自動車から見る世界の覇権競争。川口マーン恵美著「新経済戦争」。
昨今のニュースを見てつくづく思うことは「競争」「争い」「戦争」といったワードが使われることが非常に多いという環境問題、米中貿易戦争、IT関連の開発競争。
昨今のニュースを見るとこういった「争い」的なワードを必ずと言って良いほど目にします。
争いが多すぎてもはや、どことどこが争っているのかさえ分からなくなりますが、世界の各国がある方向性に向かって進んでいるということを理解しておくと、かなり物事が見やすくなります。
その方向性とは「これからは国家主導型産業が主導権を握る世界が始まる」ということです。
もちろんそれは「国家が一から十まで設計した産業」とか「国家が出資する産業」とかいう前時代的な体制ではありません。
そうではなく「国家規模の取り組みがなければ打ち勝つことができない、激烈かつ大規模な競争世界になっていく」という意味です。
それは今までのような民間企業を自由に競争させれば、より強い企業が育ち、ビジネスの世界で勝ち抜いていけるというような生ぬるい戦いではありません。文字通り国家を巻き込んだ死にものぐるいの戦いが始まります。
そのような国家主導型産業の競争を自動車という産業から考察した本があります。
それが、川口マーン恵美 著「世界新経済戦争」。
概略紹介
この本では自動車という「乗り物」がドイツで誕生し、アメリカ、日本などでどのように発展したかの歴史的経緯を最初に取り上げます。
次に、1990年代頃から自動車が迫られてきた、CO2削減などの環境問題に自動車メーカーがどのように取り組んできたのかを検証。
そして、最後にAIや5Gと言った情報技術の発展と自動車の関係性を紹介。より「乗り物」から「情報管理ツール」の一つとして存在意義がシフトした自動車に対して、各国がどのようにしのぎを削っているのかを紹介。
自動車産業に対して、日本がどのような方策をとるべきかを考察しています。
巨大過ぎるゆえの自動車産業のジレンマ
この本を読んで強く認識させられるのは、歴史的に見て、自動車という産業を振興するに当たっていかに国家が強く関与してきたかということです。
もともと自動車が開発されたのはあくまで個人の発明家の技術者としての発案でした。
その自動車とそれを動かすための内燃機関が持つポテンシャルに国家が目をつけた。
そして、国家は他国との競争に勝ち抜くために、その産業を強く後押ししたし、産業界もそれを強く望んだ。だからこそ自動車はここまで発展したのだし、産業としても非常な成功を収めることができたのです。
ただ、巨大な産業になり過ぎたが故に、単なる「乗り物」の器として以上に、多方面に影響を与える産業になってしまいました。それは例えばCO2削減目標の達成といった環境問題、脱化石燃料エネルギー問題です。
そして昨今もっとも話題となっている問題と言えば「自動運転技術」です。
自動運転は国家覇権問題
どうも世間の報じられ方を見ると「自動車技術の一環」か、せいぜいMaaSのような新サービスの一環としてしか報じられていません。しかし、これはそんな底の浅い問題ではありません。例えば自動運転をAIで行うためには、
・凄まじく速い処理能力を誇るコンピュータ開発
・瞬時に変わる運転状況を把握するための通信技術
・事故が発生した場合の責任を誰がとるかなどの法体制の整備
など様々な技術や法律・社会システムの整備が必要になります。
これらが一企業で網羅できることでないことは当たり前です。しかし、もっと大きな問題はこれらに対応する技術や社会システムをどこかの国が整備すれば、他の国もそのシステムに則ったシステムを採用せざるを得ないということです。
iPhoneが世界を席巻した結果、それを前提としたモデルづくりを行わなければならなくなったのと同じことです。
つまりそのような「規格」を実現した国が、その後の世界において圧倒的に有利になるということです。単に自動車という商品がどのような規格になるかという話だけであれば、事はそれほど大きな話ではないかもしれません。
しかし、先程も書いたように既に自動車産業は環境問題、エネルギー問題、そして情報通信技術などあらゆる産業と密接に関わった産業に成長してしまっています。特に情報通信技術とのかかわり合いは今後の自動車産業とは切っても切り離せません。
それは情報通信技術から見た時も同じであり、自動車産業の規格策定で主導権を握れるかどうかは、情報通信技術での覇権を握れるかどうかにも関わってきます。それは世界の覇権を誰が握るのかと言う問題に直結しており、「自動車メーカー」に担えるような次元の話ではなくなって来ています。
現代は情報通信技術の発展により、良い意味でも悪い意味でも多くの産業がつながってしまっている状況です。産業が非常に複雑化しているのです。
そのような状況ではたった一箇所で主導権を握られることが、すべての自国産業の首を締めることになりかねません。
グローバリゼーションが時代の必然だと言われた時代では、国家の役割を減らし、民間に自由に競争させることが正義だと信じられて来ました。ですが、そのような幻想の時代はもう終わりを迎えようとしています。
下手をしたら、一つの産業の成否が国民生活全体に影響を及ぼすような事態になりかねない。グローバルにつながったからこそ訪れた社会によって、新たな危機を引き起こしかねない状況を生み出したのです。
もちろん、国家がすべてを設計すれば上手くいくというほど単純な話ではないでしょう。ただ、民間に任せればすべて上手く行くというほど単純でもない。
民間の研究開発力や事業の展開能力は維持しながらも、今まで以上に国家が制度設計段階から関わっていかなくては、たった一度の負けですべてを他国に奪われてしまうような事態になりかねない。
そんな危険な状況にすでに世界は進んでいるのだということを知る上で、非常に示唆に富んだ本だと思います。