・・そんな社会がもうすぐそこまで来ているのかもしれません。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

GDPがマイナス!!の何が問題なのか改めて考えてみる

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すでにニュースで大きく報じられていますが、2019年10月から12月のGDP (国内総生産)がマイナスに落ち込みました。実質でマイナス1.6%、名目でマイナス1.2%。

 

ただ「実質GDPがマイナス1.6%!!」とか言われても、恐らく普段経済にそれほど関心がない方や経済の知識に疎い方には「そんなに大変なことなの?」という感じだと思います。

でも、そういう感じの人がほとんどだと思いますので大丈夫です! (笑)

ですが、これってかなり凄いことで、私たちの生活にも非常に大きな影響が出てきますので、GDPがマイナスということがどういうことなのか絶対知っておいた方が良いです。

そこで今日は「そもそもGDPって何なのさ?」という基本的なところから、今回のGDPマイナスの何が問題なのかを解説してみたいと思います。

[目次]

 

 

そもそもGDPとは何なのか?

まずは根本的な話。GDPとは何か、です。

GDPというのはGross Domestic Productの略で、日本語では「国内総生産」と訳されます。教科書的な定義で言えば

 

「国内で行われた生産活動で生み出された付加価値の合計」

 

です。そのまんまですね。

多分わかりにくいのは「付加価値」という言葉です。付加価値というのは生産活動によって”付加された”価値のこと。たとえばあなたが100円で土を買ってきて焼き物を作ったとしましょう。その焼き物が1,000円で売れたとしたら、原材料100円との差額900円があなたが生み出した付加価値だということです (現実にはもっと複雑ですが基本の考えはこれです)。

このように生産活動を行えば必ず付加価値が発生します。その付加価値を合計したものがGDPということになります。

 

GDP三面等価の原則が暴くGDP減少の意味 

そして、このGDPで面白いのは“三面等価の原則”というものです。

三面というのはGDPを三つの面から見ることです。すなわち

1: 生産

2: 支出

3: 所得

です。

三面等価の原則というのは、この3つが必ず同じ金額になるということです。

これは考えてみれば当たり前の話で

 

「Aさんが生産した付加価値の額(上記1) → Bさんが支出をして買う付加価値の額 (上記2) → それはAさんの所得になった付加価値の額 (上記3)」

 

なので、当然これらは同じ金額になるという訳です。

これの何が面白いのか?って思います?

実はこの三面等価の原則を理解すると次のことが分かるのです。

それは

 

「実質GDPが1.6%マイナスになった」ということは、三面等価の原則により「私たちの所得が1.6%マイナスになりました」というと同じこと

 

だということです。

もちろんあくまでこれはすごくシンプルに考えた場合です。現実には所得から税金を支払ったり、あるいは税金から補助がある場合もありますので、個人間や企業間といったミクロの単位で見ると全く同じではありません。ただ、国全体で考えるとこの原則は必ず成り立ちます。

 

したがって、GDPが減少しているということは国民の生活が貧しくなっているということを意味するのです。

 

なぜGDPが減少したのか?

さて、ではなぜGDPは減少したのでしょうか?

もちろんいくつもの要因はありますが、今回のGDP発表が10月〜12月の3ヶ月間のものだと考えれば誰でも分かります。そう、消費増税です。

安倍政権は「台風のせい」「暖冬のせい」だと言っていますが、そんな訳はありません。今回の内閣府の発表を見るとそのショックの大きさが分かります。

 

・実質GDP成長率 : 年率換算ー6.3%(対前期比ー1.6%)
・民間最終消費支出 : ー11%(対前期比ー2.9%)
・民間住宅 : ー10.4%(対前期比ー2.7%)
・民間企業設備 : ー14.1%(対前期比ー3.7%)
・財・サービスの輸出 : ー0.4%(対前期比ー0.1%)
・財・サービスの輸入 : ー10.1%(対前期比ー2.6%)

 

ご覧の通り民間の消費、住宅消費、企業の設備投資、そして輸出と輸入すべてがマイナスです。

台風とか暖冬とか、そんな季節要因でここまで経済がガタガタになるほど脆弱な国家などある訳がありません。もし本当にそうなら、似たような経済指標の悪化がすでに何度も発生しているはずです。しかし、実際には今回に近い減少幅と言えば、前回の消費増税が行われた2014年の4〜6月期 (年率マイナス7.4%)以外ありません。これで「台風のせいで」とか言っているようならはっきり言って国政治を担う能力はありません。10%消費増税が最大の要因であることは疑いようがないのです。

 

実質GDPより名目GDP減少がもっとヤバい。

しかも、さらに不味いことがあります。

それは今回騒がれているのは実質GDPですが、実は名目GDPもマイナスになっているのです。

そもそも実質と名目の違いは何かというと、名目は単純にGDPを足し算したのに対して、実質はそこから物価変動の影響を差し引いたものであるという点です (本当は季節要因の調整とか色々あるのですが分かりやすくするために省略します)。今回は消費税が2%上がっていますので、その分強制的に物価が上昇しています。したがって、国内の消費量が変わっていなければ、消費税を増税した分だけ名目GDPは上昇してないとおかしいのです。

 

たとえば1000円の商品があり、これが一ヶ月に100個売れるとしましょう。

A) 消費税が8%の場合

商品の単価は税込みで1080円になります。これが100個ですので合計金額は108,000円になります。

B) 消費税が10%の場合

商品の単価は税込みで1100円になります。これが100個ですので合計金額は110,000円になります。

消費税が8%の場合と10%の場合で販売される量が変わらなければ、増税分だけ合計金額が増えるはずなのです。それが今回は(名目GDP)下がってしまっている。ということは、増税で価格が上がったにも関わらず、それを上回る勢いで販売された量が減少したということです。消費税によって消費が減少したことが統計上も明らかになったということです。

このことは元内閣官房参与藤井聡氏も指摘されているのですが、藤井氏によると前回の2014年の増税時にはこのような現象は見られなかったそうです (実質GDPは今回同様下がっていたけど、名目は何とか下がらずに済んだ)。つまり、今回の消費税増税は前回の増税を上回るインパクトを市場に与えたことが明らかになったということです。

 

この絶望の中でできること

この数字を見るだけですでに日本経済は相当危険な状況に入っていることは間違いありませんが、さらに最悪なことに新型コロナウィルスによる影響で今年の1〜3月期のGDPも確実にマイナスに突っ込むでしょう。

その次の4〜6月期は若干持ち直すかもしれませんが

 

-3月末にはプレミアム商品券終了。

-6月末にはキャッシュレス決済還元が終了。

-8月上旬には東京オリンピック終了。

 

と、悪いイベントが目白押しです。とても経済が好転するチャンスがあるとは思えません。むしろ年末にかけて増々衰退していくのが必定という感じです。

 

という訳で、今回はかなり暗〜〜〜い気持ちになる記事を投稿してしまいました。すみません m(_ _)m

ですが、どうもどのニュースや新聞を見ても新型コロナウィルスのことばかりで (これはこれで大事件なのですが・・・)、今回のGDP減少のことはすっかり忘れ去られてしまったように思います。厳しい、非常に厳しい現実ですが、この現実を見なくては正しい解決策を導きだすこともできません。まずは現状を知ること。これこそが日本の経済を好転させるための第一歩だと思うのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

10秒でわかる日本が財政破綻しない理由

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毎度毎度湧いて出てくる「国の借金◯◯兆円突破!」「国民一人当たり◯◯万円!」という報道。なんかもう、逆にみんな「またいつものやつか〜。はいはい、大変大変。」と呆れ返っているような気さえします。

 

このブログでは何度も書いてますが、日本が財政破綻するということはあり得ません。

今日はこの理由を10秒で説明しようと思います!! (笑)

 

では早速スタート!!

 

日本の借金1,000兆円とか言いますが、私達国民が借りている訳ではありません。

お金を借りるのは日本政府。

日本政府が借りるお金は日本円です(ドルやユーロではありません)

 ↓

日本政府は通貨発行権があるので、日本円をいくらでも発行できます。

つまり日本政府はいくら借りても全部返済することが可能です。

↓ 

というわけで、日本政府が借金返済不能に陥ることはあり得ない。

以上。

多分10秒以内!!(笑)

 

 

簡単ですよね?そう。簡単な話なんですよ。

でも、なぜか国民みんながこの話を信じようとしないのです。

「日本政府には通貨発行権がある」と学校で習ったにも関わらず。

 

多分、これを信じられないのは理論的な話じゃなくて、体感的な話だと思います。

きっと皆さんこう思うのでしょう。

 

「だって、それじゃ借金し放題じゃん。錬金術じゃん。そんな馬鹿な!!」って。

 

はい。そうなんです。借金し放題なんです。正に錬金術なんですよ。

ですが、それが何か?

何か問題ありますか? 

 

ズルい!!と思いますか?

そうですね。確かにズルいかもしれません。

でも、凄いアイデアだと思いませんか?

このシステムを考え出したのは18世紀のイングランド銀行ですが、私はこう思います。

「これ考え出したヤツ、天才!!!!」と。

 

 

そもそも近代資本主義が成立したのは、こういうとんでもないお金の創出方法が編み出されたからこそです。

このシステムにより瞬時に巨額の資本を集めることができるようになったからこそ、産業革命後の巨大産業が生まれることができたのです。

もしこのシステムを「ズルい! 詐欺だ!」というのであれば、それは「資本主義ってズルい! 詐欺だ!」と言っているのと同じことなのです。

 

ただ、いくらでも借金できるとは言え、実は一個だけ制限があります。それはインフレ率です。

インフレ率が過剰になると貨幣価値が暴落して通貨の役割が果たせません。なので、その点だけは注意する必要があります。

 

ただ、現在の日本はデフレですので、そんな事を気にしている場合じゃありません。

それはまるで

 

東京ベイブリッジの直前まで来て、「もし渡ってる途中に橋が落ちたらどうしよう・・・ 」と心配して橋の入口で右往左往しているようなものです。

「邪魔だからさっさと渡れ!!! (#゚Д゚) ゴルァ!!」ってなもんです。

 

今回はちょっと短めに書けたかな?😂

最後までお読み頂きありがとうございました😆

全力でデフレを支援する日本人マインド

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前回のこちらの投稿でデフレとは何なのかについて取り上げました。

今日は肝心の「じゃあ、どうやったらデフレから脱却できるのか?」ついての解説です。 

 

 

[目次]

 

インフレとデフレの違い

まず前回のおさらい的にインフレとデフレの違いを簡単に振り返っておきます。

簡単に言えば、デフレとはお金の価値が上がる現象のことで、反対にインフレがお金の価値が下がることです。したがって

 

・インフレだったら、お金は早く使った方が得。

貨幣の価値が下がっていくので、同じお金でも時間が経つと買える量が減るからです。

 

・デフレだったら、お金は使わずに取っておいた方が得。

貨幣の価値が上がっていくので、同じお金でも時間が経つと買える量が増えるからです。

 

ということになります。実はこの理解がかなり大事です。

「インフレは物価が上がること」「デフレは物価が下がること」と思っている人が多いのですが (間違ってはいないんですけどね)、それだけだと何が悪いのかが分かりません。

 

 

デフレの原因はお金が足りないから

先程デフレとはお金の価値が上がる現象だと書きました。ではなぜお金の価値が上がるのでしょうか?これは現在大騒ぎになっている新型肺炎による“マスク不足”を考えるとわかりやすいです。

 

新型肺炎の拡散に伴って全国的にマスクの品薄状態が続いているのはご存知の通り。そして、それにつけ込んでネット界隈ではマスクの転売が相次ぎ、一箱5,000円とか考えら得ない値段で取引されています。お金の価値が上がるのもこれと同じ。

お金が不足しているからみんなお金を欲しがる。だからお金の価値が上がるのです。

簡単ですよね。お金が足りないからみんなお金を欲しがるし、お金を使いたがらず貯金する。当たり前です。

 

じゃあ、どうやって解決すれば良いのか?

それも簡単です。供給されるお金の量を増やせば良いのです。アホみたいな話ですが、基本的にはデフレ対策ってこれしかないんですよ。ただ問題は「じゃあ、誰がお金を増やせるの?」ってことです。

 

お金は誰が発行できるのか?

お金の供給量を増やせばデフレは解消できる。じゃあ、誰がお金の供給量を増やせるのか? 

多分多くの人がピンと来るのは「日本政府」だと思います。通貨発行権というのを学校で習ったことを覚えているでしょうか? あれですね。通貨を発行できるのは日本政府だけということに決められていますので、民間人が偽札を作ったら逮捕されます。でも、実は日本政府以外にもお金を生み出せる機関があるのです。それが「銀行」です。

というのが、お金には銀行預金が含まれているからです。

 

「お金」というと、皆さん財布に入っている硬貨や紙幣のことだと思うでしょう。あるいはLINEペイとかPayPayと言ったデジタルマネーもそれに入るでしょうか。当たり前と言えば当たり前なんですが、皆さんが銀行に預けている銀行預金もお金に含まれます。

そして銀行というのは個人が住宅ローンを組んだり、企業が設備投資のために借金をしたりするようにして、個人や企業の口座のお金を増やすことができるのです。これを専門用語では「信用創造」と呼ぶのですが、その名の通りお金を“創造”しているのです。

 

という訳で、お金の供給量を増やせるのは「政府」と「銀行」。この2つになります。したがって、デフレを脱却するためにお金の供給量を増やそう!と思えば、この2つのいずれかがお金の供給量を増やせば良いわけです。っていうか、この2つのどちらかでしか増やせません。

 

デフレ状況でお金を増やせるのは政府しかない

デフレを脱却するためにお金を増やせ!

お金を増やせるのは銀行か政府のどちらか

どっちでも良いからお金を増やせ!

 

ということになるのですが、残念ながらデフレという状況では銀行は事実上お金を増やせません。なぜなら先程も書いたように、銀行がお金を増やすのは個人や企業にお金を貸し付ける「信用創造」という手段だけだから。つまり“誰かに貸さない限り銀行はお金を増やせない”のです。 これが問題なのです。

景気が良ければ民間企業の投資が増えますので、銀行からの融資も増えます。ですが、デフレの場合はお金の価値が上がっていきますので、投資で使うよりも貯金しておいた方が良いということになります。これは民間企業も同じ。銀行は誰かに貸すことでお金を増やすのですが、企業は誰も借りてくれない。

これは何を意味するでしょうか?

 

これは結局「デフレにおいては、銀行の信用創造でお金を増やすことは不可能」ということになるのです。まぁ「0 (ゼロ)」というわけではないですが、少なくとも景気を良くするほど巨額の信用創造はできないということです。

銀行が駄目となると、後はお金を増やせるのは日本政府しかありません。これはもうシステム的にそうなっているのでどうしようもないのです。

 

政府はどうやってお金を増やすのか

政府がお金を増やすというと、造幣局でお金をガンガン印刷するようなイメージが浮かぶと思います。ですが、実際に印刷したり、硬貨を鋳造すると経費がかなり掛かりますし、何より現代では個人でも民間でも現金での取引よりも口座での取引が圧倒的に増えていますので、紙幣や硬貨を作ってお金を供給するには限界があります。したがって、政府がお金を増やす時というのは、民間企業が持っているの銀行口座の金額を増やすことでお金を増やすのです。

 

民間企業の口座金額を増やすって言われても、多分「そんなことどうやるの? 銀行口座にお金を振り込むのか?」と思われるでしょう。

それができれば手っ取り早いのかもしれませんが、それはシステム的にできないことになっています。いろいろな理由があるのですが、一つには政府は民間銀行に口座を持っていないので、直接取り引きができないからです。したがって具体的な方法としては、公共事業などを発注しその支払代金として「政府小切手」という小切手を企業に渡します。企業はその小切手を持って銀行に行くと、口座に銀行からお金が振り込まれるという仕組みになっているのです。

 

つまり、政府が国内のお金を増やそうと思ったら公共事業を行うしかないということです。それによって初めて政府がお金を民間の市場に供給することができるのです。

 

公共事業を削れ!と言うのはデフレを脱却するな!と言っているのと同じ

ここまでの話をまとめると、“ある恐ろしい”ことが分かります。

それは

 

デフレはお金が不足している状況

デフレを脱却するにはお金の供給量を増やさなくてはならない

(デフレ下で)お金を増やせるのは政府だけ

政府がお金を市場に供給するには公共事業をやるしかない

結論

デフレを脱却するには政府が公共事業をやれ!

 

ということです。

「デフレ脱却」と「公共事業」はイコールなのです。

公共事業を減らせ! 公共事業は時代遅れ! 公共事業はやるな!と言う人は「デフレを脱却するな!」と言っているのと同じなのです。日本人のほとんどがそのことを理解していません。

 

もちろん公共事業と一言で言ってもいろいろな物があります。いわゆる道路工事もそうでしょうが、次世代通信規格の5Gへの投資、教育部門への投資、災害対策事業もすべて“公共に資する”のですから公共事業です。私も別に建設業界の人間ではありませんので(笑)、何に使っても構いません。ただ、何に使っても良いのですが、少なくともデフレという状況を脱するまでは政府はお金を使い続けろ! というだけです。

政府がそれをケチっている限り、どんな政策を打っても絶対に日本はデフレから脱却できません。絶対です。近代国家の財政システム自体がそういう構造になっているので、これはどうしようもないのです。

そしてデフレである以上は、われわれ国民の生活も苦しくなる一方です。しかし、国民のほとんどが「政府はお金を使うな!」の大合唱。それが実態です。

 

デフレとインフレ、その違いを理解している人は残念ながらほとんどいません。ましてやデフレとは何なのか?については、全くと言って良いほど理解されてないのが現実です。しかし、そのことが分かると、実は日本の景気が低迷し、私達の給料が増えない理由は、他でもない私達自身が「デフレを脱却するな!!」と叫び続けているからだということがわかってくるのです。この現実を一人でも多くの人が理解することが、私たちの生活が向上し、貧困の人たちが減り、社会格差を是正するために必要なのです。

  

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

デフレ不況とは何なのか? インフレとは何が違うのか。

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早いもので新しい令和の時代になってもうすぐ1年が経とうとしています。

去年の今頃は、平成が終わるなんてあまり実感がありませんでしたが、一年も経つと案外令和にも馴染んでしまい、「平成」という時代がすっかり過去になりつつあるように思います。

しかし、気分的に令和の時代が馴染んで来たとしても、相変わらず平成を引きずっているものがあります。それは「デフレ不況」です。ただ、あまりにも長く不況が続いてしまっているために、何だか「不況なのが普通」みたいな感覚になっている人が多いのではないかと思います。そこで今回はいまさらながら「デフレ不況とは何なのか?」について解説してみたいと思います。

 

[目次]

 

経済はインフレかデフレかのどちらかしかない

そもそも経済の状態というのは2つの状態しかありません。

一つはインフレ。もう一つはデフレです。

この名前自体は聞かれたことはあるかと思います。

 

さて、新聞とかでは「インフレは物価が上がる現象」「デフレは物価が下がる現象」と言われますが、半分正解で半分間違っています。

どちらも単純に物価が上がるとか、物価が下がるとかいう訳ではないのです。

あくまで「所得の上昇率に対して物価の上昇率がどうなのか?」です。

 

例えば、極端な話、物価が毎月10%上がっても所得が毎月20%上がるなら、インフレとは言わないのです。所得が物価以上に上がれば、額面上の値段が上がっていても実際の支払い能力からの比率で言えば下がってますからね。

 

一方、物価が毎月10%下がっても、給料が下がらなければ購入できる数は増える訳ですからデフレとは言いません。

 

「インフレかデフレか」はあくまで所得の上昇率(もしくは下降率)に対してどうなのか?という相対的なものなのです。

 

そして、物価や所得は常に変動します。

ですから、経済はインフレかデフレどちらかの状態しか基本的にはない。そう思ってもらってほとんど間違いありません。

※スタグフレーションとかいうのもありますが、話がややこしくなるのでとりあえず横に置きます。

 

じゃあ、インフレとデフレ、どっちが良いのでしょうか?

 

経済にとってどちらが好ましいか 

それに答えるために、インフレとデフレで世界の状況がどう変わるかを考えてみましょう。

 

まずインフレの場合。

所得に対して物価が上がっていきますので、基本的に買いたい物は早く買っておいた方が得です。時間が経つほど高くなりますからね。

これは「貨幣の価値が下がる」ということです。「物の価値が上がる」と言った方がわかりやすいですね。どちらも言っている中身は同じです。

 

逆にデフレの場合。

所得に対して物価が下がっていきますので、基本的に買いたい物はすぐ買わずに値下がりを待ってから買った方が得です(売り切れなければ、ですが)。

これを経済学的に言うと「貨幣の価値が上がる」と言います。インフレとは逆に「物の価値が下がる」からです。

 

ということで、上記2つを比べるとわかるのは

 

・インフレだったら、お金は早く使った方が得。

貨幣の価値が下がっていくので、同じお金でも時間が経つと買える量が減るからです。

 

・デフレだったら、お金は使わずに取っておいた方が得。

貨幣の価値が上がっていくので、同じお金でも時間が経つと買える量が増えるからです。

 

ということです。

したがって、インフレだったらお金を持っておいても損するだけなので、さっさと使ってしまった方が良いです。例えば住宅ローンを組んだりするのも得です。今は3,000万円のローンを組めば買える物件が、5年後には4,000万円になっていたりしますから。

 

逆に、デフレの場合は色んな物の値段が下がっていきますから、使わずに貯蓄に走ります。現在の日本が正にそうです。

 

答えは?

ここまでを前提とした上で、「インフレとデフレ、どっちが良いのでしょうか?」。

答えはインフレです。

上で見たようにインフレの場合は個人や民間企業がどんどんお金を使うようになりますから、民間の投資も活発になり、皆さんの所得も増えます。

所得が安心して増えるようになれば、さらに皆お金を使うようになります。周りの人が使っていれば自分も使いたくなるのが人情ですし、何よりお金の価値が下がるので使った方が得だからです。

 

しかし、デフレの場合はお金を使わずに持っていた方が得ですので、皆使いません。

使わずにタンス(や銀行)に入れたままになっているお金が果たして景気を刺激するでしょうか?

するはずがありませんね。

タンスに入ってるお金は個人にとっては資産でも、国家経済にとってはただのほこりの被った紙切れです。

したがって、経済の循環を促すという意味ではインフレの方が好都合なのです。

 

ただ、もちろん現在のようなデフレによる不況だけでなく、インフレによる不況というのもあります。ですから、インフレなら何でも良いという訳ではありません。あくまでマイルドなインフレなら経済にとって好ましい、ということです。

 

ただこのようにデフレという物が悪いものだと書きましたが、これだけデフレが続くとある意味これが普通になってしまって、何が悪いのかが分からなくなってしまいます。

例えて言うなら、ずっと不況でボーナスが出なかったのでそれが当たり前になってしまった。それって本当はおかしいんだけど、ずっとそれが続くと慣れてしまって「今年はボーナスありません」って言われても驚かなくなった、みたいな感じでしょうか。

 

そこで次はなぜデフレを放置しておくと不味いのかを説明してしたいと思います!

 

今回も長文を最後までお読み頂き有り難うございました😆 

新型肺炎というグローバル社会の申し子が世界を平等に襲う

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世界中で猛威を奮っている新型コロナウィルス。

WHOの報告によると、2月2日時点で死者が361人を超え、感染者数も1万7000人を突破。日本でも感染者が20人に達した模様。

 

たまらず日本政府も中国からの入国を制限。すでに8人を入国拒否としたようです (春節で訪れた中国人観光客の数から考えれば少なすぎると思いますが・・・)。

 

ただ、不謹慎を承知であえて言わせて頂くとすると・・・

 

この程度でビビるくらいならグローバル社会なんか歓迎するんじゃない!!

 

です。

 

 

 

グローバル (Global)の意味とは何か?

グローバルという言葉は英語で書くと「Global」。

Globalの元である「Globe」とは「地球」という意味です。この世界を一体化したひとつの存在だとする世界の見方であり、グローバルというのは国の境目を失くして、ひとつにして行こうという考え方なのです。みなさんも何となくグローバルな社会というと「自由で、平等な、開かれた社会」だと考えているのではないでしょうか。

 

さて、およそ1980年代後半頃から世界ではこの「グローバル社会」という考え方が広がりました。そして、実際に国境が下がり、それぞれの国が無防備に繋がりました。

その結果どうなったでしょうか?

国際競争力を強くしなければならない!という号令の下、世界中の労働者が賃金競争にさらされたため、先進国の労働者ほど賃金が低下していきました 。「中国で作った方が安い。」「そうじゃないと売れない」と言われて、企業が中国に拠点を移していった結果、日本人の賃金が中国人の賃金とガチで勝負させられる状況に追い込まれたのは、みなさんご存知の通りです。

自由! 平等! のスローガンの下、すべての国民が“自分以外のすべての人”と競争し合う殺伐とした世の中になりました。

 

グローバル社会が拡大した病原菌が引き起こしたパニック

そして今年、満を持して新型コロナウィルスが国境を越えて、自由に世界を移動しはじめ世界中に拡散しています。どんな人種であろうとも“平等に”襲いかかったわけです。もちろん仮にグローバル社会になっていなかったとしても、このウィルスは広がっていたかもしれません。ですが、ここまで急速で広範囲な拡大にはならなかったはずです。もっと限定された感染に留めることができたでしょう。だからこそ、日本を含めて様々な国が中国からの渡航を禁じるという「国境を高くする政策」へと転換し始めたのです。

私はこの判断は正しいと思います。

自由で開かれた平等な社会 (=グローバル社会) への人類は進歩するんだ! などと口では言っていても、それはあくまで“トラブルのない平和な状況であれば”の話。実際にこのような事件が発生すれば世界の国々は自国民を守るために国境を引き上げるし、民間企業でさえも社員を守るために中国への渡航を禁止する。

また、市民レベルでも横浜から出港して日本各地と東南アジアを巡ったクルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」に新型コロナウィルスの感染者が見付かったら、その乗客3,500人を陸地に下ろすことに猛烈な批判が浴びせられるような状況です。

 

本当にグローバルな社会が望ましいか?

しつこいようですが、本当に自由で平等な開かれた社会を目指すのであれば、感染者が入ってくる自由を妨げてはならないし、すべての人々が平等に新型肺炎にかかり“当事者意識を持って”この病気に立ち向かわなければならないのです。それが本当のグローバルな社会のはずなのです。

 

でも、そんな社会を本当に望みますか?

私は嫌です。絶対に嫌。

海外の国々とのつながりは持つべきだし、社会的にも文化的にも、あるいは科学と言った分野でも、そこから刺激を受けることは多いです。良い影響があるのは間違いありません。とは言え、それぞれの国の考え方は違うし、このような大規模なトラブルが起こったときに、世界中の国々が一致団結して臨むというのは現実的には難しい。どうしても他の国々との協調は図りながらも、結局はそれぞれの国が独自に判断し責任を持って行動するのが一番現実的なのです。 

 

私は何も「鎖国時代に戻せ」とか言っている訳ではありません。

グローバルか?

鎖国か?

という二元論で考えるのはおかしい、他の選択肢もあるはずだと言っているだけです。

 

日本では昔、“国際化”という意味で「International (インターナショナル)」という言葉を使っていました。インターナショナルは「ナショナル (国家)」のつながり (インター)ですので、それぞれの国が自立して存在し責任を持った一国として行動する。そういった国々が様々な分野で、状況に応じたつながりを持って協力し合うという関係ですので、グローバルとは意味が全然違います。

 

グローバルよりもインターナショナル

確かに世界に何もトラブルが起きず、平和で秩序のある状態な何百年と確実に保証されるならグローバル社会を目指しても良いかもしれません。しかし、そんなことは現実にはありえません。誰かが悪意を持って行動しなくても、今回の新型肺炎のように突発的かつ大規模な事象が世界のどこかで発生する可能性は確実に存在するのです。そのような世界の中でグローバル社会という理想論を掲げて世界秩序を変更していくことがどれほど危険な行為であるのか? 今回の新型コロナウィルスの一件で、世界中の人々が痛感したのではないでしょうか。

 

世の中というのは不確実性に満ちあふれています。

今回のような病気もそうですし、自然災害などもそうです。

そのような不確実な社会で、少しでも人々が平和に安定して暮らせるような方策を講じる。それが私は国の責任だと思います。グローバル社会というものは、自由、平等という美辞麗句を材料にして、国家がその責任から逃げるための言い訳でしかありません。それぞれの国が自立して責任を持った行動をし、別の国に依存しすぎることなく状況や相手に応じてつながり方を模索していく。そんな「インターナショナル」な世界のあり方こそが今後重要になってくるのではないでしょうか。

 

 

今回も長文を最後までとお読み頂きありがとうございました😆

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